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130 慰労の宴

 港町の下町にある一件の酒場は、これからが営業本番といえる時刻にも関わらず、戸に『閉店』の札が下がっている。ディネウはそれに目もくれず「おっす」と威勢良く開けた。ギィと軋んだ音をたてて戸が閉まる。

ディネウの声で奥のカウンターに腰掛けたテオがパッと顔を上げた。肩を並べるディネウとシルエ、一歩後ろにいるノアラの背後に視線を彷徨わし「あれ?」という顔をする。


「サラドは野暮用ができて、一緒じゃない」


しょんぼりとしたテオの頭をディネウが乱暴にぐりぐりと撫で回す。シルエもむうっと口を歪めた。


「サラドってば、あの子に甘いよね? 何で?」

「あのちっこいのな。なんだかんだとほっとけねぇみたいだな」


面倒くさいほど兄大好きのシルエにはそれ以上構うのを止め、ディネウはカウンター内にいるマスターに挨拶をした。何も言わなくても酒瓶と杯が供される。


「テオを預かってもらって、悪いな」

「いいえ。野菜の皮むきを手伝ってくれまして。助かりましたよ」


 傭兵の溜り場になっている酒場のマスターは穏やかに笑んだ。彼も元傭兵で、かつて何度となく共闘した旧知の仲だ。シャツにタイにベスト、腰下から細身のエプロンを巻いたカチッとした見た目に反して、酔客が暴れた程度ではびくともしない腕っぷしがあり、頼りになる。

シルエの事情も知っていて、戻って来たことを報せた時には涙ぐんで喜んでいた。「年を取ると涙もろくなっていけませんね」と微笑みながら。


 本日はもう店を閉めて、無給奉仕で貧民街に向かった傭兵たちを労おうと大鍋にスープを煮て待ってくれていた。

港町は傭兵団と共生していて、町の顔役との仲も良好、協力体制が確立されている。

町の人も獲れすぎた魚や売り物にならない半端ものを格安で分けてくれたり、パンや乳などの食材を都合つけてくれたり、余ったものをくれたり。その代わりに傭兵たちも住民のちょっとした依頼や相談にも迷わず手を貸している。重い荷を運ぶだの、草むしりといった事でも。


 魚の臭みを取るのに漬けていた酒精にあてられたのかテオは顔がやや赤く、目はとろんとしている。

テーブルの上には魚や貝の下拵えの手順を図解で書き記したメモがあった。解説の文字は簡単に、二言三言くらいしか入れてないが、絵だけでも充分に伝わる細かさだった。


「へー、頭取って、内臓取って、鱗取って…か」

「彼は熱心ですね。じっと見られて少々照れましたが」


テオも「えへへ」と笑った。この店に連れて来た当初はかなり緊張していたが、マスターは人当たりも良く、サラドやディネウから信頼されているのが伝わったからか、懐いたようだ。

今、テオは芋を丁寧に磨り潰す作業をしている。大量のため腕が怠そう。既に大きめのボウルに二つ、芋と家畜の乳とその乳から作られた油脂で和えた副菜が出来上がっていた。


「あっ、これ、美味しいやつ」


シルエが嬉しそうに味見を要求すると、テオも俄然やる気が出たのか、せっせと芋を撹拌する。

マスターは薄くスライスしたパンに瓜の酢漬けをのせ、肉のほぐし身を塗っていた。サラドが作り置きしているもので、塩漬け肉のスジが多い部位を細かくほぐして脂身を混ぜ、味を調えて蒸した保存食。柔らかく加工された肉はぎゅっと凝縮した旨味に塩気が利いている。常温でも食べられるが、軽く炙ればいくらでも食せそう。酒の肴としても逸品。傭兵たちが帰ってきたらすぐに石窯に入れられるように、網の上に並べたものを何段も準備している。

ディネウがそのひとつに手を伸ばそうとすると「焼きますよ」とサッと取り上げられた。石窯に入れてすぐに脂の香りが鼻先をくすぐる。三つの皿にパンとクリーム状の芋が盛られて出された。


「スープはどうします?」

「もらう」

「ちょーだい」

こくり


木のスープ皿にはいろんな魚の切り身や貝、根菜が入っている。水分が多く酸味のある夏野菜を保存が利くように煮詰めておいたものを基本に、味付けは少量の塩に風味付けの香草と至ってシンプル。魚介の旨味が良く出ている。マスターは追加のパンを釜に入れた。


