161 導師と治癒士
隣国から訪問中の神官は導師の真実を確かめたくて宿場町に逗留している。鎮魂の儀に多くの人が集まることで噂話も多く囁かれる。それを集めていた。
導師について何か知らないかと訊かれたセアラは、亡くなる少し前に声を掛けてもらったことを話した。導師とは知らず、そのぎょろりとした目を怖いと感じてしまった記憶。痩せ細った容姿について説明すると神官は絶句していた。
「そういえば導師には真逆の噂があったな。無欲の聖人像と権威欲の塊と」
導師の後見人は副神殿長。神殿長と導師の確執は耳にしたことがある。神殿内も権力争いが渦巻き、双方が足の引っ張り合いをした結果かと思い至り、「どこも似たようなものか…」と呟いたショノアにセアラは困り顔で微笑んだ。
「神官様は過去にも聖都を訪れていて、お目通りを願い出たそうなのですが、叶わなかったそうです。一度目は地方の神殿を巡回中で不在。二度目の頃は人前に出ることすら滅多になくなっていたそうです」
「ああ、確かに、聞いたことがあるな。高位の貴族が導師を往診に呼べることを自慢にしていると。それにしても、隣国の神官であるのに何故そこまで導師に入れ込んでいるのだろうか」
優れた奇蹟の持ち主で、施療院や養護院の設立に尽力した人物だとは知っているが、信仰心の篤くないショノアにはあまりピンとこない。
「導師様に恩義と悔悟があるのだそうです。正しくは英雄の治癒士とその仲間にだそうですが」
尋ねて良いものかどうかわからなかったが、是非にと神官は微笑んだ。まるで懺悔をするように手を組み、短く祈りの言葉を唱えてから、遠くを見つめる。その顔は苦悩に満ちており、セアラは黙って次の言葉を待った。
当時の神官が勤めていたのは小さな港を有する町。そこで人々が次々に発病し、手の施しようがないくらいに急激に悪化していく。どうやら交易の積み荷にまぎれた鼠が病を媒介したらしい。荷の一時保管場所として港に併設された倉庫に罹患者を隔離したが、あっという間にその数は膨れ上がって行く。隣町でも同様の症例が確認されたと聞き、抑え込めないと絶望した。国中に蔓延するのも時間の問題…。
そんな折に封鎖したはずの港に一艘の船が着いた。
彼らは薬を携えて支援に来たのだと言う。少し前に同じ病を得たことで此方の惨状を予測したからと。言葉の発音から王国の者だと予想はついた。
赤毛の青年はまだ若くも薬の知識は豊富で、処置も正確丁寧。一人でも多く助けようという気概を感じる。惜しげもなく薬の調合方法や投与、症状の特徴、進行経過について伝授し、看病にも協力してあたった。
痩せてしまった土地では自生している薬草など望めないないかと思いきや、彼は仲間と一緒にたくさん採取してきた。今後のために栽培を視野に幾つか株ごと採ってきて、植替えもしてくれた。植物相手に「しっかり根付いて元気に増えるように」と優しく声を掛ける様は好感が持てる。
剣士の青年は患者を抱き上げて運ぶことも厭わない。感染が恐ろしくないのかと問えば「罹ったら、そん時だ。何とかなんだろ」と笑う豪快さ。
薬草の採取のついでだと魔獣も狩って来た。何度も近隣の村を襲っていた魔獣が駆逐されていたと知るのは病が落ち着いた後になってのこと。
