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135 逃亡者

 少年が憑き物を落とすようにペラペラと喋る様子を、男性は一歩離れた場所から表情を作るのも忘れてポカンと見ていた。突然現われて、少年の身上を親身に聞く旅人だという男に毒気を抜かれている。

一通り喋り終えた少年は今、差し出された携行食を何の疑いもなく口にしていた。


 膝を着いた姿勢のまま、サラドは男性に向き直った。


「貴方は、貴族の方とお見受けいたしますが、なぜ貧民街から避難を? 差し出がましいようですが、連絡が必要であれば、請負いますが」

「お心遣い感謝します。下位貴族の出身ではありますが、私自身はその使用人です。いえ、でした。…その…お恥ずかしい話ですが、私は…捨てられたのです」

「はぁ?」


ディネウのドスが利いた声に男性が肩を跳ねさせた。「怯えさせてどうすんの?」とシルエがディネウを突く。


「悪ィ…」

「お貴族様はあの門から要らなくなった家財道具ばかりか人まで捨てるようになったんだ?」


シルエが嫌味っぽく笑うが、男性も苦笑を返しただけだった。緊張が解けたというより取り繕うのが馬鹿らしくなったようだ。


「旦那様の不興を買いまして」


サラドが「それは、災難でしたね」と眉を下げて、ゆっくりと頷く。成程、これは話を聞いてもらいたくなる、と男性は納得した。隣のディネウも人情家で、ただ憤りを感じてくれていると伝わった。


「不興? つまらんことで解雇するって言ったってぇのか?」

「あの…、解雇通知もなく。乗っていた馬車から追い落とされまして、命を受けた私兵に連れられ通用門から外へ出され『二度と戻るな』と伝言されました」


あまりの仕打ちを思い出して、可笑しくなったのか男性は泣き笑いにくしゃっと顔を歪める。

ディネウは再び「はぁ?」とドスの利いた声を響かせた。その凄みに少年が驚いて携行食を喉に詰まらせ咳き込んだ。渡された水筒でごくごくと流し込む。背中を擦られ「ぷはっ」と息をついた少年は「この水うまい」と目をキラキラさせた。


サラドは話を無理に聞き出すこともなく、先を急かすこともない。絶妙な間で相槌が入る。


 男性は努めて忘れるようにしていた元(あるじ)のことを思い浮かべた。短慮にも不正を働こうとする主人を諫めたところ、怒りだしたその顔を。

「そこを上手いことやるのがお前の務めだろう」と詰り、手短にあった物を投げつけてきた。その不正が民を想うものであったり必要悪ならば、彼も自身の手を汚すことを厭わなかった。

若くして当主の座に就いた主人は、友人と名乗る者たちの誘惑に溺れた。その付き合いに苦言を呈しても耳を貸さず、贅沢好きで横柄で不遜、ただただ他の貴族を羨ましがる癇癪持ち、そんな人物に成り下がってしまった。

誠心誠意お仕えしてきたが…と肩を落とす。


「貴方のような人を失って、そのご主人は今頃さぞ苦労なさっているでしょうね」

「まさか。口うるさい者がいなくなって、のびのびされていることでしょう」


即座に否定はしたものの、サラドの言葉は男性の自尊心を心地よく刺激した。


「私はここで野垂れ死にするのだと、なにもかも諦めたのですが、そんな時に手を差し伸べてくださったのが貧民街の方々でした。食べ物を分けてくださり、仕事を斡旋してくださり…。本当に恥ずべき事ですが、それまで私は貧民街の噂を鵜呑みにし、誤解しておりました」


だから、今度は彼らの力になりたいと願った。 

貧民街と一括りにしてもその中でも貧富の差はある。勤め先がある者もいるし、家を持つ者も、家族がいる者も。それが奪われ、離れ離れにされているなんて異常事態だ。このままでは活力を失うか暴動が起きるかどちらか。

この移住地の、避難民の処遇の改善を訴えねば、と夜中にテントを逃げ出した。

昼間に兵士から『うるさい、助かっただけでもありがたいと思えんのか』と張り倒された少年を放っておけずに、声をかけたのだった。


「皆の鬱憤は溜まっています。兵士も苛立っていて…」

「ねぇ? この事業が第一王子主導だって知ってるんだよね? 訴えなんかしたら、下手したら君の首が飛ぶよ?」

「…はい。覚悟の上です」


シルエが指をきっちり揃えた手で首元を横に薙いで見せる。男性はしっかと頷いた。貧民街に縁者のいない身であればこそ、恐れず行動もできる。


「ここの現状はオレも然るべき人に伝えることにしましょう。なので、ひとつ、頼まれてくれませんか?」

「はい?」


 着いて来て、というようにサラドが少年と手を繋ぎ歩き出す。その背後ではディネウが苦虫を噛みつぶしたような顔をし、シルエがやれやれと嘆息を吐いた。


「あ、あの…?」

「…うん。ここが丁度良さそう」


男性の戸惑いなどお構いなしにサラドは下生えの枯れ草を掻き分け、垂れ下がった蔦を除けた。そこには岩に開いた人の頭ほどの穴がある。


(お願い。力を貸して)


