13 ディネウの回想 サラドとの出会い
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ディネウは今でもはっきりと覚えている。
宵空に浮かぶ光の粒と畏怖と畏敬の厳かな歌声。白い服を着て佇む少年を。
ディネウの両親は二人揃って傭兵だった。終末の世において魔物との戦いに明け暮れる傭兵は常に死と隣り合わせだ。そんな中で夫婦となり子を育てる二人はかなり珍しかった。
二人が不在の際は仲間の傭兵で手の空いている者が面倒を見てくれた。母のよしみで港町の娼館に預けられることもあった。同じ年頃の子供と遊ぶことは殆どなかったが、たくさんの大人に可愛がられ、物怖じせず明るく元気に育った。
父は大剣使い、母は槍使い、強くて頼りになる両親をキラキラした目で見て、当然のようにディネウも傭兵を志した。鍛錬をする二人の真似をする彼に父は
「チビのうちから筋肉をつけ過ぎると背が伸びなくなるぞ。背もリーチも長い方が有利だ。今はたくさん駆けずり回って遊べ」と言って遊ぶことを勧めた。
幼い頃の思い出はとても温かくて誇らしい。
だが、世の中は暗く魔物の驚異はすぐ近くまで迫ってきた。
魔物の群が目撃され、それが村や町に到達する前に大掛かりな討伐隊が編成された。ディネウの両親も参加した。
魔物の動向を探りに行った斥候の情報から作戦が組まれた。森の手前、村を囲むように防衛が布陣されたがそれがいとも簡単に破れ去ったのは魔物の一陣が先発隊と衝突してすぐのことだった。魔物は情報よりもずっと強敵で、数も多く、こちらの裏をかくような動きをしてきたのだ。村人は避難、すぐに応援が要請された。
死地と化した前線で両親はそれぞれの持ち場で戦い、果てた。
討伐隊は命からがら魔物を退けたものの、骸が折り重なる惨状は目を覆いたくなるものだった。
いつも家族同然に可愛がってくれた傭兵の一人がディネウを呼んでくれた。父の大剣、母の折れた槍、お互いが何かあった際に見つけやすくするためにと揃いでつけていた名前入りのペンダントを形見としてディネウに渡された。たくさん並べられた遺体に駆け寄ろうとするディネウを捕らえ大きな手でその目を覆った。
あまりに現実離れした光景にディネウは涙を零すこともなかった。
近くの村からも負傷者の治療と弔いの応援がやってきた。
その中に少年はいた。
埋葬用に大まかに掘られた穴に入り丁寧に形を整えている。確かに大人よりは体の小さな子供の方が効率が良さそうだ。
死人送りの儀式には少年も白い服に着替えていた。白は死の色。弔いをする者も死に合わせて白を纏う。町の神官が着ている真っ白な絹とは比べものにならないが、精一杯汚れなく白くしているようだった。
自分とそう歳が変わらない、弔いの祈りを唱えている少年をディネウは不思議な気持ちで見ていた。
儀式も済み、酒盛りをする大人たちがヒソヒソとディネウの身の振りについて相談しているのを、眠れずに起き出した時に耳にしてしまった。
「どうする? 両親ともいないとなると預かるにしても…、連れて行くには人数も減って安全も確保してやれねぇし」
「色街は?」
「もう八つだろう。あちらも男の子じゃあ困るだろうよ」
「やはり孤児院か」
「すぐに出されちまうよ。いい噂もねぇし。どこか徒弟先でもあれば」
ディネウは父の形見の大剣を抱き、ズルズルと引き摺りながら歩き出した。篝火からも離れ辺りは真っ暗だ。怖さよりもそこにいたくないという思いが勝った。
その時、歌声が聞こえてきた。こんな時に歌うなんて、と頭に血が上ったディネウは怒りのままにその音を辿った。
宵闇の中に無数の光が舞っていた。
そこで響く歌声。少年の少し高い声だ。
歌の言語は全く何を言っているのかわからなかった。ただその旋律は畏怖と畏敬の念、厳かでいて切ない。
さして上手くもないがその歌声は魂を揺さぶった。怒りはすぐに霧散した。
ディネウに気付いた少年がピタリと歌うのを止めた。すると光も消え失せ、辺りは真っ暗闇に包まれた。
「こ、これは…やましいものじゃなくて…その、鎮魂歌で…あのっ」
「ごめん。邪魔した。続けてくれ」
暗闇の中から聞こえる少年の焦った声。弁明などしなくてもこの歌が悪いものではないことがディネウにも感じられた。
「…内緒にしてくれる?」
「誰に? 別に言いふらしたりしねぇよ」
少年が続きを歌い始めると再び光が舞い出す。二つの光がディネウの周りをくるくると舞った。
(ああ、親父とお袋だ。還るんだな…)
それは頭で理解するものではなくて感じたものだった。
少年が歌い終わると光はすうっと空に昇りそれぞれの場所に還っていく。
