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134 遺跡を抜けて

 朝の空気は清浄で静かだった。だんだんと小鳥の鳴き声が賑やかになっていく。

一晩を遺跡で過ごしてみたが、夜になっても魔人が戻る様子はない。調べ足りないノアラは少し名残惜しそうだが、見切りをつけてシルエが牢獄と解釈した建物を後にすることに決めた。


 追加された壁の瓦礫はどこにも門らしき跡がなかった。牆壁にある門のみ、完全に閉じ込めるだけの場所。

もと来た道を戻るのは難しそうなので、この壁を抜けて北側の森へ向かう。

シルエもノアラも、主な牆壁跡に残る複雑な結界に比べるとこちらはかなり甘いと評した。正式な手順を踏まずに越えても、対魔術防御の術を身にかけてさえいれば、少しの痛みくらいで済むという。

ただ、この範囲にも惑いの術はしっかりかかっているので開墾を進めて遺跡に辿り着こうとしても、そう単純にはいかないらしい。


 全身を突き抜けた痺れにディネウがブルっと体を震わせた。「少し痛いっつうか…気持ち悪ィ感覚だな」とぼやく。シルエはふんっと鼻を鳴らしただけ。ノアラは魔力の干渉が纏わりつく不快感があるのかパタパタと体をはたいている。サラドは耳を押さえて一度ぎゅっと目を閉じた。


「なあ、もう一回堕ちた都に来ようと思ったらまた正門からで、あの七面倒臭い警備を解錠しなきゃならんのか」


その罠の解除と解錠を行ったのはサラドだが、うんざりと顔を顰めるのはディネウ。


「一回、認証はされたから、もう少し簡易で済むかな」

「だとよ」


まだ未練たらしくチラチラ後ろを振り返っていたノアラにディネウが頷くと、彼もこくりと頷き返した。



 サラドを先頭にして道なき道を進む。最適な順路を見つけて進むサラドの速度は常人には着いていけない速度だが、そこは三人も慣れたもの。サラドが通った場所をなぞって難なく進む。長年軟禁生活だったシルエと不摂生になりがちなノアラは十年前に比べたら体力は多少落ちたものの、へばるようなこともない。


 やがて木々の密さが疎らになり、視界が開けてくると、兵士が指示を飛ばす声が聞こえてきた。


「あれー? 移住地って聞いたけど野営地の間違いじゃなくて?」

「なんだ、ありゃ。あの憔悴ぶり、住んでいた街を追われただけって感じじゃねぇな」

「‥‥」


そこで働く避難民の姿を遠目に見て三人が顔を見合わせる。


「メシは配られているみたいだな。命を脅かされていないなら、俺たちは魔人の行方を追うのが先決だろ」

「食料の配給っていったって、どうせ古くなった備蓄の穀物や兵糧の入れ替え品でしょ。恩着せがましく寄付とか言って養護院にも寄越してたけどさ。虫が湧く一歩手前みたいなやつ。…でも、まあ、王宮が先導してやっていることなら、僕らは下手に手出しできないしね。魔人が優先っていうのには賛成」

