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103 神域に不穏な影

 港町から海を南へと進むと大小の離島がある。その中で一番大きな山なりの島影は頂上付近から時折煙が昇る火山島だ。全体的に赤黒い岩で覆われ、草木は裾野に少しだけ生えており、その近くには数軒の小屋がある。住人がいるというよりもこの島で鉱石を採掘する作業員が少数いるだけ。山が吐く煙を吸い込むと血を吐いて死ぬと信じられており、煙が多くなればすぐに舟で逃げる体制をとり、採掘員も短期の交代制で怖々と作業にあたっている。港はひとつ。


 採掘の交代員として島へ向かう男に金貨を差し出す不気味な手。怪我の治療をしていないのか指はぶくりと腫れ上がり、皮膚の色は紫や黄色に変色している。腐った肉のようなキツイ匂いに思わず鼻を摘まみ、警戒してじりっと一歩下がった。マントというよりも大きな布を頭からすっぽりと被り、どんな人物なのかもわからない。声も酷くくぐもって聞き取りづらい。


「簡単な仕事だ。これを山のなるべく高い場所に撒いてくるだけ。行ける範囲で構わない。達成した暁にはこの十倍の報酬を出す」

「…。簡単なら、自分で行ったらどうだ?」


二本の指で摘ままれた金貨が傾けられ、反射した光が男の目をチラチラと刺激する。


「島には認められた作業員しか上がれないのだろう?  しかもこの体では無理だ」


危険を伴う場所のため他の採掘現場よりも工賃はいくらか高いが、それでも将来の蓄えを考えたら充分とは言えず、目の前の金貨は魅力的だった。

金貨は誘惑するように何度も不規則に傾けられ、その度に目元を光が照らしたり陰ったりする。眩しさに意識がぼんやりしかけて男は片手で目を覆った。


「大体、それは何なんだ? 危ないものじゃないのか?」

「ハッ。ハハハッ。これは山を清めるものだ。我々(ヽヽ)が住みよい環境に気を整えるための」


「確かめろ」とでも言いたげに渡された巾着には硬貨型に土を固めた物が複数入っていた。ひとつを取り出してみると、キラキラとした砂粒が混ぜられた赤茶色の粘土質を乾燥させたもの。その表面には神殿のシンボルにも似た星の文様が、逆の面には波模様が型押しされている。


「…ほ、本当にこれを置いてくるだけか? それで金貨十枚を?」


腰元から取り出した巾着を広げ、中の金貨を見せつける。男が手を伸ばすとサッと引き戻された。巾着の中で金貨が擦れ合いチャリと魅惑的な音をたてた。


「やらないなら、他の者に頼むだけ」

「…わかった。やる」


男の手の平にポトリと一枚の金貨が落とされた。黄色くどろついた物が付着した金貨につい顔を顰めてしまう。


「頼んだぞ? 海に捨てるような愚行はするなよ?」


ゆっくりと諭すように言われた瞬間、軽い目眩を覚え、急に目の前が暗くなったが、すぐに持ち直したので男は気のせいだとしか思わなかった。島から戻る日程と報酬の受け渡し場所を確認して、男はその場を足早に去る。一寸でも早く金貨と手を洗いたかった。


「…フフッ。ワタシノ手足トナレルコト、喜ブガ良イ」


姿が見えなくなる頃、背後でぐしゃりと倒れたのが遺体であったなどとは男は知りようもなかった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 玄関とは別の、湖畔の小屋に通ずる扉のノッカーがガンガンと乱暴に鳴る。ノアラが「諾」と答えると、勢いよく開けられた扉から顔を覗かせたディネウは室内をぐるっと見回した。


「サラドは?」

「出掛けている」

「そうか…」


ノアラの返答を聞いてディネウはガリガリと後ろ頭を掻いた。扉を押えたまま、入って来ようとはしない。何かを蹴飛ばす様子もある。


「そっ。僕に声も掛けずに行くなんて。ヒドいよね」

「…よく眠っているからサラドは声を掛けずに行った」


ノアラの言葉にシルエは口を尖らせて、手元の石に不満をぶつけるように「ふっ」と強く息を吹きかけた。

寝起きが悪く、今もシャツの首元も袖口も釦をとめず、だらんと着崩した姿。対してノアラは客人があるわけでもなく、そもそも人前に姿を晒す事がないのに、ベストにタイを締めた、かっちりとした服装をしている。


「じゃあ、シルエでいいや。ちょっと来てくれ」

「いいや、じゃなくて、お願いします、でしょ?」

「あー、あー、シルエ様、こちらにいらして、死人送りの祈りをどうぞオネガイシマス」

「? 何かあったの?」

「説明はあと。いいから早く!」


シルエは護陣を書いた紙の中央に石を置き、着の身着のまま、杖だけ引っ掴んでディネウに続いた。パタンと閉じた扉をノアラが不安そうに見つめる。

大した時間も経過せずに再びノッカーが鳴り、二人は戻って来た。


 ディネウの説明によると、いつものように湖畔を巡回していると、一体のアンデッドがフラフラしていたという。かなり腐敗が進み性差も年齢もわからない。朽ちかけた死装束でこれといった特徴も身元が分かる品もなかった。ただ彷徨うだけの憐れな存在に見えたが放ってはおけない。


