149 魔人の足取りは
シルエとノアラは堕ちた都の『牢獄』と解釈した建物跡を再訪していた。
怨嗟を煽り、惑乱させる囁き声、音にもならぬ微かな振動がジビジビと地を這うのをノアラが施した魔術で感知した。発信源の方角はざっくりとしかわからなかったが、その範囲に堕ちた都があったため、確認に向かうことにしたのだ。
ディネウは急ぎ解決したい案件があり、傭兵を率いて別の現場に行っている。サラドは遺跡に入った後、気になることがあるからと二人にこの場を任せて引き返した。
当然のようにシルエはサラドに着いていくとごねたが、静かに拒否されてむくれている。
「もし魔人と鉢合わせしたらどうすんのさ。僕ら二人でタコ殴りにするしかないじゃん」
「精霊に呼ばれたんだろう」
「そうだろうけど! サラドがそれ以外の理由で僕を遠ざける訳ないもん」
シルエがブンブンと振った杖で枯れ草から種子が飛散する。上着に引っ付かないようにノアラがゆるく旋風を起こした。風に煽られ猫っ毛の髪が広がりシルエがムッと口を歪める。
「…耳に入ると痛い」
「そうっ、だろうけど!」
空を舞う種子を指さしてノアラがほんのちょっと眉の下った顔でシルエに弁明した。
一見、初めて到達した時と変わりない風景。
しかし、子供のミイラが眠る棺のような箱の上にある花は一輪のみ。淡い桃色の肉厚の花弁、白い雄しべの先に付いた鮮やかな黄色の花粉。南の方でこの時期に咲く花だ。花の少ない晩秋から冬にかけて小鳥の腹と人目を楽しませてくれる。よく似た赤い花がそれを引き継ぐように冬から春先にかけて咲く。雪の中でも鮮やかな赤は映えるので花に興味が薄い者にも広く知られているが、寒さが厳しい北にはあまり自生していない。
萎れたり枯れた他の花は床に散らばり、サラドが手向けた赤い実の小枝は少し離れた場所で潰されていた。
「あはっ、お怒りのご様子。サラドの思いやりが踏みにじられてる。魔人がここに帰って来たことは間違いなさそうだね」
「警戒して、もうここには戻らないだろうか」
「うーん、もともと潜伏先を移したと仮定していたから、振り出しに戻った感じ?」
「…すまない。もっと精度を上げられていれば」
「何を謝ってんのさ。それを言うなら僕の探知にも引っかかっていないからね、同じ」
相手は時を越えて古代から来たようなもの。殆どの上級術が滅んだような現代の魔術は対抗策が取られていて当たり前。その術の強さは未知数だ。わかっているのは死霊術が得意で、影を操るということくらい。ノアラやシルエの知識で太刀打ちするには、どれだけ裏がかけるかにかかっているだろう。
「ふー…。どりあえず罠でも仕掛けておくか。ノアラ、ここに術かけて」
中が不在の箱に手を掛ける。魔人が収監されていたと思われる箱の中は外気よりずっとひんやりと冷たく感じた。
「よしっ、これであとは蓋を閉じれば…。簡単な猟罠にちょっと魔術を加えただけだけど、案外こういう単純な方が引っかかるかもね」
蓋はずっしりと重く、端を持ち上げようとしてもびくともしない。
「重っ、ねぇ、ノアラ、手、貸してー」
二人がかりでズリズリと動かす。ゴトッと上蓋が箱にしっかりと嵌まると、ブォンと空気を揺らす音がして、中心にある石柱の内側と箱の内部が光った。シュンシュンと続く音は直ぐに立ち消え、光も萎む。カタッという音を最後にしんと静まり返る。
ノアラは石柱や箱、二つを繋ぐ管を調べに走ったが、やがて「はぁ」と落胆を滲ませた息を吐いた。
「動力が少しだけ残っていたのかな。でもやっぱり壊れているみたいだね」
「…残念だ」
惜しむようにノアラが割れた石柱を撫でる。内側の空洞に煌めく鉱物が特別な力を宿しているようには感じない。この装置は古代の英知の塊だ。もし作動すればそこから得られる知識は膨大で、これまでに見つかった遺跡にある様々な用途不明の物体を動かす手がかりも得られるかもしれないのに。
「うーん、まだ動く装置を魔人も探しているのかもね。あわよくば、この子を、って。長ーい眠りのせいで現実が見えてなさそうだし」
子供のミイラが眠る箱をチラと振り返る。胸の位置にある花は可憐で儚げな淡い色味なのに、妄執すら感じさせる。シルエは感情のない冷めた目でそれを見遣った。
生命維持の装置が動いたところで息は吹き返さない。如何に生きていた頃の面影を遺していても、それが不可能なことは明らかだと言える。
同時に疑問も浮かんだ。
もし、古代にはそれを覆すような術が存在していたら?