「第一王子が関わっているなら王家への叛逆や妨害行為だと取られたら面倒だぞ」


ディネウとシルエが二人してサラドが考えていることなどお見通しだといわんばかりに牽制する。


「…うん。わかってる」

「じゃ、そういうことで。さっさと転移が可能な範囲まで移動しちゃおう」


 避難民が滞在している耕作放棄地を迂回し、また森に入る。ここを抜けるとディネウの小屋がある湖畔だ。


「ここまで来ればもう影響ないんじゃない?」


無い天井を突くようにシルエが杖を持ち上げ、先端をくるくる回す。こくりと頷き、ノアラが転移陣を展開しかけたところで、サラドがピタと手で制した。


「何?」

「人がいる」

「ふーん、採集にでも来ているのかな」


シルエは相変わらず緊張感の欠片もないが、サラドはまだ姿の見えていない人の気配に集中している。ディネウが不機嫌そうに眉を顰めた。


「おい…。まさか、湖畔まで開墾を進める気じゃねぇだろうな」

「隣国との関係もあるし、どちらの領土にも含まれない神域を侵したりしないでしょ」


「さすがにそこまで馬鹿じゃないんじゃない?」と皮肉るシルエにディネウは信用ならないと鼻に皺を寄せて歯を剥く。


ガサガサと派手に音をたてながら、枯れ草に埋もれた頭が見え隠れする。足下が全く見えていないからか、思い切り転びかけたところをサラドが飛び出してしっかと受け止めた。


「ぺっ、ぺっ。あー、びっくりした。ありがとう、おじさん…」


サラドの腕に支えられて身を起こした子供は、口に入った草を吐き出し、見上げて確認した顔に目が点になった。途端に体が強張る。


「…誰?」

「えっと、通りがかりの…旅人?」

「何で疑問なんだよ」


間の抜けたサラドの回答にディネウが呆れて肘で突く。サラドはへにゃっと笑った。


「よう、坊主、一人か? こんなところで何している?」


大股でズカズカと近寄って来たディネウに子供は怯えたように左右と後方に首を廻らす。


「あの、えっと、おれ…」

「どっ、どうしました?」


慌てた様子で追って来る声がした。膝を高く上げて足場の悪い所を必死に走り、ぜいぜいと息を切らしている大人の男性。


「ハァハァ…彼が、何か、粗相を?」


子供の方は汚れた粗末な衣類。痩せていて子供らしい頬のふっくらさもない。

大人の男性はやはり衣類に汚れや綻びはあるが元の質は良いのが窺える。姿勢が良く、何より所作が洗練されていた。


「いいえ。転びそうになっていただけです。怪我がなくて良かった」

「それは…助けていただきありがとうございます」


男性は取り澄ました笑顔でサラドとディネウを油断なく観察していた。


「この先は国境だ。…注意した方がいい」


ディネウの言葉の真意が図りきれないのか、男性の額からツツッと汗が滑り落ちた。

王宮の兵士とは明らかに違う出で立ち、それだけでは警戒を解く判断材料にならず、どう出るつもりなのかとサラドの手元にいる少年を気に掛けている。


「避難場所から抜け出て来た…ってところですか? 少しなら貧民街と移住地、両方の情報がありますよ。聞きたいことがあれば」


片眉が僅かに反応しただけで表情を崩さなかった男性に対して、少年は「本当に?」と声を上げた。


「おれ、弟を探してて!」

「待って! 待ってください。貴男方は、その…」


狼狽える男性に構わず、少年は堰を切ったように喋り出す。


「おれ、弟がいるんだ。たった一人の家族だ。病気なんだ。だから早く行かないと! あの日もおぶって逃げていたんだ」

「うん」


興奮気味の少年を落ち着かせるようにサラドが膝を折って目線を合わせる。


「避難の馬車に乗せて貰おうとしたら、病気の者はダメだって引き離されて。病気を移さないように別の所に隔離するんだって。なら弟と一緒に行くって言ったんだけど馬車に押し込まれちゃって。病気の人たちがどこにいるか、誰に聞いても知らないって言うし。兵士は話も聞いてくれない。『ここで頑張っていればきっとまた会える』って慰めてくれた人もいたんだけど…」


