109 堕ちた都へ
ディネウに同行したノアラは各地で丹念に音を探っていた。まだ使い熟していない音術を繰るため集中が削げないように、不可視の術も纏わずにいる。木の陰に身を潜ませ、じっと地に手の平を付ける様は、端から見れば具合が悪く蹲っているようにも見える。傭兵たちもちらちらと気に掛けていた。
「どうだ? 何かめっけたか?」
「…まだ。確かなものは」
ノアラはふるっと首を横に振った。
「持って来た分の薬の分配は頼み終わったし、一旦、帰ろうぜ」
「…。その前に『堕ちた都』に寄りたい」
「は? 明日、四人で来た方がいいんじゃねぇか?」
「思い過ごしで何もない可能性もある。もし兆しを見つけたら、皆に頼む」
ノアラは顎に手を置いたまま難しい顔で考え込んでいる。ディネウは頭をバリバリと掻いて「わかった」と応じた。ノアラの手を掴もうとしてスルッと避けられ、逆に手首を取られる。転移の発動までは一瞬だった。
遺跡に残る魔力の影響か、阻害され直中に転移では降りられない。そのため直近の森の入口をノアラは座標に指定していた。
着いた先はひと雨来そうな曇天で、薄暗い。
そこでも地面に手の平を着けて詠唱を紡ぐ。目を瞑り集中するノアラの邪魔をしないようにディネウは黙って背後に立った。
王都と聖都の間、森の中に石塁や剥き出しの基礎が点在する遺跡。研究者が古代王国の首都だと見立てる通称、堕ちた都。
方角を見失い迷う。恨めしいと声がする。影に追いかけられる。無事帰って来られても熱病に罹る。
とかく悪い噂に事欠かず、立地の良さにも関わらず開発の手をこまねいている場所だ。
遺跡の北方面にある耕作放棄地と放置林を抜けた先には万年雪を頂く霊山が臨む。領土ではないが、高く険しい山々は王国の背後を守るようにそびえる。豊かな資源が眠っていそうな平地も神域に近いことと遺跡を恐れて手付かず。資材を運ぶにも道を通す計画さえ進まない。近年少しずつ、王都側からと聖都側から開墾が進んでいるが、山の裾野が国境であり、その線は曖昧なため慎重に進められていた。山脈を挟んだ隣国では神の山々と崇められているため、繊細に扱うべき問題だった。
神も魔も、微塵も恐れずノアラは木々の隙間を抜けて行く。やれやれとディネウもその後に続いた。
「ひぃっ」
押し殺した小さな悲鳴と、ガサッと草を掻き分ける音に即座に反応したディネウがノアラの前に身を滑り込ませた。
「ひ、人だ。助けて!」
頭を抱え身を縮めて草の陰に隠れていたのは少年だった。
「た、助けて! おいら、道に迷って」
「どうした、ボウズ? こんな所で。ひとりか?」
地元の者ならば遺跡の森には入ろうとしないはずだ。泥に汚れたシャツとズボンは厚手の綿で肘や膝には当て布があり、靴は破れて指先が覗いてしまっている。腕や首筋や足首は痩せて骨が目立つ。
少年は何か後ろめたい事情を抱えているのか、もじもじと口ごもった。
「何だ? どうした?」
「…おいら、そのっ、あの…妹の薬が欲しくて…」
「薬? 薬草でも探しに来たのか?」
少年は首を横に振り、困ったように目を泳がす。
「あの、見たところ、おっちゃんはこの辺の人じゃないよね…。おいらが森にいたことは内緒にくれないか」
「ん? 何か罰則でもあるのか」
「…森に入ったら呪われるって。呪いは伝染するから…村に帰れなくなる…」
「は? 呪いが伝染だって? 何だ、その迷信は」
迷信という言葉に呪われた身だと罵られることはないと安堵して、少年が涙目になった。「あの、」と次の言葉を出しかけた時、とうとう降り出した雨がポツリと顔を打った。ディネウがノアラを振り返ると、こくりと頷かれる。
「一先ず森を出て、雨宿りするぞ」
ディネウは尾翼のように腰に巻いた、斑模様の毛皮を外して少年の頭から被せた。少年の背丈では膝まで隠す長さになり、多少の雨なら充分防げるだろう。
手を差し出すとぎゅっと握り返された。ほっと表情を緩めた少年を連れて、森の入口へ向かう。遺跡の調査に訪れた研究者が道標に結んだであろう布の切れ端が木の枝から垂れ下がり、それが目の前を掠めて少年は小さく悲鳴を上げた。どれだけ迷ったのか、ちょっとした物音や動きにも怯えている。
土が剥き出しの細道に出ると少年はディネウの手を放し、駆け出した。
「すごい! どの方向に行っても森を出られなかったのに。熊が出たかと…、もうダメかと思ったのに」
