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120 味気ない

 湖畔に建つディネウの小屋からノアラの屋敷に繋がる転移装置の扉のノッカーをガンガンと二回叩く。カチャと音をたてて開いた扉の隙間に足を差し挟み、シルエは中腰の体を捩じ込んだ。水桶を運び入れ、ズリズリと移動させる。たぷんと水面が揺れた。


「んっしょっと。重っ。…欲張り過ぎたかな。ねー、ノアラ、サラドは?」

「出掛けた」

「えー、また僕に断りもなく? 休んでって言ったのになぁ。湧き水を汲んできたから水筒の水を入れ換えてみてって言おうと思ったのに」


 サラドは充分な休息も取らないまま、また出発してしまっていた。置いて行かれたシルエがふてくされ、八つ当たりでノアラに嫌味を言う、いつもの一幕が繰り広げられる。困惑しつつもノアラは受け流すしかない。


「ちぇっ。しょうがない。ノアラ、素材は準備できた?」


ノアラがこくりと頷き、深めの木皿を差し出した。複数の丸く磨かれた小さな小さな球が皿の上でコロコロと転がる。黒よりの灰色をした鉱石でノアラによる付与術が施されたもの。

水に感謝を捧げ、祈りを唱えながら柄杓で掬い、そろりそろりと皿に水を注ぐ。淡い光が収まるとシルエは目を開けた。


「上手くいきますように」


最後にお呪いのように唱え、皿を掲げて頭を垂れ、日の光も月の光もよく当たる窓辺に置く。残りの湧き水は大鍋に移し、祈りながら煮沸した。


「よしっ。下拵えは終えたから、僕らも行きますか」


マントと杖を手にして、二人もディネウの要請があった場所へ転移した。


 糧にならず、ただ埋めて処理するしかなかった魔物の遺骸はシルエの術で灰と化し、盛り上がっていた土がぺしょりと凹んだ。距離を置いてポツポツと存在する盛土を根気よく廻る。

気休めだとしても、シルエが浄化を、それを補うようにノアラが音の術で拡散をして魔物が暴れた付近を辿る。後手に回っていることにシルエは悔しそうに歯噛みした。


 時折、四人で集まり情報を共有し合う。その場にリーダー格の傭兵や自警団の代表が混ざることもあった。ディネウとサラドは屋敷に帰らず出ずっぱり。シルエとノアラはテオを一人で放置するわけにもいかないし、アンデッド化対策及び対魔人の研究のためにも現場と屋敷の往復をした。

そうして幾日もが過ぎた。


「…サラドのご飯が恋しい。最後の芋のあれ、美味しかったな」


 ノアラがこくりと頷く。テオが鍋いっぱいに茹でてしまい、余っていた芋は家畜の乳とその乳から作られた油脂で和えたものに変わっていた。塊もざらざらとした食感もなくなるまで潰され、ふわっとなるまでよく撹拌されて、口当たりも滑らか。焼いただけの肉との相性も良く、食が進んだ。

それ以降は町で購入してきたものや保存食で済ませている。屋台飯は味付けが濃く、最初はテオも喜んでいたが、代わり映えのない料理が続いたためか飽きがきている。食欲も少し落ちているようだった。

串から外したタレのたっぷりかかった肉を突きながらシルエがふぅと溜め息を吐く。


「なんかさ、食べ物に関しては、すっかり贅沢になっちゃったよ。舌が肥えたのかな。昔は食べられるだけマシって日も多かったのに。あと単純になんか寂しいというか、味気ない」


シルエの呟きにノアラもテオもただ同意するように頷いた。シルエが独り言のように喋る以外、会話もほぼなく、もそもそと口に運ぶ。



 王都から港町に続く道と、山林の町を経て聖都に至る街道周辺で立て続けに起きた魔物騒ぎは今、不気味なほどに静かだった。土塊を「撒いてくれ」と頼まれた者がいないか、それを見た者がいないか聞き込みが行われたのが抑止力になったのか、見廻りを強化したためか、一人きりで林や森に向かう者や不審な行動を取る者が減っている。

それでも警戒は怠らない。以前はどこか和やかに警らをしていた自警団の若者もピリピリとした緊張感に満ちていた。



 数日ぶりに帰宅したサラドにテオが遠慮がちに抱きついた。無言で腰にぎゅっと腕を回す。


「…ごめん。お詫びと言ってはなんだけど、一緒に出掛けようか」

「…行く」

「え? どこ行くの? 待って、僕も!」


ペンを振り振り、書面とにらめっこしていたシルエが弾かれたように顔を上げた。


「テオを芸術の町の…その、神殿に連れて行こうかと思うんだけど。シルエはどこに?」


『神殿』という言葉を小声にしてサラドは気遣わしげな視線をテオに落とした。彼がパニックになりそうだったらすぐにでも中止するつもりでいる。


「僕は灯台の町に試験用の水を取りに。だから、待ってて。すぐにそっちに向かうから」


シルエは急いで服装を整え、容器や試薬を鞄に突っ込む。


「ノアラ、僕に不可視の術かけて。人目を気にしなくて済めば僕の転移でひとっ飛びだし」



 酒と芸術の町、ケントニス領の主なる都に来たサラドはまず公園へと向かった。以前に訪れた時にはまだ秋咲きの八重の花が見られたがすっかり寂しい装いになっている。

入り口に近く、目立ちやすい場所にできた幾重もの人垣から大きな拍手喝采が聞こえてきた。人が散っていき見えてきたのは羽根飾り付きの帽子に、物語の柄が織り込まれ刺繍も施されたマントを纏った吟遊詩人だ。


