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138 夜警で見たもの

 一日一箇所、馬車ごと少しずつ移動しながら祈祷と教えを説く日々を過ごし、あとは立派なテントが張られた中央の本部を残すのみとなった。


「こう、連日ありがたい祈祷を間近で聞いているだけで、こちらまで徳が高くなる気がしてきますね!」


マルスェイは覚えている範囲の節は極々小さな声で同時に唱えていた。彼の場合は信心深いからではなく、あくまでも暗唱のお復習いのようなもの。奇蹟の力をまだ諦めていない。


回数を重ねて余裕も出てきたショノアは祈るセアラの傍らに控えながら、避難民の様子を、兵士との関わりを注意深く観察している。それが単に魔物の衝撃と慣れぬ環境に疲弊しているだけではないことに、ショノアも薄々は気付いていた。どの場所でも避難民たちは遠巻きで、支援物資の配布の際も交流などはない。何か言いたげな様子も見受けられたが、一様に兵士の目を気にしているし、ショノアたちを信頼していいのか判じかねているようだ。簡単に言えば警戒されている。


それ故、王子の視察も兼ねていた初日同様に、祈祷中はショノアとマルスェイの二人でセアラの警護にあたった。逆恨みや思い込みでセアラに危害が加えられぬよう用心は欠かせない。ニナはその間に馬を森に連れて行ったり、野営の準備を整えたりしている。


「セアラも疲れがたまっているだろう。明日は一日、休みにしてはどうだろうか」


馬車での移動が増えたことで多少は鍛えられたが、それでも同じ姿勢を長時間保つのは体力的に負担が大きい。しかもセアラは毎回一切手を抜かずに祈っている。

セアラは「でも…」と反論しようとして喉が絡み、コホンと小さく咳をした。かなり喉が疲弊しているのだろう。「んんっ」と喉を鳴らしても調子は戻らないようで、優美な眉が寄る。


「休息日は大事ですよ? ちょうど私もこの考察について…」

「マルスェイ…、あくまでセアラのためを思ってのことだ。間違っても質問攻めなどするなよ?」


ギクリとしたマルスェイの手にあるのは、神殿の教義と祈りの文言と奇蹟の発現の詠唱にもなっている詩句の差違を書き出したもの。祈祷を耳にして書き起こせるとは大した記憶力だが、その細かな部分を詳細に詰めるため、セアラから聞きだそうとするのは想像に難くない。また、セアラが断り切れずに付き合うだろうことも。


「ああ…。勿論、私もセアラには充分に体を労って貰いたいですよ。毎日、大変なお役目をこなしているんですからね。それはもう、本当に」


マルスェイは「いやいや、まさか、そんなことはしませんよ」と気まずさを隠すように微笑み、紙束をすごすごと片付けた。

ニナが鍋に移して温めただけの保存食を器に盛ってそれぞれの前に無言で突き出す。味は少々塩辛い。顎が疲れるくらい堅くて水分の少ないパンは軽く水に浸けて炙ると多少は風味が良くなった。ニナは三人の配膳が済んだ鍋にパンを千切って入れて煮込み、粥のようにして食している。


「どうにもここの雰囲気はおかしい。確かに住居を急に奪われたのだから錯乱したり憔悴したりしていてもおかしくはないのだが…」

「活力が感じられないか、憎悪を隠そうともしないか、ですね。以前捕らえた、災害の混乱に乗じて攻め入ってきた捕虜に…少し雰囲気が似ている気がします」

「俺は明日は少し調査をしてみたいと思う。マルスェイもそれとなく探ってくれ。ニナも頼む」

「この通り、避けられていますからね。直接の聞き込みは無理でしょうね」


マルスェイは軽く肩を竦める。任務のうちセアラは特別な祈りを届けること、そして彼らは覆面視察であることを忘れているのだろうかとショノアは小さく嘆息した。



 村や町での滞在と違い、野営とそう変わらない状態のため、夜中も見張りを立てている。体力的に消耗しているセアラは免除し、「得意だから」と申し出たニナが頭から半分を、後半の四分の一ずつをショノアとマルスェイが担当している。睡眠が分断される真ん中はショノアとマルスェイが一日毎で交代していた。

曇天の今夜は闇が深く感じられる。マルスェイから見張り番を引き継いだショノアは欠伸を噛み殺し、眠気覚ましに焚き火を掻き回した。一瞬ボッと大きくなり、火の粉が舞う。その明かりで馬車の脇に人影が浮かび一気に目が冴えた。

馬車の中では座面を寝台にしてセアラとニナが休んでいるはずだ。ショノアは闇に目を凝らし、剣の柄に手をあてた。ヒヤリとした感触に緊張が高まり指先が痺れる。人影は動かない。しばしの睨み合いの後、ショノアは手を伸ばして焚き火から慎重に枝を一本引き抜き、そろりと人影に向けた。


