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11 剣士と水の乙女と幽霊話

 隣の村でも『魔王』の影はなかった。魔物による襲撃などもない様子。

近くで小鬼が出たことを話し念のための警戒を促し、近く調査が行われるだろうから兵が来ても不安になる必要はないことを告げた。


 村の心配事と言えば村の興りと共にある一番古い井戸の水量が減り、濁ってきたと感じることぐらいだという。

村長はこの機会に井戸へセアラに祈りを捧げて欲しいと懇願した。

 その井戸の水位は低いものの涸れる程でもなく、清水とは言い難いがひどく濁ってもいなかった。けれど確かにそこはかとなく仄暗い気持ち悪さがある。それを前に不安そうなセアラに、サラドが身を屈めて耳元にそっと囁いた。


「効果があるかどうかは問題じゃないよ。祝福があると人々を安心させてあげること。祈りと感謝の大切さが伝わればそれで十分なんだよ」


ゆっくりと穏やかな声にセアラはこくこくと頷いた。

野次馬で集まった人々を見回し、コクリと唾を飲む。緊張した面持ちで、杖でトンッと地を突き、いつものように両膝をついて背筋を伸ばし手を組む。すぅっと息を吸い、長く吐く。始めはかすれて小さな声しか出なかったが、サラドが極めて小さな声で追随するように祈りの言葉を唱えているのが耳に届くと、セアラの心はしんと落ち着いた。鈴を転がすような声で祈りの言葉がなめらかに紡がれていく。


 終わりの言葉が結ばれゆっくりと目を開けたセアラが立ち上がると、村人のひとりが井戸を覗き込んだ。ゆらゆらと水面が揺れ、映した人形(ひとがた)を歪めている。


「…もしかして、この井戸に幽霊が出るとかの逸話があります?」


サラドの指摘に村人たちにざわめきが広がった。


「口さがないものです」

「ああ、うん。他の町や村でも似たようなことがありまして。あれ、ですよね。何年か前に流行った劇の…」


 王都や大きな町で興行された『剣士と世の安寧を願い水に身を投じた乙女の悲恋』の物語は、貴族や大商人らに大流行した。〝夜明けの日〟前に犠牲になった故人を偲ぶ気持ちもまだ強く、生活が上向いてきた頃に丁度良い演目だったのだろう。

終盤で添い遂げることの叶わぬ乙女に『この剣は生涯貴女だけに捧ぐ』と跪く場面は女性ばかりでなく大半の観客の心を奪った。

 しかも剣士には実在のモデルがいて、それが魔物の群を切り裂き、救世の一助となった英雄と同一人物だという噂がその熱狂ぶりに拍車をかけた。

その英雄はどんな甘言にのせられることもなく、『この剣はある方に捧げたので』とあらゆる有力な権力者の誘致にも女性の秋波にも靡くことなく退けていたことが既に有名だったこともあり、人々の想像は膨らみ事実と虚構が曖昧になっていった。

面識もないのに剣士に憧憬と思慕を抱き、せめて来世で結ばれたいと実際に水に身を投げる女性が現れる程に。

 その物語が口頭で広がり、独り歩きするうちに歪み、各地で様々な『水辺に現れる幽霊話』が生まれた。

当の剣士は迷惑千万と拠点にしていた町を離れ、人気(ひとけ)のない地の庵に半隠居してしまったのだが…。

 何処で誰が盗み聞きして、その欠片からあんな話を作り上げたのやら、サラドははぁと溜息を吐いた。

この村にも行商人などを通じて届いた話が、元は不明な噂として面白半分に残ったのだろう。何年も経っているのにまだ影響が消えない。


「この井戸には幽霊なんてもともといませんよ。水の滞りはちょっと拗ねただけでしょうね。村と一緒にある古い井戸だからこそ噂の舞台になったのでしょうけれど、大事に、感謝していれば水の恵みをずっと与えてくれるはずです。ね?」


サラドが井戸を覗き込むとその水面が静まり彼の像を結んで視線を合わせた。サラドが頷けば、水の中のサラドも頷く。水面は一呼吸おくと再びゆらゆらとゆらめき出した。水底の玉砂利のツヤツヤとした色がくっきりと見えるくらい澄んだ水が湧き静かに波紋を広げる。


