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110 魔を生むモノ

 地が揺れるほどの衝撃や凄まじい雷鳴が立て続く中、少年は言われていた通りに身を丸めていた。怖いけれど何が起きているのか全く知らないのも、それはそれで怖く、そっと片目分だけ毛皮をずらして様子を窺った。


(なんだ、あれ…?)


雨が竜巻に烟り、ちょっとした嵐だった。初冬の時期の発生はあまり聞かない。しかも同じ場所に留まって動かない竜巻なんて見たことがない。それに、竜巻の傍らでどんどん大きくなる影があり、一層不気味だった。

稲光で真白くなった視界に浮かぶ剣を掲げた人影。ピシャンと耳をつんざく轟音がビリビリと地を這って腹に響く。


(ど、どうしよう…おっちゃんが雷に…)


黒焦げになる姿が頭を過り、思わず顔を背けた。恐怖と死の予感に奥歯がガチガチと鳴る。


(雷が鳴ったら高い木の側から離れて手の平、足の裏を地面に付けて蹲れって父ちゃんは言ってた。どうしよう、怖い…。ここから出るべき? おっちゃんを助けに行くべき?)


四つん這いでそろりそろりと動こうとしたが、突風が迫るのを感じて慌てて毛皮を引き寄せる。しなる枝で叩かれたような打撃があり、ビクリと体を震わせたが、吃驚しただけで大した痛みはない。その後も何度か同じように身を打つ感触があり、ひたすら身を縮めて耐えた。

雷鳴に痺れた耳に雄叫びが聞こえ、また一寸だけ毛皮から目を覗かせる。身長の二倍は優に超えるだろう、ゴツゴツした巨人に振り下ろされる剣が見えた。雷は脇の木を裂いて燃えている。


(おっちゃん…生きてる…)



 気を失っているノアラを肩に担ぎ、ディネウは木陰に戻った。肩に掛けた毛皮を脱いで敷き、そっと下ろして横向きに寝かせる。


「もう大丈夫だぞ」


カタカタと震える毛玉と化している少年をポンポンと叩いた。そろりと顔を出した少年はぎょっと顔を強張らせた。


「わわっ、おっちゃん、ち、血だらけだぞ!」

「ああ? こんなの怪我のうちに入んねぇよ」


血と雨と泥がポタポタと滴る。顔など肌が露出した部分に数え切れない小さな切り傷がある。特に竜巻に突っ込んだ左腕は裂傷が大きく痛々しい。肩当てにも抉れた傷がついている。ディネウは襤褸になった籠手を外してポイッと投げ、顔を手の甲で乱暴に拭った。


 ドッドッドッと煩い胸を押えて少年は周囲を窺った。雨は変わらず降っているが、風は止み、遠雷もない。辺りはもう暗く、様子はあまりわからなかった。


「そっちのにいちゃんは大丈夫なのか?」


ノアラは胎児のように体を折り曲げて寝ている。見たところ大きな怪我はないが、顔は真っ青で呼吸も浅い。金髪は泥で固まっている。


「なんだよ。俺はおっちゃんで、こいつはにいちゃんなのか? 二、三歳しか違わねぇんだけどな」

「あ…えっと…」

「早く村に帰りたいだろうが、夜の移動は危険だ。朝になったら送ってやるから、寝ろ」

「寝ろ、とか言われても…」


ディネウは「寝ろー、寝ろー」と少年の背中をトントンと叩いた。強がっていた少年も「なんだ、それ?」とくすりと笑う。胡座をかいたディネウの腿に頭を預けるよう促されると素直に従った。


「おっちゃん、強いんだね…」

「まぁ、な。それなりに強いぜ」


少年がぎゅっと拳を握り締め、下唇を噛んだ。


「…さっきの、魔物…だよな。やっぱり、あれ、おいらが持っていた物のせい…」

「…。心配すんな。もしも、こいつが魔物に化けたら俺が責任を持って、たたっ斬る」

「何言ってるんだよ。そのにいちゃんは仲間なんだろ?」

「ああ、だからこそ…。もう、いいから、寝ろ」

「だから、寝ろって言われても」


口をへの字にしていた少年も疲れに抗えず目がとろんとしていく。トントン…と優しいリズムにやがてスゥスゥと寝息が聞こえだした。

ディネウはノアラの背を擦ろうとして手を止め、ちっと舌打ちした。


「しっかりしてくれよ…。なあ、ノアラ、眠っているだけだよな?」


ディネウの声かけにもノアラの瞼はピクリとも反応しなかった。



 雨は夜半にしとしと降りに変わり、空が白んで来る頃には止んだ。


「さて、村に帰ったらお前が言うべき言葉は『ごめんなさい』だけだ。余計なことは喋らなくていい。山に撒いたってモノも俺らが回収しに行く。心配すんな」


ぽすっと頭に手を置かれ、少年はディネウを見上げた。まるで麻袋でも担ぐように、ノアラの腹を肩に乗せて膝裏を支えている。首も腕もだらりと下げたノアラは依然として意識を喪失しており、顔色は酷く悪い。