「あいつらにもタダ働きさせちまったな」

「今回のことは自主的ですから。貧民層や孤児出身は多いですからね。見ぬふりなど、とてもできなかったんでしょう」

「本来なら王宮から然るべき報酬が出ておかしくないのにねー」

「こちら側も王都との関わりを厭ってますからねぇ」


不満そうに頬杖をついて、プリプリの貝を突きまわすシルエにマスターは眉尻を下げた。ノアラがスプーンを置き、ゴソゴソと外套の内ポケットを探り、カウンター上にポイポイと原石を転がす。職人が切り出して磨けば良質の宝石が取り出せるだろう。


「いつもいつも私財を出していただく訳には…」

「いいんじゃねぇの。ノアラが要らないものなんだろ」


ノアラがこくりと頷いた。

 屋敷の倉庫にはこういったものもゴロゴロと眠っていた。その中から術の触媒には向かないが、宝石としての価値は高そうなものを持ち出して来ている。分類もされず乱雑に入れた木箱が山と積まれていたのもそれ故なのか、屋敷の元主人が生存していた頃には別の用途があったのかはわからないけれど。ノアラにしてみれば、いかに透明度が高くて色が美しくとも、術の付与ができない石に有用性は見いだせない。


「…では、有り難く。彼に頼めば良い値が付くでしょう。皆にも分配できる。…ああ、噂をすれば」


ほっと表情を緩めたマスターが物音に振り返ると、カウンター奥の食料庫や控え室、裏口に繋がる扉から金髪に真夏の青空色の瞳をした、たおやかな男性が顔を出した。悩ましく首を傾けると纏め髪からほどけた一筋がサラリと揺れる。


「マスター、はい、これ。未払い分を取り立てて来たよ。…あれ、みんなも来てたんだ。ノアラも久しぶり」


 年齢を重ねてもなお色気のあるアオがヒラリと手を振る。ノアラは目礼で返した。

アオはこの店の給仕も手伝っているが、裏方として傭兵団の補助をしている。過去の経験から、貴族や豪商など身分や気位の高い者とでもそつなく会話ができるため、交渉や調整事を主に請け負う。相手の機嫌を損ねず、こちらの有利な条件を引き出せる貴重な人材。こういった原石や宝飾品の売買もお手の物で、彼に任せておけば不当な値段で買い叩かれる心配もない。


「ちょうど良かった。これの換金を頼むよ」

「ああ、今回のも良い品そうだね。ボクに任せて」


原石を光にかざして見たアオはそこに潜む鮮やかな色を確認した。長くてきれいな指を胸にあて、ふわりとした笑顔を向けられると同性ながらドキリとさせられる。

「もっと必要?」とでもいうように再び内ポケットに手を入れるノアラをアオはやんわりと制した。


「あんまりいっぺんに市場に出すのは値崩れするし、入手方法を怪しまれるから。今回はこれくらいで」


くすくす笑うアオにノアラはこくりと頷いた。


「うーん、僕も何かお金になるものを考えた方がいいかな。ものすごーく薄めた薬でも作ってみる?」


 ノアラは眉間に皺を寄せて首を傾げた。着火しやすい石や食物の日持ちを少し良くする石などの魔道具を持ち込むこともあるが、今回持って来た原石は、労力をかけて作り出したものではない。ただそこにあったものという認識で、自分の財産とも思っていなかった。


サラドの薬は症状別に調薬されたもので、不思議と良く効くと評判だが、シルエが作る薬は理を超越した万能薬。良く効くなんて水準ではなく、市場に出したら混乱を招くのは必至だ。薬を巡って法外な金子が動いたり諍いが起きたりすることも想定される。だからこそ、身内とも言える範囲にしか配る気はない。余程効果を調整して気休め程度にしなければ危険だろう。だが、そうすると売れるのか、という疑問もある。


「薬未満の、ちょっと元気になれる飲み物? とか?」

「金策が必要なのか?」

「うーん、サラドも『稼ぎがない居候』だって、気にしてたんだよね。それに、あって困るものじゃないでしょ?」


ノアラがまた困惑顔で首を捻った。ディネウが「あー」と唸る。


「なら、護符はどうなんだ? あの鐘に貼ったようなの。そうだな…、受けた攻撃を一回無効にする、なんてのがあれば、かなり使えそうだが」

「あー…、護符ねー。導師の頃にも寄付集めと貴族を阿るため作らされていたんだよな。詳しくなければ陣の見分けはできないと思うけど、似てるというか…導師のと同じって気付かれたりしないかな。やたら記憶の良い人とかいそう」