「すごい! 祈りが通じた?」

「水位も戻ってきている?!」


村人たちが入れ代わり立ち代わり井戸を覗き込んだ。その度に光が差したり陰になったり、ゆらめく水面がキラキラと反射した。


「あなた方は一体…?」

「我々は〝夜明けの日〟から十年を迎えるにあたり、さらなる復興を祈念して国内を回っているのです。どうぞ魔物の被害や不安なことがあればご相談ください」


 閃いたとばかりにショノアが得意気に声をあげた。

セアラの顔には疑問符が浮かび、サラドは眉を顰めた。ニナがそっと一歩退く。

村人たちがわらわらとセアラを取り囲み、次々に握手を求めた。困り顔の笑みで戸惑いながらも彼女はその輪から抜け出せない。


「ショノア、恣意であんな触込みを…。それではセアラが矢面に立たされる」

「情報を聞き出すのに文言に悩んでいたんだ。これなら丁度良いしあながち嘘でもあるまい?」


ヒソヒソと声を潜めつつもサラドはショノアを批難した。だが彼は悪怯れた様子もない。

サラドは更にぎゅっと眉根に皺を寄せた。

そこへ村長がもじもじと近寄って来た。祈りを捧げ気味悪がる村人を納得させられればいいと思っていただけで、これほど威力があるとは露も期待していなかったのだろう。そうなると心配は祈りの効果への対価だ。


「その…寄付は…ようやっと収穫が安定してきたところでして…その…」

「とんでもない。いただきませんよ。神殿より派遣されたものではありませんから」


ショノアのキッパリとした声に「ありがたや、ありがたや」と村人たちが唱和した。


「セアラは大丈夫? あんな風に言われて」

「えっと…どうしたらいいのかはわからないのですけれど…祈ることで喜んで貰えるのはいいことなのかなって」

「…辛くなったら遠慮なく言った方がいい。我慢せずにね」


 村人から離れた隙にサラドはセアラを気遣った。吝かではない様子だが、その表情は眉尻を下げた笑顔だ。いずれ『復興の巡礼をする神官見習い』という立場が彼女を苦しめることにならなければよいとサラドはひっそりと願った。


 この村は船の村に比べれば住民も多そうだが、当然宿屋などはない。井戸の件で信頼を得たのもあり、一泊することにも警戒はされずに済んだ。

 夕食はサラドが狩ってきた小さい獣の肉を手の平くらいの大きさの葉っぱ数枚を使い包み焼きにしたものと、ニナが集めてきた木の実を焼いたもの。葉の香りが移った肉は蒸し焼きのため柔らかく、焼いた木の実は皮を剥くのに手間取るがほくほくして充足感があった。

木の実を受け取った際、サラドはニナに「助かる」と笑顔を向けていたが、ニナは「ん」と言っただけで相変わらずの無表情。そしてやはり食事は共にしない。

 土間を借り受けて、夜を明かした。今回は仕切りを設けて互いの目を隠すことはできなかったが、これにも慣れていかなければならないだろう。


 朝、日課であるセアラの祈りとショノアの鍛錬が終わる頃にはサラドが食事の準備を済ませていた。白っぽくとろみのある汁に森に自生している芋と野草、船の村で買い求めた干した貝が入っている。日持ちするように水気が少ない黒くて酸味のあるパンは薄く切り分けられ、ぎゅっと堅いが汁に付けると食べやすくかつ崩れにくく丁度良い塩梅だった。


 都合よく、港町へ向かうという荷馬車に同乗させて貰えることになった。

この村では漸く納税を済ましても飢えないくらいには安定して収穫ができ、作物によっては余剰分を売りに出せるようになったそうだ。あとは紡いだ麻糸や手作業の籠や笊を売りに出し、村では手に入らない物を代わりに仕入れてくるという。

あと数年もすればこの荷台いっぱいに積めるようになるだろうと話す表情は希望で明るい。

その荷台の空いている場所にセアラ、ニナ、ショノアが乗り、サラドは護衛も兼ねて荷台の後ろに座った。


 荷馬車は辻馬車に比べると速度はゆっくりで港町に着いたのはもう夕暮れ時だった。

心配した魔物にも盗賊にも出会うことはなかった。荷馬車の村人とはそこで別れて、宿に向かう。


「テーブルと椅子でちゃんとした食事だと落ち着くだろう?」

「サラさんが用意してくれるお食事もちゃんとしてます」

「サラ、でいいよー」


 変わらずニナは同席しないが、町に着いて気が休まったのか夕食のテーブルは和やかな雰囲気だった。

数日前には小鬼に襲われたのだから知らず緊張を強いられていたのだろう。


「ショノアは王都への連絡は早馬で?」

「あ…ああ。そうだな」


緊急の連絡はとっくにしているのだがそれを言うことはできない。魔道具ばかりに頼ってもいられないので今夜の内に通常の報告書をまとめ明日伝書を出すのがいいだろうな、とショノアは考えていた。