少年は後ろを振り返って男性を確認し、にっこりと笑った。


「弟を探すのにこのおじさんがあそこから連れ出してくれた! でも、他の人たちがいる所に行ってみようとしたら、危ないからダメだって」


少年が不服そうに口を尖らす。男性は困ったように、でも表情には出さず、ぺこりと頭を下げた。


「あの…ね。重い病気や怪我の人は貧民街に置き去りにされていたんだよ。だから、多分ここにはいない」

「っ! すぐ戻らなきゃ!」

「待て、坊主。話は続きがある。落ち着け。あのな、その貧民街がまた魔物に襲われた」


真っ青になった子供はガバッと腕を上げてサラドの手を振り解き、走り出そうとした。すかさずディネウに肩を押えられる。


「待てって。安心しろ。傭兵団によって討伐されたから。その時、残されていた住民は港町で保護されている」

「その、それまでに無事でいた人は、だけど」


サラドが言い難そうにディネウの言を補う。それまでに命を落とした人もいる。期待してやはり再会できなかったとなれば、今度こそ彼の心が堪えられなくなってしまう恐れもある。酷であれ伝えないわけにはいかない。


「生き…てる…よな。迎えに…行ってやらなきゃ」


サラドが濁した言葉を正しく理解して、ぎゅっと唇を噛んで俯く少年。緊張と不安で限界だったのかトスっと尻をついた。

気遣わし気に振り返ったサラドの背後にシルエがスッと近付く。今まで全く目に入っていなかった人物の登場に男性が目を見開いた。


「んー…。治癒した人全員を逐一覚えている訳じゃないけど…。この子に似た子なんていたかなぁ」


シルエが目を細めて少年を観察する。人の生き死にがあるのは当然だと、憐憫など持ち合わせない目と声音。


「おれと弟は似てないよ。だって路地で知り合った仲だもの。顔は、えっと…かわいい!」

「ふーん」


兄と弟の関係に思うところがあったのか、少年を見るシルエの目が少し柔らかくなった。術によるものではなく本物の慈愛に満ちている。


「よかったら、もうちょっと詳しく教えてくれる?」


余程我慢をしていたのか、サラドの「うん、そっか」「辛かったな」「頑張ったな」という相槌に少年は聞いてもいない身の上話をどんどんしていく。


 彼は王都で母と二人、小さな部屋を借りて暮らしていたのだが、母が仕事先で負った怪我が元で亡くなってしまった。ひとりになった悲しみに暮れる暇もなく、家主から部屋を追い出された。当て所なく彷徨ううち、路上生活を送る子供に出会い、彼らを真似てゴミを漁ること覚え、商業区の路地裏に行き着いた。

そこで、弟となる子供がひとりぼっちで寝ている場に出くわす。

汚れていない服、熱があり、苦しそう。

迷子かと思い、衛兵に報せたが、路地をうろつく子供の言うことなど取り合おうとしない。

通りにいた大人に助けを求めたが、すげなく断られてしまう。やっと一人立ち止まってくれたが、倒れている子供には目もくれず、傍にあった荷物の中身を覗くと金目の物を抜き持ち去ってしまった。


その時のことを思い出して「身元がわかるものがあるかも」って言ってたのに、と彼は悔しそうに拳をぎゅっと握った。


その子は熱に魘されて『お兄ちゃん』とうわごとで助けを求めてきた。少年は迎えが来るまで兄代わりになろうと決意したそうだ。


しかし悪いことは続く。今度は火事で路地に作った寝床が燃えてしまう。路上生活の仲間に誘われ、食べ物の施しをしているという情報を基に壁の向こう、貧民街に移った。

そして、追い打ちをかけるように魔物に襲撃された。


「君より小さな子で、髪色の明るい、色白の、熱病を患っていると…。港町に戻ったら確認してみるよ」

「港町って遠いのか? ガキの頃パンを分けてくれたり、いろいろ助けてくれたあんちゃんが港町で傭兵になるって出て行ったんだ。いつかおれもそこに行こうって思ってるんだけど」

「今でもガキだろ」


ディネウに頭をぐいっと押され、乱暴にぐりぐりと撫でられた少年は「痛っ」と声を上げた。一時、茫然とした少年の顔から表情が抜け落ちたが、持ち返した様子にサラドがほっと息を漏らした。



評価ありがとうございます

嬉しいです ヽ(^0^)ノ

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