136 王都から聖女の派遣
神官に連れられて王宮に参じたセアラに『開拓地に赴き、祝福の祈りを捧げるように』と命が下った。依頼ではなく、命令。
セアラはそんな大それた力はないと不安を漏らした。
新しく土地を拓く際や新築の際に地を鎮める儀式は確かにある。人数は規模にもよるが、特別な祭壇を設け、複数の神官で囲って祈る。田舎の施療院の手伝いに過ぎなかったセアラは王都の神殿に連れて来られて神官見習いとなった。当然、地を鎮める儀式に参列したことなどないし、それを執り仕切る資格は得ていない。
しかし、今回はそれとは違って『呪われて滅んだ村の跡地』と地元民が信じている場所に『祝福を与えたから問題ない』と納得させれば良いだけだと、有無を言わせない。
付き添いの神官は「なに、祈ることが、その姿を民に見せることが重要なのだ」と諭す。
「例えもともとある崇高な儀式ではなくとも」と、「巷で噂の聖女が来たとあれば喜ばれるであろう」といやらしくニヤリと笑いかける。
文官も神殿関係者で儀式を、と一応は提案したが、「そうしたいのはやまやまですがねぇ。神殿としても祭事や式典が」とのらりくらりと躱す。
「気心の知れたメンバーで、そのまま視察を続けた方が効率的でしょう」と宣った。「彼女だってその方が気兼ねがないでしょう? 経歴や身分が上の神官と共に行くよりも」と暗にセアラ以外に神殿からは派遣する意思はないと伝える。
『神殿が正式に認めたものではなく、神官見習いの小娘が勝手にした』ということにし、何かあっても責任の追及を免れたいという目論見が見え隠れする。
魔物の脅威がある今、余分な予算も人員も割きたくない文官は端から神官の言い分に反論する気はなく、ショノアにセアラを送り届けるようにと命令を下した。
これまでのように四人全員を召致することなく、簡易的な伝令を受けたショノアはセアラだけが別に呼び出されていたことを後から知る形になった。セアラの了承や意見を求めることなく決定されたと察するに余りある。さぞ心細かっただろうと、ショノアはその場に同席を許されなかったことを口惜しく思った。
小鬼による襲撃現場からショノアとマルスェイが王宮に戻った時、軍部はまだ騒然としていた。
その場に王子殿下がいた事実に加え、報告を受けた女王陛下も牆壁まで移動してきたという。陛下はしばらく眼下を見下ろし物思いに耽っていたらしい。
王都の守りと魔物対策の見直しが急務であることは疑いようもない。
指揮を執っていた騎士とマルスェイの間にも一悶着があった。その騎士は宮廷魔法師のローブでその身分に思い至っただけで、マルスェイと面識があったわけではなく、居合わせていた革鎧の男がショノアであることにも気付いていなかった。そのため、間近で様々な事象を目撃したショノアも各部から報告と証言を求められた。
夕刻になって漸くショノアは厩にニナを探しに来れたが、馬房の中にその姿はなく、結局その日どころか翌日も会えずじまいとなった。
王子の前に飛び出して庇った姿、閃光に飲まれて見失ったのはニナではなかったのか、あの投擲を避けられたとは思えないが…、と不安がよぎる。
ニナはショノアにこの任務から、いや王宮の軍部からの解放を望んでいる口ぶりだった。ニナの行方がわからないままであれば、新たに御者が務まる者を任命してもらう他にないか、とショノアは頭を悩ませた。
同性で宿屋でも同室になるニナに対しセアラは大分絆されているように見える。ショノアやマルスェイに対しては未だ敬語なのとは違い、口調も崩れてきていたというのに。ここで新たな人物が加入となれば、また緊張を強いられるだろう。
やはり警護のことも考慮すれば女性であるべきか…。女性の騎士は主に女王陛下並びに王女殿下付きを想定した人事だ。兵士の中に占める女性の絶対数は少ない。その中に適当な人材がいるかどうか…。
うんうんと唸りながらお決まりのように厩へ足を運ぶと、灰色に斑模様の大きな馬の陰にニナの姿があった。
「ニナ…か?」
「なんだ? ジロジロ見るな」
解任しろと啖呵を切ったためショノアと顔を合わすのはやや気不味くニナはふいっと視線を外した。
「あ、すまない。任務の出発日が決まった」
「…了解」
『何故、任務が継続されているのか?』と断られることを念頭にしていたショノアは安堵して、思わず「良かった…ニナが戻ってくれて」と呟く。
感情の表れにくいニナの目が僅かに見開かれた後、ぎゅっと細められたのを確認してショノアは睨まれたと思い、慌てて「何でもない! 行き先と詳細だが…」と説明を始めた。
ニナが手綱を繰る馬車の中でショノアは重い溜め息を吐いた。セアラは祈りの体勢を崩さない。聞き取れるだけの声は出していないが唇は小さく動き続けている。彼女がこんなにも思い詰めているのはショノアにも責任の一端があるのだろう。
ショノアたちが乗る馬車の後ろには少しの距離を置いて、黒塗りの立派な馬車を含む隊列が続いている。その物々しさに追い立てられているような気にさせられるが、ニナは無表情で御者台に座り、突き離すこともなく、狭まり過ぎることもないよう距離を保っていた。
