155 四人での掃滅戦
転移を要望するディネウからの合図にノアラが「諾」と返すと、ドカドカとした足音が玄関先に響いた。
「あれ、サラドは一緒じゃないの?」
居間の隅に置かれた画架の陰から、背なし椅子に掛けたシルエが体を傾けて顔を出し、残念そうな声を出す。
「おかえりもなくそれかよ」
「あー、はい、はい、おかえり〜」
おざなりな返事をしたきりシルエはディネウの方を見ようともしない。画架に立て掛けた板に目を戻し、筆記具の滑石を弄んでは「うーん」と思考に耽る。
「ノアラはどこだ?」
「んー…」
脇の棚に手を伸ばしたシルエは、縦開きの棚扉の取手に付いた金具を外して、手前に倒した。座った際に丁度良い高さにあるそれは簡易の机になる。この場所に書き物机を持ち込もうとしたシルエのためにサラドが取り付けた。艶やかに磨かれた木目の細かい板で作られた棚扉は歪みもなく机として申し分ない。
難点があるとすれば、開いた棚扉に体重を掛けると棚全体が前に倒れてしまうこと。考え事をしていて、うっかり立ち上がる際にギシッと手を置いてしまい、棚の上部に置いていた書物や瓶を派手にぶちまけるということをやらかした後も度々グラリと揺らしてしまっている。
ディネウには常々「自室でやれ」と言われているが、シルエの部屋の机上は構想を書き留めた紙や開きっぱなしの書物、瓶詰めやら薬皿、板などが乱雑に積み上げられ、手の付けようがない状態。この棚はまだ整理整頓されている方だった。
眉根を寄せて「ちっ」と舌打ちするディネウに構うことなく、シルエは紙を取り出し黒塗りの板に書いた草稿を横目にペンを走らせている。仕方なくディネウは地下への階段に足を向けた。ノアラは大体において研究室も兼ねた自室か書庫か演習室のいずれかに居る。
強力な術をぶつけたとしても簡単には壊られそうにない演習室の頑丈な扉は室内に人がいれば、使用中の印が表示されるよう工夫されている。一度、ディネウが無遠慮に開けてしまい、実験中の術を台無しにしてノアラをいたくがっかりさせたことがあるためだ。
「ノアラ、切の良いところで…。あー、なるべく早く出て来い」
ガンガンとノックをして、返事も待たずに声だけかけたディネウはその足で裏庭に出た。
「テオ、またシルエにこき使われているのか? 他にやりたいことがある時は断ったっていいんだぞ?」
大鍋を洗っていたテオは手を止めて挨拶をし、戸惑った視線をディネウと鍋と母屋の間で彷徨わせた。横倒しにした大鍋はテオの上半身がすっぽり入ってしまうくらいに大きい。きれいにするのはそこそこ重労働だが、サラドと一緒に洗った時に「とても丁寧だ」と褒められたことがあり、それが嬉しくて自ら買って出ている。ピカピカに洗い上げると気持ちも良い。
「…毎度で悪いが、留守番を頼む」
大きな手でガシガシと力強く頭を撫でられたテオは寂しそうな顔をしたが「ん」と小さく頷いた。もじもじと、赤くなった指先にはぁと息を吹きかける。
このところ良くディネウがピリリとした緊張と高揚した気配を纏っているのをテオは感じている。そういう時は血生臭く汚れて帰って来ることが多いことも。今のディネウもまさにそれで、留めてはいけないのだと悟る。
「よし、俺が認める。他にも何か言い付けられていても、俺らが帰って来るまで好きに過ごしていていいぞ」
「ん、えっと、あの、ご無事で…」
「言葉、これで合ってる?」と毛皮の裾をぎゅっと握って来るテオに一瞬目を瞠った後、ディネウは目元をふわりと柔らかくして笑った。
「おうっ。心配すんな。俺らはちょっとやそっとじゃ負けねぇ」
ディネウは玄関脇に掛けられたシルエとノアラの外套と棒状の杖を取り、それを投げ渡した。
「二人とも、手ェ貸せ。出掛けるぞ」
「ちょ…、乱暴に扱わないでよ」
「何か問題が起きた?」
床に落ちるギリギリでマントと杖を受け取ったシルエが不機嫌をあらわにし、ノアラは不安そうな目をディネウに向けた。
「いや、問題は…なくもないが、久々に四人だけで暴れようぜって話だ」
「ん? 暴れる?」
「ノアラ、サラドの所へ転移を頼む」
「…王都への辻?」
転移先の座標を確認したノアラは怪訝な顔をした。ディネウも眉間に皺を寄せる。
「あ? 辻だと? 正面に移動したのか、アイツ…。ったく」
ディネウが剣を抜き、一振りする。ブォンと空を切る音が戦闘開始の合図のよう。
それを察してノアラは藍色の外套の襟を立て金具も締めて顔を隠し、帽子をしっかりと被った。シルエもだらしなく釦を外していたシャツの裾をしまい、淡い灰色のマントを着込み、杖をクルリと回し構える。
サラドに向けた信号にリンリンと「諾」の回答が返ると、すぐさま薄紫色の転移陣が輝いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
王都の街門前をギリギリ死守していた騎士と兵士は、遠く響く魔物の咆哮に身を竦ませた。
先程まで狂ったように牆壁へ向かって来ていた魔物が急に方向転換し、何かを追うように辻の方へ走って行った。弓矢による遊撃があったという報告もあるが、定かではない。下手に刺激をしないよう、追撃はせず、ただ動向を見守る。
