107 ショノア一行と吟遊詩人の歌
誤字報告、ありがとうございました
助かりました (^_^;)
一方、その頃、ショノア一行は、セアラが育った養護院のある小さな町を出発し、いくつかの村を経て『酒と芸術の町』に来ていた。
地方を中心に津々浦々を巡り、王国に暮らす人々の実状を把握するのがショノアらの任務で、公の視察が行われている比較的大きなこの町への訪問は必須ではない。また、この町にはかつての英雄の目立った逸話もなかった。だが、マルスェイの勧めと、芸術の町らしいと評判の神殿を訪ねてみたいというセアラの要望、何よりも疲れが溜まってきた頃合いで、ゆっくり休める宿屋に泊まりたいと、立ち寄ることにした。
ケントニス領に入った頃から丘陵地に葡萄畑が増えてきた。落葉した木は支柱と蔓を伸ばすための棚ばかりが目立つ。根元に藁敷きをする姿や、新たな苗木を植える作業をする人たち。収穫祭を終え、初冬の休眠期に入っても畑仕事は休む間もないようだ。
ここまでの道のりでは酷く貧しい村もなく、冬の備えへの不安を口にする者もなく、人々の表情も明るい。豊かで真っ当な領地であることが窺える。
この地を治めるケントニス伯爵は女王陛下の覚えもめでたく、領民からも慕われている。また伯爵夫人は文化、芸術面に造詣が深く、多くの若者を支援している人格者だ。彼女が目を掛けた者は目覚ましい活躍をしたり、大発見をしたり、その功績で領の発展に寄与している。
夫人はお茶会などよりも討論会や学術の発表会で見かける方が多いくらい。はじめは「貴族女性が」とあまり良い顔はされなかったものの、夫君が最たる理解者であるし、先見の明があると一定の信奉者がいる。
灯台の町の御隠居もその一人で、彼女を見習い、その財を活かして近年多くの才能ある若者を擁している。両者から支援を打診されたら誉れ高く、どちらの手を取るか悩みどころだろう。
そんな領主夫妻が住まう町にある中央広場は美しく造園され、花の少なくなるこの季節にも、大輪の花が目を楽しませている。大道芸を披露する者、楽器を奏でる者、写生をする者の姿が当たり前のように見られた。
そんな平和で楽しげな公園内をセアラは居たたまれない気持ちで歩いている。というのも彼方此方で吟遊詩人が『聖女』の詩を歌っているからだった。どうにもこの町には吟遊詩人が多い。
曰く、意識を喪失した御者の蘇生をした。
曰く、泥水を清水に変えた。
曰く、聖都を襲った悪魔のような魔物を祈りで退散させた。
何より多いのが見習い神官の乙女と騎士の駆け落ち。
「ははは。私は聖女のすげない返事にもめげずに付きまとう魔術師らしい」
道ならぬ恋の憂いを切々と歌いあげる詩を耳にしたマルスェイは乾いた笑い声を上げ、遠い目をした。
「わっ笑い事じゃないですっ。私達のことだって思うのは…その…自意識過剰なのでしょうか。どうしよう…事実じゃないし、止めてくださいって言うのもおかしいのかしら」
慌て戸惑うセアラに対してショノアはやや諦念気味。王宮でも根も葉もない噂が立ち消える事など日常茶飯事で、害が及ばないものなら淡々としているのに限る。
「俺たちのことじゃないと言われたらそれまでだな」
過去の英雄の詩で名前や詳細な容姿を表すことが禁じられたため、この『聖女』関連や『神官見習いと騎士の駆け落ち』の詩も同様に扱われ、髪の色や目の色、年齢、背格好などは歌われていない。その代わりに花や星や光で、または抽象的な表現がされ余計に飾り立てられている。
道行く人にチラチラ見られることはあるが、ショノアたちをその詩の人物だと指摘する者はいない。
セアラは苔色のマントの前部分をぎゅっと引き寄せ、見習い神官の服が見えないようにしている。杖の星を象った装飾を手布で覆って隠したが、却って怪しい。
マルスェイだって宮廷魔術師用のローブではなく動きやすい旅装。魔術師そのものが珍しく、それと思わせるのは先端に大きな玉の付いた杖くらいだろう。それだって好事家だと思えばそれだけのこと。
ショノアは美丈夫でピシッとした姿勢のため確かに品があるが、この旅路で濃い茶の短髪は艶を失い、革鎧もくたびれてきている。ぱっと見は貴族出とは思えないだろう。剣にある紋章に気付かなければ騎士だとは直ぐに見抜けない。
「全くの事実無根ではないところが何ともしがたいな…。何かに縋ったり、盛り上がりたい気持ちもわかりますからね。まあ、噂なんてものは放っておけば直に飽きられて収束するでしょう」
「そんなものでしょうか」
