154 罪人の収監施設があるとしたら
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(*´∀`)
淡い黄色に色づき、爽やかな香りがする飲み物にノアラがチビリと口を付けた。ふぅという息がかかり湯気がたなびく。
「ノアラって猫舌だったっけ?」
ノアラは曖昧に首を傾け、ふるっと横に振る。
「鍋で煮てる時はちょっと薬臭いかなって感じたけど、全く気にならないね。普通に美味い」
ノアラがこくりと頷く。
傭兵向けに作った希釈液の味見に、安価のため普及している芋を原料にした蒸留酒で割ったものをシルエが、お湯で割り少量のハチミツを垂らしたものをノアラが飲んでいる。
身体を温めて消化の促進と食中毒予防効果のある辛みのある根茎が主軸。
胃の保護効果が期待でき、濃い黄色が色づけに使われる同種の多年草の根茎を適量。辛みも味も殆どないが、人によっては土臭さやほろ苦さを感じるようで好みが分かれる。
炎症を鎮め、喉に良い果実は砂糖漬けにしているものをたっぷりと。硬い上に渋くて生食には適さないが秋に収穫したものは砂糖漬け以外にも酒やジャム、天日干しに加工して常備している。
他にも数種が混合してあるらしい。
サラドが調合して煮詰めた鍋に、シルエが浄化の力を強めた湧き水と詠唱を加えて完成。鮮やかな黄色のトロリとした液体が出来上がった。
台所から広がった甘さの中に土っぽさがある香りはしばらく家中を漂っていそうだ。
翌日、疲労回復・滋養強壮効果の希釈液の出来上がりを待って、護符に浄化の鈴、救援信号の魔道具、薬、それらの荷をヴァンに括って、ディネウは港町の傭兵の詰め所である酒場へと出掛けた。大きな組織の頭には向いていないとぼやきつつも、なんだかんだディネウは面倒見が良くて仲間思いだ。
貧民街の件で労を取ってくれた礼を言いたいとサラドも同行している。当たり前のように一緒に行くと立ち上がったシルエはまた置いてけぼり。港町に治癒士を探して王都から兵士が来たと報告を受けていたためディネウが心配し、「今は来るな」と強く押し留めた故だが、そんな事情を知らないシルエは当然拗ねている。頬杖を突いて気怠げに杯を揺らし、底に残った濃い液をクルクルと回す。
「ちぇー…。で、遺跡の方は何か見つかった?」
ノアラが広げていた紙を書類ばさみに戻し、ふるふると首を横に振る。小さな嘆息が聞こえた。
「遺跡の殆どは…、この屋敷もそうだが、町の一部ではなく他者との交流もないような造りだ。調べられた範囲ではああいった設備は見当たらない」
「まあ、隠遁生活を好むような魔術師が自分の居住区域にわざわざ仮死状態の罪人を拘留なんかしないよね。実験目的の監禁部屋ならともかく。この屋敷だってえげつない罠が仕掛けられていたもんなぁ。侵入者は容赦なく殺す気満々の」
からからと笑いながらシルエが物騒な指摘をする。ノアラは笑えない。
ノアラの屋敷は素朴な造りながら、彼らが迷い込むまで霊体となった古代の魔術師の主がいたため、その魔力で維持されていた。そうでなければここも、壁の一部と地下の設備が遺ったかどうかで森に飲み込まれていただろう。
人がほぼ寄りつかないような立地に突如として現われるような遺跡は周辺を調査しても町だった跡も、どこかに通じていた道の跡もない。あったとしても数件の家屋の基礎くらい。大概が幾重にも罠が仕掛けられており、中には地下牢や何に使用したのか想像したくない部屋を発見したのも事実。
「堕ちた都が古代の強い魔術師が統治する町だったとしたら、かなりの大所帯。親類縁者ばかりではなく、格下の魔術師や魔力無しと呼ばれた多くの民も含め、その庇護下に入れていたのだと推察される。