「熊に出くわしたのか。怖かったろ。よく逃げられたな」
「え? ううん、熊じゃなかったんだけど…」
少年がディネウを見上げる。
「あ?」
低い声に少年は借りた斑の毛皮に包まり「ひぇっ」と身を縮めた。
枝を張った針葉樹の木陰に身を寄せ、雨を凌ぐ。雨脚は徐々に強まり、間もなく本降りになった。借した毛皮を脱ごうとする少年をディネウが手で制する。
「いいから、着てろ。冷えてきた」
「…本当にありがとう。夜になったらって考えただけでも怖くて」
念のために持ち歩いていた携行食を渡すと少年は夢中で頬張った。日持ちさせるため水気を抜いた食品のため、口いっぱいに入れるとなかなか飲み込めなくなる。必死にもぐもぐと動かすが頬はぱんぱんだ。
「なんで森に入った? 禁じられていたんだろう?」
「あの…その…」
少年は途端に口ごもる。ディネウの威圧とノアラの魔眼に挟まれ、おろおろと手を彷徨わせ、観念してぽつぽつと喋りだした。
少年は山火事があった付近の小さな村に住んでいるという。避難騒動で荷車に足を轢かれた妹の傷は癒えることなく、腐ってきた片足を切断しなければならない状態。その処置だって安全とは言えない。高額な治療費を賄えるほど少年の家は裕福ではない。町まで行かなければ施療院もない。両親がもう諦めているのを肌で感じていた。
少年は毎日のように辻まで出て、通りかかる行商などに妹を町まで運んでくれないか頼んでいた。しかし、馬車には立ち止まってももらえない。収穫祭が終わると田舎道は人通りもほとんどなくなった。
「父ちゃんには遊んでないで仕事を手伝えって言われるし。おいら…」
話しはじめたら止まらなくなったのか少年はぽろぽろと涙を流した。森に入って迷っていた理由まで到達するのに長くかかりそうだ。ディネウは頭をポリポリと掻いた。ノアラは聞いているのか、興味がないのか、まったく読めない無表情だが、よく観察すると小さく相槌を打っている。
諦めきれずに村を飛び出し、また辻まで来た少年に声をかけた者がいた。ぼろぼろの布で身を覆った者。
鼻を摘みたくなる腐敗臭に少年はこの人も妹のように大きな怪我か病気をしているのだろうと思った。少年の心配する問いかけにその人は逡巡した後で「そうだ」と頷いた。
「先の短い身だ。せめて火事で傷付いた大地を癒やしに行きたい。だが、足が痛くて適わん。わしの代わりに頼めぬか」
そう言って少年に渡したのは巾着袋。中には硬貨型のものがじゃらじゃらと入っていた。
「それは力を込めた特別なもの。我らの住み良い世界に変える力だ。火災に見舞われた周辺に撒いてくれ」
「おいら…手伝いたいのはやまやまなのだけど…。おいらン家は勝手に山に入っちゃなんねぇって…」
「悪いことをしに行くんじゃない。こっそりこれを撒いてくるだけ。お礼にこれをやろう」
ポトリと手の平に落とされたのは金貨だ。少年は金貨にどれほどの価値があるかはわからなかったが、農耕馬を買うには金貨が何枚も必要だと聞いたことがある。これがあれば妹の治療費も出せるのでは、と考えると少年の心は揺らいだ。
「それで足りないのであれば、町の神殿に来た折に妹御が奇蹟の力に与れるよう口添えしよう」
「本当に?!」
少年は妹の事情など一切話していないことも失念して、その話に飛び付いた。
「では、頼んだぞ。くれぐれもこの先の森には撒かぬように」
少年は大人たちの目を掻い潜り山に向かった。まだまだ燃えた跡が残る、焦げた木がそのままの箇所を中心に巾着袋の中身をポトリ、ポトリと一枚ずつ落としていった。
硬貨型の土を固めたようなものは星の意匠が型押ししてある。少年も村に来た神官が持つ杖に、長く光の尾を引く星と小さな星が重なった形の飾りが付いているのを見たことがあった。それに、地に撒いたそれは含まれた砂粒が陽の光を受けて綺麗だった。
(神殿のものなら悪いものなわけない。キラキラしているし…)
無断で入山したことを知られたら叱責されるだろうと思うと喉の奥が酸っぱくなった。これは良い行いをしているのだからと自身に言い訳する。けれど、不安はじわじわと押し寄せてくる。数箇所目に至った時、不吉な風がザワザワと枝を鳴らした。
山の神様が怒っているような気がした。
