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104 十七歳のディネウが恋したのは

誤字報告、ありがとうございました

助かりました (^_^;)

 シルエに湧き水の使用許可を求められて、ディネウは葛藤するように目を泳がせる。口を軽くへの字に曲げてふんっと鼻息を漏らし、催促の言葉を噛み殺して、シルエはディネウの心が決まるまで待った。


 先程、ディネウに「いいから早く」と責付かれて、転移装置である扉を潜ると、そこにはグロテスクに蠢く肉片があった。仕方なくアンデッドを網でここまで運んだものの、ディネウはこの地を穢すことになるので心底嫌そうだった。シルエの術で光に焼かれた肉片は一瞬で塵ひとつ残さず消えた。


小屋の近くにある湧き水にディネウが歩み寄り、片膝をついて胸に手を添える。彼が水の精霊に祈る際の常套句「命を抱き育む水の導きがありますよう」と呟くのが聞こえた。その後も唇が微かに動くが、そんなディネウの姿を見ていないし聞いていないとアピールするようにシルエは手首を返して杖をグルンと一回転させ、浄化の詠唱を紡ぐ。


湖は神域。それだけでなくディネウにはひとつの染みもつけたくないほどに特別な場所。


 シルエは改めて湖畔を眺めた。北に位置する山からは既に寒さが降りてきていて、湖を渡る風は冴え冴えとしている。吐く息が白く顔前に広がった。かつて訪れた時とは違い、清浄たる風景。

 

湖畔に建つディネウの小屋は質素な造りだ。高床で丸木を組んだ壁、部屋は一室のみ。暖炉に寝台と一人用のテーブルに椅子が一脚と最低限の設え。余分なものといえば、背もたれのない丸椅子が一脚壁際に寄せて置かれているくらい。外の屋根がかけられた所に簡素な竈と食料庫と薪棚がある。


ディネウが祈りを捧げている湧き水は岩で囲われ、極浅い井戸のよう。すり鉢状の中央円には美しく磨かれた玉砂利が敷かれ、透き通った水が滾々と湧く。揺れる波紋で砂利の輪郭が歪まなければまるで何もないかのように澄んでいる。最深部でディネウの指先から肘くらいまでしかない。溢れた水は外側の円に流れて一本の小さな水路――こちらも岩と石で整備されている――を通って湖とひとつになる。

順番で言えば湧き水を整備した場所の近くに小屋を建てた。いつでも見守れるように。


「分祀とでもいうのかな、湧き水は湖を縮小したようなもので、力があるから」

「見てわかるものなのか」

「僕の魔力の特質なのか、感じちゃうんだよ」

「お前にはその…、なんだ、あれ…見えるのか?」


シルエは軽く肩を竦めて首を横に振った。動揺が表れた深い青の瞳を真っ直ぐに見返す。


「見えないよ。残念ながら。でも湖と同じ力…中でも彼女の存在を感じる」

「…そうか」


「見えない」と断言したシルエにディネウはややほっとしたように目を伏せた。相変わらず眉間には皺が寄っている。


「ディネウが作ったんでしょ? …どうせサラドの助言だろうけど。自分のことには疎いくせにさ」

「ああ。なんか、掘れとか言い出すから…。アイツも上手く説明できないのか幻術を使って完成予想を見せてきて」

「いや、幻術の使い道おかしくない?」

「でもお陰で良く伝わったぞ? 岩や石を集めるのは手伝ってくれたが、俺がやらないと意味ないとか言うし、仕事の合間にしか作業できなかったから時間はかかったな。こんな浅くて水なんか湧くかって半信半疑だったんだが…。湖の水を汲んで注いだら本当に水位が上がってびっくりしたぜ。しかもその時…」


浄化も済んでほっとしたのか、軽口を言い合えるシルエが相手だからか、うっかり出かけた言葉を飲み込んで、ディネウはボリボリと頭を掻いた。

復興や村興しの際に井戸掘りの手伝いをしたことは何度もある。水が出た時の感動や喜びはひとしおだ。

その時と全く違う感情で覚えているのは、ただ深さの意外性ではない。


呼び水により湧き出した清水を眺めていた時、水面に映った自身の姿が崩れ、一瞬女性の顔が浮かんだ気がした。日射しのきらめきか、空の雲が映り込んだだけか、木々の葉影が見せた幻か…。


