144 協力者は…
マルスェイが賑々しくしている間も、セアラは静かに集中していた。じっと佇む姿からは手応えがあったのかどうか、傍目にはわからない。自信なさげにしているセアラの横にサラドが屈む。
「セアラはどうだった?」
「あの…、気のせいかもしれませんが、ほんのりと温かく感じたような」
「じゃあ、確認をしてみよう。もう一度、試してくれる?」
地に着けた手の甲にサラドの指先が重なる。セアラは余計なことを考えないように、目を伏せて「深く、深く」と呟いた。
頭に思い浮かべたのは育った養護院の扉をノックする自身の姿。「おーい」という掛け声は少々恥ずかしかったので、心の中で「こんにちは」と声をかける。拳がたてるトン、トンという音に呼応するようにホワリホワリと胸が温かくなる。
「うん。セアラの場合はこの『温かさ』が応えだね。ここで人と共生することに異議はないって教えてくれたんだろう。その感覚が一番強い場所…あー…できれば二人の意見が同じであることが望ましいけど、そこを掘削すると良い井戸になるよ」
「サラドさんとしてはどこが一番なんですか?」
セアラが嬉しそうに振り仰ぐのを見てサラドは曖昧に微笑んだ。
「それを先に聞いてしまったら、先入観が生まれて正しく自分の感覚を探れないだろう?」
「あっ、そうですよね」
セアラにはそう答えたが、サラドにとってはどこも同じくらい見込みのある場所。水の精霊に水源と水脈の場所を、土の精霊に硬い岩盤に阻まれていないか等を聞き、定め置いた目印。
サラドの感覚は精霊寄りで、それが人にとっても『良い』とは限らない。精霊が『良い』と感じた場所が飲水に向かない場合もある。臭いがきつかったり、含有物があったり。それも自然由来のため精霊には関係ない。だからこそ、サラド以外の人の感覚も重要になる。
過去、井戸に向く場所を探した際はディネウとノアラに協力を願った。
ディネウは剣一筋で魔術には興味を示さないため鍛えていないが、魔力も少量ながら有している。水の最高精霊に仕える巫女エテールナに愛を誓い、神域を守る彼は精霊からの覚えもめでたく、水と親和性が高い。精霊を認識できなくても、元来、勘の鋭い彼は『何となく、ここ』と示してくれる。それが外れた試しはないから流石だ。精霊に願い、直接伺いをたてている自分とは根っから違う天才だとサラドは評している。そう素直に褒めると「あ?」と不機嫌な声が返ってくるが。
対してノアラは感覚だけに頼ることなく、魔力を流した反応の分析、土の質も含めてこと細かく調査をする。二人がいれば、間違うことはない。
まだ災害と争乱の世にあった時は、加えてシルエが祝福を与えた。
「今の感じで残りの箇所も見て、判断がついたら伝えてください。祈祷を終えたセアラと正規の宮廷魔術師であるマルスェイさま、お二人による見立てなら信憑性も疑われないでしょう」
「サラドさんが見付けてくれた場所だから、三人で、ですね」
セアラが『三人』を強調したが、サラドは困ったように眉を八の字に下げる。その表情をセアラは寂しく感じた。
「もう遅いですし、後は明日に」
「待って! もう時間がありませんか? このままあと二箇所、最終判断までお付き合い願えませんか?」
「えっ、でもセアラはいつもならもう就寝している時間だろう?」
「今日は色々あったし、ここではまだ施しもできていないから、ショノア様が明日もゆっくりしていいと。だから朝のお祈りの後で休ませていただきますから。お願いです。全てが無理でも時間の許す限り、一緒にいてください」
控えめに「お願い」と言いながらも、サラドの服の裾をぎゅっと掴んだセアラの手はこのまま去ることを許さない。
「う…うん。でも本当に無理せずにね。魔力切れを起こしたら数日休息が必要になるから」
「なあ、わたしもこれに付き合わねばならないのか?」
ぞろぞろと次の目印に向かって歩く中でニナが訴えた。ショノアがチラとサラドを窺う。
「うん、そうだね。長くなるなら戻っても。ごめんな。ニナにも何をしているのかは知っていてもらいたくて」
「ということだ。ではニナ、馬車の方を頼めるか」
ショノアからの許可を得て、ニナは返事もせずに踵を返した。馬車の近くで、石で囲んだ焚き火がチラチラと小さく揺れている。その灯りに向かって歩き出し、微風が吹く中を抜けると、サラッと髪が靡く程の風が背を押した。吹き抜け様の風が、聴覚では捉えられない声を残していく。
*もしニナも魔力の巡りを練習するなら、二人がやっているように地に直接流すことはしないで。今は、まだ、ね。ニナの所在を探られないためにも*
耳で聞いたのではないと感覚ではわかっていても、ニナは耳を押さえて振り返った。サラドがにこっと笑い、小さく手を振っている。急に足を止めて振り返るなど、常にないニナの行動にショノアも不思議そうにしていた。足音をたてずに駆け足で去るニナの姿は直ぐに闇に紛れて見えなくなった。
早速、目印の側でそれぞれ、セアラは屈み、マルスェイは玉を地に向けて構えをとる。集中する二人の側に控え、ショノアは「羨ましいな」とぽそっと零した。その呟きは横で二人を見守っているサラドにはしっかりと届いてしまっていた。
「ショノア様も魔力を感じたいですか?」
「ああ、いや、違うんだ。そうではなくて…」