サラドが触れた岩の表面がボロボロと崩れ、瞬く間に人ひとりが通れそうな大きさに穴が広がった。パラパラと小石が落ちたのを最後に穴の崩壊が止まってもサラドは地に手をつけたまま数呼吸の間動かない。その顔は穏やかに笑んでいた。


「シルエ、お願い」

「…もう。しょうがないなぁ」


コツンと杖で地を突く。淡く光る陣が岩穴を中心に浮かび、防御壁が張られる。その横でサラドは蔦を器用に編んで穴を隠す幕を作り上げていた。


「洞窟?」

「はい。ここを拠点にして、逃げてきた人を匿って欲しいんです」

「え? あの…私がですか?」


地に溶け込むようにすぐに見えなくなった防御の陣に男性が目を白黒させる。神殿で奇蹟の恩恵に与る主人の後ろに控えていた時に見たのと同じ光。いや、それよりもずっとあたたかな光。

サラドはニコリと微笑んでゆっくりと頷いた。荷物から出したノアラ作の魔道具、火を使用しない灯りで洞窟内を照らして奥に進む。灯りを壁面の窪みに設置し、巻いていた毛皮を床に敷く。他にも役に立ちそうなものを次々に取り出した。ディネウは黙って内部の壁面を叩いて頑丈さを確認し、地面にある大きな石を除けていく。男性と少年は怖々と洞窟内を覗いた。


「しかし…私は森の中で生活できるような知識はなくてですね…その、」


男性は顔を背けたうえに手首を何度も曲げて「無理」だと告げる。


「志は立派だけどさぁ。徒歩だと役人がいそうな町は一番近くても数日かかるよ。どうするつもりだったの? 無策?」


シルエが首を傾げてふうっと息を吐いた。「図星?」という呟きはしっかりと耳に届く。男性は額から流れる汗を拭こうとハンカチを探してポケットを漁り、諦めて袖で拭った。


「その…」


 無事に抜け出したのはいいものの、森歩きなど経験の無い男性はその実、途方に暮れていた。どの方向に向かえば村や町があるのか皆目見当がつかない。夜を明かせたのも運が良かっただけだと冷や汗を掻いた。少年が小川を見つけてくれたお陰で水を得ることができたし、今朝食べられそうな木の実を採ってきたのも彼で、男性は恐縮しきりだった。これではどちらが助けたのかわかったものではない。


 コト、と瓶詰めの保存食を床に置いたところでサラドが顔を上げ、耳を澄ますように手を添えた。


「ちょっと、ここで待ってて!」


言うなり出て行くサラドを見送り、シルエは肩を竦めた。


「もう観念して、ここで助けを待った方がいいと思うよ」

「こんな森の中ですよ? 仮に逃げた人が他にもいたとして、別の方向に向かったら、見つけられるかどうか…」


シルエはサラドが荷物から出した食糧を拾い上げて男性に抱えさせると、ぐいぐいと洞窟の外へ押し出した。


「あ、あの…、聞いてます?」


ベルトに通した小さな提げ鞄から乾燥させた植物の束を出したシルエは「ディネウ、火」と手を突き出す。「自分でやれよ」と返しつつ、ディネウは火打ち石とナイフで着火した。植物から燻らせた煙はもうもうと洞窟内を満たしていく。


「げほっ、てめぇ、殺す気か?」

「大袈裟だなぁ。大丈夫だよ。死ぬのは虫くらいだから」


煙を手で払いながらディネウが悪態をつく。煙が充満した中、壁面に開いた小さな穴から射す光が筋を作る。ゆるりと渦を巻きながら煙が穴から排出される様がくっきりと見えた。


