159 ショノアの覚悟
導師の鎮魂の儀へ参列を望み、聖都を目指す者の数は日に日に増えている。検問を待つ長い列は宿場町まで迫りそうな勢いだ。
昨日、ショノアたちも宿場町に到着したが、宿はどこも満室。宿屋や土産物屋が軒を連ねる賑やかな通りの奥に馬車を止め、そこにテントを張って夜を過ごした。付近は同じ境遇の者で溢れている。それどころか、質素な身なりの巡礼者が防犯の為にすぐ横にテントを張らせてくれないかと声を掛けてくる始末。宿場町で巡礼者の身包みを剥ぐような無法者がいるとは信じたくないが、人が集まれば掏摸や詐欺師も稼ぎ時。雨風が最低限防げるだけのテントは他人事ながら心許なく、断ることなどできなかった。
道中の山林の町も似たようなもので、移住地に向けて王都を発ってから禄に体を休めることができずにいた。そのことをショノアは申し訳なく思っている。
聖都は王国内にありながら神殿中心の自治区のような町。ここでなら、王族へ接触を図ろうとしても即刻処刑とはならない…かもしれないとショノアは己を奮起していた。各地の視察を兼ねているため第一王子が既に聖都入りしているか定かではないし、ここでも他国の貴人と会談の予定が分刻みだろう。
神殿どころか、儀式を控えた期日中は二番目の壁の内側にさえ入ることが叶うかどうか。連なる列を茫然と眺め、ショノアは嘆息した。
「全く進む気配がないな。この列は夕刻前に捌けるのか?」
マルスェイが額に手をかざし、列から少しはみ出して、遠く街門を見遣る。それはさすがに冗談だとしても、遅々として進まない状況は長い距離を歩くよりも疲れを感じる。じわり、と一歩分進み出たところでショノアは知らずまた嘆息していた。
「二人は馬車に戻って休んでいてくれ。今日のところは俺一人で中の様子を見てくる」
「えっ、でも…」
セアラが心配そうにしたが、ショノアはにっこりと笑って見せた。
「仮に運良く殿下をお見かけしたとして、ただ手紙を渡すだけだ」
近頃、セアラは時間が許す限りサラドから受け取った冊子に目を通している。古語の表記についてマルスェイに教えを請う、逆に奇蹟の力や祈りの文言、神殿の教義についての質問に答えることで、二人の距離は縮まった。サラドに対する言動のせいでマルスェイに悪感情すら持っていたセアラだが、古語を訳すため頁を見たマルスェイが但し書きの多さとわかりやすくまとめられた記載内容を褒め称えたことで少しは溜飲が下がったらしい。
「二人とも成したいことがあるだろうし、俺の一存でまともに休めずにいるから…。ここは任せてくれ」
「そうか? それならば遠慮無く。行こう、セアラ」
「えっ、でも…」
「ここはショノアの顔を立ててあげるところだよ。たまにはさぼって昼寝もいいものだ」
「ここ数日、私は馬車に揺られるばかりで、何もしていません。休むべきはニナの方だわ」
セアラはムスッとした表情も隠さずにマルスェイを睨んだ。ニナは雑用の殆どをこなし、今もきっと馬の世話と馬車の見張りをしているはず。分担などは特に決められておらず、セアラが洗濯や食事の準備などを「私も手伝うわ」と言っても、ニナは一緒に作業をするというのを好まない。セアラが手を出せばニナはその場から離れてしまう。そのため、まだニナが手付かずの仕事を探してセアラがひと声掛けて始める、という流れが出来つつあった。
マルスェイはというと移動中の馬車内でもできる習練や魔術の研究をしては、無理をしすぎたり車に酔ったりして眠るというのがいつものことで、彼にとって昼寝はたまではない。
「ニナにも休むように伝えてくれ」
マルスェイがセアラをぐいぐいと押し列から離脱していく姿をショノアは小さく手を振って見送った。
進まぬ列に溜め息や貧乏ゆすり、愚痴などを零せば苛々は周囲にも伝播する。コツコツコツとリズムを刻むような足の音が背後から聞こえ、ショノアも心中で「やめろ。立場はみな同じだ」と毒づく。
「何か問題でも起きているのか」そんな疑問さえ交わされだした時、ニナが音もなく近付き、ショノア以外には聞こえない小声で「第一王子の乗る黒塗りの馬車を発見した」という情報を囁いた。
「ニナ、その…もし俺が戻らなかったら、三人で王都へ引き返してくれ」
ニナは一瞬ショノアと目を合わせただけで返事はせずに立ち去った。
ニナの情報に因れば、街道は来賓用の特別な門へ差し掛かる手前、その岐路までもが渋滞しており、進みはのろのろで、足止め状態だという。この機会を逃す手はない。決意したショノアは列を外れ、くたびれた革鎧を隠すように騎士のマントで体を包んだ。人の流れを逆行するように進み、たくさんの護衛に取り囲まれた、明らかに他とは違う立派な馬車列に近付いて行く。害意はないと伝わるように歩みはゆっくり堂々と。まだ声も届きそうにない位置だが護衛たちに緊張が走る。ショノアはその場に跪き、待つ。侍従が一人と護衛が一人、審問に来た。
