140 ニナの私見
ニナからざっくりと報告を受けたショノアが驚きに目を丸くした。その横でマルスェイは「馬と遊んでばかりかと思いきや、流石ですね」と茶化す。
「…いつの間に、それだけの情報を?」
ニナはマルスェイを完全に無視し、ショノアの質問にも答えなかった。前に母と弟を探して見て廻った情報の再確認とサラドから聞いた内容の裏を取ったに過ぎない。
あれからまあまあの日数が経過している。場を占めていた疲弊や戸惑い、不安は、不信と不満が色濃くなった。
地面に直寝も、冬を越せるとは思えない寝具も、改善されていない。食事事情は寧ろ悪化している。開拓の作業が進んでいないため、調理に充てていた人員も雑草刈りなどに回され、軍の携行食を配るだけの回数が増えている。
岩積みなど重労働に従事する者は交代も許されず、体を壊しかけていた。怪我を放置され命を落とした者もいたらしい。
開墾した所でここに住まいや耕作地をもらえるとは信じられず、体良い労働力にされているだけだと疑いだしている。士気など上がるはずもない。
あの時になかった情報としてはゴミを撒くという嫌がらせ行為があり、材木が燃える小火騒ぎがあったこと。
更には出奔した者が少なからずいること。勇気をだして夜中に周囲の林に逃げ込めば導かれるとまことしやかに囁かれていた。
物心のつかない幼子と母親を除いて、親兄弟であっても互いが交流を持てないように元々の知り合いは意図的にばらけるように集団が形成されたという報告を聞いたセアラが悲鳴のような声を上げた。
「そんな! まだ親に甘えたい年頃の子が隅の方で蹲るように一人で草取りをずっとしていたのも…、無理に離されたということ? なぜ、そんな酷いことを?」
「技術者や働き手が偏らないように、という建前だ」
「ふむ…。大人数ですし、混乱を招かないために軍の規範や捕虜の扱いを参考にしたのかもしれませんが、悪手としか言えませんね」
マルスェイがやれやれと肩を竦める。
「それで、昨夜の物音はやはり脱走した者なのか?」
「知らない。直接、会話などしていない」
「では、…その、俺がどうして気を失ったのかは…」
ショノアが気まずそうに口籠もる。嫌な汗がじわりと浮かんだ。マルスェイの表情に「何?」と疑問がありありと浮かんだが、言葉を発することなく開けかけた口を閉じてくれた。騎士として屈辱的なことがあったのだと察したのだろう。セアラは話が見えないようで首を軽く傾げていた。彼女が起きた時、ショノアは普通にしていたし、荒らされた様子もなかった。
「知らない。わたしはその場にいなかった」
「そうか。どうやって戻って来たのかは…」
「…さぁ? 気付いた時には焚き火の側で寝ていた」
「そうか…」
報告については迷うことなく至極冷静に答えるニナが少しの間を置き、誤魔化すような口ぶりで答えた。望む回答は得られないと判断したショノアは、長めに息を吐いて気持ちを切り替える。
「確かに管理側の態度は褒められたものではない。そうだとしても、話し合いもせずに逃げ出すとは感心しない」
「責められる謂れはない。避難の手助けは受けたが、奴隷になったわけではない。この先、どこでどう生きるかを縛る理由にはならない」
「しかし、臣民であるなら国の為に働いて然るべきだろう」
「違うな。彼らは自分の生活の為に働く」
堂々と己の考えを述べるニナにショノアは一瞬怯んだ。セアラもマルスェイも珍しいものでも見るかのような目をしている。
ニナはこれまで淡々と報告をし、その内容について意見や私情を挟むことはなかった。望みを口にしたのも「馬を選ばせて欲しい」と「解任しろ」くらいしか記憶にない。特殊部隊が名目上解体されたことで、唯々諾々とした態度が軟化したのか、仲間としてやっと僅かばかりでも心を開いたのか、良い傾向であるとショノアは喜んだが、一方のニナは刺すような暗い目をしている。はぁ、と小さい嘆息が聞こえた。