「んー…。空気の流れは問題ない…か。でも、ここと、ここ、ディネウ、この穴をちょっと広げといて」

「くそっ、人使いが荒いな。ちょっとソレ貸せ」


文句を言いつつ、ディネウは素直に換気孔をシルエの杖の石突を使って確保した。しゅるしゅると煙が穴を目指して行く。



 さしたる時間も置かずに戻ったサラドは青年をひとり連れて帰ってきた。


「早くもひとり追加だね~」


シルエの間延びした調子に男性は「あ、」と声を漏らした。サラドに連れられた青年は男性と少年にぺこっと頭を下げる。


 青年は自分が置かれた集団で起きていた不可解なことを話した。移住地付近で異臭を放つゴミの存在。それを朝発見した兵士はがなり立てた。


「嫌がらせ?」


ただでさえ不自由な生活に慣れない人間関係。避難民たちは顔を見合わせ、サッと目を逸らせた。

暗くなればテントで眠るしかなく、食事も自由ではない。ゴミの元になる物だって手中にない。その点、兵士らは夜中に飲み食いをして騒いでいることもあった。ゴミを散らかすとしたら、兵士の仕業だと疑う。こうして怒って犯人捜しをしているのは単なる八つ当たりではないのか、と。もしくは避難民の中にこっそりと兵士に取り入って食べ物を融通してもらった者がいるのか、と。互いの不信は募る。

青年はそんな疑心暗鬼の視線が交錯する、ギスギスした雰囲気に疲弊していた。魔物に襲撃された時に王都内へ仕事に出ていた恋人の身を案じ、早く帰りたくて仕方がなかった。


夜中、寝付けずにいた青年はテントの外でぼそぼそと交わされる会話と足音に気付き、それを追った。もし、外から来た者であれば、別の集落に辿り着けるかもしれない。そうすれば王都への道筋を聞くこともできるだろう。

月明かりを頼りにしたが、人影が手にした小さな灯りは慣れた様子でどんどん離れて行く。とても追いつけずにすぐに見失ってしまった。宵闇の中、徘徊するのは危険と判断し、その場に留まって獣の気配に怯えながら朝を迎えた。明るくなってみると完全に道に迷っていた。正確に言えば道などもないが。

そこにサラドが「こっち、こっち、怪我はしてない?」と気安く声をかけてきた。覚えていないけれど知り合いかと青年が記憶を探ったほど。


「あー、あれだろ。山間の村の…。偏屈なんだよな。土地勘があるにしたって、わざわざ山を越えてゴミをまき散らしにくるたぁ、ご苦労なこった」

「ゴミか…。激化しないといいんだけど。因縁が深いから、これ以上のことをしそうで心配だな。そうなったら村の身まで危うい」


懸念したことが既に起こっているのを知ってサラドは難しい顔をした。


「ほら、ね。わかったでしょ? 運良く何処かの集落に着けたとして、そこの人達が協力的とは限らないんだよ? 捕まる上に、ただ役人に揉み潰されて終わりなんて結末になりたくないでしょ」


男性がシルエの指摘に顔を青くした。主の遣いで交渉事などはそれなりにしてきたが、前もっての情報収集や見返りの用意もなしで、狙った通りに事が運べるなど楽観視はできない。


「僕の兄さんが援助するって言ってるのに」とこぼすシルエの独り言には苛つきがやや混じっている。


「きっと他にも逃げ出す者は出て来ます。支援物資も後ほど届けますので、その人たちをここに誘導して、しばらく凌いでほしいのです」


サラドがそう言った時、ちょうど後方で物音がして振り返ると、大中の鍋が重ねられた中に布の袋が数種と木の食器が幾つかが置かれていた。


「さっすが、もう用意したんだ」


目の端で薄紫の転移陣が薄れていくのをとらえながらシルエが「ふーん、どれどれ」と物色する。袋の中身は豆や芋、干し肉、日持ちするように油脂も水分も少なく焼き上げた堅いビスケットなど。再度、そっとゴトと音がして、空の水瓶に道具類が置き去りにされる。次いで使い古されているが毛布や布類。


「…本当に人は来るでしょうか」

「来ますよ。逃げて無事でいる人がいる。そこでも生活は成り立つ。それを知れば希望になる。だから、よろしくお願いいたします」

「わかり…ました。最善を尽くします」


最後まで男性は自信がなさそうだったが、漸く承諾した。

弟を探したい少年と、恋人に会いたい青年は「連れて行ってくれ」と縋ったが「向こうの状況も確認してくるので、もう少しだけ辛抱してください」と説得されれば頷くしかない。

路地や貧民街で逞しく生きてきた二人が残って手助けしてくれることに、男性はほっとした。


サラドがゆっくりと瞬きをした。強い風も吹いていないのに、彼の顔回りの髪だけが揺れている。


「あ、火の扱いにはくれぐれも注意してくださいね。火の粉が散っただけでもこの季節なら辺り一面焼け野原になりかねない。それに煙で居場所が知れてしまう」

「いいか。向こう、ここより先は、国境と神域だからな。荒らすような真似をしてみろ。タダじゃ置かない。忘れんなよ」


この洞窟と移住地、村がある方角の位置関係を教え、最後に北を示したディネウが念入りに釘を刺した。



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