ディネウは再び水面に映る自分と目が合うと、咄嗟にサラドを振り返った。彼は嬉しそうな、悲しそうな顔で首を横に振ってみせた。

水面に異変があったのはその一度切りだが、ディネウはそれからというもの湧き水の周囲を掃き清め、そこに向かって挨拶をし続けている。いつかまたきまぐれに映るかもしれない面影に期待して。



 今では遠い過去。それでも、忘れえぬ慕情。


 あれは四人で村を出て二年と少しが過ぎた頃、魔物との戦闘経験も積み、力がついてきていることを実感し始めた頃だった。

精霊が苦しむ声に導かれて湖畔まで来たものの、声はたくさん聞こえるのに進むべき道がわからず、サラドも右往左往するばかり。

目の前にあるのは濁った水に、波もない泥沼といった方がしっくりくる光景。風はそよとも吹かず、空気は淀み、周囲の木々も元気がなく、立ち枯れも多い。


しばらく周囲を探し回っていると、水際で力なく足を投げだし、両手を着くことで上半身を支えた姿勢の少女が助けを求めてきた。

人と同じ姿を象り、惑わしてくる魔物に苦戦した記憶も新しく、はじめディネウは少女を魔物と勘違いし剣を構えた。ディネウの凄みに怯むことなく、必死に助力を願い、水の神殿までの道案内をすると真っ直ぐに訴える少女。

弱々しく儚げでありながらも、澄んだ瞳には芯の強さが感じられた。

サラドは剣の柄を握るディネウの腕に触れ、彼の前に出た。剣は収めず、警戒を解かないディネウの勘はある意味正しい反応だった。


「名前…。わたしの…名前…?」

「えっと…何て呼ばれていますか?」

「…? エテ…ルナ…?」


自身と弟たちの紹介をし、名前を問うと困惑した果てに返ってきた『エテルナ』という語にサラドは彼女の存在理由を知った。サラド自身の記憶にはないことだとしても、川に流された赤児の魂に刻まれた『生贄』という理由。ジルに拾われるまでの間に生死の境を彷徨った。


彼女は古代、水の精霊に捧げられた『生贄』だったのだろう。生贄になるべく育てられたためか、それとも人として生きた記憶は失っているのか、自身の名前を知らず、「永遠」と、人々が永久に水の恵みを願う言葉が頭に残っていたのだろう。

最高位の精霊に巫女として永く仕え、霊魂ではあるが神聖な御霊へと昇り悪しき存在ではない。

シルエに目配せをすると死霊の気配に聡い彼もこくんと頷いた。


サラドとシルエの様子に納得して漸くディネウは臨戦態勢を解く。彼女の名前を「エテールナ」と勘違いしたままそう呼びかけ「剣を向けて悪ぃ」と、助け起こすのに手を差し伸べた。


 恋とは落ちるものだというが、正にディネウと少女は目を合わせた瞬間に互いを強く意識した。


紺の艶を帯びる濡れたような黒髪、宵空を映したような深い青の瞳のディネウ。

水面が光を照り返すような淡い髪色に、昼の空を映した湖面のような水色の瞳のエテールナ。

激流とせせらぎ。真反対のようでもあり、欠けた半身を埋めるようでもあり、惹かれ合う。


 エテールナはつま先すら見えない丈のシンプルな衣服でしずしずと湖面を進む。振り返って手招きする彼女に恐恐と続くと、板でも渡されているかのように足が水に沈まない。

中央付近まで到達すると天地が逆転し、水底にある洞窟へ進む道筋が見えた。実際には底へと落ちていくのに上へ上へと向かう感覚。彼女の近くにいれば呼吸に問題はなく、重く水が絡まり、体全体に圧迫感があるのに体重は軽い。人の世界から別の世界に迷い込んだような経験だった。


いつもは偵察を兼ねて先頭はサラド、シルエとノアラを間に配し、殿をディネウが受け持つことが多いのたが、サラドが交代を申し出た。


「道順はエテールナさんが知っているし、攻撃力のあるディネウの方が適任だろ? 正面から襲われたらオレだと心許ない。守りながら進むのもディネウならわけないだろうから、頼む」


それらしい理由をつけるとディネウは紅潮した頬を隠すように腕で隠して「おうっ」と短く応じた。エテールナもディネウの顔を見上げて、にこっと微笑む。彼女を背に庇いながら、時折襲いかかる水棲の魔物を倒していく。水の抵抗のせいで動きが緩慢になり、剣に体重をかけられないというハンデがあっても、武器を槍に持ち替え、鋭い突きで応戦するディネウの攻撃は冴えていた。

