124 帰還した王都で目にしたものは
魔物を警戒しつつ街道をひた走り、王都までもうすぐという頃、林道から交戦中の怒声が響いた。
「囲め!」
「逃がすな!」
「そっちは村があるっ! 阻め!」
緊迫した声が飛び交う脇を黒塗りの馬車と護衛らは増々速度を上げて通り過ぎようとする。
「おいっ! もっと速く走らんかっ」
ショノア一行の後方を随行していた騎馬の兵士が、御者台で手綱を繰るニナに並ぶと怒鳴った。前を行く第一王子を乗せた馬車との間隔は開く一方。
これまでの道程も何度となくせっつかれている。この馬車を牽く馬は重い荷にも負けない力自慢ではあるが、速度には劣る。しかも今は巨大な鹿の角を載せた荷車を牽引しているのだ。今だって無理を強いている状態。これ以上速度を上げれば小さな石を踏んだだけでも転覆しかねない。
兵士の言葉を、ちらと目を向けるだけで無視し続けていたニナが忌々しそうにちっと舌打ちした。
「荷は間違いなく王都まで届けます。どうぞ殿下をお守りください」
「こんな大きな物、がめたりはしませんよ」
ショノアが幌から顔を出して声を張る。兵士の方も舌打ちをし、少しの躊躇で馬の腹を蹴って前の馬車を追った。マルスェイの嫌味は悲鳴のようにガラガラと鳴る車輪の音に掻き消され、兵士の耳には届いていないだろう。
「…これでいいのだろうか。すぐそこで魔物と闘っている者がいるというのに」
ショノアが足の間に立てていた剣の鞘をぎゅっと握る。心構えだけはいつでも加勢できるように。
「一刻も早く、この窮状を正しく訴え、兵の派遣を促す方が結果的には民を守ることにもなるでしょう」
敵前逃亡を良しとしない真っ直ぐな性格のショノアを、マルスェイはあたかも己に言い聞かせるように諌める。
「…殿下が実際に目にしておられるのです。然るべき采配を振ってくださることを祈りましょう」
指を絡めた手に顎を乗せたマルスェイの表情は不機嫌そう。この状況に決して納得しているわけではない。魔術馬鹿な面もあるが元より国境と魔物の脅威から領民を守るという使命を強く抱いている。その片足はカタカタと貧乏ゆすりをしていた。
セアラはずっと胸の前で手を組み、小さな声で祈りの言葉を繰り返している。
魔物の咆哮も、それに怯まず闘う音も次第に遠くなった。
輝かしい王都の正門は常ならぬ様子だった。
ここで魔物と闘ったのであろう。煤けた大地、石畳は所々めくれ、血溜まりの跡も地に刺さって折れた矢もそのまま放置されている。初冬の薄青色の空も心なしかくすんで暗く、吹き荒ぶ風は乾いていて鋭い。守りの要、牆壁は物々しくそびえ、帰って来たという安堵よりも威圧感が強い。
「こんな結界ギリギリまで攻められたのか」
検問を待つ荷馬車の列もなく活気がない。誰何の問いに応え易いようにとショノアは騎士証とマントを着け、マルスェイも宮廷魔術師のローブを羽織っていた。
門兵には話が通っていたのか、後ろの巨大な角を見てヒソヒソと言葉が交わされる。正門を抜けて、馬車を回せる円形に配された道まで来ると、途中まで最後尾につけていた兵士と他数名が待ち構えていた。
「止まれ! ご苦労だった。荷は我々が引き取る」
ニナはやはり無言のまま馬を止め、馬車の中にいるショノアに対応しろと目配せした。
「わかった。このまま王宮まででも構わないのだが、それであれば荷車を外そう」
馬車から降りたショノアのマントがヒラリと翻る。地紋に同色で織り込まれた騎士の紋章が日の光を受けて浮かんで見える。くたびれた革鎧には似合わない質の良い布地に目の覚めるような青。
鹿の角を載せた二輪の荷車に我が物顔で手をかけていた兵士が目を白黒させた。慌ててビシッと姿勢を正す。
「え? まさか本当に気付かれていなかったのか。ショノアもすっかり一般人じみたらしいね」
マルスェイが皮肉気に笑う。笑い声のした馬車内を睨むように覗いた兵士の目には、ローブの胸元で輝く紋章が映った。宮廷魔術師の地位は微妙とはいえ、女王陛下により正式に任命されている。一般の兵士より地位は上だ。
荷車を外し終えたショノアは「確かに引き渡した」と念を押す。ここまで重い荷を牽いてくれた馬を労ってから馬車に乗り込むと、ニナは無言のまま馬に指示を出した。
兵士たちは角を載せた荷車を人力で牽き、王宮を目指してゆっくりと進んだ。巨大な角は目を引き、わらわらと見物人が集まって来る。
「…まあ、ああして囲まれることを考えると、良かったかもしれませんね。手柄を取られた気もしなくもないですが」
黒山の人だかりから角の先端が飛び出ている様を、馬車の後方から見てマルスェイが思惑気に呟く。
「強行軍だったから皆早く休みたいだろう? 報告も急がねば」
早くも荷から報告書を出して準備を始めるショノアを横目に「つくづく真面目な男だな」とマルスェイは感心した。
