142 会食と説得
祈祷の結果に気を良くした高官から夕食に招待されたセアラは立派な天幕を潜った。ふぁさっと絨毯に足が沈み込む。長いこと硬い土と砂利ばかり踏んでいた足の裏に伝わる急激な変化。温度と感触の違いにゾワリと背にむず痒さが走った。
ショノアが代表として挨拶をし、改めて紹介されたセアラは教わった所作を思い出しながらカチコチと緊張気味にお辞儀をした。
「平民にしてはお美しいですなぁ」
わざわざ平民と強調され、セアラの緊張はより高まった。王宮に呼ばれる機会も多いセアラは王都の神殿に寄る度に礼儀作法を学ぶ時間も見繕っていたが、付け焼き刃なのは否めない。
「こんな場所なので質素で申し訳ない」と謙遜しているが、テーブルには豪華な食器が並んでいる。避難民とのあまりの差にセアラが顔を顰めそうになると、サッとショノアが前に出て背で遮った。この会食に臨むにあたって「なるべく微笑んで、その表情を崩さないようにして。会話は無理にせずとも『はい』と『いいえ』さえ答えればいい。あとは俺が折衝する」と助言されていた。セアラは眉根に力が入っていることを自覚して「いけない」と気を引き締めた。
「どうぞ」と引いて貰った椅子に浅く掛け、背筋を伸ばす。堂々と、と心がける。彼女を挟んで両側にショノアとマルスェイが座った。ニナは馬の側に居らず誘えなかった。声を掛けたところで同席するとは思えないが。
この席は腹の探り合い。ショノアとマルスェイ、二人の身分と、正規の制服ではなく旅装をしていることを鑑みれば、何らかの密命を受けていることに気付くはず。元特殊部隊所属のニナも揃っていれば疑いようもないメンツだ。
「素晴らしい光景でした。いやぁ、良い冥途の土産ができましたよ。しかしながら、なぜ最初から披露されなかったので? 王子殿下もいらっしゃっていたというのに」
「いいえ。その…」
「おそらく、祈祷を行いながら巡って来ましたので、最終的にここで完了したことの現われでしょう。あの光はその応えだと思われます」
底意地悪そうな笑みを浮かべる高官にセアラの声が掠れる。食い込み気味に引き継いだショノアは決してセアラが力を出し惜しんでいた訳ではないという意図を語気に込めた。
「ほう、ではあの神々しい光は天から示されたものだと?」
「彼女の傍にいて祈りの清廉さには何度も驚かされていますが、今回はそれこそ奇蹟のようでしたね!」
良い意味で空気を読まないマルスェイがセアラを包み込んでいた光の美しさを語り始めた。頭の中ではそうしているのか、手がペンを走らせるような動きをしている。誰も割り込めない勢いで「『祝福』という儀式についても私なりに調べたのですが、文献によると――」「これだけの広範囲を――」「然るに祈祷の効果とは――」「土地の祝福を以てして――」と喋り続ける独擅場となった。
呆気にとられた高官も騎士も、すぐに苦笑に変わる。
話の中でしれっと「信仰心の篤さと奇蹟の力の発現は比例しない」と発言した時にはギョッとしたが、高官も騎士もその非を論うこともなかったので、ショノアも聞かなかったことにした。
一通り話し終えたマルスェイは相当喉が渇いたのか、グラスの酒を一気に呷った。空になったグラスがテーブルに置かれるのと、すぐさま注がれる。それもマルスェイは水のように飲んだ。
高官と騎士はまだ「何なんだ、一体」という顔をしてマルスェイを注視している。丁度、料理の配膳も一区切りしていて、饗宴に静けさが降りた。そのタイミングを図り、セアラが上目遣いでショノアを窺う。ショノアも目で合図を返し、上半身を傾けて寄せた。こくんと頷いて、セアラがちょっと背筋を伸ばし、ショノアの耳元でポソポソと囁く振りをする。これは前もって打ち合わせをしていた行動だった。
「差し出がましいとは存じておりますが。外にいる彼らの罪状は一体? 雨に打たせたままにしておりましたが、もしや昨夜も外で過ごさせたのでしょうか。その…彼女が例え罪人であろうとも、と心を痛めておりまして」
