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125 王都を狙う魔物

 王都付近で最初に目撃された巨大な猪の魔物は牆壁に向かって体当たりをしてきたが、その手前で結界に弾かれた。巨体が脳震盪を起こし無様に転がる姿は、見えぬ結界の威力を知る結果となった。

フラフラと立ち上がった魔物は角度や力加減を調節し、体当たりを繰り返す。王都を何としても攻撃しようと、何度阻まれようと、自身が傷付こうと止めない。

壁の内側で武器を構え待機していた兵士の中には、迸る殺気にあてられてしまう者すらいた。我慢比べのような時間が過ぎ、やがて疲弊して虫の息となった魔物を騎士の指示で兵が取り囲み、危なげなく倒した。そうして得た勝利にも場は湧いた。


 その後もちらほらと、王都前の草原や街道脇の林で様々な獣の魔物が出現した。物資を搬入する荷馬車に釣られるのか、そこに残る血の臭いに引き寄せられるのか、王都の方角へ押し寄せて来る。

馬車が狙われるのは問題だが、牆壁内に魔物は手出しができない。また勝手に衰弱するまで待てばいい。そう慢心していたことは否めない。


ところが、綻びはすぐに訪れた。新たな魔物が体当たりしてきた振動が壁を伝う。ドシンと鳴り、パラパラと砂が散った。初めてのことに一抹の不安がよぎる。今まではもう一枚見えない壁があるかのように無傷だったのに。


壁に頼らず、魔物を王都からなるべく引き離すようにと陛下から命が下る。討伐隊が組まれ草原に陣を張った。奮闘はしたが長引き、徐々に押されていく。その結果、何体もの魔物と壁を背にして対峙することになった。闘いは熾烈を極め、負傷兵が次々と運ばれた。


「…指南役の老成の騎士が『甘い』『魔物は攻撃を待ってくれないぞ』『これでは何一つ守れない』と口うるさく言うのを煩わしく思っていた。だが、その通りだったな」


「御前試合で如何に格好良く勝利するかばかり考えていたなんて滑稽だよな」


「子供の頃、災害と魔物被害が各地であった事実を見知っていたのに、気が緩んでいたとしか言い様がない」


 見舞いを兼ねて話を聞いてまわると、後悔を口にする者も多かった。ショノアにも覚えがある。任務の当初、小鬼に対して禄に剣を当てられないという苦い経験をした。


宿舎の自室で休む騎士たちの殆どが何らかの怪我を負っていた。民を守ると意気込む者がいる反面、心が折れた者も一人二人ではないらしい。すでに退去して寒々とした空き部屋も多い。


アンデッドを排すため、また、操られた王配に従った特殊部隊と衝突した謀反未遂事件の際、フロアに集められた負傷者が奇蹟を甘受した記憶も新しく、()の治癒士を求める声をあちらこちらで耳にした。苦痛を瞬時にして取り除いた温かな光。それを受けたい、仲間を助けてほしいと願うのは当然だろう。回復後、また魔物に立ち向かう気力が振り絞れるかは別問題として。

あの時、治癒士が最強の傭兵と共にいたことから、一縷の望みをもって港町まで出向いたが、どちらにも会うことは叶わなかったそうだ。


「そういえば、あの傭兵はショノアに声をかけていたよな? もしかして…」


希望に満ちた目を向けられ、ショノアは息を詰まらせた。


「…すまない。直接の知り合いではない。連絡手段もないし、居場所もわからない」

「まあ…、そうだよな。伝手がある訳ないよな」


港町までの道程で魔物を囲む傭兵らの統率のとれた闘い振りを目にした同僚は、兵団の不手際が身に染み、忸怩たる思いをしたそうだ。恥を忍んで王都の防衛に傭兵の協力を仰げないかと進言したが上層部は良い顔をしなかった。



 ショノアは見舞いの品になりそうなものを急いで購入し、乗り合い馬車で街門近くの詰所にも向かった。商店では軽口で「数が少ない」だの「値段が高い」だの、遣り取りが飛び交う。物価が上がっているのを実感する。火事に続いての災難だ。それでも町の人々は努めて明るく気丈に振る舞っているのかもしれない。


「…まだ正門前はましかもしれません。貧民街では大勢が犠牲になったとか」


詰所で交代の休憩中だった兵士がポツリと零した言葉にショノアはゾッと背筋が寒くなるのを感じた。

魔物は見境なく襲ってくる。結界外に住居がある貧民街に魔物が突進したら?

王都の衛兵の管轄区域に貧民街は含まれない。騒ぎがあれば致し方なく制圧に向かうが、誰もすすんで関わろうとしない無法地帯でもある。 


 貧民街は正門から離れた裏手にある。魔物が出るかもしれない外側を回って行くよりも町中を抜け、通用門から出た方が近くて危険も少ない。急いで引き返した頃にはもう夕暮れが近かった。日暮れで門は閉ざされる。「単独で行動するのは愚かだ」と自身に言い聞かせ、ショノアは焦りを感じながらもその日は諦めることにした。


 自室に帰る前にショノアは果物を手に厩に寄った。緊急連絡用の駿馬、王侯貴族を乗せる馬車用に見目も良い馬、勇ましい軍馬と多種類がいる中でも、ニナが選んだ脚が太くて重量級の、灰色に黒い斑がある馬はすぐに目に留まった。

艶やかな黒いたてがみを見ると丁寧にブラッシングされた後なのであろう。初めて入った厩の中でも悠々と飼葉を食んでいる。尾がビシッと虫を払っている以外は動きも少ない。逆に元々居る神経質な馬が見慣れぬ大きな馬を警戒して、不機嫌そうに歯を剝いたり脚を踏みならしたりしている。


