113 古代人についての考察
続けて、サラドは一枚の紙をディネウとノアラに向けて置いた。シルエが「ああ、」と声を漏らす。
「それと、これは『精霊と人の恋』の一場面をテオが模写したものなんだけど。不完全ながら召喚陣が隠されていることがわかって」
サラドの説明を聞き、ノアラが紙を裏から光に透かす。一見冷静で無表情に傾聴していたノアラが瞠目する。ディネウに紙を渡すと、我慢が利かなくなった様子で急ぎ居間を出て行った。
「悪ぃ…。見ても俺には何のことだかわからん」
ディネウがゆるゆると首を振って、紙をそっとテーブルに戻す。チョークで描かれた絵を擦ってしまわないように、ついっと中央にずらした。ノアラの離席で話が中断した拍子に、シルエは片手で目を覆い、詰めていた息を吐ききった。
「…ちょっと理解が追いつかない…。その、悪魔の話は本当のことなの? 撹乱させようとかじゃなくて?」
「少し意地悪な言い方はするけど、嘘は吐いていないと言える。そんなことする意味がないしね。ただ古代のことは真実かどうか証明しようがない」
筆記具を手に戻ったノアラはガタッと乱暴に椅子を引いて、座る途中からペンを走らせ始めた。シルエに紙を持っていてくれるように頼み、下から仰ぎ見て陣を書き取る。見慣れぬ記号についてはサラドに教えを請う。
サラドの話を聞いている間、膝の上でノアラの手がわきわきと動き、眼球も少し揺らいでいるのをシルエは見ていた。。無表情は頭の中で整理するので一杯一杯だった故だろう。書き留めたくて仕方がなかったに違いない。
ノアラが書いた図を見て、ディネウが「へー、これが?」と無感動な声を出した。
「こうしてみると再現できているのは二割くらいか。ホント勿体ない。…精霊や悪魔との契約に関する本は焚書されたってところかな。ヒントだけでも残したかったのか、密かに伝えていたのか…」
模写から陣を発見した際のサラドの気落ちした様子をシルエは思い出した。悪魔が語った古代人が力を求める理由と絵物語に残された『精霊召喚と契約』の意味をすぐに結びつけたことだろう。純粋な愛の物語でなかったことに落胆していたのだろうか。
サラドに質問しつつ、要約をノアラが書き終えるまで、ディネウとシルエはもう冷めてしまったお茶を渇いた喉に流し込み、手持ち無沙汰に豆をポリポリと噛んだ。咀嚼をしているとだんだんと平静を取り戻していく。
「オレたちが魔人と呼んでいるのはその古代に封印された罪人だと推測している」
サラドが苦々しく言った。シルエもノアラも同調する。
「封印されたが為に空に開いた穴から逃れ、時を越えて復活しただって? 悪質な犯罪者が? えらい置き土産だな」
時代の空白を知る術はない。魔人が当時の記憶を持ち、その頃の意識のままであれば、同胞に置き去りにされた上に、道具扱いしていた『魔力無し』が土地を占有しているのだ。排斥することを当然としたのかもしれない。しかも封印されていたのは更生不可能とみなされた中毒者で残虐性も強いときている。
「じゃあ、十年前までのあれらも…? 魔人を止めないとまた歪みを呼ぶ? 待って、何回魔人と戦ったっけ? 罪罰の資料とか残されていないのかな。あと何体くらい封印されているかわかれば、まだ対策のしようも…」
裁判や処罰の記録など書庫で見ていないかとシルエはノアラに視線を送る。顎に手をあてて、しばし考えた末にノアラは首を傾げた。
「…魔人もかつては人だった。力を求める方法を間違えただけの…。それで同じ人に見捨てられた…」
「サラド、躊躇うな。容赦するな。そいつらは人を、精霊を喰うんだろ?」
「うん…」
「お前ができなくても俺が斬る」
ディネウの覚悟にノアラも静かにペンを置き、力強く頷く。