「歩けるか? さすがにこの状態で二人を担ぐのはキツイ。頑張ってくれ」


少年はブンブンと首を縦に振った。ノアラの帽子と敷いていた毛皮を拾いあげる。年季の入った帽子は縁に綻びもあるが大事に使われてきた代物に見えた。


「おう、悪ぃな。持っててくれるか? で、お前の村はどっちだ?」

「えっと…」


 木陰から出て少年はあんぐりと口を開けた。あまりにも変貌した林の様相。道の真ん中にこんもりとした泥の山。縦に裂かれて焦げた木、根こそぎ倒れた木、へし折られた木。抉れた地面に倒木や小岩で埋め尽くされたぬかるみ。


「あー…。道の補修も追々やるから…」

「昨日のこと全部、もしかして夢だったのかも、なんて思ったけど、こんな…」

「…夢なら良かったんだがな」


ディネウの重々しい口調に少年は口を噤んだ。ズボンをぎゅっと握る。この惨事は少年が招いたも同然だ。あのぼろぼろの布で身を覆った人の甘言を信じたがために。深呼吸をひとつして涙を引っ込める。

改めてきょろきょろと見回してもここがどこか確信が持てない。


「そうか。じゃあ、遠回りになるが一旦岐路まで出よう。そこまで行けばわかるだろ。親や村の(モン)も捜しに来ているかもしれねぇしな」


少年はディネウの半歩後ろを歩き、ちらちらとノアラを気にした。歩を進める度にブラブラ揺れる腕は生きてるものに見えない。金色の睫毛も震えてさえいない。呼吸音に耳を澄ますが、雑音で聞き取れない。もしかして、と考えて怖くなった。


「おっし、この先が山林の町に続く道。あっちが聖都、こっちの方角が王都だ。どうだ? 村の場所はわかったか?」

「うん。…なぁ、おいらはもう大丈夫だよ。それより、にいちゃんを早く治療してもらった方が」


少年が遠慮がちに申し出た時、地を鳴らす蹄の音と、ディネウの名を呼ばわる声が聞こえてきた。


「ディネウ!」


「それは、馬?」と問いたくなるような巨軀の背からサラドがスタッと飛び降りた。減速中の馬がピタッと停止する。


「ディネウ、無事? ノアラの様子は?」

「おう、すまん。心配かけたな。のっぴきならねぇ事が…」


 逞しいというよりスラリとした体格、縮れて曲線を描くたてがみと尾、一見仔馬にも見えるがとにかく大きい。見たこともない馬らしき生き物に恐れをなした少年はディネウの背に隠れた。安心させるようにぽすっと頭を撫でる。


「心配すんな。俺のダチだ。悪ぃが、ちょっと話してくるから待っててくれるか?」

「う、うん…。おいらは大丈夫」


 ディネウは馬に近付き過ぎない位置でノアラを下ろして寝かせた。サラドが慌てて駆け寄り支える。つま先を地に伸ばした不格好な姿勢でシルエが体高のある馬にへばりついていた。馬が耳を伏せ、後肢を蹴り上げる仕草をしたので、危険だと判断したディネウがひょいと片手で補助をする。バランスを崩したシルエは尻餅をつき、「ぎゃっ」と無様な声を漏らした。


「鞍なしで疾走するとか…、ホント勘弁して」


やや内股気味で、膝に手をついて腰を落とした姿勢を保ち、はぁーと息を吐き出し、シルエは人心地つく。気を取り直すと「ディネウめ…」と低く唸った。

ディネウが馬の鼻先に手の甲をそっと出すと、鼻孔をひくつかせ、血の臭いにブルルッと鼻を鳴らした。あちこちを見て定まらない目、耳も左右バラバラに動いている。刺激をしないようにディネウはシルエに手を貸して、ゆっくりと馬と距離を取った。


「何だ? 情けない声出して」


シルエは恨めしそうにチラッとディネウを見上げ「うるさいっ」と拳を二の腕に当てる。いつものキレがない。「痛ぇ」と文句を言いかけて、温かな光に包まれていることに気付いたディネウは照れくさそうにポリッと頬を掻いた。裂傷から打撲、小さな傷まで一つ残らず治癒されている。ディネウがひとつ嘆息し、手短にことのあらましを話した。