「ご苦労だったな。急がせてごめんよ」


ショノアが鼻先に果物を差し出すと、匂いを嗅いでパクりと口に入れた。果肉が砕かれ、甘い芳香が漂う。大きな馬なので、果物が小ぶりに見える。


(そういえば、〝夜明けの日〟も厩で迎えたな)


 あの日の、忘れえぬ光景。ぶ厚い黒雲を割り、晴れゆく空。金の縁取りをした白く輝く雲の合間から幾筋もの神々しい光が射すのを厩の窓から見た。

今は閉じられている突き出し窓に目を遣ると、その下方にある影に注意が移った。きれいに敷いた寝藁の奥、壁際で膝を抱えて蹲る人影がある。


「ニナか? こんな所で何しているんだ?」

「っ! おいっ、今すぐ、わたしを解任しろ!」

「突然、何を言うんだ? それに、任務上リーダーではあるが俺には任命権などない」

「じゃ、じゃあ、上の者に掛け合え!」


 突然のニナの大声にさすがに驚いたのか、穏やかな気性の馬も耳をくるくると動かし「ヒンッ」と小さく鳴いた。暴れて蹴られでもしたら怪我では済まない。ニナも口を噤んで、馬の首筋を撫でにゆっくりと近付く。


「何故、厩などにいるんだ? 部屋には戻らないのか?」

「ハッ、そんなもの、とっくになかったさ」


聞かせるつもりがないくらいの、いつもの小声。口元はスカーフで覆っているので見えないが、苦笑したのか目がぎゅっと細められた。


「わたしは正規の特殊部隊員ではない。見習いに毛が生えた程度の。行き場なんかない。わかるだろ? この任務を解かれれば自由になれるんだ」

「しかし…ニナも重要な役目を担っているし」

「重要? 笑わせるな。雑用係の間違いだろう? もっと上手く馬車を御せる者を加えればいいじゃないか」

「…とにかく、その話は明日にしよう。騎士団の宿舎は空きがある。話をつけてやるから今夜はそこに…」

「断る。ここの方がマシだ」


ニナはくるっと背を向けて再び奥の隅に立つ。壁の陰にすっぽり収まり気配を感じさせない。無感情に見えて、その目は「早く消えろ」と訴えている。ショノアも無理強いはできず、厩を後にした。



 翌朝、ショノアは朝一番に再び厩を訪ねようとしたが、文官から追加報告の呼び出しがあり出遅れた。馬房は既に清掃済みで、馬は放飼場でのんびりと過ごしている。ショノアに気付くと柵まで来て鼻先を寄せた。空の手を見せると「ブルッ」と鳴いて、ポクポクと離れて行った。ニナの姿はどこにもなかった。


仕方なく、魔術師棟に向かい、マルスェイを呼び出す。水の術が扱える者と清めの術について論議を交わしているうちに夜を明かしたらしいマルスェイは目の下に隈をこさえていた。気が高揚しているらしく、やたら笑顔でショノアを出迎える。鋭利な印象がある面立ちの満面の笑顔は企み事をしているような迫力があった。


「もう召集か?」

「いや、違う。貧民街を視察しに行きたいのだが、付き合ってもらえないかと」

「貧民街? 何故、貴殿が」

「…騎士も兵団も魔物討伐で負傷者が大勢いた。魔物は貧民街も襲ったらしい。地方の実情を視て来るのが我々の任務だが、広義では貧民街も入るだろう?」

「まあ、いいだろう。もう少し、話を詰めたかったが…。お師匠方にも休憩してもらわないと」


正義感の強いショノアにマルスェイは小さく嘆息する。


「それならばセアラにも同行願いましょう。怪我人がいる可能性もある。ニナは?」

「迎えに行ったが姿がなかった」


神殿への道すがらショノアは騎士団の状況と昨夜のニナの様子について軽く話した。マルスェイの次兄は騎士団で隊長職にある。「後で訪ねてみよう」と眉間に皺を寄せていた。


「そういうことなら、是非一緒に行かせてください」


 自身も養護院出身であるセアラは、以前に貧民街の話でニナが取り乱したの覚えていたようで、ずっと気懸かりだったらしい。薬や新しい布、清潔な水といった必要物資を掻き集めると小走りでやってきた。ショノアが荷物を引き受け、貧民街に近い通用門へと向かった。


「こちらの門は現在封鎖しております。何人もお通しできません」


 門番は腕を交差させて拒否を示す。通用門は小型の荷馬車がやっと抜けられる程度の大きさ。頑丈な木戸は太い閂で閉ざされている。魔物が出現している状況では当然の措置だろう。


「…仕方ない。外側を回って行くしかないか。なるべく壁に沿って行けば結界内だろうか。距離がまあまああるから馬を借りるか…」


ショノアが苦々しく顔を歪め、考え込む。貧民街に行きたいというのはショノアの我儘のようなもので、任務云々は建前だ。二人を危険に巻き込むわけにはいかない。それでも、絶対に見過ごせない、という強い決意もある。


「ここまで来てもらってすまないが、俺一人で向かうとしよう。もし帰らなかった場合は騎士団に…」

「駄目です。ショノア様、私も一緒に行きます」

「…結界か。それも調べてみた方が良さそうだな。魔物が壁の破壊に固執した動きをするということは、結界を壊すように誘引されている可能性も捨てきれないのでは? どうやら…」


マルスェイがポソっと呟いた時、俄に背後が騒がしくなった。門番が緊張に顔を強張らせている。


「殿下、お考え直しを。せめて牆壁上の見張り台からに留めてください」

「いいや、私が主導したことだ。直接、この目で見なければ」


最低限の侍従と護衛を引き連れた第一王子殿下がこちらに向かって来ていた。



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