「ところで、ノアラはなんで『堕ちた都』に行きたかったんだ?」
「怨嗟を揺さぶる音が見つかれば…、と。それを辿れば魔人の本拠がわかると踏んだ。警鐘の影響があった地点と魔物の発生地の分布から当たりを付けたが…」
「調査前にあのボウズに会っちまったもんな。でもあの情報は有益だったし。結果的には良かったろ」
ノアラが手の平を見つめ、項垂れた。魔力を奪われ、ディネウを襲ったのは事実だ。
「…すまない。油断していた」
「気にしてねぇって言ってんだろ」
ディネウはパタパタと手を振る。再度、謝罪の言葉を口にしそうになったノアラがぐっと唇を引き結んだ。
「魔人にとっての時間感覚が僕らとどれくらい違うのかわからないけど、過去に倒してから二十年くらい経っているんだよね。この間の王都での僕の攻撃だって結構強かったはずなのに。すぐ動ける要因は何だろう」
まるでこちらの神経を逆撫でるかのような魔人の行動。苛立たしげに宙でくるくると回すシルエの指先に光が灯るが、溜め息と共にシュンと消えた。心持ち上半身を反らしてできるだけシルエと距離を取っていたディネウが椅子に深く身を沈める。背もたれに腕を掛け、足を投げ出した。
「魔人自身はアンデッドではないから、オレの術も十分な効き目がなかった。シルエの術もおそらくは…」
「術に耐性があると?」
「多分。古代の人が魔力重視だったのなら、当然その対策をするはずだし。旅立ったばかりのオレたちで撤退させることができたってことは、むしろ物理攻撃に弱いのかも」
「あり得るな。だから接近を避けて、すぐ逃げるんだろ」
駆け出しの頃は、魔物の素早さと猛攻に追いつけず、詠唱を潰されているうちにサラドの囮とディネウの攻撃で決着がつくことも多々あった。焦って杖で殴るなんてことも。何本もの杖を折ってしまったノアラは物を壊すのを嫌がり、そのうちに素手で殴るようになったが。
詠唱の短縮や破棄、敵にさとられずに術を完成させる方法を編み出すのは、その頃の二人にとって急務だった。
「この二十年間も完全に休眠状態だったわけじゃなく、時々目を覚まして、悪戯をする感覚であちらこちらの様子を窺っていたんじゃないかと。オレたちには封印する術もないし。ニナは小さい頃から目をつけられていたみたいだから。たまたま機が熟していたってところかな」
「今すぐどうこうしなくても、すぐに魔力無しなんて掌握できるって? なんかムカつくな…」
シルエがむすっと口を歪め、テーブルを指先でコツコツと打つ。
「力を欲して魔人がああなったってことは、古代の有力者ってのは少なくともそれより強大な魔力を持ってたってことだろ? 逆らえねぇって存在だが、権力者でも支配層でもない。なら何故そんなにも力が欲しいんだろうな? いくら長命でも、力があっても、他人に無関心なヤツらばかりだったら、いつか死んでお終いだろ」
「もしかしたら秩序や良識を重んじて君臨した人も中にはいるのかもしれないけど…。王都の元となった遺跡は規模からして、中から下の魔力保有者が作った集落なんじゃないかな。絶対強者から守るには知恵や力を寄せ集めて暮らすしかないもの。そこには労働力として魔力の乏しい者、魔力無しと蔑まれた人もたくさんいたんだと思うよ。ここを見る限り、この屋敷の元主人は研究一筋の隠遁生活。他人の体を奪ってまで生き続けようとしていた。どう考えても違法だと思うけど、ね。そういう人の婚姻率、出生率は低かっただろうな。種の保存の本能が働くまでもなく、自分が生きられるんだし」
わからないという顔をするディネウに推論を述べるシルエ。ちらと視線を投げるとノアラもこくりと頷く。ノアラだって、ただ静かに暮らしたいだけ。人々を支配したり力でねじ伏せたりする気は毛頭ない。けれど、強い術を使えるというだけで、権力者はおもねるか恐れるかだ。ディネウを盾にして、術も使ってノアラは全力で逃げ、この安寧を得ている。
