163 魔人を追って
「うーん。ここもナシっと」
シルエは広域地図にバツ印をひとつ入れる。ノアラが把握できている遺跡の位置を記入した手書きの地図は王国内だけでなく他国にも及ぶ。今、調査を終えた箇所も王国外だ。
ノアラの屋敷のような人里離れた個人の邸宅跡は後回しにし、少しでも町や集落の跡がある場所、何の施設だったのか不明の建造物を中心に監獄の装置を探して廻っている。
らしきものはまだひとつも見付かっていない。既に均された土地と石材が放置されていれば再利用するのが順当で、遺跡だったのではという程度の痕跡が残るのみ。現在人が生活している場所は大々的に地下の調査もできない。
地に手の平をぺたりと着けて魔力を流し、反応を見ていたノアラも立ち上がって膝の土を払った。
「こんな小っちゃい跡、よくもまあ、見落とさずにいるよね。こんなの、古臭い石だな~で終わりでしょ」
奇妙に四角く平らな岩の表面にある突起は人の足指と甲に見えなくもない。彫像が倒壊し残った台座が風化したものか。シルエがそこに腰掛けると岩の表面がぼろりと剥げた。
ノアラは軽く首を傾げ、要所要所にある岩や丸く大きく凹んだ地を指差す。
「うんうん。わかった。他にもそれらしき跡があるって言いたいんだね。捜し物はなかったけど」
ディネウは少し距離を置いた場所で近隣の住民が近寄って来ないか見張りをしているが、平和で退屈らしく、大きく伸びをしたあとに「ふぁ」と間抜けな欠伸をした。
サラドは林の入口で大地に斜めに突き刺さった岩の上に立ち、耳を澄ましている。その姿がまるで台座に鎮座する彫像のようにシルエの目に映った。耳の裏に手をあて、薄目で少しはにかんでいる表情は柔らかく、子供の頃に村近くの森で過ごした穏やかで幸せな時間を思い出させる。
「そうだ。彫刻家にサラドのあの姿を像にしてもらったらどうかな。ケントニス領辺りでスカウトして…」
「何故、彫像?」
ノアラが眉を顰める。
「んー? 神殿って人の目に触れないような高ーい場所も彫像で飾られているんだよね。こう、なんでこのポーズを? っていうのもいっぱいあって。なら、サラドのあれ、置いておくの良くない?」
「どこに?」
ノアラの眉間の皺がますます深くなる。実用的なのが第一で、ゴテゴテした装飾のある家財は好まない。今住んでいる屋敷を気に入ったのも質素で無駄がない造りなのが理由のひとつ。
「じゃあさ、ノアラの土人形で生き写しみたいなのを作れない?」
「何を命令する?」
「何も? 在るだけでいいんだけど」
「…何のために?」
「ん? 僕が嬉しい?」
「魔力を流さねば土に戻る」
「ダメかぁ」
不毛な会話をする二人に、調査が終わったのを見てとったディネウが首を突っ込んだ。
「何だ? いい歳してお人形ごっこを所望か? さすがにサラドも引くだろ。止めておけ」
「えー? そんな気色悪いものを見るような目で…。ん?」
ディネウに文句を言おうとしたシルエはノアラが難題に直面したかのような目をしているのに漸く気付く。
「えっ、もしかして、僕って気持ち悪い?」
シルエの視線から逃れるようにノアラがサッと顔を背けた。
「さっきの希望はサラドには言わないことを薦めるぞ。ま、モデルなぞ頼んでもアイツは逃げるだろうけどな」
「嘘!」
「導師の像を建てるって言ったらお前、どう思う?」
「え? 止めて」
「だろ」
「何? 導師の像を建てる計画があるの?」
ぶつぶつと「うぅん…。神殿の外装にいつの間にか毒された…?」と唸るシルエの背後からサラドが声を掛けた。聞き耳をたてるのを止め、岩からひょいっと降りて来たサラドに気付いていたディネウが慌てるシルエを見てニヤッと笑う。
「うわっ。な、ないよ! 何でもないから」
焦るシルエはディネウの脇腹に拳を一発入れ、それを見たサラドは朗らかな笑顔で首を傾げた。
魔人の捜索は一向に成果がないが、他国に範囲を拡げたことで、魔物騒動が起きているのがまだ王国内だけであることがわかった。それだけでも少しは安心材料になる。
「魔人は堕ちた都に執着しているのか、王国に執着しているのか、どっちかってところ?」
「王国内の方が環境が整っているからでは?」
複数の国で分かつ大陸の中でも王国は列強である。海に面し、水源となる支流を持つ大河を複数有している。資源の豊富な山や森に豊かな穀倉地帯と揃い、気候にも恵まれている。大きな遺跡が数あるのも地理的条件が理想的なのが理由だろう。四人が魔物を追って国を飛び出すことがなければ知らなかったことだ。