「いやはや、罪人にまで心を砕くとは、聖女殿はまこと慈悲深いお方なのですね」
「私は聖女などではありません。未だ修行中の身、見習い神官でしかございません」
「おや? おまけにとても慎ましい」
セアラは微笑みを保てず、困ったように俯く。
「聖女は役職ではなく、人々からの尊称のようなものでしょう? なお素晴らしいではないですか。素直に受け取るべきですよ」
言外に聖女に権威はないと語り「ははは」と笑う高官をショノアは黙って見つめる。宮廷務めの高官にとって実力と権力はまた別物。こちらの立場が上だと示しつつ、利用価値はあると踏んで繋がりは持っておこうとしていていた。
笑いが収まった頃合いで、マルスェイが咳払いをひとつ。いかにも残念だというように長い息を吐いた。
「折角の祝福が新たな呪いで台無しにならないと良いのですが…」
「何を物騒なことを?」
「いえ、ね。盗み聞きをしようなどとは露とも思っておりません。ですが何分、声高に『火付けなど知らない』『呪われた地で何をしているのか見に来ただけ』と叫ばれていたでしょう?」
「ふん、浅ましくも罰が恐ろしくて罪を認められないのだろう」
「疑わしきは罰せずという言葉もあります」
口八丁なマルスェイと実直なショノア、俯き加減で祈るように手を組むセアラ。
「私は魔術の研究のためにあらゆる術についての書物は些末なものでも目を通すようにしておりまして。その中には呪詛なるものもあるんです。古代には力ある魔術師が行使し、実際に災禍をもたらしたという記述もありますが、禁忌の術とされて封じられたと言います。でも、他人を呪いたい者は案外いるようでして」
また何やら語り出したマルスェイにテーブルの向いから訝しがる視線が注がれる。二杯続けて酒の一気飲みをしたせいでやや酔ったのか、マルスェイの鋭利な印象の目元も赤くトロリとして焦点が定かでないが、舌はいつも以上によく回っていた。
「魔力に頼らずとも、こっそり『呪い』をかけようとする者が結構いるそうなんです。方法は様々ですよ。陰で不幸を望むと口にする些細なものから、儀式めいた大がかりなものまで。効果が望めなくともやり場のない己の感情をぶつけているだけのことも多いでしょう。呪われたという証拠が出て、相手が恐怖するだけでも実行者にしてみれば価値があるのかもしれません。
呪いは心理ですから、呪う相手にそれとなく伝わるようにすると、不思議と効果が現われるなんて実験もあるようでして。
例えば親しくしている者から『顔色悪いよ、大丈夫?』なんて声をかけ続けられると、全く健康に問題がなかったのに段々と『自分はどこか具合が悪い』と思い込むようになり、塞ぎ込むことによって本当に命を脅かす病態になる、なんて感じです。
いやぁ、人って怖いことをするものですよね。
これは一種の暗示のようなものでもあると思います。要は信じていることが本当であると錯覚する」
「急に何の話をしているのだ?」
焦れて高官が不機嫌な声を出した。
「この土地は呪われていると地元の方々に大変恐れられていると聞きます。呪いが広がらないように、自分たちの土地を守る為にここの開拓を妨害したい、なんて考える迷信深い人もいるかもしれませんよね。呪いを信じるということは、呪いが打ち払われたということも信じやすいのではないかと。それを利用しない手はないのでは?」
いきなり提案をし出したマルスェイにセアラが批難めいた目を向けるが、気にした風でもない。
「同郷の者がもし、無罪にもかかわらず処刑などされたら、その村の者はより頑なに呪いを信じるでしょうね。反面、実際に祝福を目にした者がどんなに素晴らしかったかを語れば、伝わるのも一瞬かもしれません」
「馬鹿な。彼奴らは神官さえも追い返すと聞くぞ?」
「神官様がどのような用向きで出向いたのかは存じ上げませんが…。あの場で最初に『祝福』と口にしたのは彼らのうちの一人です」
「放免とはいかずとも、証拠や存否を精査し終わるまで監視を付けて村へ帰すことも検討されてはどうでしょうか」