「オレも友達に連絡してみるよ。この先の予定は返事を待って? それとも魔物の件は兵に任せて他の町へ情報収集に行く感じかな?」

「とりあえず明日は必要物品の補充と休息にしよう」

「そうだね。休むのも大事だ」



 翌日、詰所で用事を済ませたショノアが宿屋に戻ると、食事処となっている入口近くのテーブルでセアラが姿勢良く待っていた。


「ニナは夕刻には戻ると言付けて出掛けました。サラさんもお友達に会いに行くと。何かあればここに、って」


セアラが渡されたメモを差し出す。


「他に急ぐ用事もないし、散策ついでに行ってみるか」


ひとりで出歩くのは不安だったのかセアラが笑顔で頷いた。セアラはこの数日ですっかりサラドに懐いている。逆に彼がいないと不安そうなくらいに。


 メモに書かれた店は中層と下町の境目にあった。ここより下ると治安は急に悪くなる。セアラはオドオドと目を彷徨わせたが、それをショノアが制した。


「慣れていないお上りさんだと悟られれば舐められる。堂々としていてくれ」

「…はい」


 ギィと扉が軋むと、店内にいた者の視線が一斉に向く。むあっとアルコール臭がした。

傭兵と呼ばれる者達の溜り場なのだろうか、思い思いの武装をした厳つい男が多い。店内にはテーブルと椅子は数組、あとは一脚造りの高テーブルや、大きな酒樽をそのままテーブル代わりに置かれている。立ち飲みが基本のようだ。

ショノアとセアラはあまりに上品で目立ち、この場に似つかわしくない。店内に入ってからも興味は失われず探るような視線が絡みついた。


「ご注文は?」

「あ、ああ、そうだな…」


適当に注文した飲み物を前にして暫く二人は無言で過ごした。居心地悪さにセアラは両手でぎゅっとカップを握ったまま俯いている。いたたまれずショノアはカウンター内にいる店員に話しかけた。


「その、この店にサラという男性は来ていないだろうか。ひょっとして入れ違いになったか、と」

「サラ? 誰です? 女性ではなくて? 本日はまだ待ち合わせのお話は承っていませんね」


 その時、扉を勢いよく開け入って来た人物に店内が響めいた。我先にと駆け寄って挨拶をする者もいる。


 ただ立っているだけで圧倒的な存在感。

年齢を重ねどっしりと構えている風貌。紺色の艶を帯びる濡れたような黒髪は短髪に切り揃えられている。サラサラと落ちる前髪を無造作に掻き上げると、深い青の瞳が見えた。その切れ長の半眼は鋭く威圧感があり、顎も首もがっちりと太い。左の頬骨に印象的な黒子がある。しっかりとした筋肉を覆う胸当て、動きを遮らないようにか肩当ては左側だけ、その上には濃い色の毛皮を羽織り、腰当ての内側にも斑がある変わった色の毛皮を尾翼のように巻いている。そしてなんと言っても目を引く大剣。


 ショノアはこの特徴を持つ人物の噂を聞いたことがあった。剣の心得があるものならば手合わせを切に願うという、最強の傭兵で…


「え? 剣匠? 陛下の召集にも応じなかったという不届き者…」


驚くショノアの口から漏れた呟きが思いがけず店内に響いた。

ざわざわと「あの馬鹿」「あの若造、死んだな」などの声が囁かれる。


「誰が剣匠だ。俺は鍛冶屋じゃねぇ。…女王の犬め、ここに何の用だ?」


ドスのきいた低い声がビリビリとショノアの鼓膜を刺激した。更に細められた目がギラリと光る。

決して敵わないと本能が感じ取り、ショノアは侮辱されたことに抗議も出来ず立ち竦んだ。


「――ちは。あれ?」


ピリピリとした緊張感に店内にいる誰もが固唾を呑んで見守るなか、軽快に開く扉の音と穏やかな声が響いた。


「サラ!」

「…サラ?!」


扉を片手で押さえたサラドが入口で光を背にへにゃと笑った。



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