145 どうか、これからも
「ここに移住することに異議はありません。王子殿下の施策に反対する意思もありません。ですが、これでは…」
サラドの声に悔しさが滲む。ショノアは唇を噛んだ。少しの沈黙が重苦しい。
「その…、一昨日の夜、倒れた俺を運んでくれたのはサラドだろうか」
やはり聞いておかねば、とショノアは意を決して口を開いた。だがその質問に答えはなく、唐突に動いたサラドが前のめりになったセアラの肩を支えた。
「お二人共、そこまでで」
制止の言葉にセアラもマルスェイもハッと目を見開いた。セアラを立たせようと、地に着けていた手をサラドが掬おうとする。泥で汚れた手をセアラは引っ込めたが、それよりも早くサラドにガシリと掴まれた。
「セアラは今ちょっとふらついていた。マルスェイさまも頭痛が生じているでしょう? 一時に魔力を使いすぎた証拠です。今日はここまでにしてください」
「待って。ごめんなさい、一箇所目のように感じられないの。感覚の掴み方がわからないんです。お願い、サラドさん、最初のように後の二箇所でも手を貸してくれませんか?」
マルスェイも同意するようにブンブンと音がしそうなくらいに首を縦に振る。二箇所目でもここでもサラドは見守るのに徹し、口出しはしなかった。まずは己の力を知るためという計らいを感じ、この感覚で正しいのか尋ねてしまいたいのをセアラは我慢していた。
「今日はもうダメです。休んでください。それに、感じ取れなければ、それでいいんですよ。不安なら明日改めて一箇所目で試してみるといいでしょう。そこで同じ感覚が得られたら、そういうことです。それに説明も兼ねてここの代表の方にも立ち合っていただければ、一時に済みますしね」
それでもセアラは自分の感覚に納得がいかないようだ。
「でも…、明日はもう、サラドさんは一緒に居てくれないのでしょう?」
「セアラ、もっと自信を持って大丈夫だよ。慣れないから二人共おそらく魔力の流し過ぎなんです。本来はちょっとで充分なんですよ。力の込め過ぎって言った方がわかりやすいかな。もっとこう、肩の力を抜いて。でもたくさんの魔力を貰って地は喜んでいますから今日は良しとしましょう」
「ち? …地が…喜ぶ? え?」
「ええ、そうです」
頑として譲らず、サッと目印を回収したサラドは皆に馬車の所へ戻るように促す。二人は渋々引き下がった。実際、指摘された通りセアラは頭がぐらぐらするのを感じていたし、マルスェイも経験のある頭痛に見舞われている。このまま魔力を使えばまたあの激しい頭痛と吐き気に襲われるのかと思うだけでより頭が痛くなった。
「今はこんな有り様ですが、ここは元々水源豊かな土地です。だからそんなに心配しなくても大丈夫。本当は水路を配した方が良いのでしょうけれど、村の計画が見えない内はどうにも…。それに何故か技術者を招く様子がありませんしね」
サラドの視線を受けてショノアは得心したと頷く。兵士たちがどんなに責付こうとも遅々として進まない現状。壁にしても家屋にしても専門技術を持つ者の指導があれば効率は良くなる筈。急ぎ問題点をまとめ、中間報告を上げるべきか…とショノアは頭の中で文章を組み立てた。
「サラド、こんなことを言えた義理ではないが、またいつでも訪ねてほしい。思う存分、俺を利用してくれ」
それがせめてもの償いになれば、と神妙に告げるショノアにサラドは「はい」とも「いいえ」とも答えず微笑みを返した。
「それで…その、もし…、もし、また時間が許すことがあれば、その時は是非とも俺と手合わせをしてくれないだろうか?」
「オレではショノアさまのお相手には力不足です。剣士と打ち合いをするのが一番身になるのでしょうけれど…。すみませんが彼への口利きは承れません。誰からの申込みにも応えないと公言していますから」
「違うんだ。そんな厚かましいことを頼むつもりはない。その…サラドに指導を願いたくて」
「うーん…。切り結んだところでオレの剣が弾かれるのが目に見えてます。きっと訓練になりませんよ。それに、王宮務めの騎士は、オレたちのような戦い方を良しとしないでしょう。卑怯とか野蛮だとか言われかねません」
「しかし…、現実として我々は魔物に対してまともに戦えていない。このままでは…いけないと思う」
王都の宿舎で見た怪我人の多さ。意気消沈した騎士仲間の姿にショノアは危機感を抱いていた。意識改革が必要だと訴えようにも、共に門前で戦わなかったショノアの声は届きそうにない。
「試合のような一騎打ちではなく、オレたちはチームで戦うのが基本なので、どう連携を繋ぐかに重点を置いています。オレの役目は囮だったり、足留めで。ショノアさまはどちらかと言えば、主戦力でしょうから…」
実現するかどうかはともかくとしてサラドに真っ向から拒否されなかっただけでショノアとしては安堵した。
戻って来る面々が見えたのかニナが穀物茶を用意していた。火を囲んで円坐になると、かつての旅路が思い出される。茶はやはり濃くて渋い。
「そうだ、これ、ちょっとしたお土産なんですけれど」
そう言ってサラドが荷物から小瓶の収められた箱を取り出した。設けられた仕切り全ては埋まっていないが、集団が置かれた数と同じだけ入っている。
「希釈液なんですが、そうだな…、これくらいの樽の水に一瓶、入れてください。ほんのり甘いので、皆さんに配れば喜んでいただけるかと」
「希釈? 珍しいものだな。有り難く頂こう」