聖女と共にいた者だと覚えられていたことで、挨拶が許された。側近たちは良い顔をしていない。緊張に手汗が滲む。
馬車の戸も窓に付けられたカーテンも開けられることはなかった。口上と「移住地のことでお耳に入れたいことが…」と封書を差し出す。王宮にも上げた報告書を更に簡潔にまとめたもの。
受け取った侍従が中身を確認しようとすると「構わない。渡せ」という声が馬車内から聞こえた。チラリと開けられたカーテン越しに見える人影。渋々、手渡される封書の行方を見て、ショノアの胸に希望が湧く。
王子が書面に目を通している時間が酷く長く感じられた。文面には相当気を遣ったが、直訴と捉えられても仕方が無い行動。覚悟はしていたつもりだが、口はカラカラに渇いて喉もひりついている。
「聖都からの帰りにまた寄るつもりでいる。一緒にどうだ?」という内容が侍従を通して伝えられた。
「はっ。慎んでお供いたします」
ショノアは臣下の礼を執ったまま馬車が通り過ぎるのを待った。緊張のあまりにそこからどう戻ったのか記憶は曖昧。停めた馬車を目にして、初めて呼吸をしたかのような息が吐き出された。
「渡せた…。やれるだけのことはした、だろうか…」
戻って来たショノアを見てセアラがぱっと顔を輝かせ「おかえりなさい」と言った後、すぐに表情を曇らせた。
「どうかしたのか?」
「あの…、申し訳ありません。ショノア様。一応、止めたんですけど…、マルスェイ様が…」
「マルスェイがどうした?」
「神殿の修行を体験してくると行ってしまって…」
「修行の体験とは?」
宿場町にはたくさんの巡礼者、信者、観光客が訪れる。各宿場には祈りの台が設置されており、誰でも祈りを捧げることができる。神官が管理する神殿はない。
聖都に宿をとることができなかった者の受け皿ともなるこの宿場町には、他の宿場にはない建物がある。祈りの台とは別に、巡礼中の神官や見習いのための施設があるのだ。供花や供物で囲まれた華やかな祈りの台とは違い、その建物はひっそりと佇む。巡礼路にあった無人の宿と同様に掃除や修繕は互助で維持されている。禊を済ませてから聖都に臨みたいという巡礼者は多く、使用者はそれなりに多い。
また、ここまで来る程の熱心な信者から己の信心を示すためにも神官や見習いの修行をしてみたいという声は多くある。しかし本神殿では叶えられない。そういった要望を持つ者が宿場町に滞在中の神官に声を掛け、志を渡して場を借り、指導を受けるということが通例になっているらしい。
マルスェイはその情報をどこかで耳にしたようだ。
本来の修行は昼も夜もわからない窓も灯りもない暗闇の、寝転ぶこともできないほど狭い間で、少量の塩と水のみで三日三晩絶食し、祈りを捧げる過酷なもの。事前準備として、日数をかけて口にする食事の量と重さを徐々に減らし、前日には重湯のみにして臨む。
セアラは王都の神殿で急遽、見習いになるための修行をした。祈りの間の扉はちょっと押したくらいでは開かないくらい重厚で、しかも内側には取手もない。外の音も聞こえて来ないし、叫んだとしても声は漏れ出ない、閉ざされた空間だった。
ここはあくまで聖都を前にして巡礼者が身を清めるための祈りの間である。建物は木造の簡易なもので、音が遮られることはないし、扉は簡単に開くだろう。信者に勧めるのも疑似体験であり、祈りの間に籠もるのは数時間程度から長くても一日だ。
「危険は伴わないでしょうけれど…」とセアラは不安に顔を陰らす。
奇蹟の力を求めてマルスェイが修行を求めていたのはセアラも知っていた。モンアント領の神殿では「まずは真摯に祈ることから始めるように」と諫められていた事も。今回、立ち会いを頼まれたが、セアラは経験も浅い見習いでもあることから断ったし、時機も考えるようにと止めた。しかしマルスェイは宿場町内に滞在中の神官を探しに行ってしまった。
「何かあればすぐに動けるよう、今は止めておいて、ショノア様が戻ってからにしましょうって言ったのですけれど」
「ああ、こんな機会はないと、勇んで行ってしまったのだな」
術に関することで思い立ったら、止めても聞かないマルスェイの様子は想像に難くない。
「神官も立ち合ってくれているのだろう? 帰りを待つとしよう」
ショノアは申し訳なさそうにするセアラを、彼女に非はなく、マルスェイの性格では仕方がないと宥めた。
しかし、夜を迎えても、セアラが朝の祈りを終えても、昼が近づいてもマルスェイは戻って来なかった。心配したセアラとショノアで迎えに行くと、凡そ神聖な場所とは思えない粗末な建物脇で地面に直接しゃがみ、呆けているマルスェイを見つけた。