118 長兄のいない夕食
シルエが帰宅すると、裏庭にある物置小屋のひとつが片付けられ急拵えで馬の寝小屋に改装されていた。中央がくり抜かれた岩の水飲み場は胸の高さくらいの位置にある。注水が大変そうだが、底に沈んだ水を生む白い石が水面に七色の輝きを揺らしていた。誤って飲み込む心配がないくらいの大きい石は流石のノアラでも魔力を付与するのに労しただろう。
ノアラとテオでなんとか寝藁になる草を集めた。
「テオの手伝いってこれのことだったんだ?」
「サラドから頼まれていた」
「へぇ、あの馬は運が良かったよね。サラドに出会うなんて」
ノアラもこくりと頷く。何の気なしに金髪のてっぺんについている枯れ葉にシルエが手を伸ばすと、風を起こす勢いで避けられた。溜め息とともに自分の頭を指して示す。ノアラは申し訳なさそうな素振りを見せつつ頭から手探りで枯れ葉を取り除いた。
「サラドは今夜は帰らないそうだ。連絡が来た」
「えー、なーんだ。それなら惣菜でも買ってくれば良かったね」
軒下に設置した乾燥棚には冬に向けて様々なものが天日干されている。もう日が暮れるというのに、出されたままになっていたものをシルエとノアラの二人で手分けして勝手口から土間に運び入れた。
茸や野菜に混じって、猛禽類の爪のような形をした非常に辛い果実や、ピリッと痺れる味の草の実などもある。刺激の強い味はディネウも好むが、シルエが戻ってから数を増やしたらしい。
土間にある天板と側板のみの棚には棚板はなく、四角く編まれた笊が抽斗のようにはめ込める。乾物は長期保存を可能にするのも勿論だが、常に野営や旅を念頭に置くサラドには欠かせない。味も染み込みやすく調理時間も短くて済み、手軽で使い勝手も良い。味がぎゅっと濃縮されるためこのまま食べても美味なものも多い。
鱗茎の野菜も細長く刻まれ笊の面いっぱいに広げられている。薬味として料理にふりかけるのをシルエが気に入り、それを受けてサラドは例年よりも「たくさん作るね」と張り切っていた。切ると涙するほどツーンと目に染みるのだが、せっせと刻んで水にさらしていたのを思い出す。まだ半乾きのそれをつまみ食いすると、生食だとある辛みを後味に感じた。
「シルエ、そっち側、持ってくれ」
「え? それはそのまま出しておいていいみたいだよ」
ノアラが手をかけていたのは、皮を剥いた果実を紐で連ね、軒下にぶら下げたもの。玉簾のように棒に幾筋も連ねられている。雨に濡れない位置に干しているので夜も基本出したままだ。実が萎びて表面が白っぽくなり糖分が滲み出たものはノアラの好物なのだが、魔馬ヴァンがやって来た日、半分ほど食べられてしまった。
その時「ほら、やっぱり」とシルエは思った。乾燥棚には馬が食すには適さないものや貴重な薬の原料もあるので、鼻面を挟んでサラドが言い含めていたが、あの天真爛漫な走りっぷりの馬が目の前にあるのに「食べてはいけない」など聞き分けられるとは到底思えなかった。
「食べるなって馬に言っても無理だよねぇ」
肩を竦めるだけでシルエが手を貸す素振りはない。干し果実を見上げたノアラは眉間に皺を寄せ、渋々諦めた。
台所からもくもくと湯気が立ち昇り、芳ばしい香りがした。それを嗅いで、思い出したようにノアラが食料の貯蔵庫から瓶をいそいそと持ち出す。
貯蔵庫には野菜や芋や豆、穀物、乾物の他にも、調理済みで小分けにしてきっちり封をして保存されたものが多数取り揃えられている。
他にも、樽に漬ける用の葉野菜がどんと積まれている。塩もみして発酵させた葉は冬の間中持つ。
仮に籠城しなくてはならなくなっても飢える心配はしばらくなさそうだ。
テーブルにどんと置かれた鍋にはほかほかの芋がある。それぞれ食べられるだけを取り分けられるように木匙が添えられ、塩や乾燥させて粉末状にされた香草も用意されていた。
「芋はテオが皮を剥いて茹でてくれた」
テオがえへへと笑う。茹で湯を捨て、鍋をゆすりながら火にかけ、水分を飛ばした芋はホクホク。今のところ温め直す以外でテオにできる唯一の料理だ。
きっと、ノアラ独りだったら食事も気が向いた時で、一日食べないということもままあるだろう。良くて芋は皮付きの丸ごと蒸すだけ、保存食の封を開けるか、干し肉をかじるか、携行食に手をつける。
