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111 兄と妹と、不運と幸運

 ディネウが「待たせたな」と声をかけると、少年は口をポカンと開けた状態から我に返った。


「い、今のは、ま、魔物? あのにいちゃんは大丈夫なの?」

「…生きてはいる。大丈夫だ」


怖がったり、ほっとしたり、焦ったり、少年の表情が目まぐるしく変わる。一呼吸して「あ…」と帽子に目を向けた。どうしよう、という視線をディネウに向ける。


「シルエ、ノアラの帽子を代わりに被っててくれよ」

「ヤだよ。後で知れたら拗ねられるもん。ディネウが持ってなよ」


「しゃーない」とディネウは帽子を手に取った。差し出された変わった色の毛皮も受け取り、バサリと肩に羽織る。大きく裂けた穴が幾つかあり、べろんと型崩れした。

少年はディネウの背後にいる人物にペコリと頭を下げた。淡い灰色のマントは朝陽を受けて銀にも見える。真っ直ぐな杖を手に、鷹揚に頷く威厳に満ちた姿。フードを目深に被り、顔も表情も窺い知れないが、心の裡まで見透かされているような錯覚に陥る。罪の意識が胸を占め、膝が震えた。


「おいら…その…」

「急ぎ村に案内を」

「は、はいっ」


「あ? 俺と態度、違くねぇか」と呟くディネウに少年は恥に顔を赤くした。



 無事、村に到着すると、農具を手にした男達がボソボソと話し合っていた。その中にポツンといる女性は一睡もしていないのだろう。目にくっきりと隈があり、唇を噛んで耐え忍んでいる。


「あそこらはもう捜索したぞ」

「夕べの雨では歩き回ってはいないだろう。どこぞで寝惚けているのでは」

「残る場所は…まさか、山に入ったとか?」

「今、街道では魔物が出てるっちゅう噂だ。化かされて遺跡の森に連れ去られたんじゃあ…」


「それじゃあ…」と、痛ましそうにしつつも散会する様子に女性は縋り付いた。


「待って! お願い! もう少しだけ捜して――」


母の姿が見えた途端、少年がディネウの傍らから走り出した。


「母ちゃん!」

「あっ、ああ…」


聞きたいと、一晩中願い続けた声を耳にして、弾かれたように顔を上げた女性も迎えて走り出し、少年をしっかと胸に抱き込んだ。


「どこに…どこに行っていたの!」

「…ごめんなさい」


男達は「良かった、良かった」とほっとするも、ディネウとシルエに怪訝な視線を送った。片田舎にありがちな排他的な雰囲気。


「あのおっちゃんに助けてもらったんだ」

「おう、邪魔して悪ぃな。道に魔物が出て、このボウズを巻き込んじまった」


「魔物?」とにわかにざわつく面々をディネウが手で制する。


「魔物は倒した。心配いらねぇ。夜だし雨も降っていたから帰すのが今になった。眠れてねぇだろうし、腹も減っているだろうから休ませてやれ」


偉そうなディネウの態度に眉を顰め「魔物と戦ったって…?」とヒソヒソと交わす。品定めする視線。

どっしりと構えた風貌は見るからに歴戦の猛者。大剣を携え、革鎧には大きく抉れた傷があり、血の染みもある。ディネウの鋭い眼光と威圧感に、「じゃあ、迷子の倅が見つかったって報せてくる」と一人が輪から離れると「おらも」と、一人、また一人と散っていった。


「おいら、迷子じゃねぇのに…って、あ、痛って…」

「あのっ、息子を守っていただきありがとうございました」


涙で顔を汚した女性――少年の母親は彼の肩と頭をぎゅうぎゅうと押えて頭を下げさせた。


「ああ、構わん。気にすんな。ところでボウズ、お前の妹に会わせてくれないか?」

「え? あの…、いいのか?」


 指摘はできなかったが、少年はディネウの傷が治っていることに気付いていた。小さな切り傷でガサガサになっていた顔の皮膚はきれいなもの、左腕を庇う様子もなくなっている。

少年は『治癒』という奇蹟を実際に目にしたことはないが、神官の中にそういった力の使い手がいると、大人達が話しているのは耳にしたことがある。大怪我や病まで一瞬で治したという、伝説のような治癒士の逸話は寝物語に聞かせてもらった。

