131 移住地
サラドとニナの二人を乗せた魔馬ヴァンは軽快に林を進む。ヴァンにとってはゆっくりらしく、もっと速く駈けたくてうずうずしているのが手綱に伝わっていた。
サラドに包まれるように座しているので落馬の心配はなさそうだが、ニナは舌を噛まないように歯を食いしばっていた。ふと、王都に置いてきた灰色の斑模様の馬が気になる。おっとりした性格だから馬丁の手を患わせることはないだろうけれど、適当に扱われてはいないだろうか、と。
「ここから先は歩いて行こう。ヴァンはちょっと人目を引くから」
大きくて見たこともない馬がこんな速度で来たらそりゃあ驚く、とニナも心中で頷いた。サラドの指笛で突風が吹いたかと思えば、目の前に現われていたヴァンを目にした時はニナも仰天した。
徐々に減速して止まったヴァンをサラドが褒めちぎった。背からひょいっと降りたサラドが手を差し出すが、ニナも持ち前の身軽さで降りる。膝にガクリと衝撃が響き、軽い痛みを感じたが何ともない顔を取り繕う。
サラドが腰の提げ鞄から出した糖を手の平に載せると、ヴァンは顔を横に倒しながら小さな粒を器用に口に運んだ。前掻きをするヴァンに「もうないよ」と両手を開いて見せる。長い顔に抱きつくようにサラドが「もう一度呼ぶまで散歩していて。人里には近付かないで」と言い聞かせていた。背中にぐりぐりと鼻先を押しつけて、来た時と同じように突風となって走り去る。
ニナはその遣り取りをずっとポカンとして見ていた。
「あれ…、馬だよな」
「馬だよ? 何に見えたの?」
「いや、馬に…」
「だよね」
遠目に見たら若馬だろう。色々おかしいけれど、とニナは口にせず、じろりとサラドを見た。
「本当にあんた…何者なんだ…」
普段も小声のニナが潜めた呟きはサラドの耳には届かなかったようで、彼は「ん?」と朗らかに笑むだけ。
「ここは…どこだ?」
貧民街の住民が移住させられた場所に案内するというサラドにニナは大人しく着いて来ていた。
「王都と聖都の間くらい。堕ちた都って遺跡があるのは知ってる?」
「名前だけ」
ニナが知る世界は任務で訪れた箇所くらい。それも行ったことがあるというだけで任務に付随した知識以外は知らないし、知る機会も余裕もなかった。
「その遺跡は不可思議な噂がいっぱいあってね。森に入ったら迷うとか、病気になるとか、影に追いかけられるとか」
「影…」
サラドがちらっとニナの些細な表情の乱れを確認した。目が合うと、ニナはふいっと顔を正面に戻し黙って話の続きを聞く姿勢をとった。
「オレも実質の遺跡には足を踏み入れたことはないけど。地元の人たちにはたいそう恐れられているんだよ。そこに――」
遺跡の森の北側にはかつて広い耕作地を持つ村があった。冬は寒さが厳しいが、背後にそびえる霊峰の雪解け水が土地を豊かに潤していたと思われる。
災害が相次ぎ魔物が跋扈しだすと、山の空気は淀み、湖は濁り、沢は枯れた。清らかな神域が穢された際の反動、影響は絶大で、瞬く間に実りは失われ、畑の土もぐずぐずに腐る。新たな作付けは絶望視された。遺跡の森から出没する魔物は数も多く、その凶暴さは住民で対処できるものではない。人々は土地を棄てざるを得なかった。
少しでも魔物を閉じ込めようと木を倒し、土砂を積み、道を潰して逃げた。それでも溢れる魔物の脅威に人々は震えた。いつ、山林の町や王都、聖都まで傾れ込むか…と。
サラドたちが訪れた十七、八年前の時点で村が棄てられてから何年も経過していて、土地は荒れ放題だった。廃屋も残らないほど魔物が暴れた跡がある。魔物討伐には何日も要した。
近年、少しずつ住民が戻って来て、左右から再び開墾を進めているが、最も遺跡の影響が強いと恐れられている中央はまだ手つかず。そこに貧民街の住民は連れて行かれたらしい。
「耕作放棄地があるからそれなりに平地もあるし、放置林があるから恵みも得られるとは思うけど。ちょっと心配なんだよね。
それに、近くの、当時でさえ避難しなかった山間の村の人々は何ていうか…ちょっと頑固で。遺跡に呪いがあると信じているし、湖に近い村が最初に被害を受けたことから、水の神を怒らせたせいだと、山の神を祀る自分たちは巻き添えになったんだと主張していたから。
今も神に許されていない土地だって妨害行為に及ぶことも考えられる」