現に目の前の装置だって信じられない技術なのだから。
「前に同じような設備を見た気がするって言ってたじゃん? ソレ、どこだか思い出した?」
「聖都の神殿」
「は? 聖都?」
「シルエを迎えに行った時、他にも子供が隠されていないか怪しそうな部屋を覗いた。地下に霊廟があって、隠し扉の先に細い通路が長く延びていて、棺が二つ置かれた小部屋があった。半透明の石柱に星の飾りが付いていたから…本当にただの霊廟で、勘違いかも」
ノアラの声音は自信なさげで、最後は早口だった。
「へー、九年もあそこにいたけど、気付かなかったな。そもそもしらみつぶしに歩けるほど自由はなかったんだけど。他にもありそうな遺跡に心当たりは?」
数々の遺跡、その内部の記憶を頭の中で総ざらいするノアラの眼球がゆっくり上下に動いている。長考に入り、なかなか返事をしないノアラの観察に飽きたシルエは「聖都かぁ」と唸った。「他に選択肢があった場合でも魔人は聖都に行こうとするかな?」と訊くとノアラが小さく首を傾げた。
「魔人って王都の結界を潜れずにいた訳じゃん? 弾かれるのは、罪人になった際に何らかの術を刻まれたのかなって」
「聖都の結界はシルエが解除しただろう」
「ん? 神殿の防御壁は神官たちで維持できるようにした筈だけど…それだと、越えられちゃう?」
先程とは逆方向にノアラがゆっくりと首を傾げる。古代の術の粋である守護の結界と、奇蹟の力である防御壁の違い。死霊術を操る魔人が祈りの場である神殿を苦手とするという仮定は正しいのか、様々な可能性を考慮する。
「今、聖都は導師の弔問で人の入りが多い。取り憑きやすい者がいれば、あるいは」
「あー…」
聖都に潜入するかどうかはサラドとディネウも交えて相談することにし、堕ちた都を後にする。
「転移の術に慣れちゃうと歩くの億劫になるよね。さっさと転移できるところまで抜けよう」
「それだが…、遺跡内の、あの神殿らしき巨大建造物跡ならシルエの転移指標の陣が置けるのでは?」
堕ちた都を含む周辺、呪いがあると謂われる範囲は魔術の転移では阻害されて降りられない。遺跡に残る魔力や地場の強さなどにも影響され、座標の指定が不可能な場所が各地に点在する。
しかし、転移先が限定されるシルエの方は理論が少し違う。予め転移用の陣が置かれている、あるいは設置できるかどうかに関わってくる。
「あ、そっか。考えもしなかったな。現に人が生活していなくても可能なのかな? まあ、ちょっと試してみる価値はあるね」
結果、巨大建造物前は不可だったが、正門と思われる、アーチ状通路の一部が残っている壁の手前に転移が可能になった。一度認証を受けたからか今回の解錠はぐっと簡易になっていたが、手続きなしに都へは入れないらしい。この古代の都は思った以上に住民管理を徹底していたようだ。
ぐらぐらと煮立つ大鍋の中から火ばさみで薬瓶を慎重に取り出し、木箱の中に逆さに立てる。その作業を根気よく続けているテオは、火の前にいるため初冬なのに汗を掻いている。
木箱は底板が格子状で、そこに等間隔で杭が立てられている。四本の杭の間に瓶を入れれば、瓶同士が当たって破損するのを防げ、杭に瓶の口を刺して逆さに立てれば水切りもできる。