 神殿で授けていた護符は『お守り』という程度で効果を限定したものではなかった。護符が持ち主の身代わりとなると焼き切れてしまう使い切り。その効力もさることながら導師の手書きとあって、寄付額はどんどん跳ね上がり、それを手にすると自慢できたらしい。そのため身に着けずに保管されることも多いと聞き、シルエは「バカじゃないの」と苛々しつつも、命令には背けなかった。


「そしたら、ああしたらどうだ? 陣が隠されていたあの絵本みたいにさ。俺が見てもサッパリだったが。あんな風に周りを絵で囲んで陣に見えなくしたらいいんじゃねぇの」

「んー、それ、いいかもね。テオに植物でも描いてもらおうか。不意打ちを防げれば負傷率も下がるし、逃走もできるだろうし。ディネウも偶には冴えてるじゃん」

「偶は余計だろ」

「マスター、紙があったら何枚かくれない? あとペンとインクも貸して」


受け取った紙をシルエからそのまま渡されたディネウは、うんざりした顔をしつつも紙を折り、ナイフを沿わせて切り分けた。


「陣はちょいちょいっと応用すればいけるでしょ。対象は持ち主、効果は攻撃の回避…防御…無効化…、発動条件は…」


手頃な大きさに切られた紙にシルエが術を込めながらペンを走らせる。集中してスッと細められた明るい緑の目は畏敬すら感じる鋭さ。陣が淡く白い光を帯びる。

酒席の温い雰囲気がピリッと引き締まった。マスターもアオも固唾を呑んで術の展開を見学している。

受け取った分、全てに書き終えたシルエがペンをテオに手渡した。ノアラが興味津々に覗き込む。


「ちょっとずつ違う?」

「あー、うん。文字や記号を飾り文字に変えてみたりしたんだ。この方が絵に馴染むかなって。じゃあ、これと、これ…。テオ、この周りに好きに絵を描いて」


緊張した面持ちでペンを受け取ったテオがゴクリと息を飲む。


「そんなに真剣じゃなくていいよー。ちょっとした検証なんだから。落書き、だと思って。植物でも、意味の無い模様でも、何でもいいよ」

「こっちに除けたのはこのままなのか?」

「だって、絵ありと陣のみ、どっちも試してみないと」

「なるほど?」


納得したような顔はしてみせるがディネウはよくわかっていなさそうだ。

テオは言われた通りに一枚には植物を描いた。サラドに教わった薬草の種々。次は観察したばかりの魚。トゲトゲの鰭があったり、胴が長かったり、目がギョロッと大きかったり。貝やイカ、エビなど思いつくままに描き込んでいる。

絵に囲まれた陣というだけで、絵物語の挿絵のように隠されてはいないが、視点を逸らすことには成功しているだろう。

カリカリと紙をペン先が引っ掻く音がする。テオはすっかり没入していた。


「まずは傭兵の誰かに試験的に持ってもらって。需要がありそうだったら、護衛任務の際にでも宣伝してもらおっかな」


 最後の一枚に、灯台の町のタイル画に見られるような花の意匠を描き終える頃、外がざわざわと騒がしくなってきた。一等早く着いた傭兵が店に入るなり「兄貴!」と声を張り上げた。ドカドカと荒々しい足音。続々と到着する傭兵であっという間に店内は賑やかになった。思い思いの武装をしたガタイの良い者たち。興奮冷めやらぬ様でわいわいと声も大きい。萎縮したテオがカウンターの下に逃げ込んだ。


「ねぇ、治癒が必要そうな者はいない?」

「ハイッ、お陰様で今のところはいないッス」

「そう。じゃ、僕らは一足お先に帰らせてもらおうかな。ディネウはみんなと呑んで行くんでしょ?」

「おう、そうだな」

「誰に護符を試してもらうかはディネウに任せたから。話しといてね。ノアラ、テオ、行くよ」


「えっ、帰っちゃうんスか」と引き留めようとする傭兵に素っ気なくシルエが手を振る。


「じゃ、ご馳走さま。マスターもアオさんもまたね」



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