田舎にはありがちな排他的な考えはニナも良く知る。諜報任務で行った先でもそういったのは見かけたし、封鎖的な地域で潜入調査を要する場合、人々に溶け込むまでが最も重要で、その点ニナは落ちこぼれだった。
「神殿の教え一辺倒ではなくて、土着の信仰は是非大事にして欲しいってオレは思うんだけどね。それを暴力で訴えるのはちょっと」
山も枯れ始め、土砂崩れが起きれば心も折れそうになる。糊口を凌ぐのにも限度があり、代々の土地を守る決意も揺らぐ。それでも踏ん張り続け、少し持ち直したかと思えば盗賊に略奪される。そんなことが繰り返されれば余所者を過剰に警戒するのも致し方ないと一定の理解を示しつつ、サラドは懸念顔。
目的の場所に着き、物陰から様子を覗うサラドにニナが手分けをして一度全体を見回らないかと提案した。母と弟の所在を早く確認したくてのことだったが、何の疑いもなく了承してくれるサラドに、ニナはむずがゆさを感じた。
何かあったらすぐに逃げられるようにと外周の三分の二ほどをニナが、内側とここから遠い部分をサラドが受け持った。割合の差について「探したい人を見つける時間が必要だろう?」とサラドは言うが、それが単に気遣いなのはニナにだってわかる。経験の差があるのは身に沁みているので、何も反論しなかった。早く済んで二重に調査したとしても問題があるわけではない。
再び落ち合い、情報を出し合う。
住民は複数の集団に分けられて、距離を置いて配置されていた。現在は軍用のテントが張られ、寝床は地面に布を直に敷いたものに薄い毛布のみ。煮炊きは外に設けられた竈。ひとつの集団に数名の兵士が配置され、住民を指揮して仕事を割り振り、従事させている。
放棄地の中央に延びる道の成れの果てを整備し、そこに沿って家屋を建て、田畑を広げていく計画。伸び放題の草を刈ったり、根付いた若木を伐採したり、土台の石積みをしたり。外周では壁作りの準備に溝が掘られている。
中には怪我人もおり、まともな治療もされていないように見受けられた。自由はあまりなく、まるで、罪人の強制労働のよう。
中央にはこの政策を任じられた高官と兵士を統括する騎士が一際立派な天幕にいる。各集団の兵士からの報告を受けて対策を練っていた。
こちらは毛足の長い敷物に、寝台もテーブルも運び込まれている。
高官はある程度の整備を早く終えて、代官を指名し、自身は王都に帰りたいとこぼす。騎士と兵士は王都にいて魔物と闘うのとどちらがましか、と笑い合う。
サラドの情報によれば、もともと貧民街内で形成されていた共同体は意図的に解体され、お互いが連絡しあえないようにされているらしい。幼い子供と親はさすがに引き離されていないが、働きに出られるくらいの兄弟は別々の集団に分かたれていた。建前は技術者や働き手が偏らないようにしているということだが、本音は不満を抱いた者が結託するのを阻止し、反乱分子の芽を摘みたいため。
「こんなことってない…。彼らに何ら非があるわけじゃないのに」
ニナの目的はただ母と弟の無事を確認する事。特に貧民街の住民に情があるわけではなく、何を見ても淡々としていられたが、サラドは傷付いた顔をしている。
「…あんたもここに知り合いがいるのか?」
「いいや、そうじゃないけど…。ニナは母君と弟君、見つけられたかい?」
ニナはぎゅっと眉間に縦皺をつくり、首を振った。
「そうか。確信は持てないけど…。ニナと面差しが似ている女性と同じような赤っぽい茶色の髪をした少年を見たよ。…別々のグループでだけど。案内するよ。こっち」
サラドが示した先ではニナの母が他の女性と一緒に食材の下処理していた。楽しくお喋りしながら、なんて雰囲気はまるでなく、一様に疲れた顔をしていて、少しやつれて見える。
別の集団を二つ挟んだ先に弟がいて、農具や工具の手入れをしていた。こちらも不安を隠せず、塞いだ表情だった。農具は武器にもなるからか厳しく管理されている。兵士の睨みに怯え、ニナの弟は作業に集中できていない。
「会っていかないの?」
「…特殊部隊の訓練に就いてから直接会ったことはないんだ。正直…怖い」
ニナの目が動揺で左右に泳ぐ。感情を抑えらず、つい弱音が漏れた。
だってわたしを待っているかなんてわからない。
戸惑われたら?
