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119 奪われる力

 日が落としていた影が長く伸び、やがて朱い夕陽も去り、一面の闇へと転じていく中で、急速に強まる悍しき力にサラドは注意を払った。その気配は零した水のように広がっていき、足元全体を覆い尽くし、地の底へ底へと沈んでいく。

そこら中で小さな小さな生命が潰える。悲鳴をあげる間もなく握り潰される。立っているだけでも地についた足裏から魔力を、生命力を奪われる。

ぞっとする感触にサラドは思わずシャツの胸元をぎゅうと握りしめた。


 あの後も日暮れまで探索を続け、距離を置いた二箇所で人為的に穢された痕跡を見つけた。一箇所は宿り木のある樹木ばかりが生気を失い、もう一箇所は小川の流域で転々と水が濁っていた。硬貨形の土塊は見当たらなく、足跡はやはりぷつりと途切れている。王都側に進むか聖都側に進むか迷ったので、逆方向にも、その先にも、もっともっとあると予測された。


 そして、日が暮れ、本来ならば安息をもたらす夜が訪れると、飢えを満たそうと貪るように地や空や水の力が奪われていった。ずっと寄り添っていてくれた闇の精霊も居心地が悪そうに身を揺らす。


「どうしたらいい? オレにできることは…」

――逃げて 今は危険 夜が明けるまで避難して

「イヤだ。少しでも…少しだけでも…助けないと」


 ここら一帯の穢れや澱みの解決策はおろか、今すぐにできる防衛術もサラドにはない。力を失って逃げることも、助けを求めることもできない精霊を帰すことに奔走する。一声めの前の、息を吸うような音にもならない微かな気配を探り、一晩中駆けずり回った。


――逃げて このままではサラドも正気を保てない

「…イヤ…だ。まだ…」


 空の端が白み出し、力を奪う勢いが若干削げた時、ズズッと地を揺るがす音がした。

サラドを守ろうと闇が纏わりついて耳を塞ぎ、目を覆う。その深い闇をも貫いて断末魔が響き、夜明け前を照らす強烈な赤い灯が目に入った。

真っ赤な葉を繁らせたように樹冠を燃やす大樹がぐねりと幹を捩り、根を土から引き抜き一歩を踏み出す。枝先が彼方此方を叩き、周囲の木に火を散らした。目と口のように空いた洞が嘆き叫ぶ。

それは、木の精霊が狂い、魔物に堕ちた姿だった。


――もう、手の施しようがない 死して精霊界に帰すしかない

「そんなっ」


このまま暴れて他の木々を巻き添えにし続けたら、精霊界に帰ることもできず消滅するしかなくなる。そうなったら永遠に生命の輪には還れない。


「ぐっ! 火よ!」


サラドの指先に導かれてランタンから蜥蜴の姿で飛び出した小さな火は空中でくるりと前転し、一気に膨れ上がって大きな翼を広げた鳥に転じた。魔物となった大樹の力枝をその足でぐわっと掴む。魔物自身の炎と火の鳥の炎とが合わさって大きな火柱が立つ。炎は下にも走り幹を舐め尽くす。抵抗しようと太い根が土を跳ね上げたが、火の鳥が二回羽ばたきをする間に大樹は焼き尽くされ、真っ白な灰と化した。

小鳥の大きさに戻った火は延焼した炎を吸収しながら飛び回り、迎入れるように差し出したサラドの手に頭をこすりつけてランタンに戻った。


 魔物を倒せても、サラドの胸内はとても冷静ではいられなかった。精霊であったものを手に掛けねばならなかった哀しみ、その役目を同じ精霊に負わせてしまった悔い。何より、燃えさかる中で魔物に堕ちた木の精霊が一瞬元の姿を取り戻し、儚く「あ…」と言いかけたこと。

