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122 歌と踊りとお芝居と

 小劇場の建物から観客が全て出払うと、三名が挨拶に下りて来た。その少しの間にもテオはサラドから紙とチョークを借り、夢中で線を描く。


「この公演までの間にケントニス伯爵夫人にお時間をいただけないかと連絡はしたのですが叶いませんでした。先程お預かりした本は、このままお借りしていても問題はありませんか?」

「ああ、もちろん。こちらには模写を残していますので」


古語の文章はサラドが書き写してある。挿絵についてはペン画でもテオが全頁模写済みだ。


「王都にはしばらく滞在を?」

「いいえ。ケントニス伯爵夫人が灯台の町の劇場に招待されていて。そこに我々も同行してはどうかと誘ってくださったんです。あ、もちろんその際にはこの服装では行きません。ですから一度こちらに戻って、その後、私は歌い旅するのも修行になるかと思っているところです」


若き吟遊詩人は刺繍入りのマントを持ち上げ、踊り手の二人と顔を見合わせた。二人も首肯する。


「では、この先、お二人とは別々に活動を?」

「そうですね。私ひとりの演奏よりも、数名編成の楽団と合わせる方が踊りも映えるのではないかと。王都への道中で編曲を完成させるつもりです。始めに少し講釈を入れるだけでも内容は十分に伝わると思うんですよ。私には舞台よりも町中や酒場が合っていますし。あっ、無論、舞台で歌うというのも格別でしたけれども」


失言したかとハッと口を押え、吟遊詩人は小劇場の支配人が近くで聞いていないかキョロキョロと首を回した。


「またご一緒させてもらえることがあれば、それは特別公演になりますね」


踊り手の女性がくすくすと笑う。舞台上では華奢で儚く見えたが、細くてもしっかりとした筋肉で支えられた身体をしている。


「古くから神楽に踊りと曲の奉納がありますが、そこに可能性を見出しまして。私たちの表現をしたいけれど、周囲からは曲芸という扱いを受けて、迷っていたんです。それに…いやらしい目で見られることもしばしばでしたから…。この題材に出会えたことは本当に幸運でした」


男性が気遣わしげな目で彼女を見る。握手を交わした手は力強い。女性同様、一見細くても女性を難なく持ち上げる技を可能にする腰部も太腿もかなりの筋肉質だった。


「あのっ、これっ」


 テオはバッと紙を踊り手に差し出した。そこに描かれているのは、つま先で片足立ち、もう片足はピンと斜め後ろに伸ばした、体重を感じさせない女性の姿勢。しなやかな腕、もの言いたげな指先。

女性の少し反らした腰を片手で抱き留める男性。もう片腕は弓形に天へ。足は美しく伸ばされているが不安定さはない。細密に描かれていなくても、互いを想う、うっとりとした表情。

テオなりの方法で感動を伝えたが、渡した後で恥ずかしくなったようでもじもじと俯いてしまった。


「まぁ、これ、私たちね。素敵だわ。ありがとう!」


「ねっ?」と微笑み振り返る女性と背後から手元を覗き込む男性は、心から信頼し合っている仲だと感じるけれど、踊りの最中のような真に愛し合う関係にはまるで見えないから不思議だ。


「その…道中お気をつけて。良い旅路となることをお祈りしています」


サラドは言葉を濁したが王都へ向かう街道に魔物が出るという話はこの町にも届いている。それでも魔物が怖いからといって、女王陛下の御召しを断ることなどできない。ケントニス伯爵夫人と私兵も随行してくれ、馬車も用意してもらえることがせめてもの救い。三名とも栄誉と不安とで困惑気味に笑っていた。



 小劇場からの帰路、シルエがサラドの背をポンと叩いた。


「良かったじゃん。サラドの意図がちゃんと汲まれてて」

「うん。本当に。歌も踊りも素晴らしかった」


 吟遊詩人と踊り手の周囲を楽しそうに舞う精霊が見え、サラドも嬉しく思った。屋内の舞台は少々薄暗かったのにキラキラして見えたのは錯覚ではなさそうだ。


(きっとあの歌も踊りも精霊を元気づける。それに…人も精霊を想うと伝わる)


「…本は返ってこないかもよ?」


サラドは「かもね」と頷いた。テオは驚き傷付いた顔で見上げる。


「そのために模写をしたんだし、全く同じものではないけれど、もう一冊あるから大丈夫だよ」

「研究者にとっては版による違いが重要だろうけどねぇ。なんの取り決めもしないで渡すなんて、ホントに甘いよ」

「…しかるべき扱いをしてくれるなら、それでもいいよ」


「呆れた」とシルエが鼻を鳴らした。




 これは、少し先の話――


 吟遊詩人と踊り手二名の組み合わせは、少人数のため、意見を出すことも、時間や場所に合わせて都度、内容を一部変更することも容易で、綿密に打ち合わせられる。その気軽さ故、王都までの道すがら、休憩に立ち寄った町でも、積極的に歌い、踊った。女王陛下の前で演じるまで益々良いものに磨き上げることができた。


