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121 酒と芸術の町にて

 芸術の町と謳われるに相応しく、神殿の礼拝堂は壁面も天井も多くの絵画で飾られている。その題材は神話や伝承に基づくもの、主要産業である酒の原料である葡萄畑や穀物畑の風景。酒を造る人々の姿など。

聞きしにまさる礼拝堂をひと目見ようと物見遊山で訪れる者も多い。扉も大きく開け放たれ、おおらかな雰囲気でもある。敬虔な信徒よりも、形ばかりの祈りを捧げる観光気分の者が大半だった。そのため子供というには成長しすぎているテオを抱えていても非難の目は向けられていない。


 扉から入って真っ直ぐ奥に祭壇がある。その後方の壁面を飾る、長く光の尾を引く星と小さな星が重なった象徴の碑は、金と銀と宝石とで飾られて輝くばかり。それなのに不思議とけばけばしさはなく、厳かだった。

祈りの対象が場違いであっても、サラドはつと頭を垂れ、命を落とした精霊と、無理な力により魔物に変化したため討伐された獣、巻き添えで失われた諸々の命にそっと祈りを捧げた。


 祭壇の前では神官から祈祷を受けている者がおり、建物に入ってすぐ、神官服姿を目にしたテオはぎゅっとサラドの襟を握りしめた。けれど、一心に祈る声は落ち着いた旋律で、神官の顔も穏やかそのもの。


 テオは貧しい村で孤児となり、神殿の使いの者に保護されたと思いきや、目が覚めると檻の中にいた。最低限の食べ物が投げ入れられ、掃除はしてもらえない。神官服を着た者はいつも鼻をつまみ、蔑むような目や汚物を見るような視線を向けてきた。檻から出されるのは「術を使え」と命令される時。嫌だという意識に反して命令には逆らえない。『術』が何であるかは理解していなくても、暗唱させられた言葉だけで発動する。術を掛けられた子供は泣いていたし、術を使うと自分も身を焼かれるような苦しみを伴う。

大人にもひとり、術をかけるように命じられた。その鋭く睨むような緑色の目がテオを見るとふと悲しそうに細められた。怒りのような感情はテオに向けられたものではないと感じたが、酷く怖かった。

それが、テオが記憶している全てだった。


 信徒のために祈る神官は、テオの記憶にある姿とはあまりにかけ離れている。テオを見つけて捕らえたり罵倒してくる様子もない。テオは小さく首を傾げた。サラドが目を合わせてにこりと微笑むと安心し、祭壇から目を離す。周りを見る余裕が出ると途端に「わっ」と歓声を上げそうになり、慌てて口を押えた。


 サラドに抱き上げられたテオはぽかんと口を開けて天井画に見入っている。興味が惹かれるまま、テオが指し示す絵画に向かい、飽きるまで眺めた。今までゆっくりと滞在したことのなかったサラドもテオと一緒に見学した。求められれば題材についてわかる範囲で解説する。他の人の迷惑にならないようにとなるべく声を潜めていたが、いつの間にか数名が一緒に移動し聞き耳を立てていた。


 公園で写生をする者と同じように組み立て式の画架を持ち込み、絵画の前で模写をする若者の姿もあった。その筆致をテオも興味深そうに上から覗き込む。若い画家は視線を気にすることがないほど没頭している。


「線、引いていないね」


テオがサラドの耳に寄せ、コソッと囁いた。


「そうだね。壁の絵に線を引くわけにはいかないからね。でも、ほら、四角い板から時々絵を覗いているだろう? ああして均衡を確認している」


 細く糸のような線を残して八等分にくり抜かれた金属板に、模写している絵の縦横比率に合わせて紙が貼られている。若い画家はそれを通して絵を観察したり、真っ直ぐな棒を指標に腕を伸ばして、数値を数えたりしている。

テオはその後に描く箇所と動作を見て、何を測っているのかを理解したらしい。自身も試してみたくなったのかそわそわと体を揺らした。


(あー、そういえばシルエから板を立て掛けられる台を頼まれていたっけ。室内用のしっかりした作りの画架を試しにひとつ買って帰るか)