精霊と会話のできるサラドは彼らの感情とも共鳴しやすい。堪らず涙が次から次へと頬を伝わった。


「水の精霊よ。頼む。どうか癒やしと恵みの雨を」


精霊たちが逃げ出した土地で、力を貸してもらえるかわからなかったが、左腕の袖をまくってナイフを沿わす。血が出る前にヒヤリとした感触が肌にあり、ナイフと肌の隙間に水の膜ができていた。ナイフがグイッと押し退けられる。


「…ありがとう」


零れ落ちる涙を掬うように水がふわふわと宙に浮き、しとしとと雨が降り出した。鎮火した枝や草地が湿り、白い煙が昇る。


「ありがとう、みんな…。オレ…何もできなくてごめん…」


雨に打たれる以上にサラドの頬は濡れ続ける。


「どうか…仲間たちに伝えて。少しでも不穏な兆しを感じたら、すぐに逃げて、と」


風が雨を顔に吹き付けて去り、朝陽から逃げるように闇がサラドから離れて行った。



◇ ◆ ◇



 もう昼近い時間になってシルエはぐずぐずと起き上がった。


「うーん、起きなきゃ…。神殿にいた頃は夜明け前起床だったけど、すっかり時間感覚が乱れちゃったな…」


上半身を起こした状態でしばらくぼんやりと過ごす。なかなか頭が冴えてこない。


「はやいとこ、昔みたいに短い睡眠時間でも効率的に疲れが抜けるようにしないと」


欠伸をしながら寝台を降りる。窓を開ける前に机上に載せた覆いを外して磨かれた鉄の板を観察した。これは灯台の町で採取した水路の水を蒸発させ、溶けていた異物のみが残るようにしておいたもの。鉄板の表面にうろこ状の模様ができ、一部は砂や塵で盛り上がっている。

別の瓶に分けておいた水は温い温度に調節しておいた。特殊な薬を一滴垂らすと、みるみる色が変化していく。目に見えない微細な生物やその死骸に反応する薬だ。


「ふーん。やっぱり、そこそこ汚れているな。上水でも下流にはこれだけの病原体もいる…か」


ささっと記録を終えると、埃や空中の胞子などが付着しないように覆いで密閉した。この結果と後に浄化がどれくらい効いているかを比較する。


 乱れた衣類も寝癖もそのままに、台所へ水を飲みに行く。ついでに水を生む石でディネウが守る湧き水から増やした水の観察も行う。瓶いっぱいに増えたばかりの時はいくらかその力を残しているように感じたが、日数が経過してもそのままなのか検証中だった。


「普通の水と比べるとちょっと冷たくて、ちょっと美味しい? かも? 力は確実に減っているけど、ほんの少しだけ残るか。…まあ、そんな都合よくはいかないよねぇ。加工するなら、やっぱりすぐか新しく汲ませてもらうか、だな。これだけ澄んでいるだけでも凄いけど」


柄杓を置いて水瓶に蓋をし、再び使用しないように注意書きで封をしておいた。

勝手口から外に出て、日の光を全身に浴び、ぐんっと伸びをする。


「おはよう」


かけられた声にシルエはぱっと顔を輝かせた。


「あ! サラド帰ってたんだ。おかえり。おはよう」

「うん、ただいま」


 サラドは庭に出した魔馬ヴァンの傍にいた。シルエが駆け寄るとヴァンも挨拶するように鼻を近付けてクンクンと嗅ぐ。避けたくなるのをシルエはぐっと我慢した。


「んー? この馬、ヴァンだっけ? ちょっと小さくなった? これくらいなら僕でも乗れそう」

「そうなんだよ。安定して良かった」


馬の大きさに対して、倉庫を改装した寝小屋では小さく窮屈ではないかとノアラは心配していたが、これなら余裕があるくらいだろう。


「…サラド、何かしたんでしょ。しらばっくれる気?」

「そんな特別なことはしてないよ。体に負担がかかりそうな余剰な魔力を抜いただけ」


視線を逸らしたサラドの視界に入るようにシルエが移動する。


「無理したんじゃないの? ねえ?」


サラドは曖昧に微笑む。誤魔化そうとする態度に、心配全開のシルエはむっと口を尖らせた。せっせとヴァンの体を拭っているので少々上気しているが、陽の光の下でも顔色は悪く、疲れは隠しきれていない。ふう、と息を吐いて額の汗を拭い、丁寧に拭っていた布を置くと次はブラシを手に取る。