まさか指導してもらえる二人が羨ましいと感じたなどとはとても言えず、ショノアは口ごもった。
「その…、二人は…特にセアラはこんなにも活躍しているというのに、自分は見ているしかできなくて情けない、というか、だな…」
「ショノアさまにも大事なお役目があるでしょう? 事情を理解して見守り、対外に説明できる人も必要です。その…、オレのことはどうか内密に。王宮は受け入れ難いでしょうし、ショノアさまたちの立場が悪くなりますから」
「すみませんが…」と軽く頭を下げるサラドにショノアはただ頷くしかなかった。
王宮に仕える者と、その意思はなくとも王宮と仲を違えた者、今あるその関係性ではおおっぴらには付き合えない。ショノアは己の利のためにサラドを危険に晒したのだから、二度と彼の不利益になるような発言はするまいと誓っている。
港町で偶然再会した時ショノアはサラドから『地方の実状を、人々の声を王宮に届けてください』と言われた。サラドはショノアが報告書を上げていることを知っている。ショノアの報告が国の指針に影響を与え得ることを期待してくれている、という事だと理解していた。
終末の世にあっても国力が何とか保たれていたのは地方への救済派遣が的確であったからだという。当時の王女にはとても信頼を置く情報源があり、それを遺憾なく活用した結果だった。
それが何故か〝夜明けの日〟以降は機能しなくなったとも囁かれている。
そこら中で災害や魔物被害が頻発する非常事態に、救済の優先順位に対する不平不満は最高権威の名の下に撥ね退け、強硬手段を取っていた。
だが復興していくにつれ、そうもいかなくなった。援助を後回しにされたり、切り捨てられた地方も多々あったのだろう。様々な利権が渦巻く中、助けを求める声がどれほど潰されたのか。
今回の貧民街と移住の問題にしても、あまりにも無関心過ぎたとショノアは自戒した。
〝夜明けの日〟以前は王都の牆壁外に貧民街はなかったという。職と安全を求めて王都に居を移すことを望む者たちは年々増した。家賃は上がり、より条件の良い者へ貸し出すため、元々住んでいた者が追い出されることもあった。平民が暮らす居住区の一部が富裕層や貴族用に買い上げられたことも一因で、住民はあっという間に溢れた。
膨れ上がっていく貧民街を問題視する声は聞くが、例え結界外になるとしても、壁を設置し、新たな区画として開発を進めるなどの対策を講じる話が出たというのは耳にしたことがない。
騎士見習い、従騎士と平坦な道程でなかったとはいえ、ショノアが王都内で温々と育ったことには変わりない。衣食住に困窮した経験もない。
武官を志すよう告げられ、実家から見捨てられたとやさぐれ、禄に家族に連絡もしなくなった。武に打ち込むことに専念し、領地がどんな状況か、父と兄の身を案じることもしなかった。どれだけ視野が狭く、子供じみていたか、今更悔いても仕方がない。
騎士になった後も、揉め事の鎮圧要請を受けて貧民街に向かう兵士がこぼす愚痴にも、「困ったものだ」くらいの感想しか抱いていなかった。
(もしも、サラドが女王陛下と交友を続けることができていたなら、貧民街など呼ばれることもなく、王都に付随した小さな町が発展していたかもしれないな。…いや、それはさすがに考え過ぎか)
頻りに首を捻るセアラが立ち上がるのと、嘆息交じりにマルスェイが杖を起こして肩にもたせかけたのはほぼ同時だった。二人の表情は硬く、思うような結果は得られなかったのが窺える。
続けて三箇所目に移動する。二人が集中する姿を確かめて、ショノアが遠慮がちに口を開いた。二人の邪魔をしないようにできるだけ声を潜める。
「サラドはこの移住地を見張っていたのか? 逃げた者も貴方が関わって…」
言いながらショノアは言葉選びを間違えたと慌てた。しどろもどろに「いや、違う、そうではなくて、疑ったわけではなく、」と早口で取り繕うとするも、焦るばかりでうまい言葉が出てこない。
サラドの目はセアラとマルスェイに注がれていて、ショノアの方を見ることはない。その横顔を盗み見れば、いつもの静かで穏やかなもの。
「信じてはもらえないかもしれませんが…。直接逃げるように唆してなどはいません。別件で近くを通った際にたまたま森に逃げ込んだ少年と出会ったんです。彼は病気の弟を探したいと、必死な様子でした。避難先では親子も兄弟も知人も、引き離されています。彼には兵士の目を盗んで抜け出すしか方法がなかった。しかも…持病持ちや重傷者、親のない幼い子供…労働力にならないと見なされた人は避難させることなく置き去りにされたんです」
「置き去りだと? 魔物が襲来している中にか?」
ショノアは驚愕と衝撃に俯いていた顔を上げた。ゆっくりと語ったサラドの口調は表情同様に静かだが、酷く冷えているようにも感じられた。
「だから、オレは彼を弟の元に帰す手助けをしたまで」
「その、弟御は無事だったのか?」
サラドはショノアの方を見てにこりと笑み、すぐさまセアラとマルスェイに目を戻す。
「王都は結界の関係で牆壁を拡げることをしません。その中に住める人数は限られています。貧民街に居た者は王都内からただあぶれただけ。税を納めない寄生者や怠惰な者、犯罪者の集団だなんて…偏見で、間違ってる。そうは思いませんか」
サラドの感情を抑えた声はショノアの良心を深く抉る。むしろ怒りをぶつけて詰られた方が数倍もマシだった。