「ああ、ふざけている場合じゃないな。それが――

 ――って訳だ」


「その得体の知れない土塊が魔力を吸ったってことだよね?」


 話を聞き終えたシルエは杖の先端で額をコツコツと叩き、考えを整理する。サラドは「あ…」と口を開きかけて、その先の言葉を呑み込んだ。良く知った間柄だからこそ見抜ける作り笑顔と感情を削ぎ落とした目が「ここでは話せないが重要な報告がある」と雄弁に語る。ディネウとシルエは心得たとばかりに頷いた。


「昨夜からノアラはちっとも目を覚まさねぇ。今回は魔力の枯渇とやらとは違うのか」

「…僕の治癒でできるのは疲労回復くらいかな」


遠慮なくノアラの下瞼を引き、首筋に触れたシルエはそう診断した。サラドは気を失ったままのノアラに「ごめんね」と断ってからその手を両手で挟む。力の一切入っていない手は血の気もなく冷えていた。みるみるサラドの表情が曇り、口元に食い縛った八重歯がちらつく。


「魔力が滞っている。…おそらく、吸われないように巡りを止めようとしたんだと思う」


サラドは集中するように目を細め、息を細く長く吐き出した。少しずつ、ノアラの魔力に関与していく。額に浮き出た汗が玉になって頬を伝わり落ちた。


「何だよ、それ。巡らないとどうなるんだ?」

「呼吸や血と同じようなものだよ。時間の猶予がそれより少し長いけど」

「やべぇじゃねぇか」


「そ、」とシルエが頷く。ディネウは「クソっ」と悪態をついた。


「…あのボウズを村に送ったら俺はソレを探してみる。シルエは一緒に来てくれ。念の為、大地の浄化を頼みたい」

「いいよ」

「ああ、見つけてもお前は触るなよ?」


シルエは「言われなくても」と頷き、魔道具の仮面を出してつけた。薄布でつくられた仮面は光を細かく乱反射させ、目鼻立ちはあるのにその印象を誤魔化す。


「サラドはノアラを連れて帰ってくれ」

「えっ、でも」


集中がぷつりと途切れ、ノアラの手がすり抜けてパタッと下ろされた。


「俺が触った時は何ともなかったんだ。心配すんな。むしろノアラをソレに近付けたくない。安全な所で休ませてやってくれ」

「うん…。わかった」


サラドが正面に向かうと、耳を立てじっとこちらを見ていた馬が首を下げて鼻を寄せてきた。顔を抱くように額をつけると馬も目を細める。「頼む」と首の付け根にポンポンと触れた。

ヒョイと背に跨がり、ディネウの助けを借りてノアラを引き上げる。馬はひと声嘶くと走り出した。数歩分は蹄の音もしたのだが、風にまかれてすぐに姿も見えなくなった。


「ノアラが途中で目が覚めないことを祈るよ」

「何でだ?」

「だって、錯乱すると思うし、絶対暴れるし」


振り落とされないようにノアラの腹にサラドは腕を回していた。おそらく魔力関与も続行しているだろう。いつまで経っても手以外の接触に免疫ができないノアラがあの姿勢で覚醒したらサラドに危害が及ぶ。「僕らには慣れてくれても良くない?」とうんざりと肩を竦めるシルエに「まあ、そうだな」とディネウも同意した。


「ところで、あの、あれ、馬…か? ありゃ何だ、どうした?」

「んー…。サラドが向かうって場所は、僕の転移で行けるのは最短で山林の町だったからさ。自警団の誰かから馬を借りようって話だったんだけど、真夜中だし、無許可で連れ出すわけにはいかないって、サラドは気にするし。で、しょうがないから走るか…ってなった時に」

「出たのか? あれが? 都合良く?」


ディネウは「嘘だろ」と口を塞いだ。手首を軽く回して杖を振り、シルエは苛々を逃がしている。


「…あの大きさ、魔物に分類されるだろう?」

「まだ若馬らしいよ」

「まだでかくなるってぇのか? 群はどうした?」

「さぁ? 一頭だけみたいで。ソレ(ヽヽ)も関わりあるかもね。出会頭の殺気は魔物のそれで、やばかったし。突然変異的に巨大化した個体を持て余した群から置き去りにされた可能性もあるよね。まだ母馬と一緒にいる時期だとしたら、寂しくて、サラドに甘えちゃったのかな。バレていないつもりみたいだけど、サラド、手の平から血を舐めさせていたな、確実に。血の匂いしたもん」

「ああ…、そうか」


「ソレ」という言葉にディネウも眉間の皺を深くする。


「速いけどさー…。若いせいか、喜んじゃったのか、やたら跳ねるし、急加速したり急停止したりするんだよ。鞍も手綱もないし、跨ぐって大きさじゃないし。ゴツゴツした大岩に座っているようなものだよ?」

「おお、なんか…おつかれ」


「獣も誑し込むとか何なの…」とシルエが遠い目をした。



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