「別に全員が出て行きたいと望んでいる訳じゃない。ここでの生活再建に意欲を示す者もいるし、家族や知人と再会できるまで我慢している者もいる。ここの体制が合わないのは罪なのか。一度ここで飯を貰ったら一生尽くさないとならないのか。…アンタのそれは使う側の考えだ。搾れるだけ搾って、領民の一人や二人、暮らしがたち行かなくなかろうと知ったことじゃないんだろ」
「そんなわけない! 災害や作物の出来具合で納税率だってきちんと…」
ニナの光のない濃茶の目に見据えられ、ショノアの反論は途切れた。
(いや、それをしているのは父や兄だ。俺はどうしていた? 何を見ていた? あの〝夜明けの日〟だって安全な場所にいて…。騎士になっても己の立身出世ばかりで…。民に心を砕いていたと言えるか。…言い返す言葉など…ない)
「ははっ。ニナは手厳しい。生真面目なショノアをあまり虐めてくれるな」
ぎゅっと唇を引き絞り、肩を落とすショノアを、わざとらしくカラカラと笑いながらマルスェイがぽすぽすと叩く。ニナは細めた目でマルスェイを見た後、プイッと顔を逸した。張り詰めた空気が緩み、セアラもほっとしている。
「本部の人間が何を考えているのか、見極めに行くとしましょうか。ショノアも報告書を作成する腕が鳴るでしょう?」
この時ばかりはショノアも素直にマルスェイに感謝した。
中心地の本部に到着して早々にショノアは気になるものを目にした。一際立派な天幕の脇に縄を打たれた二人組の男がおり、不当を訴えている。
捕縛された経緯を知らないため口を挟めないし、拷問紛いの行為は見てとれないので、夕べの祈りを捧げるセアラの傍らに控えながら観察するに留めた。
土地への祈祷は明日行う旨とそれに備えてショノアたちは早めに休むことを高官と騎士に伝えた。その際にそちらへ注意を払うと、騎士が咎めるように咳払いをする。
(余計な詮索をするな、口出しをするなってところか)
騎士はショノアよりも年嵩で、所属隊が異なるため今まであまり関わったことのない人物だった。犯罪者がいることは彼にとって汚点、統制が取れていないと見做されると思ったのか、若輩者のショノアに舐められたくないという本音が透けて見えた。
ショノアは上位者に対する挨拶をきちんとして、その場を辞した。
「あれは、今朝方この近辺を彷徨いていた不審者」
夕食のひと時、火を囲みながらつい零した「何故に捕らえられたのだろう」というショノアの疑問にニナが答えをくれた。
「え? それだけで?」
ニナが溜息交じりで周囲にサッと気を配り、誰も自分たちを注視しておらず、話し声も届かないことを確認した。それでもいつもの小声を更に潜め、かつヒソヒソ話と受け取られないような雰囲気を出し、情報を伝えた。
セアラにこの地に祝福を与えるように命が下ったのは、開拓が計画通りに進んでいないから。
妨害行為に数件の不審火、そして建設途中の家屋と材木への放火。疑いをかけられた住民による労働の放棄。捕らえられた放火犯は山向こうの集落の者で、一貫して関与を否定し、身柄は王都へ送られている。村の総意によるものなのかを調査するために派兵も検討されているらしい、と。
「そんなことが…。いつ調べたんだ?」
「王都出発前に」
結果は芳しくなくとも貧民街の住人についての情報をニナは探り続けていた。
王宮で下働きの噂話を盗み聞きするくらいは訳ない。夜であれば尚ニナの得意とするところ。面と向かっては警戒されるが、兵士の宿舎に忍び込むのも容易かった。
流石に王族や側近ら重鎮には同じ技術を持った者が影ながら護衛についているため近付けず、機密までは探れない。移住地での住民の管理状況や、この先の扱いについては残念ながら辿り着けなかった。しかし、それが別に秘密事でもないように、セアラやショノアが思惑通りに動くかどうかと文官らが話しているのは耳にした。