湖は穢されていても魔力の影響が強く、ノアラとシルエは本来の力が発揮できない中で、ディネウの腕が頼りだった。


エテールナは淑やかで控えめ、ディネウの背後から的確に道を指示する他に余計なお喋りはしない。

道を進むにつれて自然とエテールナはディネウの左手を握り頼った。彼もそうしている方が確実に守れると安心できるようだった。


 サラドもシルエも、様々な事象からエテールナが何者であるかを導き出していたノアラも、このままでは傷付くと知りながらディネウに提言などできなかった。

ひたすらに剣技を磨き、強さを追い求めてきたディネウの遅い初恋は結ばれることがない。


どんな言葉ならかけられる? 想いは止められなどしない。


 蔓延る魔物を倒し、エテールナの道案内で順調に進み、祈りの場の穢れを祓うことにも成功した。

水の中で、鼻面の長い蜥蜴のような顔に、とぐろを巻く長い胴と、波のようなたてがみを揺らす姿で顕現した、湖そのものという大きさの水の最高位精霊にも邂逅した。

神域を取り戻した湖には人の身では滞在が許されず、直後、口からゴボゴボと空気の泡が溢れる。呼吸のできなくなった四人は精霊により瞬く間に地上へと引き揚げられた。景色は一変していて、チャプチャプと波が寄せ返す青い湖が眼前に広がっていた。


 エテールナを水中に残して来てしまったとディネウは錯乱した。湖に潜ろうと暴れるディネウを押えて、サラドはエテールナが霊体であること、おそらくは巫女として生贄になった身であることを告げた。


「は? バカ言うな!」


ディネウの理性は彼女が人の身ではないことを肯定している。だけれども感情がそれを受け入れず、否定していた。


「でもっ、手を繋いだ。体温だってあった。俺に微笑んでくれた。頬が紅く色付いていて…」


うん、と頷くサラド。羽交い締めにされた腕を振り払い、殴りかかろうとした拳はぽすっと力なくサラドの胸を叩いた。


「この剣を捧げた」


うん、と相槌を打つ。休憩中、ふたりきりになった際にディネウはエテールナを守り抜くと誓い、彼女の望み通り神域を必ず取り戻すと誓い、剣を捧げた。エテールナはふわりと微笑んで剣に祝福をしようとしたのを直前で止め、ディネウの指先に口付けた。


「好きだと伝えてない…」


うん、と掠れた小さな声。共にいられた時間は僅かでも、想いの深さには関係ない。ディネウは咽び泣いた。後にも先にも彼が泣いたのはこの時だけ。サラドと出会った時の、両親を亡くした直後ですら人前で涙を見せなかったのに、だ。

心が落ち着くまでそっとして、ディネウが自ら出発しようと言うまで湖畔に居続けた。今ほど力がついていなかったシルエとノアラは地力に負け魔力酔いを起こしても文句ひとつ言わずに待った。


 十七歳のディネウには辛い恋だった。

生贄にされたことへの怨恨や悲愴は微塵もなく、精霊に仕える身を誇っていたエテールナには恋など俗物の感情はなかったのかもしれない。苦しい思いでも捨てられない。彼女が向けてくれた微笑みを、握った手を忘れることなどできない。


二度目の恋はない。




 あれから十七年余の年月が経った。今も鮮やかに心に存在する人。

永遠に在り続ける霊魂のエテールナと再び会えたとしても、親と子ほどの歳の差ができてしまった。


眉間に寄せられた皺もなく、瞑想するように目を伏せたまま黙っていたディネウの口端がほんの少し上がった。


「役に立てるならエテールナも喜ぶだろう。だが水は中央ではなく外円から汲んでくれ。あと…なるべく水を覗き込むな」


ディネウは湧き水の使用に条件付きで許可を出した。


「ありがと。ディネウも大人になったね」

「あん?」


眉間に皺を寄せドスの利いた声を出すディネウにシルエは安心した。ディネウが感傷的になっていては調子が出ない。


「それじゃ、もうひと頑張りしよっかなー」

「俺も…もう一回、見廻りしてくる」


言葉を差し挟むどころか頷きひとつできずに二人の遣り取りを見守っていたノアラはまごつかせていた手を下ろし、ほっと息を吐いた。



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