「何、その布、カビ? 大丈夫なの、それ」

「ああ、これ?」


広げて見せられた布は薄く緑色というべきか灰色というべきか、まだらで薄汚い。


「えっと、あの緑色の粒子を溶いた水に浸けてみたんだけど…」

「何で染めようと思ったの? 緑色の布が欲しいの?」

「いや、そういうわけではなくて。ほら、これはあの金色が抜けた結晶の粉末だろう? もしかしたら緑色の部分に金色の、毒…みたいな、良くないものを吸着する性質があるのか…と思って。それでヴァンの体を拭いてみたんだけど」

「で、結果は?」


サラドはふるふると首を横に振った。


「残念だけど、特に何も。悪魔もこの粒子は搾りカスだって言っていたしね。もう力はないし、持たせることもできないのかも」

「ま、そう簡単にはいかないよねぇ。でもこの様子なら心配はいらないんじゃない?」


 信頼を寄せてすっかり甘えているし、ディネウ一人で乗ることも可能。いわゆる魔物の素振りは見られない。出会頭のヴァンは殺気を放ち、頭を縦に振って噛みつこうとしたり蹴り飛ばそうとしたり、とにかく暴れていた。その初期にサラドが何かをしたのだろうとシルエは踏んでいる。

緑色の鉱物の有効活用も念頭にあるのだろうが、急変することを危惧して取り得る対策は全てしておきたいのだろう。


「布に染み込ませるだけが目的だったけど、こんなに気味悪くなるとは思わなかった。色が出ないし、均一にもならなくて」


布を見てサラドとシルエは苦笑し合う。ブラッシングを催促するようにヴァンが鼻先をサラドの背に押し付けた。「ごめん、ごめん」と言いながら再び手を動かす。体が大きい分しっかり力を入れないと満足してもらえない。


「確かにこの緑色のままに染められたらキレイだろうね。本職の人に相談してみるかな。緑は邪気を祓う色だし。シルエの目も春の芽吹きの生命力が漲る色だ」

「な、何、急に?」


照れを隠すようにシルエも反対側のブラシがけを始めた。二人がかりで終わらせ、ぽんぽんと首筋を叩くとヴァンはご満悦で森の方面へ駈けていった。


「あれ? 屋敷の外に出て平気なの?」

「大丈夫。呼べばすぐ帰って来るよ。もうノアラにもこの家にも認識されているし。寝小屋も覚えたから、帰巣本能もある。…仮に群に戻ってここには帰って来なくても、それに越したことはない」


サラドはちょっと寂しそうな顔をした。それはヴァンが戻らなくなったことを想定してか、それとも群から怯えられたことについてか。


「それに、ここで用意できる飼い葉の他にも自由に食べて来られるだろうからね。体が変化しているから食性も多少変わっているかも。今度、一緒に森に行って、何を好むか見てみないとな…」

「え? 何を食べるっていうのさ。まさか肉食になっているとか?」

「歯は変わってないからそこまでの変化はないよ。多分」


つい馬が小動物を捕食する姿を想像してしまったシルエはほっと胸を撫で下ろした。


「昨夜はどうしていたの? 今日は家でゆっくりできる?」

「…そうもいかない。できれば今すぐにでもまた向かいたいところなんだけど」

「焦っても大局を見逃す。サラドが言っていたことだよ? 仮眠とって」

「うん…」


家の中に入るようにと、サラドの背を押しながらシルエは治癒を施す。「あったかいな」という呟きが耳に心地よく届いた。



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