壁の外の惨状とは違い、町中は一見平常通りだ。商業区では品揃えが少なく、しけた雰囲気はあるものの、閉塞感はそれほど感じられない。火の加護を失っても、王都内は結界に守られているから大丈夫という安心感、見方を変えれば危機感のなさが窺えた。
市井と違って王宮内はピリピリしている。控え室で取次を待つ時間も長く、旅疲れからかセアラは居眠りしそうになっては「ハッ」と顔を上げる。マルスェイはきちんと姿勢良く座っているように見せかけて眠るという器用さを見せた。
帰還の挨拶を終えるとショノアは報告のために留まり、あとの三名はそれぞれの所属先に別れた。ニナは相変わらず無言でふいっと出て行く。サラドから教わった『清めの術』の記載と炎の術に包まれた土を採取してある袋を持って、いそいそとマルスェイは宮廷魔術師団の棟へと大股で歩を進める。セアラは暫しおろおろしていたが、神殿からの迎えがあるとそれに従っていた。
隣国の難民により興された端の村で遭遇した骨の大群について詳細な報告を終えたショノアは見聞きした魔物についても意見しようとした。だが、「別の担当が、実際に出兵した者から報告を受けている」と言葉を遮られた。聞く耳を持たない文官の態度に、それならばと、真っ直ぐに騎士団へと向かう。ショノアは出立前の所属部隊長に謁見を申し出た。
訓練場も隊舎も覇気がなく、どんよりとしていた。騎士服でもなく紋章入りのプレートメイルでもない革鎧姿のショノアを奇異の目で見る者もいる中、そんなことには構わず隊長室を目指す。
「ふむ。リード卿は地方任務に出ていたのだったな。兵団も編成が見直しされ、貴殿の所属先は現在保留となっている」
「保留…ですか?」
「ああ、心配するな。団長より何でも…特別な任務だと聞いているからな。それに専念できるようにとの措置だろう。騎士を除籍されたわけではない」
どこか嘲るような様子に「当然だ」と喉から零れ出そうになる言葉を押し留めた。「フゥー」と鼻息を長く出して、気を取り直す。
「魔物の件なのですが、わたくしもこの任務中に遭遇しています。派兵に関してですが、地方にはそれほど私兵を抱えていない領主もいます。このままでは」
「それについては騎士団でも頭を悩ませている。現状、王都前を守るのでも手一杯だ。退役兵にも声はかけているが…」
「えっ?」
「王都前で手一杯」という信じられない言葉にショノアは唖然とした。
「地方に出ていた貴殿にはわからないだろうな」
隊長は「フッ」と鼻で笑った。「見ればわかる」という言葉を受けて、ショノアはその足で救護室に向かった。扉を開けた途端に血と薬草の混じり合った匂いに噎せる。複数ある寝台は全て埋まり、横たわるのは動かすこともままならない重傷者ばかりだった。力なく痛みに呻く声が気を重くする。それ以上一歩でも室内に入るのは憚れて、ショノアはそっと扉を閉じた。
宿舎へと移動すると、血に汚れた包帯と薬箱を持って忙しなく移動する衛生兵とすれ違った。こちらも怪我人で溢れているらしい。それでもここは王宮内の騎士団で、薬も清潔な布もふんだんに使える。では、一般兵の隊舎は? 牆壁近くにある詰所では? と考え、ショノアはブルリと体を震わせた。
ショノアが自室に辿り着く前に、今まさに部屋から出て来た同僚と鉢合わせした。彼は片目を覆うように頭にも包帯を巻き、利き腕を布で吊り、片足も引き摺っていた。隊服は着用しておらず、後方には鞄を持った従者が控えている。
「…ショノアか、久しいな。帰っていたのか」
「今日、着いたばかりだ。その荷物は?」
「ああ、騎士を辞することになった。世話になったな」
彼はショノアと同時期に従騎士から昇格し、共に研鑽してきた仲だった。
「そんな、」
「この怪我だ。もう務まらない」
その表情は暗く、ショノアも安易な言葉をかけることができずに押し黙る。
「…運が良かったな。王都にいなくて」
失望でもなく、落胆でもなく、羨むでもなく、ただ平坦な声。淀んだ片目でショノアを一瞥すると彼はゆっくりと廊下を進みだした。カツ、カカッと不規則な足音が遠離っていく。
何故かショノアは兵団の再編成、厳しくなった訓練内容、王都を襲う魔物、それらから逃れ、その脅威が落ち着いたから帰ってきたのだと思われているらしい。深い傷のある皮鎧も、整えることなく伸び放題の艶を失った髪も、カサカサの肌も、ショノアの身を弁明しない。
(違う!)
ショノアは握った拳をわなわなと震わせ、去って行く同僚の憔悴した背中を見守るしかなかった。王都に襲いかかる魔物との闘いの場にショノアがいなかったのは事実だ。言い訳したところで彼の心には届かないだろう。
(どんな状況だったのか正しく知らなければ。まずはそれからだ)
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