「だから、おいら拾い集めながら引き返すことにしたんだ。一回、町の神官様に見てもらって、本当に良い物なら、それから撒いても遅くないかと思って。だけど…」
数個を拾った所で不気味な影に追いかけられた。はじめは何を言っているのかわからなかった声が次第に「ユルサナイ、ユルサナイ」と追い立てて来る。
やはり、山の神様の怒りに触れたのだと思い、謝りながら必死に走った。勢い余って転んでしまい、痛みと怖さに急いで顔を上げると、景色は一変していて、木々に囲まれた大きな岩が転がる平地にいた。巾着袋も転んだ拍子に手から放れ、探しても見つからない。
それからずっと迷い通し。所々に色褪せた布が枝に結ばれていたが、どれも少年の助けにはならず、だんだんと揺れる布が手招きしているように見えだした。「迷え、迷え、逃がさない」と。
「なるほどな。じゃあ、その土塊とやらはもう手元にないのか」
「うん…。あ、でも最後に拾ったのは慌てていたから、確かここに…」
少年がポケットを漁り、一枚の茶色く平べったい物を摘まみ出した。
「あった!」
「へー。簡単には崩れないが、素焼きって訳でもねぇな」
ディネウは手の平に載せ、指先で軽く突いてみた。確かに星のような模様が型押ししてある。ひっくり返すと、裏側は平面だった。興味津々に覗き込んでいたノアラに「ほら、」と渡そうとした時、それはクルクルと回転しながら宙に浮いた。
「っ! 逃げろ!」
ノアラの常にない大声にディネウは咄嗟に剣を抜く。
「ボウズ、その毛皮を頭から被って、なるべく小さくなってろ!」
「ひいぃっ」
突如としてノアラを取り囲むように発生した小さな竜巻。その中心で硬貨型の土塊がボコボコと膨らみ、指先、手、腕と末端から順に形成されていく。ノアラは土人形の巨大な拳を手で受け、ギリッと歯を噛み締めた。魔術で対抗しようにも、その魔力が引き抜かれていく。薄紫の細い帯がノアラの体から幾筋も渦の中へと吸い上げられる。急激な脱力感にも「これが自分の魔力」と余所事のように見惚れた。スルスルと宙に消えていく帯に既視感がある。
(サラドだ。サラドが血を贄に精霊から大きな力を借りる時に似ている…)
土人形の拳を押えていた手は土の指にめり込んでいく。指が腕を這うように伸びノアラの全身を取り込もうとしていた。
どうしたらこの危機的状況から抜け出せるか、朦朧とする意識に抗い、頭を働かせた。ノアラはもう片手の拳を握り締め、土の指に殴りかかった。同時に意識して体内の魔力の流れを止められないか試みた。傷から流血した血が粘り固まる様を頭に思い描く。
「ノアラ! 歯ァ食い縛れ!」
ディネウは大剣を片手で一閃させ、どんどん形作られていく土人形の手首を切り離した。竜巻の中に腕を突き入れノアラの胸ぐらをつかんで、木々の少ない道へと投げる。竜巻がノアラを目の中に納めたままギュウンと移動した。
「うぐっ」
雨でぬかるんだ道に転がったノアラは条件反射で起き上がった。切り落とされても尚、うごめく手を潰すため殴ることは止めない。やや勢いは鈍ったものの、魔力の帯はシュルシュルと竜巻と土人形の手に巻き取られていく。
降り頻る雨のため炎は不発となったが、うねる竜巻からは絶えず風刃が飛び、白紫の雷も落ちだす。雨は矢の如く、時折、激流が足をさらおうとする。
(やっべぇ。ノアラの術の総攻撃じゃねぇか。魔術耐性が付与されてなかったら、死ぬぞ、これ)
ゴウゴウと唸る風の音に轟く雷鳴の中、ディネウは感覚を研ぎ澄ませた。長年共に戦ってきたからこそ感じ取れる僅かな術の気配と勘を頼りに、襲いかかる雷や風刃を剣で払い、軌道を逸らす。
あとは片手、片足の先を残すのみとなり、すでに見上げるほどの巨体に成長した土人形。剣を両手で構え直し、斬りかかった。足を横薙ぎにし、胴体が崩れ落ちたところをとどめとばかりに、跳び上がって頭部から縦に真っ二つにした。
殴り続けて土玉にまで潰した指の中から魔力を吸う原因をみつけだしたノアラはそれを握り潰した。パキッと音を立てて割れたのは緑色の結晶。手から破片がパラリパラリと落ち、雨泥に塗れた。
土人形はズブズブと泥と化し、竜巻も雷もふいっと消えた。
「おい、ノアラ…」
軸を失ったようにグラリと揺れたノアラはドシャと地に伏した。
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