152 護符と鈴
シルエがディネウの前にポンポンと紙束を投げ置く。
「攻撃無効の護符、試作の二段階目ね」
「お? もう作ったのか」
「前の使用済み分をディネウが回収してきてくれたでしょ。裏の残った余白に発動した時の状況や怪我の有無、状態を書いてくれていてさ。おかげで大体の分析ができたから。まとめてくれた人、優秀だね。次もよろしくって言っといて」
「おう、そうだ」と言ってディネウは数枚の紙を挟んだ板を懐から出した。その枚数を数え、サッと目を通したシルエは「ふむ…」とやや思案して、そっと板を閉じた。
貧民街で小鬼と戦闘し、残されていた住民の避難を終えた後に、思いつきで手書きした数種類の護符。陣の周囲にテオが模様を描き加えた紙は焼き切れ無残な姿になっている。テオにはちょっと見せられない。
「これで護符は全部だね。不発はなかった…と。薬瓶の回収数もまあまああるし、それだけ皆が体を張ってくれているってことだよね」
紙束のひとつをディネウが手に取り、しげしげと眺める。大きさは鐘に貼った護符と同じくらい。草色で植物の模様が一面に配してあり、綺麗な柄入りの紙にしか見えない。
「これ、護符なのか?」
「そうだよ。これはあえて護符とわからないようにした方。陣はね、こうして斜めにすると…ほら、ほぼ透明の塗料で摺ってある」
「へぇ。全面に柄が重なっていても大丈夫なんだな」
「そこはちゃんと試験済みだから。もう一種類あって。こっちは、ほら」
別の紙束は四隅に柄が配され、中央が抜かれている。サラドが精霊から習った文様が角に描かれ、そこから三角形を作るのはデザイン化された草と蔦で描く文字や図形のようなもの。四つ角それぞれが少しずつ違うが、それ自体は陣に付する術とは関係しない。
ディネウはそちらも受け取ると斜めに動かして、中央の白く抜けた部分にテカテカと照る薄黄色を確認した。
「? これじゃ護符ってわからなくねぇか?」
「んー、今回は面倒だからこっちも色無しで摺っただけ。色が着いているかどうかは影響しないからね」
陣の部分は共通で柄とも馴染むように飾り文字にしてある。ほぼ透明な塗料では凝った仕様も見えない。
「これで、ちゃんと摺れているのかわかるのか?」
「そこはちゃんとチェックしてるよ。不良品をむざむざ出すほど無責任なことはしない」
「…どうだか。傭兵を実験台にしておいて」
「人聞きが悪いなぁ。被験者だよ」
ディネウが呆れにハァと息を吐いたが、シルエは「協力に感謝するよ。お互い様、ね」と意に介さない。確かに護符を持たせたのは無茶をしがちな若者で、大きな怪我を防げたのも事実。
「まぁ、何だ…。これだけ用意するの、大変だっただろ」
「この紙と地の柄を刷るまでは工房でやってもらったから。陣の木版はテオに摺ってもらったし」
柄の元はテオが描いた。紙の調達、彫り、刷りまでを以前に版木の端くれを融通してくれた工房に委託した。陣を未摺りの紙はまだ残りがある。
陣の部分を任せるつもりはない。工房にはこれが何になるのかは伝えていないから、まだその心配は無用だとしても、術の込められていない紙を横流しされる心配も捨てきれない。
「あんましテオをこき使うなよ」
「テオだって手伝えることがある方が良いって。この柄が刷られた大量の紙を見て、自分の描いたものが…って感慨深げだったし」
仕事を任せることでテオは確実に自信を付けてきているが、主にそれを振るシルエは他人に甘くないし、自身が集中してしまうと時間の経過や疲れに無頓着になり、頃合いを見て休憩を促すことなどない。
テオは「辛い」「苦しい」「やりたくない」等の言葉は呑み込んでしまう癖がある。大方、それらを言えば反抗と見做されて隷属の術に苦しめられたか、もしくは直接鞭で叩かれたりしたのだろう。先程も顔が真っ赤になりふぅふぅ言いながらも火の側を離れずにいた。
(サラドがいない時は余計に気に掛けてやらないとダメだな)とディネウは急に心配になる。
「適当に休むようにちゃんと言えよ。それか、無理のない数に抑えろ」
「んー、わかった」
サラドは「シルエもノアラもお疲れ。後でテオにもお礼を言わなきゃね」と朗らかに笑い、ディネウが手にする護符の束を指差した。
「これ、一枚もらってもいい?」
「あっ、もちろんいいよー。持ってて、持ってて」
「僕も」
完成品を初めて見たサラドは、「いい色で刷ってもらえたね」と目を細めている。褒められてシルエが「えへへ、でしょ。細かく指定した甲斐があった」と嬉しそうに笑う。
希望に添った刷り色になるように塗料を混合するのは工房の職人の腕の見せ所だ。やや濁りがあるが、渋めの黄色寄りの緑は主張しすぎない落ち着いた色。例えその上に色つきで陣を摺ったとしても邪魔をすることはない。
ノアラは陣を摺り終えた紙にシルエが護符の術をかける際に、その効果と範囲を広げる音の術で協力しているため実物は既に見ていたが、受け取った二枚の紙を興味深そうに凝視した。
「じゃあ、人選は今回も任せたから。あ、これも試作だからね。関係者以外には渡さないように。あと、護符があるからって無謀なことはしないこと! これ大事だから。ちゃんと伝えておいてね」
「おう」
「で、もう一つは鈴ね。これを警ら中の人に持ってもらって――」
「鈴? 何だこりゃ?」