気楽なマルスェイの取りなしにセアラは不安そうに辺りを見回した。ひとり詩にも噂にも関係のないニナは三人の少し後ろを黙って歩いていた。
「あの…ショノア様。申し訳ありませんが、夕べの祈りの後、お迎えにいらっしゃらないでください。私もなるべく目立たないようにお祈りします。そこを避ければ騒ぎ立てられることもないと…」
「しかし…。確かにこの町は治安も良さそうだが、それでも…」
「ショノアだと注目の的になるなら、私が行こうか」
マルスェイの申し出にセアラは首を振る。「詩の通りに私は袖にされたね」とマルスェイが揶揄すると、セアラは眉を八の字に下げ、再び大きく首を横に振った。
「その、神官見習いの身で殿方といるのが良くないのでは…と。それに私は平民で、養護院の出身です。町の路地だって普通に歩いていたんですよ? そんなに心配いただかなくても」
「だが…。そうだ! ニナにセアラの送迎を頼もう。いいよな? ニナ?」
ショノアとしてはセアラが『特別な祈りを捧げる者』と仕向けてしまった自責の念がある。そうでなくてもセアラの祈る姿は注目を浴びる。身の安全は確保したい。また、他の男性にその役割を譲りたくないという褒められたものではない感情もあった。ニナがその任を嫌がるとはこれっぽっちも思っていない。
急に話を振られたかと思えばセアラのお守りを言いつけられ、ニナはつまらない気分になった。しかし、顔の下半分を隠すスカーフといつもの無表情さでそれを悟られることはない。ショノアは無言を了承と判断し満足そうに頷いている。
ニナは特殊部隊の訓練で絶対服従を叩き込まれ、どんな命令にも従順に「承知」と返すよう躾けられている。それでもニナの洗脳状態はもともと完璧ではなく、反発心は前以上に強くなってきていた。
「ニナも見た目は少年だけれどな」
マルスェイがそう指摘しても、頑として譲らないショノアにより決定事項となった。ニナは「ちっ」と聞こえない程度に舌打ちした。
それぞれ別行動に移るため公園を離れようとした直前、あまり集客の良くなさそうな場所にも関わらず、がやがやと人垣ができているのを見かけた。その中心からは甘く切ない旋律が聞こえてくる。
「あれ? あの方は…」
物語を描いた布地にたくさんの刺繍が入ったマントと羽根飾りのついた帽子、見覚えのある出で立ちの吟遊詩人は聖都でケントニス伯爵夫人を突撃して『魔王』の詩を歌い、園遊会で女王陛下の御前で披露した者だ。
「今はこの町にいるんですね」
今まで演奏されていたのは客寄せの序曲だったらしい。それでこの人数が集まっているということは彼の評判が高いのだろう。
弓で奏でていた楽器を構え直し、指で弦を弾く少音の伴奏に詩が乗せられる。
「物知り風が伝えるは、遙か昔の愛の歌。人と精霊が手を取り合う、愛しき日々の物語…」
この世界には精霊がいて、自然とともに息づき、我々に恩恵を与えると説明が続く。また聖女や駆け落ちの詩だったらと逃げ腰になっていたセアラの足がつと止まった。
精霊が舞い遊ぶ様が歌われ、そんな精霊と人が交わした愛が歌われる。楽器を構え直すと弓が唸り、その音色は歌い上げるよう。ひとつの曲の中で低音は男性の声、高音は女性の声のように掛け合い、ふたりの愛の喜びが調和する。
演奏に突入すると、後ろに控えていた一組の男女が踊り出した。
満面の笑顔でクルクルと回りながら男性の胸に飛び込み、四肢を伸ばした美しい姿勢でふわりと持ち上げられ、体重などないかのように降り立つ。求め合うように近付き、クルリと回って離れ、指先が触れそうで触れない距離で互いの視線が熱く絡む。引き寄せられるようにして男性の腕の中へ身を委ね、背後から包むように抱かれた。その直後に高く掲げられてクルリクルリと舞う。着地後、片膝を曲げ、もう片足はピンと伸ばす姿勢をとった男性により仰向けに倒された女性は片足を上半身と真っ直ぐにしてつま先まで伸ばす。そんな姿勢でも苦しそうな様子は全く無く、寄せ合う顔はうっとりと幸福に満ちた笑顔。目線ひとつ、指先ひとつ、動きのひとつにも真に迫る感情が表れている。
踊り手のしっかりとした体幹と運動能力で作り上げられた幻想的な世界。二人の息が合っていなければ大事故にもなりかねない軽業のような動きや跳躍も人ならざる存在として印象づけた。何より音楽に乗せて踊る二人の姿は本当に楽しそうで、人々の心を鷲づかみにする。
女性がクルッと回る度、衣装の裾が翻り膝上まで覗くため、下世話な理由で見に来た者もいたが、はじめは「ヒュー」と口笛を鳴らした男性も半口を開けて陶然と見入っている。