あの巨大建築物は、統治者が関わる精霊だけでなく、町に住む者のために万の精霊を祀っていたのではないかと。柱に少しずつ違う特徴があるし、段差も柱の間に祭壇があったのだとすれば台座だと説明がつく」
「ふーん…。確かに広い都だし、小さい家の跡もいっぱいあったもんねぇ。社交性に富んだ珍しいタイプの魔術師だったのかな。やむにやまれず人の上に立ったのか、案外そういう権力者になる魔術師もいたのか…」
「それだけの社会が形成されていれば、自ずと犯罪者の収監施設も必要になるのだろう」
「じゃあ、町の遺跡になら同じような施設があるかもしれないってことだね。他に確実に町の遺跡だったところと言えば…」
「灯台の町に一部、遺された部分があるが、町自体はほぼ残っていない。人が住んでいる場所では大々的な調査もできないため、古代の規模は不明だ」
「ああ、あの図書館周りの公園の所だね。地下の書架が残っていたのは偶々なのかな」
「他にも水道工事中にその形跡を見つけた町もあるが、もう調べるのも不可能なくらいに何も遺されていない」
「そっかー、だとするとまだ見つかっていない都があるかどうか…。あとは他国か…」
人が住まなくなった町の崩壊は早い。そこそこ大きな町の跡地であればおそらく丁度良い平地のため、そこにまた町が造られ、その時点で残っていた壁などは石材として再利用されたか、瓦礫で処分されたのだろう。
遺跡として残ったのは壊すのも躊躇われるくらいに立派だったからか、建物や壁が丈夫で修繕すればそのまま使用可能だったからか、堕ちた都やこの屋敷のように立ち入ることさえできなかったからか。
「聖都のシンボルである神殿は大きいが町自体は小規模。おそらくは一族とそれに連なる者だけで構成していたのだろう。シルエは王都は力の弱い魔術師が造った町だと仮定していた?」
「うん、そうだね」とシルエが首肯する。ノアラもこくりと頷き返した。
「普通の収監施設はある。だが、かなりの魔力と技術を必要とする、封じる設備は難しかったのか…」
「魔人は王都にあった火の指輪を欲していたし、町自体を奪う気だったみたいだもんね。もしあるなら影で潜入した時に真っ先に探していそうだし」
「魔物が捨て身で王都の牆壁を狙うのも魔人に操られて、だろうか」
「聖都と灯台の町は早めにチェックしておくに越したことはないね。できれば出入りしたかどうかだけでもわかるような罠も仕掛けたいけど…」
二人はどちらからでもなく目を合わせて強く頷いた。
◇ ◆ ◇
王都の裏手、貧民街があった場所の奥に広がる林の中でサラドは魔物と土塊とそれを持って来たと思われる人の痕跡を探していた。
酷く暴れた跡があちこちにあり、木々の幹は表皮が剥がれ、薙ぎ倒され、土は多くの足跡で荒れている。つい先程も力を失って動けずにいた土の精霊を半ば強制的に精霊界に帰したくらい、ここは穢れた魔力で充満している。
今も茂みから揺れる尻尾の先端が見え、グルル…と低く唸る声がする。ガリッゴリッと骨を噛み砕く音に血の匂い。まだ此方の存在は気取られていない。弓の弦を指先で弾いて張りを確かめ、いつでも対応できるよう備える。
魔物の大きさからしてサラド一人では一手二手では勝ち目がない。その間に咆哮やまき散らした血の匂いで他の魔物が集まり、それらが一斉に王都を目指すような事態は避けたい。この林からは殆どの精霊が逃げてしまっているので大きな力を借りるには精霊界と繋げる必要があり、魔力量的にも体力的にも厳しい。
左手の小指に嵌めた指輪、他者からは見えない加工がされた魔道具に目を遣り、ノアラに救援を頼むことも念頭に置き、しかし…と首を振る。