「…ニナ…か?」


気が抜けるとともに冷や汗がどっと吹き出す。


「ニナの当番はもう済んだだろう? こんな夜更けに何をしていた?」

「…鍛錬」

「鍛錬? 何の?」


義務的にひと言で返答したニナはそれ以上語ろうとはせず、ショノアに背を向けた。その視線の先にある木々の茂みからカサッと小さな音がした。


「そこに誰かいるのか?」


慌てて逃げるようにガサガサと音をたてて茂みが揺れる。


「ま、待て!」

「追うな。好きにさせてやれ」

「しかし、こんな時間に森に入ったら危険だろう?」


ニナの平坦な声での制止も聞かず、ショノアは枝を松明のようにして音を追った。


 茂みの中は想像以上に暗く視界が悪い。足元さえ闇に覆われている中を進むのは恐怖だ。おまけに一陣の風が手にした火を消してしまった。フーフーと息を吹きかけてみたが、火が吹き返すことはなく芯に残った赤い光さえチリチリと輝いた後に黒に飲まれていく。これでは夜目が利くまで動くに動けない。

追われたことで相手も動きを止めたらしく、前方にいる何かの正体もわからない。今視界にある光源は頼りなく明滅しふわふわと移動する灯火のみ。色味は違うが夏場に清流の側で見かける虫に似た小さな光だった。初冬の今、しかも川辺でもない場所にいるはずもないが。


(あれは何だ? 獣の目ではないな。何の光なのか…)


じっと目を凝らすが如何せん遠い。焦れたように再びカサッと音がした。導くように小さな光がすうっと遠離り、ガサガサと草を分ける音も離れていく。


「待て!」


暗闇の中に一歩を踏み出そうとした時、ショノアは急激な眠気に襲われた。肩に手を置かれた感触にも反応できず、睡魔に抗えない。


(何? 気配も何もなかった。一体何が…)


せめて、と背後に目を向けようとしたが無駄な抵抗だった。遠退く意識にガクッと力が抜けた体は地に伏すことはなく、何者かの腕に受け止められた。



 ひた、と頬に触れる冷たさを感じてショノアは目を開けた。薄ぼんやりとした視界に見えたのは灯りで赤く照らされた髪に赤い目の人物。


「…サラド?」


瞬き後の視界には闇しかなく、その人は消えていた。ゆっくりと首を巡らすと馬車と焚き火が目に入る。次いで冷たく見下ろす濃い茶色の目。焚き火に照らされてツンツン跳ねた明るい茶色の髪が普段よりも赤っぽく見える。口元を覆うスカーフの中でニナは呆れたように「ハッ」と短く息を吐いた。


「見張り中に持ち場を離れ、昏倒するとは感心しない。夜盗であればアンタら全員の命はもうないな」

「…すまない。軽率だった。ニナが俺をここまで運んでくれたのか?」


プイッと視線を外したニナは「違う」とだけ答えた。誰がどのようにして、と説明する気はないらしい。ショノアの追及から逃れるようにニナは馬車を揺らすことも、音も立てることもなく幌の中に体を滑り込ませた。


「あ…」


気付けば空の片側が白み出している。夜明けも近い。そろそろ朝の祈りのためにセアラが姿を現わす頃だろう。


 規則正しく起床したセアラは馬車を降りるなり、きょろきょろと周囲を見回した。


「おはよう。セアラ、どうかしたのか?」

「あ、ショノア様、おはようございます。その…、笑わないでくださいね。サラドさんが来ていたような気がして…。夢ですかね」


「恥ずかしいです」ともじもじと照れたセアラは夢の残滓を探すようにまたゆっくりと周囲に目を遣り、ふぅと小さく吐息する。気を取り直して深く息を吸い込み、祈りを始めた。

セアラの祈りとともに朝の空気はより清々しく生まれ変わる気がする。朝陽に向かって祈る背を目にしてショノアが「やはり美しいな」と思うのは毎朝繰り返されていた。


 ショノアが日課の朝鍛錬で一汗流し終えた頃、セアラは朝食用の穀物を鍋にかけていた。甘辛く煮た海藻を乾燥させて塩をまぶしたものだけで程よい味付けになる。サラドから供されて最初に口にした時は癖のある磯の香りに変わった味だと感じたが、セアラはこの旨味がすっかり好きになっていた。日持ちもできるので常備している。サラドが作ってくれたものと違い、今回は殆ど具がないため、ショノアたちには少々物足りないかもしれないが、保存食故に濃い味が続いた胃には優しい。


「いつもすまない。手伝おう」

「いいえ、もう後は煮えるのを待つだけですから」


今日は休日にすることを告げていたせいか、マルスェイはまだ起きてこない。水を飲ませに近くの小川に馬を連れていっていたニナは笊いっぱいの草を飼葉桶に入れた後、食べられる野草をセアラに渡した。


「この時期のは甘い」

「わぁ、ありがとう」


白っぽくて厚みのある葉をした野草を刻んでセアラは鍋に投入した。くたっと煮えた穀物の香りが漂う。ニナは採って来た木の実を大きな葉に包んで焚き火の中に入れる。葉の水分が蒸発して青臭い匂いが混じった。

ショノアに起こされて漸くマルスェイもテントから這い出して来た。


 移住地に来てから朝の祈りの後、馬車で移動して次の集団地に着くと直ぐさま祈祷、それが終わる頃には日暮れも近い時刻となる。ショノアとマルスェイが避難民に夕べの祈りへの参加を促し、その後でセアラが教義を説き、支援物資を配布する、という流れになっていた。

いつもなら慌ただしい時間、ゆっくりと出発の準備をする。


「また一人とんずらした」

「何だって? 参ったな。また怒鳴られるぞ」


作業を始めた避難民の様子を見に散策していたショノアの耳に兵士たちのヒソヒソ話が入ってきた。



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