燻製肉をスライスし、保存瓶を開けて酸味のある赤い実で煮込んだ豆を三等分する。寝かされたことで酸味がほどよく抜けて甘味が強くなっている。そこにシルエは酢漬けの瓜を足した。この酸っぱい味がテオは苦手らしく、トングでつまんで差し出すと首を横に振られた。
ノアラはもうひとつ、貯蔵庫から持ち出した小瓶を大事そうに手元に置いている。中身はナッツのハチミツ漬け。夜食にするつもりなのか、開封する様子はない。
さて、じゃあ、食べようかと手を合わせた時、裏庭でドンッと重い音がした。しばらくして「おーすっ」と言いながら居間に入ってきたディネウの姿は、防具類の下に着用している体にピタッとした衣類のみで、洗った顔と腕から水を滴らせたままでいた。
「おかえり」
床に水溜まりができていく様子に、テオが椅子からさっと降りて棚から大きめの手拭きを出してディネウに渡した。
「おっ、気ぃ使わせたな」
水飛沫が飛ぶほど乱暴に拭う無神経さに、シルエが皿を手で覆い「ちょっと!」と不機嫌な声をあげた。
「…ディネウも芋、食べる?」
「あー、余分があるならいただくが、新たに用意するならいい」
「芋はいっぱいあるよ。付け合わせは自分で好きなもの、取ってきて」
テオが恥ずかしそうに俯く。適量がわからず、どんどん皮を剥いてしまい、とても三人では食べきれない量の芋が鍋にある。
ディネウはちらっと三人の皿の上を見て、燻製肉の残りをもらい、酒だけを持ってきた。
「サラドはどうした?」
「今日は帰らないって。ディネウ、一緒じゃなかったの?」
「途中で別れた。情報を探りに行ったから、何か見つけたのかもしれねぇな」
「ふーん、そう…」
「そういや、馬小屋の準備、手伝えなくて悪かったな」
ノアラとテオが二人して首を横に振った。
「ヴァンも喜んでる」
「ヴァン?」
「馬の名前」
「へー」
おざなりな返答をしてシルエは芋にピリッと辛い実を削りかける。
芋を一口食べたノアラが少し悩んだ後、ナッツを漬けたハチミツのみをタラリとかけた。ふわっと香る甘い匂い。半開きの口でテオの視線は黄金色の液体に釘付け。完全に動きが止まっている。
ノアラはこくりと頷き、テオの皿にもハチミツを垂らした。
「わっ! ありがとう!」
前髪を無造作に掻き上げ、酒坏を傾けるディネウは物憂げに見える。実際にはこれといって何も考えていない時の表情なのだが、『剣士と水に身を投じた乙女の悲恋』の舞台に感化された女性たちには、亡き恋人に想いを馳せているように見え、男の色気を感じて魅惑的らしい。
紺の艶を増す濡れた黒髪の隙間でキラッと光が反射した。サラドの左小指の指輪と同様、ノアラと繋がる座標軸の陣を組み込んだ魔道具だ。指輪では剣を握るディネウには邪魔になるため、耳輪に引っ掛ける形にしてある。
普段は髪で隠れて見えないそれを認めて、シルエが不本意そうに口を歪めた。フォークで八つ当たりされた芋が皿の上で潰れていく。
「ねぇ、ノアラ、早く音の術で遠隔でも連絡出来る方法作ってよ。僕もサラドと連絡できるように」
サラドが魔道具の指輪を通して風の精霊に伝言を頼めるのは片道のみ。風の精霊と意思の疎通ができないノアラは一方的に届けられる声を聞くことしかできない。ただその際の様子はサラドに伝えられるので、頷くとか、首を振るとかの端的な意思表示は返せる。
「転移座標の魔道具を僕も使えるようにしたいなぁ。できれば僕専用のをサラドに持っていて欲しい。なんとか制約を取り外せないかなぁ」
貧乏ゆすりをしだしたシルエの顔にディネウがぼすっと手の平を当てた。恨めしそうな目を向けられてもディネウは気にせず、芋と燻製肉をいっぺんに頬張り、酒杯を呷る。
「食べ物に当たるな。サラドがいたら悲しむぞ」
「うぅ…」
反論できず、居住まいを正して、潰れた芋を丁寧にまとめて口に運ぶ。
「…サラドはちゃんと食べているのかな」
腹が満たされた後、手短にディネウからは魔物の様子、シルエからは魔道具の設置について報告し合い、お開きとなった。
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