サラドが指定した樽は洞窟の中に置いた給水器よりもひと回り大きい。疲労回復効果については敢えて伝えず、疑問を抱くことがないように水量を多く設定した。美味しい、と思うだけで充分だと。
無関心そうにしているニナとサラドの視線が絡むのをセアラは見逃さなかった。もやっとした不快な感情が胸に広がるのを、魔力が切れかけて不調なせいだと無理矢理に抑え込む。
「あと、それからこれはセアラに」
俯いて濃い色の茶を見つめていたところに自身の名が呼ばれ、沈んだ気持ちが一気に浮上する。
「私?」
「うん。若い女性が見るにはちょっと気味の悪い描写があるかもだけど」
手渡されたのは手の平サイズの小さな冊子。何度も捲ったであろう表紙は縦にくっきり皺がつき、傷みが激しく、角が取れて丸みを帯びている。
開いてみると、人の骨格や内蔵の位置を記した解剖図が飛び込んで来た。確かにかなり衝撃的な絵面。周囲が暗いため詳細は見えないが、健康なものと病巣となったものの比較図など、かなり専門的な内容らしい。図や解説文の脇にある僅かな隙間にも病状の経過についてや必要な薬草の書き込みがされ、表記を消して訂正を入れた箇所もある。厚みがあると感じたのは頁数が多いだけでなく、紙を足して記入しているからだった。長く愛用してきたのが窺える。
「こんな貴重なもの…いいんですか?」
「オレのお古で申し訳ないんだけど。新しいのを用意できなくて、ごめんな」
「いいえ。こちらの方が何倍も価値があります」
「知識があるのとないのでは大きく差があるからね。セアラは治癒の精度を上げたい、成長したいって望んでいたから、その助けとなれば」
「ありがとうございます! 大切に、大切にしますっ」
本を胸に掻き抱いたセアラは本当に嬉しそうだ。その横でマルスェイが期待に満ちた目でサラドを見つめている。
「え…えっと?」
「私には? 私も成長したいです!」
ついには強請るように手の平を出した。
「ああ…、すみません。マルスェイさまには…その、お渡しできるような物がなくて…」
「ならっ、ならば、何か魔術を教えてください。サラド殿は魔力が小さくとも魔術陣や詠唱文の知識は豊富なようですし。あ、できれば雷の術が良いです。大魔術師の代名詞! それか、奇蹟の授かり方でもいいですよ」
「おい、マルスェイ、いい加減にしろ」
「貴殿だってさっき手合わせを願っていたくせに」
マルスェイの厚顔さと無礼さにショノアが窘めようとも、言い返されてぐっと言葉に詰まった。簡単には諦めないマルスェイはその隙にずいっと手を突き出す。サラドもセアラにだけでは不公平かと心苦しく感じたのか強く拒否することなく「うーん」と悩む様子を見せた。
「雷…ですか…。マルスェイさまは風と水の資質をお持ちですから不可能ではないかも、ですが…」
「? 風と水?」
「そうです。雷の術は風と水の混合術。そのどちらも同じくらいに完璧な制御ができなければ…」
「二種の混合術だって?! 初めて聞いた…。制御できなければどうなるのです?」
「不発で済めば良いのですが、術者本人ないし味方に落ちるでしょうね。ですから現時点では…申し訳ありませんが。それに開発者の許可も得ないといけないので、いつか必ず教えるとは約束できかねます」
「‥‥」
黙りこくったマルスェイに注目が集まる。以前、マルスェイが風の術を披露しようとして、風刃で自傷しかけ、周囲の者をヒヤリとさせたことをここにいる全員が忘れていない。
「…わかりました。まだ私にはその資格がないということですね。悔しいですが、致し方ありません」
「資格というよりも…一足飛びには習得できないという事です。何事も基礎は重要ですから」
「しかし、その口振りだとサラド殿は術式は知っているのでしょう?」
「それは、まあ…」
村を旅立って初期の頃、術の威力を抑えるために魔力を制限するのをまだ修得できていなかったノアラは、攻撃の際に植生を巻き込んだり、地形を変える恐れがあるために得意な土の術は使い渋ることがあった。また、獣の勘は人よりずっと鋭く、大地に足を付けて生きる魔物には地を伝う魔術は感知されやすく、良く回避されていた。
そのため的を小さく絞って不意打ちを可能にし、攻撃力の高さと速さも兼ね備えた術をと考案したのが雷の術。サラドは思いつきを口にし、少し相談に乗った程度、主に形にしたのはノアラ。当然、開発の権利を有するのはノアラだと思っている。ノアラの方はサラドとの共同開発だと認識しているのだが。
術の特性上とノアラの性格から、清めの術は事後報告でマルスェイに教えたが、ひとつ間違えば災害にも発展する攻撃術をおいそれとは伝授できない。
「因みに、サラド殿でも発動できる術なのですか?」
「できますが、オレの魔力では威力が小さくて。ちょっぴり人を驚かすのが精々ですから、使うことは殆どありません」
「少ない魔力でもできるってことですね! 希望が見えてきたぞ。後生だ。せめて、目の前で見せて欲しい」
ショノアは何度となく「おい、止めないか」と会話を遮ろうとした。マルスェイはそれを上回る勢いでサラドに縋る。言葉も乱れがちになっている。
「前にも言った通り、魔術は見世物ではありません」
マルスェイの図々しい要望にも失礼な物言いにも丁寧に接していたサラドがはじめて不愉快さを露にした。
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