「でなければ、ここに近付いただけで命がなくなる、ここに住む者は呪いと共に生きる者、などと誤った情報が流れ、この集落が孤立しかねません」
「ふん…。清らかなる聖女様御一行はただの馬鹿正直な巡礼者ではないらしい」
マルスェイがわざとらしく大きな手振りとともに「とんでもない。彼女の祈りを尊ぶ心は一点の曇りもありませんよ」と豪語した。
その後、決まり切った世間話と挨拶を経て、饗宴は閉じられた。
中央の天幕からは離れた場所に停車した馬車の近くで火の番をしているニナの姿が見えた時、セアラが詰めていた息を吐き出した。
「疲れました…」
セアラは両隣のショノアとマルスェイの手元をチラチラと窺いながら同じように食事するだけで精一杯で、味わう余裕もないし、美味しいと感じることもなかった。
ショノアもまた美酒にも酔える訳もなかった。セアラばかりでなく緊張していたのはショノアもだ。
この移住地に到着した初日に祈祷の許可を得たのと挨拶以外、話したのはほぼ初めて。宮廷内であれば本来、地位の違いからも部署の違いからも、一介の騎士であるショノアが意見をするどころか直接話すことも許されない相手だろう。
ここに在駐している高官がまともに施策を講じていないのははっきりした。貧民街の者を蔑視しているのは明らか。
本部が置かれたこの中央の集団にいる避難民たちは身形もそれなりの、落ち着いた大人が多い。他の集団には少なからず在籍しているギラギラと目付きが鋭く敵意が剥き出しの者や、泣き喚く小さな子供、見るからにガリガリに痩せ細った者、襤褸しか身に纏っていない者はいなかった。高官であれば地位もあるしそれなりの身分もあるだろう。騎士も貴族籍の者。身を守り、問題が起きないように対策するのも当然とは言え、どう見てもここだけ選り好みしている。
ここに到る迄、各所で祈祷を繰り返したが、様子を見に来たこともない。外部から来たという意味ではショノアたちも捕縛された者も一緒だ。それについてもショノアとしては釈然としない。
民を軽視しすぎでは、あの様な拘束や処刑をまかり通せば、山間の村を治める領主も抗議だけでは済まないだろう。第一王子の名を出されては領主も矛を収めるしかないだろうが、そうなれば王子の、ひいては王家の信が揺らぐ。
相手の気位を損なわないように、報告書の文言をどうするかショノアは頭を悩ませた。
「全く、嫌みたらしい。手の平を返したようにセアラを白々しく褒めていましたね」
マルスェイは酔いで気が大きくなっているのか、自らの弁舌に自信があるのか「ふんっ」と鼻息を漏らした。
「まぁ、これでセアラの成果が正しく伝わるでしょう」
「しかし、マルスェイ、貴殿の言い方ではセアラの祈りによるあの光がまるでトリックでも使って効果的に見せたかのようにも受け取れるぞ」
「えっ? まさか」
ショノアは溜息交じりに頷き、セアラがちょっと恨めしそうに上目遣いでマルスェイを睨む。
「…これで証拠も自供もないままの尋問だけで処刑、などなくなればいいのだが…。それとは別に、このままでは聖女という名が宮廷で都合よく使われないか心配だな」
「聖女の名を使う?」
「ああ、実際にセアラの祈りを見た民の支持は高い。それを利用されかねない」
「私は聖女などではありません。皆さんにとっての聖女がどうあろうと、私にできることが変わるとは思えません。でも、それで祈りが届けられなくなるのはちょっと…」
「名より実を取る。実にセアラらしいですね」
マルスェイの称賛にまたセアラが顔をムッと歪めた。
幌馬車から出した支柱に張った布で設置された雨避けの下に到着したショノアが「ただいま」と声を掛けた。ニナは目も上げない。
「ニナ、すまない。食事に招待されていたが、ニナは夕食を済ませたか?」
ショノアの問いかけにニナが頷いた。
「アンタらに客が来ている」
「客?」
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