草原に延びる石畳の道の先で魔物が豆粒のようになっても、まだ警戒は解けない。誰も口には出せないが、そのまま王都から離れ、辻の向こうへ、港町方面でも聖都方面でも行ってくれ、と心の中で願っていた。辻からこっちの街道はまるで守備外だとでもいうように手を出して来ない傭兵らも、越えさえすれば対処するだろう、と。
先程の咆哮は仲間を呼び寄せるものだったのか、林から突進してきたモノが加わる。更にもう一体。どんな特徴かは視認できないが、魔物で間違いなさそうな大きさ。ギャオギャオと鳴きちらし、暴れているのかモウモウと土煙が立ちこめている。もし三体が結託して同時にこちらに向かって来るとしたら…と想像しただけで足が震え、恐怖に耐えきれなくなった兵士が「あ…うわぁ」と悲鳴を上げた。
陽射しの悪戯か、チカッと視界が一瞬眩しくなった間に、咆哮は断末魔へ、脚を踏み鳴らしていた音はドンと身が崩れたような地を揺らす音に取って変わった。
白い光が弾け、波のように押し寄せて来る。湿り気のある微風が吹き、キラキラと光を反射して小さな虹が浮かんだ。それに伴い、牆壁付近にむせぶ血の匂いと地を汚した染みが洗われていく。
「何が起きた?」
その答えを持つ者はない。完全に静かになってから恐る恐る偵察に行くと、捲れた石畳や爪痕で大きく削られた地、煤けた草は確かにここで魔物が暴れたことを示していた。そして脇に、大きく掘り起こされたばかり土の跡がある。
「まさか…あの一瞬で魔物三体を倒し、埋めるまでをしたというのか…。いや、有り得ない。きっとこれはもともとあって、魔物は何処かへ逃げたに違いない」
信じられない事態にそう結論付けたが、あれ程に騒がしかった咆哮や鳴き声は一切せず、あまりにも静かだった。
その頃、牆壁上で警戒にあたっていた兵士らも、魔物の叫び声にまた襲来かと身構え、報告に走った。
しかし、その声は威嚇よりも苦悶。暫く待っても林を抜けてこちらに向かって来る様子もない。何者かが林の中で襲われているか、戦っているかのかと思ったが、大勢が応戦している気配や人影も見当たらない。
そこから異変は数々目撃された。
鋭い剣戟の音を、晴天なのに落ちる雷を、盛り上がった土が飛ぶ様を、木々を薙ぎ倒す勢いの突風を、迸る光を、白い炎が火柱となるも延焼することなく消え去るのを。
それが数箇所を渡り移動していく。
その日、王都に暮らす者は久々に魔物の声に怯えることのない夜を迎えた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
最後の一体となった魔物を切り伏せたディネウは「あー、やりきった」と雄叫びを上げた。首に手をあて左右に頭を倒し、ゴリゴリと凝りを解す。つい先程まで浮かんでいた恍惚ともいえる不敵な笑みはもうその顔から消え失せている。
鎮魂の祈りを終えたサラドに近付いたディネウが肘を曲げた腕を差し出すと、ほっとした笑みでコツリと尺骨を合わすように応じる。
次いでディネウの手の平をシルエがパシリと打つ。戦闘中の歪な笑顔は天使のようと言われた影もない。まだ興奮が冷めないのか、今にも高笑いをしだしそうだ。とても林全体を覆うくらいの浄化をやってのけるとは思えない程に、清廉さも慈悲深さも感じさせない。
続いてディネウはノアラにも手の平を向けたがスッと避けられ、代わりにこくりと頷かれた。
「ちょっと、さぁ…。転移していきなり魔物とバッタリとか。その後も何連戦させる気? 来る前にひと言あってもいいと思うんだけど」
「棒術、外してたし、いい訓練になったろ? シルエは昔から攻撃が大雑把なんだよ。術も力押しでそこまでするかって威力のを放つし」
「それは僕の術が攻撃向けじゃなくて、それにも効くようになったのがそもそも強くなってからだし。…そういうディネウだって動きが重くなったんじゃない? 切れがイマイチだもん。歳には勝てない?」
「うるせぇ」
いつものようにディネウとシルエがじゃれ合っているうちにサラドは短剣を鞘に収め、矢を使い果たしたため手放していた弓と矢筒を回収しに向かった。ノアラはきょろきょろと魔物を埋める穴が掘れるだけの空き地を探している。
「まぁ、サラドはわかるよ。お人好しなの知ってるし。でもディネウまで王宮の兵に荷担するなんて…ねぇ」
「勘違いするなよ。王都が潰れれば、その影響は他の町に及ぶ。今だって商売人は困ってんだ。国が乱れれば困窮するのは民だし、それを回避したいだけだかんな」
「あー、はい、はい。たまには傭兵たちがいない所で思いっきり暴れたかっただけ、だっけ?」
シルエが茶化したようにニヤニヤと笑う。
「…腹いせだか何だか知らねぇが、この間も、傭兵が魔物をわざと逃がし、王都にけしかけているとかイチャモン付けて来たらしいからよ。訳分かんねぇが、これでもう文句は付けられねぇだろ」
「はぁ…。呆れた。因縁深いねぇ。他に責任を擦り付けないと自我が保てなくなってきたのかな」
「こっちには因縁なんかねぇよ。向こうが勝手に見下しているだけだろ。相手にするのも馬鹿馬鹿しい」
ディネウはそう吐き捨てたが、不当な扱いは積もり積もって彼の心も、彼に従う傭兵の心も頑なにしている。
「…確かに関わらないのが一番だもんね」
シルエが林を抜けた先にある牆壁を見遣る。上部でちょろちょろと動く人影の数は多い。向こうからは木陰で彼ら四人の姿は見つけられていないだろう。
「これっ!」
ノアラの切羽詰まった声が場を再びピリッと引き締める。
「どうした?」