困惑されたら?
父のように嫌悪してきたら?
わたしの稼ぎの一部を生活費として渡しているって上官は言っていたが、本当か怪しい。
母がわたしが生きていることを知っているのかどうかも…。
仮にここから連れ出せたとしても無策だ。路頭に迷わせてしまう。
ボロボロと口を衝いて出る素直な心情。
隙だらけ弱みだらけの姿を他人に見せるなどニナ自身でも信じられない。これまでは周囲の全てが警戒対象で誰にも気を許すことなどなく、他人を信じるなんてあるはずもなかった。
それに、貧民街を見てカッとなり、ショノアに解任しろと迫ったニナだが、中途半端な知識とはいえ、特殊部隊の内部事情を知っている者に自由を与えるだろうかと疑問が頭をよぎる。
そんなニナの不安を察したように、肩にそっとサラドの手が置かれた。いつものように抵抗して逃げないニナを軽く抱き寄せる。震える子供を宥めるようにふわりと背に手が回された。
「運動能力を測る訓練の初期段階で見込みなしと判断された子供は解放されたらしいけど、ある程度の訓練を経た者は一般兵に、毒の知識や諜報の任に就いたことがある者は名目上の身分は兵士として勤めている。一部の者は退任という名の行方不明らしいけど…」
サラドに告げられた特殊部隊員のその後にニナの背がゾッと冷えた。サラドがどうやって情報を仕入れられたのか、そんな疑問も吹っ飛ぶ。
「それもそうだ」とニナは確信した。王宮の暗部を担う秘密を知る者をそうやすやすと外に放つはずなどない。洗脳が浅く、忠誠心も示さず、時に反抗的な態度を取るニナが任から逃れようとすれば『行方不明』にされるのが目に見えている。
「…王都に戻って、従順な振りをしている方が賢明か? 一応、現在の任務担当に身の置き場は委ねられているみたいだし。今までは『母と弟がどうなるか』と脅されてきた。今もどこかで監視されているだろうか…」
ニナはサラドの胸を突き放して、人が隠れられそうな場所にきょろきょろと視点を移動させた。追手がいれば、目の前のこの男が気付いていないはずもないが。
「その…ニナはショノアたちと一緒にいるのは嫌か?」
「仕事内容に好きとか嫌いなど無意味だ。だけど、過去の任務に比べたら…時々うざったくはあるが…別に悪くはない。今はほぼ御者と見張り。馬は嫌いじゃないし、馬車の中でアイツらと膝をつきあわせるくらいなら御者台にいるほうがマシだから」
ニナはちょっとだけ照れたように、ごにょごにょと言葉を濁した。身を守るため王宮に戻る、それは再びショノアたちと視察に赴くという事。
「ここのことは、オレたちが気にかけておくよ。母君と弟君のことも。みんなの待遇を一気に解決するのはちょっと難しいけど、何か考えないと」
「…あんたが責任を感じる所以は何もないのに」
「そうだね。余計なお節介かも…だけど」
サラドの穏やかな笑顔に「希望を持つ」と騙されてみるのもいいか、とニナはらしくもないことを考えた。