ランタンにもそっと手を伸ばした。小さな火が期待にぴょこっぴょこっと跳ねる。
(枯れかけていて燃え広がるのも早そうだし、林の中で火は避けたい。ちょっと王都との距離は近いけど、満腹のうちは襲撃には向かわなそうかな。あとどれくらい魔物が潜んでいるかを把握してから、討伐隊を組んで…。
いや、でもここでまた傭兵隊が動くと王都兵と宮廷を刺激するだけかも。うーん…。
それにしても魔力の膨れ具合が早い。このままでは魔物となった身体でさえ支え切れなさそう。あのまま牆壁に突っ込んだら…、うん、まずいな)
どうしたものかと考えあぐねていると突風が背を押した。場の空気を一変させた蹄の音に、鞘から剣を抜く金属擦れの音。吹き抜ける風となった魔馬ヴァンの気配に魔物が顔を上げ、歯をガチリと鳴らした。太い牙がギラッと光る。
「いくぞっ」
威勢の良い掛け声に反応したサラドは考えるより早く矢を継ぐ。続けざまに二射、ヴァンの背から飛び降り、駆けるディネウを追い越した矢は魔物の漆黒の目を貫く。視力を奪われても獣の勘で迫る敵に前脚を振るう。ニョッキリと伸びた鋭い爪を軽々と避け、危なげなく地を蹴ったディネウが魔物の頭上を捉えた。空を切った爪は、その勢いのままガリリと地表を削る。そこにボトッと首が落ちた。遅れてどうっと身体が倒れる。
「おしっ、一丁上がり」
剣の血を払い、矢を引き抜いてサラドに渡す。
「良くここがわかったね」
「ああ、ヴァンにお前の所に行けって言っただけだ」
魔馬ヴァンが「呼んだ?」とでも言いたげに鼻先をディネウに向けた後、サラドの背をグイグイと押した。鼻梁を撫でてやれば、満足したように草を食みに戻る。
急激に鼻をついた異臭に振り返れば、魔物の肉体は見る間にドロドロと溶け出している。骨が浮き出し、ドロリとした内臓や肉からはボコボコと気泡が浮かび、悪臭と毒を放つ。「うっ」と息を詰め、腕で口を覆ったディネウは広がる肉と血からピョンピョンと跳ねるようにして離れた。目も染みるらしくぎゅっと眉間に皺を寄せて細めている。
白い炎が遺骸を包み、サラドの鎮魂の祈りが捧げられても、既に拡散した毒素は付近の草木を枯らしていた。
「なんだこりゃ? こんなに早く腐ることなんてあるか?」
「魔力が組織を破壊して瘴気になっていたみたいだ。このまま壁にぶつかっていたら破裂して大変なことになっていたかも」
「なんだよ、そんなやべぇことになっているのか?」
「うげっ」とディネウが顔を顰めた。
周囲の気配を探っても、他の魔物が気付いて襲って来る様子はまだない。それでもこの臭気に呼び寄せられる可能性は充分にあり得る。
「護符や鈴はもう配り終わったの?」
「ああ、そういう配分とか人選は上手いヤツがいるから任せて来た。説明はしたし、大丈夫だろ。こっちはどうだ?」
「時間が経っているし、荒れが酷いから、有用な情報は見つけられていない」
「付近にどれくらいいそうだ?」
「そこそこ、かな」
弓の一端を地に着け、もう一端を摘まんで右に左にクルクルと回し、サラドが言い淀む。
「俺とお前で片付けられそうか?」
「うーん…。まだ把握しきれていないから、何とも」
「除け者にするとシルエが煩いし、ノアラが心配するからな。二人を連れて来るまで、お前はここで待ってろ。ヴァンは残して行くから、何かあったら移動してくれて構わない」
「えっ、でも…」
「…どうせ、傭兵にはこれ以上迷惑をかけたくないとか思ってるんだろ?」
ディネウが耳輪に付けたノアラの魔道具に触れる。チリリと微かな音が返され、サラドの返答を待たずしてディネウは転移した。
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