「ご苦労さん。テオ、一回、休憩しろ。顔が真っ赤だ」
回収してきた使用済みの小瓶が入った箱を床に置くと、ディネウはテオの頭をグリグリと撫でた。
「火傷してねぇか? 水はねには気をつけろよ」
「うん!」
煮沸消毒済みの小瓶を並べた木箱を重ね、ディネウがひょいと持ち上げる。大股で歩くその後ろをテオがひょこひょこと着いてきた。
居間にある棚に木箱を突っ込む。書籍に草稿、筆記具、鉱物、実験中の何か、シルエの私物置き場と化した棚の前には黒く塗られた大きな板が画架に立て掛けられている。ディネウには何のことやらサッパリな内容の、記号や図や文字があちこちに書かれた板。乱暴に消したのか白っぽく擦れた部分も。
それに気を取られて、置かれていた背もたれなしの椅子に足を引っ掛け、画架もガタッと揺れる。慌てて押えて手に滑石の粉が付き、ディネウが舌打ちした。それに対しシルエが口を尖らす。
「あー、ディネウ、消さないでよ」
「邪魔くせぇ。自分の部屋に持ってけ」
「えー、いいじゃん、別に。ここの方が色々と閃くんだよ」
ディネウはテオに「ほれ」と土産を渡した。ねじった形の短い麺を油で揚げて、砂糖と草の実をまぶしてある。下町の屋台で人気の菓子だ。包み紙にまで油が染み出ていて、甘い香りがそそる。
テーブルについたテオにノアラがスッと無言で出してくれたのは温めた家畜の乳。こちらもノアラ好みで甘くしてある。
「なあ、シルエ。あの元気になる水の素さ、傭兵にも作ってくれないか」
「いいよー。それなら、お酒で割るのもいいかもね。あの、サラドが蜂蜜に漬けてる辛い根っことか合いそう」
「おっ、いいかもな」
「じゃあ、味についてはサラドにも協力してもらうとして…」
「頼む。もう少し効果が高くてもいいな」
「そうだねー。皆の分なら、そうしてもいいかも」
もぎゅもぎゅと菓子を口に頬張るテオ。ひとつひとつは小さくても、小腹を満たすには充分なほど食べごたえがある。それにディネウが買ってくる量はちょっと多めだ。一緒につまんでいるノアラの方を見て「おいしい」とテオがにぱっと笑うと、彼もこくりと頷き返す。
最後の一個を残してテオは包み紙を閉じた。
「ただいま。あ、なんか、いい匂いだね」
「おかえり!」
「おかえり~」
玄関から入って来たサラドにテオが残しておいた菓子をつまんで「ひと口どうぞ」と差し出す。サラドはテオの指からパクリとそのまま齧りついた。
「甘さの中にしょっぱさもあるな…。この塩気は麺の、かな。この実よりあれの方が合いそうだけど、手軽にたくさん手に入るのだとこっちになるのか…」
口端に付いた油と砂糖をぺろっと舐め取る。食べてもらえてテオは満足そうだ。こうして気に入った味をサラドにも分ければ、同じ様な物を作って貰えることをテオは覚えた。
「サラド、てめぇ、俺に移住先とは別の場所に連れ去られたらしい娘の救出に向かわせておいて、お前は何してた?」
「あ、えーと…」
暢気に菓子を味わうサラドに、ディネウが苛立ちを露わにして詰め寄った。
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