16 巡礼路
ショノアは宝石が嵌め込まれた豪奢な筒を眺めていた。返信はまだない。
各領主からの嘆願書は山のように届く。多岐に渡る要望に、重要度や急を要するもの、その内容の精査だけでも忙殺されることだろう。それ故、嘆願書を出してから措置が講じられるまで時間を要する。ショノアの報告書もその山の中かもしれない。
十年ほど前はもっと上手く回っていたと下位の文官が愚痴をこぼしているのを耳にしたことがあった。まだ女王陛下がお父上である先王から譲位される前の話になる。早急な対応が必要な場所の見極めが素晴らしかった、と。
だが魔物の被害が出ていたその頃とは嘆願の内容も世の情勢も違うだろう。一概に今が遅滞しているとは言えないのでは、とショノアは思っていた。それで女王陛下の治世が劣るなどと評するのは言語道断だろう。
「傭兵への協力は頼めたのか?」
「ええ、取り付けました」
「そうか」とショノアは考え込んだ。
サラドの態度は一時の気安いものではなく一線を引くことにした様子である。ショノアはこれといって気にした風でもない。セアラは不安気に何度もショノアとサラドの間に視線を移した。セアラは人の不機嫌や不和といった陰の機微に敏感なようだ。そしてそれを自分のことのように気にしている節がある。そんなセアラに極潜めた声でサラドが「ごめんね」と謝った。
「聖都についてはどう思う?」
「…そうですね。港町同様、他国からの巡礼者や観光客も多い町です。不安があるものは祈りで安寧を得ようと願いますから、些細なものでも情報があるやもしれません」
「では、聖都へ向かおう。馬車は使わず、巡礼路を。復興を祈念した行脚なのだからそれが好適だろう。自らの足で行くというのも印象が良さそうだ」
この任務は『魔王』の噂についての調査が主軸のはずだ。巡礼路ではすれ違う人くらいしか情報源はない。あまり効率的とは言えないだろう。
何か深い考えがあってのことなのか。何か指示がきたのか。
なぜかショノアは井戸の幽霊話の際に思いついた『更なる復興を祈念して国内を回っている一行』だという大義名分を宣伝したがっている。サラドは少しだけ眉を顰めた。セアラは変わらず朝夕には欠かさず祈るであろうが、その象徴として担ぐことには彼としては反対だった。
「ところで、王宮からのお返事は? まだ魔術師殿は合流されませんか」
「まだのようだ」
「そう…ですか」
「あ、あのっ。私の方は…」
「セアラは御者の不調も治し、井戸の水も清めた。誰も実力がないと文句はいわんだろう?」
ショノアはセアラの意向を報告すると言っていたものの、今は抜けることに承服しかねるようだ。セアラは顔色をなくし、サラドの袖の先をきゅっと摘まんだ。
「サラさんも、一緒にいてください…」
「…でも、はじめからそういう話だしね。オレが決められることでもないし…。まだ暫くは一緒だから。そんな顔しないで」
聖都は最大で最古といわれる神殿を中心とした特殊な町である。国内では王都と並ぶ大きな町なのだが、そこもまた古代の遺跡をそのまま利用し、中央に荘厳な神殿を構え、その神殿をぐるりと囲むように壁があり、神官たちが住む区域を更に壁が囲い、町全体を囲む牆壁と併せると三重の円を描いている。街門から神殿を臨む手前側に巡礼者や観光客を迎える宿屋や商店が並び、後方に少しの住居と畑がある。神殿そのものが遺跡で高く天を目指す尖塔が幾つもある建物は多くの彫像に飾られ窓には模様を描いた色ガラスが嵌め込まれている。そのどれもがどうやって建築されたのか技術が解明されていない。ここまで優美なまま形を失わず遺されていることも含め驚異的だ。
そして王国内にありながら独立した自治区のような存在でもある。この町では最高位をはじめとした神官が権威で、王族も神殿を無視はできない。騎士ではなく聖騎士と呼ばれる存在が神殿と神官を守り、騎士は何の力も無いと言っていい。
ショノアは特に信仰心が篤くもなく、あまり聖都に好印象は持っていなかった。物価もひどく高いと聞く。
それから、その町へ向かう巡礼路。王都とも結ばれている街道の他に、王国の始まりと同じ頃に、とある神官が神の御声に導かれ神殿に辿り着いたとされる古道がある。
貴族や豪商などは馬車で街道を進み真っ直ぐ向かうが、信仰のために向かう者の多くは街道から一本逸れた古道を行く。多くの観光客や巡礼者のため道沿いには宿場もあり賑やかさでいえばこちらの古道の方だろう。途中悪路もあるそうだが、旅慣れない者でも不自由はしなさそうだ。
途中の岐路までは乗合馬車で移動した。王都から港町に向かった時は素通りした場所である。ここで馬車でもすれ違える広さがある舗装路を進めば王都が、その先に聖都がある。そして林の中へ伸びていく小型の馬車なら進めるであろう道が巡礼路だ。次の宿場までは距離も近く、こちらの道にも石畳が敷かれており歩きやすい。
「サラは存外子供っぽいのだな」
「子供…ですか」
「言葉を改めて意趣返しをしようだなんて子供のようじゃないか」
「いいえ、わたくしは臨時で加入している身なのを思い出しまして。礼儀は弁えるべきと改めたまでです」