持ち上げられて傾いた箱の中でコロリと転がる小さな金属製の球体。シャランと音をたてるそれは、完全に閉じられ、表面に銀糸細工で模様が描かれている。器の底に十字の切れ目ないし、二つの穴を繋ぐ溝があり、空洞内に玉が入った一般的な鈴とは形状が違う。
ディネウはそのうちのひとつを拾い上げ、紐を通すカンを摘まんで振った。カシャ、シャラと音はするもののあまり響かない。
硬質な金属で小さな鈴ならチリチリと澄んだ高音が、大きくなればガランガランと厳かな低音に、柔らかな金属ならシャンシャンと賑やかな音、土鈴であればコロコロと可愛い音が想像付くのだが、そのどれとも違う音。
「あんま鳴らねぇけど、いいのか?」
「これはね、振るより転がした方が良い音がするんだ」
広げた手の平に載せ、ゆっくりと揺らして転がすと、シャランシャランと一般的な鈴より複雑で余韻のある音がする。その動きを見て、ディネウが同じように転がし「へぇ」と声を漏らした。ノアラも箱に手を伸ばす。
「なんか面白いな、これ」
「でしょ。渾身の作! 一度目のは失敗したからね。サラドが腕の良い細工師と知り合いで助かったよ」
シルエがサラドを見てニコッと笑えば、サラドもゆっくりと頷き、穏やかな笑みを返した。
ノアラによる付与術が施された鉱石を、シルエが浄化の水に浸して効能を付加した玉を使い一般的な鈴を作ってみたが、その効果は今一つだった。鈴の大きさに対して音は大きくなったが、騒がしいばかりで浄化の力は広がらない。ノアラの術が強く出たか、浄化の力が安定しなかった結果らしい。
その失敗作の話を聞いてサラドがある細工師を紹介した。その細工師は技巧の粋を見せるため、様々な物を細密化して作っていた。その中に、振って音を出し赤児をあやす民芸玩具があった。元は鞠くらいの大きさがある人形や柄のついた円柱形をしている。
構造は空洞内に長さの違う柱が何本もあり、そこに玉が当たることで単調でない音を奏でる物。心地よい柔らかな音を出すように調律されており、また密閉された空間のため反響して余韻が広がる。
細工師にそれを鈴くらいの球体で試作してくれないかと相談した。細工師も己の技術を買われたことで意欲を示した。
出来上がった品は小さい分、玩具よりも高音になるが優しい音には変わりない。密閉されるため、浄化の力を持った玉が汚れることもない。これならばと活路を見出し、鈴の製作を発注した。
失敗を受けて、一つの鉱石に二人の力を込めるのは諦め、磨いた極小の玉に浄化の湧き水の記憶と祈りを込め、細工師に託す。器となる金属球に銀糸で指定した模様を、カンの根元に鉱石を付して貰い、納品後にノアラが術を付与した。職人にも描けるよう、術を刻む文字を模様にまで簡略化させたノアラの技能の高さにシルエが嫉妬したのは言うまでもない。
鈴自体の音の鳴る仕組みも銀糸細工の美しい見た目も小型化も、殆どが細工師と職人の功績だが、シルエは鼻息を荒くして自慢気に胸を張る。
「へぇ。こんなにちっちぇ中にそんな細工がねぇ。こんな鈴もあるんだな」
ディネウは感心しつつ、少々乱暴なくらいに手を揺らし鈴を転がし続けた。もっと良い音が出せるのではないかと速くしたり遅くしたりしている。癖になる音らしい。
ノアラは手の平に載せる鈴を次々に交換して、耳元で転がしては確認している。手製のため、ほんの少しずつ音色が違うのだ。
シャラン、シャララ、シャララン、シャラン、シャラ…
「う、うん。ちょっと煩いな…」
大きな音は出ないので、ひとつなら心が鎮まる音色だが、不規則に鳴らす音が数重なり、シルエは説明の途中なのもあって少々苛つき、ディネウの手をピシリと叩いた。ノアラがピタッと揺らす手を止め、そっと鈴を箱に戻す。
「おう…すまん」
「コホン、でね。これは浄化の力を広める…魔道具? と言っていいのかな? 鈴の音は場を清める力があるしね」
「ほう?」
「効果は微々たるものだけど、警ら中に持っていてもらえば、自動的に街道や町周辺を清められるかな…と」
「鳴らしながら歩くのか?」
ディネウが手の平を上に向けて揺らし、球体を転がす身振りをして見せる。
「ううん。わざわざ鳴らさなくても、こう、ベルトにでも提げてもらっているだけで充分。これなら派手な音はしないから…、というよりほぼ音がしないから邪魔にならないでしょ。盗賊に警らの居場所を伝えちゃ意味ないし。魔物を討伐した後なんかは、意識して鳴らしてもらってもいいけど」
「もっと、こう一回でパアッと浄化した方が早くねぇの?」
「前にも言ったけどね。大きな力に頼れればそりゃ楽だろうけど、それを扱える人がいなくなればそれまででしょ。こういった小さな力を毎日積み重ねるのが大事だし、地にも馴染みやすいんだよ。人の意識もね」
「それはそうだな」とディネウも納得して頷く。
魔物の遺骸の処理や浄化にシルエとノアラも各所を廻ったことで魔物の湧きは落ち着いているが、全ての懸念材料が払拭された訳ではない。王都付近や聖都の目の前は傭兵や自警団の者が手出しをしにくいため、時には魔物を誘引して戦い、ギリギリの場所まで守りにあたっている。
結局、魔物を生んだと思われる土塊を撒くように依頼した者は見つかっていない。林の奥では魔力に影響された獣が駆除された。またいつ魔物が出ても対処できるようにと常に警戒にあたっている。
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