ニナとしては母と弟の無事に関わるために調べていただけだが、ショノアは任務のため、指示されずとも自ら考え行動していたのだと勘違いしたようだ。
「そうか…」
ニナの報告も返答も端的。しかし収集能力は確かで、短い言葉の奥には無数の情報があることを今となっては認めている。その態度をただ命令に従っているだけだと見ていたショノアは己を恥じて気落ちした。
(それにしたって、ならば、何故、その情報を共有してくれないんだ…)
つい恨み節を言ってしまいそうになる。
「ショノア、落ち込むよりもできることを考えよう。その方が建設的だ」
「…マルスェイには諸々もう少し反省して欲しいが」
組んだ手に顔を沈めたままショノアは弱々しく憎まれ口を叩いた。
王子の視察を乗り切れたとはいえ、移住地の政策を任じられた高官と兵士を統括する騎士の悩みは尽きなかった。
道すがらの各地の視察に有力者との面談、聖都を訪れる諸外国の使節との外交、そして式典出席を終えたらまた帰りに立ち寄ると王子は言っていた。その際には対策会議もしたいと。頭を悩ます問題は先送りにされただけ。その内にもまた逃亡した者がいると報告が上がってくる。
特に北側、防衛用に丈夫な壁を作る作業をしていた集団で顕著だった。一時、労働を放棄する者が出た場所でもある。その時捕らえた者は見せしめに各集団を引き回した後、真反対の、一向に開墾が進んでいない遺跡側の森へ配置換えをしたのだが、そこで行方知れずとなった。連行した兵によると急に暴れた馬を取り押さえているうちに、横倒しになった荷台から姿を消していたという。
「抵抗する気力など削いだはずだろう。何故だ?」
「わかりません。他の者も言ってましたが、あの森はやっぱりおかしいです…。呪いというのも本当かも…」
「何を非現実的なことを言っている!」
「ひっ、申し訳ありません」
何かを直接目にしたわけではないのに、兵も怯えている。一本の縄で互いを繋がれていた者が何の相談もなく、息を合わせて逃げ果せるとは思えない。誰か一人でも別の方向に行こうとしたり、遅れをとれば総倒れになるはずだ。それなのに近辺を捜索したが何の形跡も残っていなかった。
既に野垂れ死んでいるかもしれないが、万が一にも道まで逃れ、複数人が連なって倒れているのを発見されたら体裁が悪い。
また、何日も何事もなく過ぎていたのに、今朝になってまた不審者が捕らえられた。まだ夜が明けきらぬ朝方にうろうろしていた二人組の男は、先に捕らえられた者がいることを知らなかった。また別の村の者か。
『呪われた地』が騒がしく、我が村にも影響が出ることに不安を覚え、様子を見に来ただけだと供述している。
「犯人は現場に戻ってくると言いますから」
「先に捕らえた者ではなく、こいつらが真の放火犯だと?」
「どちらも、の可能性も」
不審火はどれも物的な証拠はなく、火の不始末や、篝火から飛んだ火の粉によるものともいえる被害だった。少し焦げたが全焼はしていない。材木が燃えた夜は時折強い風が吹いていた。被害報告が少し大袈裟に上がっていることは高官も知っている。
数日後に捕らえた者は、放火については知らぬ存ぜぬを通した。どこの村の者かを吐かせるのにも一苦労した。このまま罪を認めねば村全体の責任となるぞと脅しても、頑なな態度は崩れない。終いには『おら達も山火事の被災者なのに! 何の補償も救済もして貰えていない!」と騒ぎ立てた。あまりの不遜な態度に辟易して王都へ護送した。放火は重罪だ。
「次から次へと厄介事をおこしよって…」
山間の村々は古い迷信に囚われており、神官さえも追い出すので注意せよと促されていた。
「何が『呪い』だ」と高官は苦々しく顔を歪める。長い毛足の絨毯に足を投げ出し、一時的でも憂いを消そうと高級な酒を注ぐ。芳醇な香りが鼻腔をくすぐり、喉を癒やした。
「全く面倒だ」