だから、どうしたって期待を込めた目で見てしまう。ディネウはそれに対して「見舞いだ」とだけ答えた。


「おいらン家はこっちだよ」


少年は母親の手をぐいぐいと引いた。意味のわからない母親は捜索に出ている夫や有志の村人を「迎えないと」と困惑しつつ息子の熱心さに引き摺られて行く。


「…。何? ディネウにもサラドのお人好しが移ったの?」

「悪ぃ…。これも何かの縁だと思って、頼む」

「いいけどさ。彼…運が良かったね」


シルエのじっとりとした声にディネウはポリポリと後頭部を掻いた。



 村でも端の方、小さな家の中でも更に狭い物置のような、窓もない暗い場所。干し藁に布を敷いた上で熱と痛みに魘されている痩せ衰えた少女。膿んだ臭いが室内に充満してる。それでも手に入る薬を塗布しているであろう匂いも混じっていた。


「これは…かなり壊死が進行しているね。衰弱も酷い」


開口一番の診断に、少年は泰然と佇む淡い灰色のマント姿の人物を振り返った。「お願い、助けて」と不安を湛えた視線が見えぬ顔に注がれる。


「ここはひとまず、こいつに任せて。ちょっと話をさせてくれ」


シルエを残しディネウが少年と母親を連れて部屋から出た。


「え? あのっ」

「湯と着替えを用意しろ。敷布の換えはあるか? それから今の藁は捨てた方がいい。新しいのは手に入るか? それと…」

「いつも使っていたベッドは別の部屋にあるよ」


少年は喜々として別室の扉を指す。何事かとおろおろする母親に「母ちゃん、お願い、おっちゃんの言う通りにして」と促した。


「じゃあ、そっちを整えてやってくれ」


母親が娘の衣類や寝台の準備に行っている間に、ディネウは屈んで少年の耳に顔を近付け声を潜めた。


「いいか。念を押すようだが、処刑されたくなければ、余計なことは言うな。俺の胸にしまっておくから。お前はちゃんと親父の仕事を手伝うこと。それから妹の歩行訓練に付き合ってやれ。アレは俺たちが何とかする。で、どの辺りから山に入って、どこら辺に何個くらい撒いたか覚えている限りを教えろ」

「…うん。あのっ、ぐすっ、…村からこっちまわりで山の…」


ぐすぐすと洟を啜る少年の頭に手を置いてグイッと押すとディネウは不敵に笑って見せた。ちょうど奥からシルエが呼ぶ声がする。


「お兄ちゃん…」


 ずっと続いていた痛みと悪夢に引っ張られているのか妹は泣きながら兄に手を伸ばした。少年は信じられないものを目の当たりにして瞼をぐりぐりと擦る。ディネウから「歩行訓練」と言われた際に、片足となる妹の補助だと思い、覚悟を決めた。苦しむ姿を見せないために部屋から自分たちを追い出したのだと。

ところが、切断するより他ないと言われていた妹の足は痣の一つも残っていない。ただ筋肉が落ちてもう片足より細いだけ。茹だるように熱かった額に手をあてると熱も下がっている。


「う…うそ…だ…」

「君はこの子の兄? いいか? 怪我が治ったからって急に走ったりしないこと。機能回復訓練は毎日少しずつ確実に。あとできるだけ栄養のあるものを食して」

「はい…はい、あ、ありがとうございます…」


少年は妹を抱きしめてぼろぼろと涙を流した。


「じゃあ、俺たちは先を急ぐ。いいか、親父や捜してくれた村の者にもちゃんと謝れ。言いつけを守れよ。じゃあな」

「えっ、待って!」


軽く手を上げて出て行くディネウと、身を翻したシルエに少年は手を伸ばした。引き留めたかったが、混乱して首に腕を絡める妹を無理には振り解けない。母が桶にお湯と着替えを持って部屋に入って来るやいなや、妹は母に抱きつき今度は大泣きした。突然のことで母はまだ娘の足の変化に気付かず、ぐずる娘を優しく抱いて宥めた。


 少年は慌てて屋外へ飛び出したが、もう見渡せる範囲に二人の姿はない。意気消沈して戻ると、家の奥から驚愕と歓喜に、悲鳴と嗚咽を漏らす母の声が聞こえてきた。食卓の椅子には先程帰った際に脱ぎ散らかした斑模様の毛皮が掛かっている。両手で広げてみると、雨に濡れた毛皮はずっしりと重い。少年を攻撃から守ったことで小さな穴や傷、毛が刈られてしまった箇所が複数に及んでいた。


「返すの忘れちゃった…。おっちゃんにちゃんとお礼を言えてないのに…」


どれくらい感謝すれば足りるだろう、少年は毛皮を抱き込んでペタリと床に座り手を組んだ。




 山に入り、火事で燃えた付近の地面に目を凝らす。少年の話では村人の目から逃れるために少し離れた場所から始めたが、殆ど山は登っていないらしい。最初の頃にひとつだけ、土に溶けた跡を見つけた。元の円形はなく、型押しされたという模様は跡形もない。僅かにキラキラと光を反射しているのでそれと判断したまで。それから小一時間探しても、それらしきものはない。