「そうか。気が済んだらまた気安くしてくれ」
ショノアは自分に非があるとは思っていないようだった。これまでの言動も生きてきた環境と立場が違う故のもので彼の中では常識だからだ。一廻り以上年上のサラドに対しても使用人に接する如く、ショノアとしては不遜とせず寛大に大人な対応をしたと思っている。
(ディネウが言う通り本来の宮廷魔術師が来たらすぐ抜けないと。情が湧かないように程良い距離を保たつべきだよな…)
道は平坦で木陰になっており巡礼に出発したばかりの者は意気揚々としている。こんな道が続くのなら楽勝だと感じることだろう。すれ違った数組の王都ないし港町に戻る者は安堵した表情なのを見るとこの先が必ずしも楽ばかりでないのがわかる。
中間を少し過ぎた頃、物売りが立っていた。巡礼路には歩きながらも食べられるものやちょっとした土産物、供花などを売る者が所々にいる。
ここで扱っているのは木の実を挽いて役畜の乳で練って蒸した団子だった。
「四つ、もらえる?」
「ありがとうございまーす」売り娘はとても愛想が良い。
「お嬢さんが元気だから、こっちまで明るい気分になれるよ。景気良さそうだねぇ」
「いいですよー。次の季節であの日から十年ということでお祈りに向かわれる方も増えてますしっ」
「この辺りは盗賊なんかの被害はない?」
「そんなの全然聞きませんよー。この道で悪事を働けばバチが当たりますっ」
「ははっ。それもそうだね」
「是非、帰りもお求めくださーい」
売り娘は首から提げた巾着に受け取った代金を入れた。口は開いたままで中の硬貨が見え、少々不用心にも感じる。
(うん。治安も特に問題はなさそうだ。でもまだ王都も近いしな)
購入したものを配るとセアラがキョロキョロと辺りを見回した。座れる場所を探しているようだ。
「行儀が悪いと思うかもしれないけど、旅の途中は基本的に、昼はこういった軽食を歩きながらになるよ。腰をおろせる休憩所なんかもあるけどね」
セアラはサラドの説明にこくこくと頷いた。
団子は木の葉で包まれていて、ほのかに甘く香ばしい。もっちりとした食感で腹持ちも良さそうだった。
「ひと口で食べられるような甘味とかを携帯して疲労を感じたら口にするといいよ」
サラドは町で購入しておいた干した果物と炒った木の実が入った袋もそれぞれに渡した。
「サラさんはここを通ったことがあるんですか?」
「うん? 何回かあるよ」
「何回も!」
「すごいです」と顔を輝かせるセアラにサラドは「ただみんなより長く生きているだけ」と苦笑した。
「馬車だと退屈な景色が続くだけだから、こちらの方が楽しそうだな」
「ショノア様も聖都に行かれたことがあるのですか?」
「ああ、子供の頃に。家の馬車でだが」
ショノアはすっかり物見遊山気分のようだ。セアラが続けて「馬車だと何日くらい?」などの質問をしている。彼女なりにショノアとサラドの間にあるギスギスしたものを取り除きたいのだろう。
ニナは時折鋭い視線でサラドを睨んでいる。もちろんサラドはそれに気付いていて大体は気に留めていないのだが、たまに目が合うとニナはサッと顔を背けてしまう。その動きは警戒をする小動物のようだ。
道中トラブルもなく夕暮れには宿場に到達した。三軒の宿屋が肩を寄せる集落とも呼ばない規模だ。どの宿屋にも比較的高級な個室が一、二部屋と寝台のある部屋が数部屋、あとは雑魚寝が基本のような部屋がある。
個人別に部屋をとるには宿を分けねばならずサラドが「自分は安部屋でいいです。ショノアさまは寝台のある部屋をどうぞ」と言ったのをきっかけにセアラが私もと続き、ニナも頷いて意思表示をしたことからショノアも同調して一部屋で休むことになった。
規模は大小様々だがどこの宿場にも祈りのための台が設けられている。セアラはそこで夕べの祈りを唱えた。
木々の隙間から夕の朱の光が射す中、両膝をつき背筋を伸ばして胸の前で手を組み、玲瓏たる声を響かせる姿はとても印象的だった。
感心したように宿の仲居がその背中を見つめ、つられて手を組んだ。
「たくさんの人がここでも祈りを捧げていくけれど、あんな熱心な若い娘さんは初めてだね。お客さんはあの見習いさんの護衛かい?」
「いや、護衛ではないが、共に各地を回っているんだ。更なる復興を祈って」
仲居は革鎧を装備したショノアの身分が騎士だとは思わなかったのだろう。剣の柄と鞘にはその証があるのでそこに注目すれば気付く者もいる。ショノアはさり気なく柄に触れたが、仲居はそれよりも目の前の平民には見えない美丈夫の訳あり感が気になるようだった。
「そうかい。それはありがたいねぇ」
「この辺りは護衛が必要なのか?」
「とんでもない。ここらは平和そのものですよ。ただこの先は山の峰を進む道もありますからね。娘さんにはきついかもしれませんよ」
「そうか。山道もあるのだな」
「途中、町もありますからね。そこで馬車に乗り街道への変更もできますよ」
巡礼路は始まったばかり、先には険しい道もあるようだ。
ショノアはセアラの祈りが終わると手の平を上にして差し出した。ごく自然に婦人に対するエスコートだったのだが、それが仲居に邪推されるとは思いもしなかった。