離れがたいと指先を伸ばしながらも後退していく男性。女性の表情は引き裂かれんばかり。
吟遊詩人は楽器を下ろし、甘やかな声のみで歌う。愛する人と死に別れ、残された精霊の追憶を。
神秘的でもある旋律は、ぎゅっと胸を締め付ける哀しみの中にもある甘やかな想い出。
女性がひとり、寂しさに眉を寄せ、それでも口元には笑みを湛え、ふわりふわりと優雅に舞う。
最後に独唱した曲を楽器の演奏で締めくくると割れんばかりの拍手が贈られた。投銭も多い。
「運が良かったな! 踊り付きは一日一回あるかどうからしいぞ」
一呼吸して踊り手たちは一足先に帰っていった。汗の浮いた胸元が激しく上下しており、笑顔の裏に消耗具合が覗く。興奮の治まらない観客は再演を望む声をあげている。
「では、僭越ながら。もう一曲」
吟遊詩人が次に歌ったのは同じ志を抱きながら道を違えた友への悔恨と苦悩の歌。別の楽器を腹に抱えるように掻き鳴らし、少し落ち着いた声で歌い上げる。これには年配の男性の方が心を打たれているようだ。
「彼は人気者になったようですね」
「良かった。歌えなくなったのではサラドさんの気遣いが水の泡だもの」
吟遊詩人が歌うのが聖女と駆け落ちばかりでないことにも安心し、四人は公園を後にした。
この町の神殿は多くの壁画やどうやって描いたのか不思議に思う天井画が自慢。写実的で生き生きとした絵も夫人の庇護下にいる画家とその弟子による作だという。
神官に挨拶することもなく、養護院への訪問も奉仕活動に加わることもなく、セアラはマントを羽織ったまま端っこで静かに祈りを捧げた。観光客の、熱心な信者くらいにしか思われていないつもりでいる。
セアラの付き添いで祈りの間、礼拝堂にいることになったニナは憮然としていた。神殿から宿屋までの道のりでセアラを口説こうとした者がいたがそれとなく追い払った。ニナの存在を認識していなかった者は突如威嚇をしてきた少年に肝を冷やしたが、そんなことがあったなどとはセアラは気付いてもいないだろう。
宿屋に戻ったマルスェイは何やら見るからにがっくりと項垂れていた。
ケントニス伯爵夫人に面会を申し込んだらしいのだが、灯台の町の御隠居からマルスェイとの関わりに進言があったという。夫人は「一体何をしたの?」と嫣然たる笑顔で、怒っているのか呆れているのか本心は見えない。英雄譚の編纂を達成するためにも『智を求める者たち』との協力体制を崩したくない夫人はマルスェイにこれ以上の情報提供や会合への参加について「期待をするな」と告げた。今回は苦言を呈するなど甘い処置ではない。
「まだ! まだ、希望はある。清めの術をマスターして実績を示せば、ただ大魔術師に狼藉を働いたわけではないと誤解もとけるはずだ」
顔を上げてぎゅっと拳を握りしめたマルスェイにニナが辛辣な視線を向けた。
「俺は時々、マルスェイが羨ましくなるよ…」
「何がだ?」
「いいや、何でもない」
魔術に強烈に惹かれることなくそのまま騎士になっていたら不屈の精神で強い将となっていたであろうな、とショノアは思った。
王都の文官との連絡手段である魔道具に書簡が届いたのはその夜だった。
〈火事と骨の大群について詳細な報告を求む〉
〈一度王都へ戻るように〉という内容。
ショノアはひとりで町の様子を見て回っていた時に同様の被害があったらしいという噂を耳にしていた。その村では骨ではなく、死を迎え弔いを待つ遺体が動き出したらしく、王都での火事と謀反未遂を思い起こさせる内容だった。王宮側も早急に情報を集めて対策を練りたいのだろう。
「雪が降り始める前に北部を訪ねたかったのだが仕方がない」
休息も兼ねて三日は滞在するつもりでいたが、セアラも居心地が悪そうなので、再び馬車に揺られる日々となった。
王都へと繋がる主要な街道にさしかかった所で、すれ違う馬車から注意を促された。
「この先に、魔物が?」
「そうなんです。酷い目に遭いました。あなた方もお気をつけください」
「護衛を雇っていたのに、魔物を見て逃げ出した」と助言をくれた者がブツクサ文句を言っている。街道に出たという魔物は周辺の自警団や傭兵によって討伐されたが、安全が回復したとは言い切れないらしい。
ショノアはしばし考えて、街道を避け、聖都や山林の町の北側にある田舎道を進むことにした。立ち寄る村を厳選すれば日数がかかりすぎることもないだろう。
方向変換をニナに伝えると御者台からは返事はなく「ピッ」と小さな笛の音が聞こえた。