彼らが王都までの往復を終えた頃、灯台の町ではようやく劇場が幕開けを迎えた。

その頃には吟遊詩人の歌と今までにない踊りの噂は行商人、新しいもの好き、粋や通を自称する者によって、評判が広められていた。


既に酒と芸術の町で人々の口に上っていた時に御隠居の耳にも入っており、調査もしていた。吟遊詩人に接触を試みようとしたが、彼はケントニス伯爵夫人の庇護下におり、また、女王陛下からも声がかかっているという。そうなっては「歌うのを止めろ」と圧力をかけるなど悪手だ。

愛を語り合う場面と想い出を独唱する場面は本文の対訳を少しだけ現代的に修正したものなので、吟遊詩人の歌ともほぼ同じ。この二場面が芝居の目玉であることは明白だ。


脚本家と御隠居は話し合いをした。こけら落とし公演で瑕疵など負うわけにいかない。

舞台大道具も衣装も準備は着々と進められている。粗筋と一部の台詞は周知済み。収穫祭で試演もしている。ここで大幅な変更をしては、こちらに非があると疑念を抱かれ、損害が及びかねない。そのため歌詞はそのままとした。こちらとて、疚しいことはない。本だって御隠居の手元にある。


試演の際は外に設けられた特設の舞台で、見物人も目の前。役者のやや拙い歌唱力でも話題性があれば良かった。だが、大舞台となると、そうもいかない。歌手を役者として起用したが、演技力は演出家の納得がいく域になかなか至らない。悩んでいたところ、試しに台詞運びを好きに歌わせてみると表現力が増した。作曲家はそれを基に同じ旋律を繰り返す耳に残り安い曲を数曲用意し、言葉も繰り返し重ね、強調する。


妖精のような見目で儚げな子女――だが、客席の隅々まで歌を届けられるだけの声量のある実力派の歌手を起用したため、イメージとは少々離れてしまっていた。軽やかな布を多用したドレスに翅飾りをつけた衣装を身に着けてもどことなく逞しい。子息の方も純朴な青年…というには低音を響かせる歌手は年齢を重ねていた。

それらを補えるほど、歌唱は魅力的で、台詞と歌を織り交ぜた、今までにない歌劇を作り上げたと劇場の関係者は自負していた。


いざ幕が上がると、

反目し合う家系の純朴な子息と子女が祝福されずとも愛を誓い、その想いを貫く物語は、人物の関係性や立場が想像に容易く、好評を博した。台詞が急に曲へと転じる演出は賛否両論あったが、その曲自体は観客に大いに受けていた。劇場を出る時には口ずさむほどに。


総じて、灯台の町、新設劇場のこけら落とし公演は大盛況に終わった。

吟遊詩人の歌との共通点を疑問視する声は多少あったものの、両方を観劇した者は少なく、設定があまりに違うため、指摘するにも、同じ題材と思えない。

想い出の独唱は悲痛に切々と歌う暗い曲で、非常に力のこもった感動を呼ぶ歌声ではあったけれど、他の旋律が単純な曲の方が話題となり、そちらの方が演目の代表曲となるという思いがけない事態となった。それで余計に吟遊詩人と結びつけることがなかったのだろう。


ケントニス伯爵夫人は吟遊詩人を通じて借りた本を商売という観点ではなく、古語研究のために複製本の出版にすぐ着手し、頒布した。美麗本の準備を進めていた御隠居は機を逃す形となった。出版にはこじつけたが、高価すぎる本は一部の富裕層には売れたけれど、それほど当たらなかった。「これが舞台の原案です」となってもあまりに内容が違うため、純粋に舞台を楽しんだ人は手に取ることがなかった為だ。反目し合う両家のドロドロも、人目を阻んで逢瀬するドキドキも、愛を貫くため命を賭すハラハラもその本には存在しないのだから。


そんなことがありながらもこの演目は後々まで繰り返し再演される人気作となり、次々に歌劇が作られるきっかけの作品になった。

二人の踊り手も大きな劇場で舞踊の公演をするまでに至り、舞台は表現の幅を大きく広げた。


 良い歌や良い踊り、お芝居、それを愉しむ人々の近くではキラキラと光が、風が舞う。




お読みいただきありがとうございます


神楽、バレエ、歌劇、芝居などの歴史とは関係ありません


設定がふわっ、ゆるっとしておりますが 

少しでも楽しんでいただければ幸いです (^_^;

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