王都にも噂が届く『聖女』が移住地に祝福を与えに行くと耳にした第一王子は、聖都の『導師の鎮魂の儀』出席の前に避難民の慰問を捩じ込んだ。主人の予想外の注文に文官も侍従も慌てて調整をした。
信仰と政を切り離すのは鉄則。神殿と王宮に力関係がないのは表向きで、お互いに無視はできない。文官らは「聖女などと人気取りだ」「これ以上神殿が影響力を持つのは…」とその噂の存在に好意的ではなかった。ただ、当の王子は聞き及ぶ『特別な祈り』を単純に楽しみにしているらしい。
あくまでも王子の行程とショノア一行は関係がなく、彼らが立ち寄ったところに、たまたま王子の視察も重なったという筋書きだと説明された。
それ故ショノアは、慰問の支援物資と二重になったとしても、薬や食材、役に立ちそうなもの、なるべくたくさんの荷を積んだ。余っても自分たちで使えるものが大半ではある。重くなった馬車を斑模様の灰色の馬は難なく牽いて歩む。ただし、速度はややゆっくりめ。
聖都訪問は公務のため、王子が乗る馬車の他に、使用人が乗る馬車、荷馬車が併走しており、王都に戻った時のような速度は出せない。近衛や騎士、たくさんの護衛も引き連れているが、魔物の脅威が先行き不明のためにかなりピリついている。
「できれば宮廷に残って術の研究をしたかったのですがね」
マルスェイは小鬼襲撃現場で見た魔術のあれこれを資料に残すべく、出発日まで研究に明け暮れていた。貴重な魔術書を持ち出すのは憚れたのか、急ぎ必要項目を書き写した冊紙や仮説を記入した書類と、今も睨めっこをしている。
「あの雷は一度で複数なのか少しずつの時間差なのか、どちらにしてもどんな制御なんだ? 詠唱の欠片も聞こえないし、陣の気配すらないし」
ブツブツと考察をダダ漏れにしている声はセアラの静かな瞑想の邪魔にならないだろうかとショノアは心配になった。だが、二人共それぞれに集中して互いを意識はしていなさそうだった。
「そういえばマルスェイは奇蹟の力については諦めたのか」
「ん? いいや、私なりにだが毎朝の祈りは欠かしていないぞ。暗唱も完璧だ」
「そうか…」
「あの時も、あの光、対象と離れていても怪我を治癒する力、素晴らしかったな。なぁ、そう思うだろう? ショノア」
「…騎士仲間や兵士たちにもお願いできたら良かったのだが…」
宿舎で苦しんでいた同僚を思い、項垂れたショノアは今のは失言だったと後悔し顔を上げた。マルスェイがてっきりまた「治癒士とお近づきになる機会を逸した」と喧しく騒ぎ出すかと思ったのだが、彼は青い顔をして押し黙っていた。
「マルスェイ? どうした?」
「…酔った…」
マルスェイは紙束を除けると、身を縮めて座面に横になった。「うう…気持ち悪い」と小さく唸っている。そういえば少し前から石畳の街道から逸れ、馬車の揺れが大きくなりだしていた。
「…寝不足のせいでしょう」
つと、祈りの言葉を途切れさせたセアラがポツリと言った。今まで、この状況なら〝治癒を願う詩句〟を唱えていたであろうセアラはしれっとしている。
「セアラも少し休んでくれ。移動中くらいは気を抜かないと身が持たないぞ」
「…はい。どうすれば、皆さんに満足していただけるのか、答えを示していただけないかと祈っていたのですが」
「そんなに気負うことはない。体裁を整えたいだけだろうし…」
「体裁…。祈りは見せ掛けで充分…ということでしょうか」
「いやっ、違うんだ。その、すまない…。セアラの祈りはいつも美しくて…その心が洗われるよ。本当に」
セアラにできることは真面目に祈ることだけ。儀式の手順を覚えて完遂させろというのであれば努力のしがいもあるが、それらしく儀礼的な素振りをするなんて不信心なことはできそうになかった。
〝祝福〟は神官から授けられる祈祷のひとつ。誰もがまず思い浮かべるのは生まれてきた子供に与える祈り。神に挨拶し、新しき命の誕生を家族と神官で喜ぶことにこそ意味がある儀式である。やむを得ない場合を除いてはその神殿の長が行う。
その他にも特別な持ち物――騎士であれば剣など――に対して行うこともあるが、本当に祝福を宿せるだけの実力を持つのは一握り。しかもほんのお守り程度の力だ。
あとは形骸化していて、騎士に叙任された際に前途を、出陣する前に勝利を、また旅立つ者が無事に目的地に辿り着けるようになど様々に願う。
神殿で行う正式な祈祷の他にも神官や神官見習いが気軽に〝祝福〟を与えることもある。「幸多からんことを」と子供の額に手や唇を寄せる簡単なもの。たくさん祝福をしてもらって悪いことなどはないからだ。
セアラの出身の神殿ではよく見られた光景。授ける神官も子供を抱いた親御さんもみんなにこにこしていてとても好きだった。まだセアラは一度もしたことはないけれど。
「目に見える〝祝福〟がなくても、受け入れていただけるのでしょうか…」
セアラにのしかかる負担を思い、これは『特別な祈り』とショノアが方便で誇張したせいだと己を責めた。
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