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160 マルスェイの修行の結果

 マルスェイに寄り添う神官は呆けたままの彼に困惑と焦りを感じていた。仲間だと語るショノアとセアラが迎えに来たことで心底安堵した様子だ。


「決して厳しい内容ではありませんでしたし、長く籠もることを強要もしていません。私も外で声の調子などを窺ってはいたのですが…」


 渋る神官にマルスェイは祈りの言葉を諳んじてみせ、強引に修行を頼んできた。どちらかといえば厳格な神官は一般の信者の安易な修行体験に賛成していない。他をあたってくれとあしらったものの、あまりの熱意に最終的には負けた。

約束した時間が経過した事を伝えてもマルスェイはなかなか出て来ようとしない。漏れ聞こえる声は最初の勢いは失ったものの変調はなかったため、仕方がないと付き合っていたのだが、不意に言葉は途切れた。いよいよ出てくるかと思いきや、扉を叩き声を掛けても反応がない。間を置いて聞こえたぶつぶつと唸る小声とガタッと壁を打つ音にただ事ではないと、慌てて扉を開け、中で呆然自失となっていた彼を引っ張り出した。その後はずっとこの調子だという。


神官の説明にセアラはこくこくと頷く。ショノアは誠心誠意の感謝と謝罪を伝えた。


「しっかりしろ! マルスェイ、どうかしたのか?」


ショノアが少々乱暴なくらいにマルスェイを揺する。ゆっくりと目を上げたマルスェイがショノアを認めるとその腕をガシリと掴む。


「きゅ、急に目の前が明るくなって、声が――」

「声? 何と! 啓示があったと?」


一番驚きの声を上げたのは神官だった。


「どんな?! どんな御言葉を賜ったのだ?」

「『力を求めるのは何故か』と…」

「何と…」


何の話をしているのかわからないショノアがセアラを見遣った。マルスェイの片手はぎゅうぎゅうとショノアの腕を絞め、もう片手は地面に爪を立てている。ザリッと土が抉られた。


「修行の際に神の御声を聞かせて頂いたり、まばゆい光を示してもらえる場合があるそうなんです」

「成程、セアラも聞いたのか?」

「いいえ」

「そうか。でも、セアラは奇蹟の力を使えるんだな」

「ええ」

「何と! そちらのお嬢さんは奇蹟を許されているのか」

「私は見習いで、まだまだ未熟者です」


またしても神官が驚きの声を上げた。


「それで、マルスェイはどうしてそんなに狼狽を? 何か自身に変化が?」 

「それが…」


ショノアはマルスェイの片手を腕から引き剥がし、しっかりと握る。カタカタと震える指先は酷く冷たい。


「どうした? マルスェイ?」


焦点を失った目は彼方此方を彷徨い、胸を掻きむしったり、強く拳を握ったり…。マルスェイが落ち着くまでショノアは待つ構えをとった。



 マルスェイは稀有な経験の記憶を反芻していた。


 祈りの間は扉を背にして正面、奥の壁の高い位置に星のモニュメントが掲げられており、その方角に神殿がある。三方を壁に囲まれ、窓はない。確かに息苦しさもある狭さ、伸びをすればすぐ手や足が壁に当たった。狭さも暗さも祈りに集中するためで、恐怖する必要はないと説かれる。まるで立てた棺桶だな、とマルスェイは不謹慎な感想を抱いた。


 祈りの言葉の暗唱を始めても、木造で壁も大して厚くないため、外に控えてくれている神官の気配も感じるし、祈りの大合唱が聞こえてきたことで夕刻を知れた。そこまで祈りの言葉を何回唱えたかで時間の体感も得た。

立ち会いを頼めたのは日没前まで。扉がノックされ、出てくるよう促されたが、マルスェイはまだ止める気はなかった。何としても某かを掴みたい。修行の体験も丸一日行う者もいると聞く。その刻限まではまだ満たないし、神官も祈りと共にこの建物で夜を明かすと言っていたので、問題ないだろうと無視した。ノックはすぐに止み、扉を破られることもなかったので許されたと判断した。


 マルスェイは一言一句、その速度も正確に繰り返し唱えた。文言の意味もしっかり理解し、頭に入っている。それは魔術の詠唱と同じで、間違いがあってはならないという認識でいる。サラドに教わってから、正確な詠唱と精緻な陣の他に感覚も大事であることを知り、そのお陰で近頃は魔術の発動も安定してきたし、威力も増して良い傾向だった。

奇蹟の力を得るための祈りの言葉も身に付くまでの習練として捉え、そこに願いや信じる心があったかと言えば否だった。


始めは意気揚々と張っていた声も次第に喉もかすれ、膝を着いた祈りの姿勢を保つのも限界に近い。そろそろ夜明けも近いはず。さすがにこれ以上神官の時間を拘束するわけにもいかない。

まだ、何も掴めていないが、諦めるしかないか――

そう思った時、急に視界が真白くなった。そして頭に声が響いたのだ。


『力を求めるのは何故か』


そう、問われた。

マルスェイは答えを返そうとしたが声にならなかった。光は失せ、体を喪失感が襲った。この感覚には覚えがある。水の術を得た後、火の術を求めたことで失った時に似ている。


(まさか…)


一縷の望みをかけて〝治癒を願う詩句〟を唱えてみたが、うんともすんとも言わない。失意に力が抜けそうになる。


(まさか、まさか!)