軽症者には肉を、重症者には肉と骨から取ったスープを、少しでも精が付くようにと振る舞う。
ぶかっとした藍色の衣を着た青年は人見知りなのか薬草の加工や煎じる作業、水汲み等を黙々とこなす。知らぬ間にキレイな水が常に満たされている。彼が薬の配布のために患者間を渡り歩けば、不思議なことに病床が清められていた。即席の治療場の環境は劇的に改善された。声を掛けようとすると赤毛の青年か剣士の陰に隠れてしまう。
中でも目を見張ったのは奇蹟の力をもって数多の命を救い上げた治癒士の存在。しかもまだ少年っぽさが残る若さ。ほわりとした柔らかそうな薄茶の髪、愛らしい顔立ちに似合わず、〝治癒を願う詩句〟を唱える姿は毅然としていた。見ている側が心配になるほどの速度で治癒の光が次々に病人を照らす。
病の治癒が難しいこと、負担が大きいことは神官も知っている。驚くべき力に神の御遣いとしか思えず膝を折って感謝した。
ある程度の目星がつき、隣町でも投薬治療を開始した直後に事件は起きた。
治癒士が急な発熱で倒れた。
それを見た隣町の町長は「善人ぶって、本当は病を持ち込んだのも貴様らに違いない。恩を売って何を奪う気だ。この詐欺師め! 出て行け!」と声高に糾弾した。剣士の凄みの利いた「あ?」という声に一瞬怯んだものの、続けざまに「化けの皮がはがれそうになったら今度は恫喝か」と詰る。諌めようにも聞く耳も持たない。災害続きのところに疫病は弱り目に祟り目で町長も気が動転していたのかもしれない。不安を煽るその叫びは周囲の住民をも巻き込んだ。「出て行け」の大合唱に神官や薬師、手伝いを申し出て同行してくれた者が擁護する声は掻き消された。
赤毛の青年は悲しそうな顔をしただけだった。藍色の衣の青年はそんな彼を心配そうに窺っている。
治癒士が「またか」と低く呟いたのを神官は聞き漏らさなかった。天使と見紛う顔に不釣り合いな皮肉に満ちた苦笑いを浮かべて。
赤毛の青年が悪寒に震える治癒士を抱き、「ごめんね」と囁く。背を優しく撫でられると治癒士はすぐに相好を崩し、彼に甘えるように縋り付いた。
盛大な溜め息と共に怒りを吐き出した剣士が赤毛の青年の肩を叩く。
「出て行けって言うんならしゃーないな。粗方教え終わったんなら地元の人間で何とかすンだろ。もう行こうぜ」
赤毛の青年は暫しの逡巡の後、熱で苦しいのか頭を擦り付けてくる治癒士を見下ろして「うん」と答えた。
それからは早かった。スッパリと手を引き、剣士と藍色の衣の青年がすぐさま出航の準備に移る。
「申し訳ない。なんとお詫びしたらよいか…」
陳謝する神官に赤毛の青年は「中途で去ることをお許しください。でも、オレも仲間を守るのが第一なので。薬草が尽きる前に収束することを祈ります」と眉尻を下げた。人当たりの良い青年の硬い声音に引き留める言葉は言えなかった。
彼に背負われた治癒士はプイッと目を逸らし、謝意の受け取りを拒絶した。肩に顔を埋め、くぐもった声で独り言のように返されたのは
「僕は神も人も信用していない。
神は…神殿は二十年くらい前? 贄を要求したんでしょ? そこに仕える意味って?