「各地で見つけた、もぬけの殻で町の形跡がない遺跡は世界を渡って行ったという者の物件だったのだろうか。ポツンとあるから何らかの儀式用、神殿のようなものかと思っていたのだが…」
ノアラが調査の進んでいない遺跡を思い浮かべ考え込む。
「もし、あの全てを喰らうような穴から無事に逃げおおせた者たちが僕らの先祖だとして。魔力の資質って遺伝性はないのかな。魔術に触れる機会がないだけで、現代もすごい魔力を秘めた人がいるかもしれないよね。僕らみたいに」
何気なく「僕らみたいに」と口にしたシルエは小さな違和感を覚えた。何かを見落としている気がする。
「遺伝しないとしたら、生まれた子供に魔力が無けりゃ、親よりどんどん歳くって先に死ぬってことだろ。それはキツイだろうな。…恋人とかもそうか。想い合っても魔力差で添い遂げられない。そりゃ、何としても力を得ようと考えるかも」
ディネウが沈痛な面持ちをした。「残される方も、残す方もツライだろう」と身につまされる。
「ん? もしかしたら、魔力の強い僕らも寿命が長い可能性があるってこと?」
シルエは焦って自分とノアラを交互に指し示す。自分の顔にそんなに関心もないので鏡をまじまじと見たことはないが、十年前もシルエは童顔だと言われていた。もうすぐ二十歳だという年齢で少年っぽいと言われ憮然とした記憶もある。
まだ皺もなく頬骨の位置も高いノアラの顔をじっと見て思う「確かに同年代からしたら若々しいかもしれない」と。ノアラもシルエを見て「若い、と思う」とこくりと頷いた。
「えっ、やだやだやだ。長寿命なんていらないよ! 僕はサラドと一緒に歳取っていきたいし」
シルエは体内を巡る血がすうっと冷えるような気がした。
「長寿になるかどうかは、魔力の制御や使用にも因るのでは? でなければ、不自然に長生きをした者の逸話がもっと残っていてもおかしくはない。シルエは子供の頃、魔力過多症だったと聞く。それも無関係ではないだろうと」
自らの体にも関わること、ノアラは両手の拳を閉じたり開いたりしながら、ぶつぶつと推論を述べた。魔力の巡りを意識するのに呼吸を整えるから云々、魔術の反動に堪えられるよう体幹がしっかりしている必要があるから云々、と続けて喋っている。普段無口なノアラも饒舌になるほど動揺しているらしい。
「長生きしたら何か問題あるのか?」
「えっ? だって…。ディネウだってキツイって言ったじゃん…。僕はもしかして、人として…」
「かもしれない、で悩んだって埒明かねぇよ」
両腕は頭の後ろに回し、足を投げ出してディネウはぐっと背を反らした。傾いた椅子の脚が浮き、ゆらゆらと座面を揺らす。
「あー、無理が利かなくなってきたよな。ひと休みしようぜ」
立ち上がって肩を回し、ディネウはわざとらしく疲れをアピールした。「これでお開きだ」という合図のように声を張る。
「その、『あー』って声、おじさんみたいだよ。くしゃみの時だって…」
「しゃーねぇだろ。出ちまうんだから」
片腕で頭を抱え込み俯くシルエの軽口は小さくくぐもっていた。
「俺は一旦、湖畔に帰る。前のアンデッド…、あれがうろついていた辺りより外周を見廻っておきたい。ノアラは少し休め。シルエ、余計な事考えんのは止めて、お前もちょっと眠って落ち着け」
無理にでも休むよう言いつけ、ディネウは放った防具と衣服を持って居間を後にした。
「本当に望んで一人でいたのかな。無関心にならざるを得なかったのかな。爪弾きにされたのは…」
ずっと黙っていたサラドが悲しそうにぽつりと呟いた。