「サラド、あっちも見たい」

「うん? じゃあ、行こう」


 テオの要望に応えて向かう先は扉から入って手前の左角。その位置は上部に窓がなく、柱に遮られた隅は陰になっていて薄暗い。相まって掛けられた絵は暗い部分が多く、どんよりとした雰囲気をかもしてしる。

その暗さから解放するように、奥に続く窓から射し込む光が筋状に連なる。それはまるで、その絵のその後を表しているかのような光景。ちょうど今の時間帯、日の射す方角がこちらの壁側からのために起きる妙だった。


 眩しい光から目を逸らし、しばらく陰の中でじっとしていると絵の細部も見えてくる。

真っ黒な雲間から射す金の光。荒れ狂う海と竜巻と稲光。今にも沈みそうな船にいる人影は三つ。


「これは何の絵?」

「うん、これはね、こんな大きくて黒い雲が世界を呑み込もうとしたことがあったんだよ」


恐ろしい黒い雲の中にはうっすらと牙を剥く人のような姿がある。胸に空いた穴から射す光。その向こうに覗く青空。襲いかかる爪を立てた手の先に帆柱の折れた船。誘導される視線をなぞるようにテオが指を動かしていく。


「ずっと昔のこと?」

「十年くらい前だよ。そのずっとずっと前にもあったらしいけれど」


角の柱を挟んで隣には、巨大な蜥蜴に剣を立てる剣士、雷や火や水を繰る魔術師、病人を癒やす治癒士が描かれた縦長の絵が三点ある。顔立ちなどははっきり描かれておらず、画家のイメージによる姿と思われるが…。


「ねぇ、これ、三人だけなの? ひとり足りなくないかな?」

「どうしてそう思うんだい?」

「んっと…なんとなく…」

「へーえ、テオはするどいねぇ」


不意に背後からシルエの声が聞こえた。


「お待たせ。待っていると不可視の術って案外きれないものでさ。ずっと外の木陰に隠れていたよ」


シルエがコソッと呟き、大袈裟に肩を竦める。


「ぷっ。なにこれ。()はこんな長いマントを嫌うのに。しかも微妙に毛皮っぽい。白銀色の鎧とか似合わなすぎて笑える。それにこんな筋肉していたら剣を構えただけで血管が圧迫されそう。こっちもねぇ…、一番得意なのは土の術なのにね。貧乏性だから杖使わないし。これは、えっ、どういうこと…何て言うか…体つきが女性っぽいんだけど…」


描かれた剣士の姿に最初はさも可笑しそうに吹き出していたシルエも、治癒士の慈愛に満ちた微笑みを浮かべる口元と曲線を描く体に眉を顰めた。おまけにその脇にあるもう一人分くらいの余白を睨む。


「どんな姿が良いかな? 弓? 魔術と祈りと剣もあり? 火はこっちに描かれちゃっているしな。偵察は何しているか伝わりにくいし、罠や解錠は…良くないか」

「…この空きはわざとではないのでは?」

「それじゃあ、尚のこと掲げるように訴えないと」

「やめて」

「それにしても歌詞に盛り込むのはダメで、これはいいのかね?」


つまらなさそうにふんと鼻を鳴らし、シルエは改めてぐるりと礼拝堂内を見渡す。


「ここの神殿の内部ってこんな感じに改修したんだね。外側は補修しただけみたいで、石造りの素朴な外観だけど」

「シルエはここに来たことが?」

「うん、各地の巡礼に出されて…最初の頃だね。ここの領主は神殿とも王家ともバランス良く付き合っていたからね。魔物や災害の被害も珍しく少なかった地だから、領民が暴徒化する恐れも小さい。おまけに寄進も望める。ここでそれなりの好印象を根付かせれば『神殿が見出した奇蹟の使い手、後の導師』は他所でも受け入れられやすくなるだろうってさ。僕はもっと被害のあった地方に、無償で行くべきだって言ったんだけどね…」