人は仲間はずれを楽しむし、すぐに裏切る。それを知ってる。
だから別に傷付かない。
僕は絶対に神官にはならないし、治癒士なんて高潔な者じゃない。そんな志はない。
僕はただ兄さんの弟。兄さんの補助をするだけ。僕が信じるのは兄さんだけ。
正直、この町も向こうの町も、この国も、絶滅したって、僕の知ったことじゃない」
神官は治癒士の言葉に衝撃を受けた。
確かに、王国にある本神殿で神降ろしの儀を行い『災厄の申し子として生まれた赤子を精霊に捧げることで救いを得られる』という託宣を賜ったと聞いた時には我が耳を疑った。
しかも赤子の選別方法は知らされず、その年に生まれた子供が対象とされた。その数たるや。
神官は「従う必要はない、生まれた命を大事にするように」と信者を説得したが、これ以上の災厄を恐れてこっそり子供を手放した者がいるのも事実。
他国であるここよりも影響が大きい王国では幾つの命が犠牲になったのかと思うと口惜しく、心がずしりと重くなる。
後に、この託宣と凶行は禁忌となり、人々は口を噤んだ。
この治癒士の少年とその件にどんな関係があるのかはわからない。生まれる前のことであろうに何故知っているのかも。
命を差し出させるような発言をした神殿に帰依するのを拒むというなら、責められはしない。
まだ年若い少年の心を閉ざさせてしまったこと。それを神官は悔いた。
あの稀有な力を欲する者はごまんといるだろう。どれだけ醜い人に翻弄されたのか。どんな経験をしてきたのか。
それでも彼は言葉とは裏腹に、自身が倒れるまで一心に治癒を施してくれていたのだ。
一切の見返りを求めず、「病人を優先して」と見送りも固辞し、船は静かに桟橋を離れて行った。
回想から戻った神官は徐に口を開く。
「もう十数年前のことです。疫病に苦しんでいた町に薬を届け、治癒を施し、看病をしてくれた四人組の青年がいました。その献身に我々は助けられたのです。しかし、ある者がこの病を運んだのが青年たちであると嫌疑をかけ、追い出してしまいました。治癒士はまだ少年で…神への信心と人への信用に心を閉ざしたようでした」
「それは…」
「神官様のせいではないので思い悩む必要はないのでは」という言葉が喉まで出かかったが、セアラはきゅっと口を閉じた。安易な慰めは却って失礼だろう。
「神に仕える者として、大恩ある人を傷付け、その心を神から遠ざけた一因を作った罪深い身なのです」
感情は排除して、事実の概要のみしか語られていないが、『追い出した』件は少しだけ語気が乱れ、組んだ手に余計な力が加わり、深い悔恨が滲んでいた。
「ですから〝夜明けの日〟を迎えた後、神殿に身を置くことを選んでくださったというのなら、何と喜ばしいことかと思っていたのですが…。違ったのかもしれません」
まだ若くして身罷ったこと。最期の姿。諸々の噂。それらは神官をより苛んでいるようだ。
「そうか、そんなことが」
ショノアは神妙に相槌を打つ。まだ領地にいた幼い頃、病が猛威を振るい、特に人口の多い町では対応に窮していたと聞いたことがある。
どんな覚悟を持って国を渡ってまで薬を届けたのか。その頃のサラドは今のショノアと同じ年頃か、もしくは下かもしれないと思うと途端に我が身が情けなくなった。
「…ですから、悪い噂の真偽を確かめ、正したいのだそうです」
「しかし、神殿は導師と英雄の治癒士が同一人物であることを明確に否定しているだろう? これまでも、これからも認めないのでは?」
〝夜明けの日〟後、彗星の如く現れた奇蹟の使い手。神殿が見出したという人物は謎に包まれた存在。
同時期に英雄が四人でいる姿を見かけなくなったことで、導師が治癒士であるという噂がたった。両者とも神官職に就くことを拒否していたという共通点もある。
神殿が公に発表している通りに別人であるなら、あれだけ災害や疫病や魔物被害に苦しんでいた時期、後に導師と呼ばれるようになった人物は何の手も差し伸べずにいたということになる。
「マルスェイは導師が治癒士なのは間違いないと言っていたな。だとしたら、生きているということか」
「あの時のサラドさんの取り乱し様…嘘ではないと思います」
それにはショノアも首肯した。再会はどんな様子だったのだろうと、ふと想像する。
「…葬儀の時とは違い、対外的に導師は亡き者と知らしめたいということだよな。何らかの事情があって」
王都が火事に見舞われた時、セアラは思わず治癒士に「導師様?」と尋ねてしまった。返答は一拍の沈黙と「導師は死にましたよ」とキッパリとした否定。追求してはいけないと感じる響きがあった。
「不確かなことを言いふらすわけにはいきません。そんな事したら、きっとサラドさんも悲しむもの」
「そうだな…」
セアラは自分が世間知らずであり、さして賢くもないのもわかっている。不用意な発言で迷惑をかけたくない。だから、その兄の存在については神官に話さなかった。
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