「…。あれがギリギリ最後の一個だったのかな。一日未満…短く見積もって半日と思っておいた方がいいか。地に落とされた瞬間から馴染んでいくのか、もしくは、雨のせいで早まった? …厄介だな。ノアラの場合は強大な魔力を急激に吸って一気に変化したんだろうけど。本来はこうして一体化し、ゆっくり地を穢し、力を吸い上げ、魔物を生む…? ねー、ディネウ、どう思う?」


シルエの問いかけに、煤けた場所だけでなく下生えの草を掻き分けていたディネウが頭を上げ「わかんね」と言い放った。


「なぁ、…仮に小動物が持ち去ったり、誤って口に入れたりしたらどうなる?」

「あの馬はその可能性がある、と。ディネウもそう思っているんでしょ。最近の魔物の発生要因はコレと見ていいかもね。あの子みたいに駒にされた者が何人もいそうだ」

「くっそ、溶けちまったら後はもうどうしようもないのか」

「一応、今まで通ってきた所は浄化したけど、効果があるかどうかは、何とも言えないな…」


苦渋を滲ませてディネウは額から髪の生え際に指を差し入れて前髪を掻き上げた。


「もう一箇所を見て引き上げよう。どちらにしろ、そんなに広範囲には行ってないらしいしな。他の地域で同じような依頼を受けた者がいないかの調査と…、この山にも傭兵を派遣して見廻りをさせるしかないか」


無言で頷き、クルッと杖を回してシルエは浄化の陣を描いた。


 結局、ノアラから魔力を吸ったのと同一の物はひとつも回収できなかった。


「あの男の子は切羽詰まっていた所を不運にも利用された。そこで幸運にもディネウと出会った。その妹も事故で怪我を負い処置が悪かったのは不運。でも兄が知り合った人が治癒士を連れてきたのは幸運」

「…お前の言いたいことはわかるが、偶々だろうが助けられるなら悪いことじゃねぇだろ。あいつは妹を助けたい一心だった」

「頑ななまでに固い意志を貫き通そうとする者は、得てして己の過失も罪も正当化する。そこに幸運が舞い降りれば尚更」

「あのボウズは過ちにも自分で気付いたし、後悔も反省もしていた。どうしようもないって時に手を差し伸べられた経験が、その後、生き抜く力になるかもしれないだろ」

「次に困難にぶち当たった時に『誰かが助けてくれるはず』『なぜ誰も助けてくれない』じゃなくて、自ら立ち向かえるようになることを祈るよ」

「お前も大概、ノアラとは別の方面で人間不信――」


平坦なシルエの声音。ディネウは途中で言葉を詰まらせ、くしゃっと顔を歪めた。


「へっ…ぶしゅっ」


くしゃみをしたディネウは「あー」とだみ声を出しながら鼻の下を手の甲で擦った。一気に失せた緊張感にシルエは鼻息を漏らして肩を竦める。


「何? 風邪ひいた?」

「雨に濡れたままだったしな。ずびっ…それに…尻が寒い」

「尻って…。ああ、そう言えば、あの毛皮、あげちゃったの? そこそこ強い魔物の皮だから多少の魔術や斬撃なら防御できるのに?」

「あげたっていうか…。返してもらうの忘れたな。でも、まあ、だいぶボロだし、もういいだろ」

「目立つようにって、斑柄、ディネウのトレードマークだったのにね。最初はそっちを肩にかけていて、派手すぎて恥ずかしいって止めたんだっけ。どっちだって大して変わらないのに」

「うるせぇ。俺としては違うんだよ。年齢的にも、もうちょっと落ち着きたいっていうか…」

「ふーん? 本当は人目を引くの、嫌だった?」


 初めは実力ある傭兵として認知してもらうためだった。後にシルエやノアラを囲いたい者からの目眩ましのため。魔物の毛皮は派手さと威圧感でその役割を果たしていた。


「…嫌、とかではねぇけど、面倒くせぇことは多いよな。それは『導師』の経験があるお前もわかってんだろ」


ディネウがバリバリと頭の後ろを掻く。「ふんっ」とシルエは鼻を鳴らした。


「本当はどんな装備が好みなの? 今なら大サービスで新しい防具にも祝福をあげるよ」

「そりゃどーも。とにかく帰ってからだな。一旦、山林の町に寄れるか? 警告だけでも周知しておきたい」

「いいよー。じゃ、行きますか!」


ディネウとシルエの二人は傭兵と自警団への注意喚起を終えてからノアラの屋敷へと戻った。



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