当時のことを思い出したのかシルエは深い溜め息を吐いた。天井を仰ぐと真上に薄明光線の絵がある。


「確かに見事だけど、さ。ちゃっかり拝観料も取っているんだね。聖都に比べたら格段に安い金額だけど」

「自主的に箱に入れる形で義務ではないみたいだよ。祈りの時間はあの箱は置いていないらしいし。地元の人が気軽に来られるようにって」

「まぁ、ここは、領主故なのか、良い感じに運営されているみたいだね」




 吟遊詩人の言っていた小劇場へ向かうと、その門前には入場待ちの人集りができていた。

小劇場は奥が舞台、手前に長椅子が並べられている。演目や時間帯によって、すべて撤去することもできるし、テーブルと椅子で軽食を楽しみながら、または、立食用の背の高いテーブルを配置して、など様々な用途に合わせられる用意がある。


 後方からで良いと遠慮したのだが、案内されたのは最前列。「予約済み・招待」と書かれた札が外された長椅子にテオを挟んで座る。座高もそこそこ高いサラドは後列の人に恐縮しながら腰掛けた。どんな御仁が来るのかと思っていた周囲の観客は、特等席を占拠する小綺麗とは言い難い旅装の男と子供にやや不満そうな顔をした。大勢の人がいる空間にテオは緊張しているのか、足をブラブラして気を紛らわせている。


 前奏曲を弾き終える頃には満席となり、立ち見もぎゅうぎゅうで、入り口の扉が閉じられた。

灯りの少ない屋内。広くもない舞台の端で吟遊詩人は「物知り風が伝えるは、遙か昔の愛の歌。人と精霊が手を取り合う、愛しき日々の物語…」と低めの声で歌い出す。


 中央で女性の背後から男性が肩を抱く、その手に手を重ねたポーズを決めていた踊り手二人はふわりと離れクルリクルリと回り、一度それぞれ両側の舞台袖へ移動。公園では要所要所でしか踊っていなかったが、全てに振り付けがされている。

精霊が舞い遊ぶ歌に合わせ、ひとり無垢に楽しく舞う女性。男性は舞台の奥で背を向けていて、その姿が見えていない様子だ。

やがて、二人は出会い、惹かれ合う。軽やかに舞う女性は近付いたり、離れたり、もどかしい。男性はしっかりと地に足をつけ、求めるように手を伸ばして歩いているだけだが、様になっている。

精霊と人が交わした愛の歌詞に移ると冒頭のポーズに戻り、頬を寄せて幸せそうに微笑み合った。


吟遊詩人が低音で男性、高音で女性が掛け合う曲を弾くと、いよいよ本格的に、二人が絡み合って踊る。

男性の腕に身を委ね、ふわりと持ち上げられた女性を高く掲げてクルリクルリと舞う。男性の肩を軸に頭を下げて足を上げ、グルンと体を回転させてから、そっと片足で降り立つ。繋いだ手から跳び上がった勢いに任せて方向を換えることを繰り返し、舞台を縦横無尽に移動する。つま先立ちでクルクル回る様は風に遊ぶ木の葉のよう。


 衣装も改良されていて、時にヒヤッとする動きをも妨げない体に沿う形。回転した際に映える薄地を重ねたスカートと光を弾く装飾。花びらのように広がるスカートから覗く真っ直ぐに伸ばされた足は神秘的ですらある。


 別れを惜しんでも指先が遠退いて舞台袖にはける男性。舞台中央に残された女性は座り込んでいつまでも手を伸ばしている。

吟遊詩人が甘やかな声のみで歌う精霊の追憶。

続けて同じ旋律を楽器で歌い上げるように弾く。

ゆっくりと身を起こした女性がひとり、目には悲しみを、口元には愛しさを湛え、ふわりふわりと優雅に舞いながら舞台袖へ消えると、余韻を残して曲も終了した。楽器が下ろされ、吟遊詩人が片足を引き、弓を手にした右手を優雅に払い、頭を下げて観客に礼を尽くした。

終演。


 割れんばかりの拍手を浴びて、吟遊詩人と踊り手ニ名は舞台に並んで礼をする。三人ともやりきった良い笑顔をしている。

上演時間は決して長くはないが、観客は一様に満足そう。

誰よりも長く拍手をするサラドに向けて最後にもう一度、吟遊詩人は深々と頭を下げた。


 人々が帰っていく中、吟遊詩人は舞台袖で主旋律を半音高く、抑揚を抑え、テンポもゆったり、静かに演奏して見送っている。甘やかで、少し切なく、次へと期待を感じさせる曲だった。



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