やっと少し掴めてきた体内の魔力の巡り、それが感じ取れない。

清めの術を詠唱しても魔力が膨れない。陣を描こうにも反応がない。

何も起こらないし、感じない。


「…そんな…」


がっくりと頽れたところで扉が開き、神官に引き摺り出された。



「奇蹟の力を得るどころか…、魔術を失った…」


 やっと絞り出たマルスェイの声に神官は怪訝な顔をした。


「魔術だって? 魔術師でありながら神官の修行を願い出たのか! 何たる事だ! 神の御言葉はきっと啓示ではなく叱責に違いない」


神官はマルスェイが魔術師であることを知って憤慨する。その怒りの矛先は仲間のショノアやセアラにも向けられた。


「謀ったのか。数多の巡礼者が守り、身を清めてきたこの庵を穢す気か!」

「いいえ。彼は純粋に――」


ショノアはマルスェイを擁護しようとして言葉を詰まらせた。


(彼は純粋に奇蹟の力を欲していただけで…、それは信仰とは別で…。いや、そんなこと言えない。神官殿の怒りも尤もだ)


「魔術師を辞めて、神官を志していたのか?」


神官の詰問にマルスェイはゆるゆると首を振った。


「き、奇蹟の力を得れば、人々を守る力になると…」

「魔術を扱いながら、奇蹟の力を欲した故に修行に挑んだと? こんな強欲で傲慢な者に協力したなど!」


神官は憤懣やるかたない様子で声を荒げ、「禊ぎをせねば」と川に向かって大股で歩き出した。セアラは「申し訳ありません。ここは私が清めておきます」とぺこぺこと頭を下げて見送った。




 マルスェイは今、馬車の荷台で眠っている。


(前にもこんな状況があった気がするな…)


人騒がせなマルスェイにショノアは嘆息する。知らず知らずの内にそれが癖づいていることにショノア自身は気付いていない。


 祈りの間を設けた建物の清掃をしてから戻るというセアラを残して、ショノアが肩を貸して連れ帰ってすぐ、マルスェイは気絶するように眠りに落ちた。ニナはそれを見て何があったのかを察し、苦笑した。


「セアラにもマルスェイの尻拭いをさせてしまって済まない。君の評判に傷がつかなければいいのだが」


帰って来たセアラにショノアが労いの言葉を掛けると、彼女は小さく首を振った。


「いいえ。止められなかった私も悪いのだと思います」


 謝罪の意を込めて丁寧に掃き清めた後、少しでもマルスェイの非礼を濯ぎたいと、セアラも祈りを捧げることにした。

扉は閉じずにいたので、戻って来た神官の目に留まり、すぐ脇に立たれる。また叱られてしまうかとセアラは体を強張らせたが、祈りの言葉は止めなかった。

川で禊ぎをして平静を取り戻したのか、神官はセアラを咎めるどころか褒めてくれた。祈る姿にいたく感心した、と。


「この寒さの中、川に入るのか…。信仰に身を捧げた潔白な人なのだな。だからこそ、マルスェイの行為に怒りもしたのだろう」

「ええ。観光気分で話の種に修行という態度でしたら決して立ち会いなどされなかったでしょう。マルスェイ様が真剣だと感じたからこそ、信念を曲げて受けてしまったのだと。自身の甘さにまだ修行が足りていないと笑ってくださいました」


 マルスェイについて尋ねられたセアラは、拙いながらも言葉を選んで、知っている範囲で答えた。冒涜する意はなく、悪気があったわけではないことだけでも伝われば良いと思って。


「その…、勝手にマルスェイ様の事情をお話するのは良くないと思ったのですが…」


魔物の猛襲を受けた経験から領民の助けとなるため奇蹟の力を望んだこと。他の神殿で修行を申し込んで断られていること。おそらく身近にいるセアラが奇蹟を使えるため努力次第で身に付くと思っているであろうこと。


それらを話し、セアラが彼の要求に応じなかったせいで迷惑をかけたことを詫びた。

神官は遮ることなく耳を傾けてくれ、「魔術師であることを隠したのは許せないが」と前置きをしつつ、一定の理解を示してくれた。マルスェイが貴族家出身であることにも少ない言葉から気付いたらしく「それでは強く止められなかったのも無理はない」とセアラの立場をも気遣ってくれた。


「あの神官様は隣国からいらしたそうです。やはり〝夜明けの日〟以前はこのまま国ごと滅ぶのでは、と絶望するほどの経験がおありだそうです。魔物に苦しめられ、藁をも掴みたいのはわかる、と。その上で、『正しいからと望めば叶うものと思うなかれ』と、『世のため人のためとあらば道理を外れても良い理由にはならない』と伝えて欲しいと」

「…マルスェイが素直に聞いてくれるといいのだが」


セアラはこくんと頷いた。



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