「こんにちは」

「あっ! お待ちしておりました! きっと来ていただけると思って連日、ここで演奏していたんです」


サラドを見るなり、若き吟遊詩人は手入れ中の楽器をそっと置いて、両手で握手を求めた。


「あの本を見せていただいた時にもお話ししたと思いますが、私の歌と踊りを合わせたものを、庶民用の小さな劇場ではありますが本日の夕刻から公演します。是非いらして下さい。もし都合が悪いようでしたら歌だけでも。今すぐ演奏します。本当は一番に貴方に聴いてもらうべきだったのですが…」

「そういうことなら劇場にお邪魔させていただきます」


吟遊詩人はほっと笑みをもらし「是非」と喜んだ。


「本当に…間に合って良かった」

「間に合う?」

「ええ、実は明日、王都に向けて発つんです。えっと、その…この歌と踊りを献上せよ、とのことで…」


 吟遊詩人はこれまでの経緯をサラドに話した。

粗方が完成した所で支援者であるケントニス伯爵夫人に試演を観てもらうと、いたく気に入られ、サロンに人を招くからそこで披露すると良いと機会も与えられた。それまでの間に公園でも演奏し、人々の反応を見て、踊り手の二人とも相談し、手直しも重ねた。すぐに評判となり、小劇場から打診も受けた。陽の下で踊る姿はキラキラと輝くようで美しいが、野外である公園では二人の足腰に負担もある。劇場でとなれば、有料になるし観客は限られてしまうけれど快諾した。今後、彼はあくまで吟遊詩人として活動し、踊りが主の方は楽器を増やした厚みのある演奏で、より良いものに発展させられないかと協議中だ。

サロンでも概ね高評価をもらえ、噂話が王都にまで届き、王宮から招きがあったのだという。トントン拍子過ぎて怖さを感じるくらい。

それで、明日ケントニス伯爵夫人に連れられて出発予定なのだという。


「まさか人生で二度も王宮へ行くことになるとは夢のようです。一度目は今、思い返すと、悪夢でしたけれど」


吟遊詩人が自嘲気味に苦笑した。表立っては言えない事実だが、女王陛下から依頼された歌についての反応も聞きたいからだろうと踏んでいる。ケントニス伯爵夫人が女王陛下の覚え目出度いことも大きい。吟遊詩人はこれが己の成果と有頂天にならないように自戒していた。


「これを」


サラドが一冊の古びた本を差し出す。『精霊と人の恋』だ。


「持ち主から許可を得たのでお貸しします。あった方がいざこざを避けられるでしょうし」

「良いのですか? 貴重なものでしょう?」


サラドがゆっくりと頷く。テオは模写を繰り返した本を複雑そうな目で見ていた。


「むしろあの場で渡せなくてすみません。立場ある人にも見ていただいて証人になってもらえば…」


サラドが言わんとしていることは吟遊詩人にも理解できた。ケントニス領の隣にあたる灯台の町で新築の劇場のこけら落としだと発表されている演目。その宣伝文句である台詞と彼が歌う歌詞の一部が一致することに気付き「盗作?」「まさか」とヒソヒソと交わされる会話が嫌でも耳に入る。はじめからサラドは揉め事に発展することを危惧していた。心構えができていた吟遊詩人は「これか…」と納得し、堂々と振る舞った。観客の中には諜報員であろう者が紛れているのも感じていた。


「では、責任をもってお借りいたします」


うっかり乱暴に扱えばすぐにバラけてしまいそうなボロい本を吟遊詩人は恭しく両手で受け取った。


「では劇場でお待ちしています」

「ええ、楽しみにしています」


 笑顔で別れ、公園を後にしたサラドはテオを縦抱きにした。


「待たせてごめんな。次に行くのは…」


視点が高くなってはしゃぐテオに、サラドは言いにくそうに口ごもった。


「この町の神殿はたくさんの絵画で飾られているんだ。それをテオに見せたくってね。もし怖ければ…」


神殿という言葉にテオが僅かに体を強張らせた。


「全ての神官が敵ではないよ。お祭りの時にお守りを買っただろう? あそこも神殿の一部なんだよ。養護院って言ってね。行き場のない子供たちが暮らしているんだ。怖いことなんて起こらなかっただろう? 殆どがテオに酷いことをしたような人じゃないんだよ。オレがずっと抱いているから。やっぱり無理ってなったら叩いてくれればすぐに引き返すよ」


 収穫祭の時に訪れたのは小さな町で、神殿といっても建物の見た目は普通。礼拝堂にも入っていないし、テオは神官の姿も見ていない。養護院の前で子供たちが出していた屋台に寄っただけ。

しかし、この町の神殿はいかにも普通の住居ではないし、神官や神官見習いも複数人在籍している。サラドはテオの潜在的な恐怖を少しずつでも取り除きたいと願っていた。その一歩には見応えのある絵画で埋め尽くされたこの町の神殿が最適だろう。


「…行く」


サラドの肩の布地をぎゅっと握ってテオはこくんと頷いた。



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