王国北の霊峰の向こうは山岳が多い寒冷地。人の住める平地は少なく、高地にもへばりつくように町がある。
そこから東に腕を伸ばしたように続く山脈は王国を守る自然の壁。次第に禿山と化しており、連なる赤茶けた崖向こうは森も林もなく視界が開けていた。乾いた土地に丈の短い草と疎らに低木が生えている。そこでは国家というより幾つかの遊牧民が部族ないし家族単位で家畜と移動しながら暮らしている。もっと進むと黄土色の砂ばかりの地があり、驚いた。
不可侵の大森林を挟んで西にある隣国は多数の勢力がひとつの国として纏ってから歴史が浅く、今でも豪族の小競り合いが絶えない。
南は海が広がる。波の穏やかな湾があり、漁業も商船業も盛ん。遠く沖に見える島影は火山島で、人が定住するには適さない環境で、採掘作業員が定期的に行き来をしている。その周辺の諸島に少数ずつ散らばって住んでいる民族は多くを求めず、自給自足でのんびりと暮らすのを好み、王国の脅威になる素振りはない。点在する無人島には遺跡もある。
「…と、まあ、ふざけるのはこれくらいにして。次、行くか」
ディネウが脇腹を押えつつノアラに転移を促す。こくりと頷いたノアラがふわりと手を挙げた。薄紫色の陣が浮かびかけた時、俄に緊張が走り、ぎゅっと拳を握り締めたことで陣が消え去る。
「何? どうかした?」
「聖都の罠に反応!」
「聖都って、確か今日は導師の鎮魂の儀とやらが行われているんじゃなかったか?」
「人が大勢集まったいることろを狙った?」
無表情が崩れ、険しく眉を顰めたノアラが「急ぐ!」と再び転移を発動しようとしたところを、低く抑えた声でシルエが押し留めた。
「待って。神殿なら転移は僕が。ノアラは不可視の術をお願い」
シルエはノアラと頷き合い、クルリと杖を回すと石突をトンッと地に立てた。
本神殿前に転移してすぐ、当然のように無言でサラドが駆け出した。隠し通路までの経路の安全を確認しながら先行する。残りの三人はサラドが残した跡を追い、地下の霊廟、その先の隠し通路を一直線に目指す。
通り掛かった礼拝堂は儀式の準備を整え、祈りの列の戻りを待っていた。来賓は左右の壁沿いに、見習いは中央を空けて整列し、警護する兵士が等間隔に配されている。見習いたちが祈りの言葉を唱和している声が広い礼拝堂内に響く。
そこに混ざる好き勝手バラバラに唱えている祈りの言葉。
その尋常ならざる様は来賓たちの胸をざわつかせるには充分だった。
歩行に難がある神官たちが祭壇脇の端に陣取り、いまだ負う罪の責苦から『鎮魂の儀の今日こそは解放されること』を願っていた。思うように口が回らず、たどたどしくなっても必死に唱えている。もはや祈りの言葉ですらなく「赦してください、赦してください」と繰り返す切なる叫びも。
その中心に車椅子に掛けた副神殿長の姿もあった。ぱっと見では誰かわからないほどの変貌ぶり。硬く力の入った手指は不自然に曲がり、ぶるぶると震え、じっと座っていることもできず、ビクリビクリと上下に揺れている。涎掛け姿は威厳もなく、完璧だった対外用の慈愛に満ちた顔は失われた。痩せ衰え、落ち窪んでギョロリとした目はまるで導師と入れ替わったかのよう。
それを尻目に掛け、シルエは礼拝堂を横切った。ここに囚われた過去がなければ、古代の技術や生活水準の高さが忍ばれる建築物を純粋に堪能できるのに、余計な思い出が邪魔をすると、心中で毒づく。
地下に降り、広い霊廟内の入口付近にあるのは導師の棺。鎮魂の儀のために礼拝堂に運ぶことはしなかったようだ。
棺はしっかりと蓋が閉じられている。前回、念のために、簡単に暴かれないよう細工を施した。
心配症なノアラの拘りでミイラっぽい形だった土は、油を染み込ませ焼いて煤にし、よりリアルさを追求した仕上がりになっている。骨などはないので詳しく分析されたらそれまでではあるが。
もし蓋を破壊してこじ開けられたら、死後日数とはあまりにもかけ離れた遺体の有り様に新たな伝説が加わるだろう。
サラドから合図を受けて、隠し扉を抜ける。ニ度目のため、急な砂利道への変化も細い通路にも迷いはなく、三人の進みも早い。
突き当たりの小部屋の前で解錠を済ませたサラドは三人が背後に追い付くと振り返らずにゆっくりと頷く。すぐ後に控えたシルエは杖を予断なく構え、唇に指を添えた。
慎重に開けた扉の隙間から光が滑り込み、一気に光源を増して明るく照らす。
扉が開ききっても、小部屋の中は静かだった。
「…いない」
ノアラの呟きが室内に響いた。