それを見届け終わり辺りがすっかり暗闇になると少年は何かを呟きランプに火を灯した。
「あの、神殿で認められた正しいお祈りじゃないから…黙っていて欲しいんだ」
「正しいって何だ? 親父もお袋もきちんと弔われたって感じたぞ」
少年がほっと息を吐いた。もじもじと両手の指を絡めている。
「…ねえ、もし行くところがないならオレと一緒に村に行く? ジッちゃん――あ、ジルもマーサおばさんも親切だよ。村ではイヤな思いをするかもだけど」
「いいのか?」
「うん、おいでよ。オレはサラド」
「ディネウだ。将来は傭兵になる。よろしくな」
「うん」
それが、サラドとの出会いだった。
弔いの祈りを唱えていたのが彼の養父のジルだった。おおらかで、神官見習いの資格を持ちながら魔術も使うという常識に囚われない人物だ。
そのジルと薬師のマーサに師事しサラドは朝から晩までくるくると良く働いていた。
サラドにはシルエという三歳くらいの弟がいた。彼が森で見つけ保護したそうだ。淡い麦わら色のふわふわした髪に草原のような緑の瞳。とても愛らしい見目の男の子だ。
サラドが洗濯や料理をしている時はおんぶが基本、起きている時間の大半は脚にひっつき虫の如く付き纏っていた。
ディネウも薪割りや屋根の修理など主に体を使うことは積極的に請け負い、暇を見つけてはサラドに打ち合いの鍛錬に付き合って貰った。
「もっと本気でかかってこいよ」
「本気だってば」
ディネウの身体能力は高く、足場の悪い所も難なく乗り越え、力もどんどん強くなり、勘も鋭かった。対してサラドの力はあまり強くならない。マーサ仕込みの狩りのための罠の設置や弓の正確さは高く手先も器用なのに、練習用に作った木剣を打ち込む力はとても軽くて正面から良い角度で当てたとしても跳ね返されてしまう。
「ほら、もう一回」
「…うん」
何か考えた様子のサラドが剣を構えて踏み込むと急に体勢を低くしてディネウの脛を狙った。ちょんと軽く当てて引き止める。その感触に咄嗟に足を引いたディネウは上段からの反撃を止められず、サラドの背を強かに打ったうえにバランスを崩して覆いかぶさるように倒れ込んだ。
「ぐえっ」
「ごめん! なんだよ、すごいな、今の! あそこで寸止めとかできんのかよ。あー、でも、これじゃ相打ちだし…お互いに改善点があるな!」
すごい、すごいと興奮気味のディネウにペシリと小さな手が当てられた。
「ディエのばか!」
「なんだよ。ケンカじゃねぇって」
二人が見える位置で薬草摘みをしていたシルエがサラドに駆け寄りその背をさする。まだディネウとしっかり発音できずディエと呼ぶ弟はサラドには懐いているが、彼には冷たい。
「にいたん、痛いの、とんでけー」
「ありがとう。大丈夫だよ」
そんな日々を重ねて、形見の大剣が難なく振るえるようになったら傭兵になる目標を掲げ何年も過ごした。
一部を除いて村の人々はジルやシルエやディネウに対してはそれほど冷遇はしていない。だがサラドに対しては一部の者しかその存在を認めていないような様子だった。ディネウは胸糞悪い気持ちを抱きつつ、事を荒立てたくないというサラドの気持ちを一応は尊重した。
サラドは十五歳を迎えた冬、村を出る決意をしていたのだが、たまたま近くの村で疫病が流行り、治療と弔いの手助けのために一旦保留した。この村では数人の罹患者を出しただけで済んだのだが、それもサラドが移したなどと吹聴された。
サラドが出発する前から症状が出ていたというのに、その薬を調合したのも彼なのに。
(恩恵は当然のように受け入れ、その存在は否定するって何だ?)
そもそも冬に出発することを決めたのは秋の収穫に人手が必要なのと冬の蓄えに少しでも余裕が出るようにと考えてのことだと聞いたディネウはそんなサラドに腹を立てていた。
そんな遠慮などする必要が何故ある?
もっと自分を主張しろ、と。
サラドの表情は諦念だった。「ありがとう」と笑ういつもの穏やかな顔にイライラした。
翌年、大剣の重さに耐えうる力を付けたディネウは念願の傭兵になるため港町へ行く決意をした。そこにサラドも誘うつもりでいた。力は弱く重い剣は振れないが、器用で素早く知識の豊富なサラドはそれを補えるだけのものをたくさん持っている。なにより気心が知れていて切磋琢磨できる相手だ。自分はサラドに比肩する存在でありたいと思っていた。
そう、思っていたのに出発を決めた前日にサラドは姿を消した。
サラドが忌み嫌われていた理由を知るのは四人で村を出ることになる事件でだった。
「…っとに、いい加減にしろよ。あいつは何でああ人のことばっか…」
ひとりきりになったディネウは友を思ってちっとも酔えない酒を呷った。