 王都よりずっと北にある万年雪を頂く霊山。その山の麓にある湖には古代の水の神殿が沈んでおり、人からすれば古き神の一柱、水の神と同一視される最高位の水の精霊への祈りの場。いわば神聖なる土地。普通ならばアンデッドが徘徊などできる場所ではない。


「野良のアンデッド? どこから移動して来たんだろうね。アンデッドなら近寄りたくない所だろうに」

「とりあえず滅多斬りにして動けないようにしたんだが、本当の意味で動けないように弔いと…できれば地を清めて欲しくて」

「湖には大事な人がいるもんね」


ディネウが顔を赤くして「うるせっ」と悪態をつく。


「ちゃーんと浄化もしたし、防御壁も張ったじゃん。元来、力の強い場所だからかなり効力あると思うよ? 並のアンデッドなら足を踏み入れたら焦げちゃうくらいには」


人の足では到底越えられない高く険しい山々は湖を含め神の領域とされ、王国の領土には含まれない。

地力が強く、ましてや最高位精霊の影響力がある場所。人が安易に立ち入れば方向感覚をなくすばかりか、魔力の安定しない者や感覚が鋭敏な者なら頭痛や目眩、酷いと酩酊したような状態になって足場の均衡すら崩してしまう。

実質、侵攻不可能なため国境の砦などは敷かれておらず、住んでいる者は当然いない。ディネウは不法に占拠しているようにも見えるが、サラドを通じて、湖の()には許可を得ている。それで王国の者を納得させられるかどうかは別として。

そのため近くで死んだ者とも思えず、遠くから移動して来たと考えるのが自然だった。


「迷いアンデッドではないとなると、湖を目指した理由があるはず」

「そうだよな。出たのが獣なら分かるんだが…」

「魔人か」

「そう思うよね。その仮定が有力だよね。…となると、水の神殿があることを知っている?」

「厄介だな」


ディネウは眉間を曲げた人差し指の関節でグリグリと揉んだ。自身が守る地が狙われたのは我慢がならない。


「うーん、まだアンデッドに有効な道具類は完成していないんだよなぁ。これも失敗だし…」


ディネウに呼ばれて湖に行く直前まで作業していた石が護陣の上で黒く焦げたように変色し、角がボロリと崩れているのを見てシルエは「ちぇっ」と漏らした。


「多分、シルエの力は石よりも水の方が馴染みがいい。護符に使った貝も水の影響が大きいものだ。浄化の水も」

「水には清めの力があることは、ノアラがとっくに術を完成させたことで立証済みだもんねぇ」

「…そんなつもりでは」

「ごめん。ごめん。ちょーっと嫉妬してるだけだから」


元は堅い鉱石が指先で少し圧迫しただけでボロボロと形を失うのを見てシルエは溜め息を吐いた。


「それは確かにね、そうかなー、とはうすうす感じてはいたんだけど。水は石に比べると劣化が早いし…容れ物の問題とか扱いがねぇ…。貝は強度がいまいち。粉にするしかない…? 量とか効果とか均一にできるかな」


ぶつぶつと考えを漏らし「ノアラの方はどうなの」とシルエが矛先を向けると、ノアラはふるっと首を横に振った。


「魔人が死霊に術をかけた時か、アンデッドになった時か、発動条件が難しい」


「わかるー」とシルエが大仰に頷く。


「魔人の術でアンデッド化しないように防ぐのが一番なんだけど、僕の術だとアンデッドになった後の方が効果が大きい。予防となると弔いが確実だけど、それでも無念や心残りはどうしたって全て消し去れるものでもないからなぁ。いっそ全ての町や村を防御で覆った方が早そう」

「あ? それはやりたくないんだろ?」


意外な言葉を聞いたとでも言うようにディネウがシルエを見遣った。


「だって、効果が切れる前に掛け直すとなったら、僕ずっと各地を回り続けなきゃならないんだよ? 一時的ならまだしも個人の能力頼みの防衛なんて間違っている。ノアラと一緒に研究するとしても…」


シルエは渋面になりぐっと口を引き結んだ。

ノアラは前向きに捉えるかもしれない。できる力があるなら惜しむべきではないのかもしれない。だが、見えない壁に守られていることに慣れきったら、何らかの要因で術が解けた場合の対処が遅れる。それこそ王都の火事のように。

絶対などない。十年前まで祟りの如く連鎖していた災厄も今は嘘のように静かだ。どこからか湧いてくる魔物も大半は消えた。渦巻く暗雲の隙間に現れたすべてを喰らい尽くすような真っ黒な裂け目の消失と共に。それでもいつまでこの穏やかな日々が続くのかは誰にもわからない。


「この間さ、灯台の町で水路を見て、あれを利用できないかな、と思ったんだよね」


はぁ、とひとつ溜め息を吐いて、不承ながらという様子でシルエが口を開いた。


「サラドが持っている水筒、あれに付いている水を生む石もノアラ作でしょ。よくできているよね。石に込めた力で触れる水を清め、清められた水が力を持ち、水を引き寄せることによって増し、増えた水がまた清められ…、その循環を止めなければ、生む量は高が知れるとはいえ、半恒久的に水を供給する。何重の術が構築されてるのか、気が遠くなるね。すごいよ。サラドは水の精霊もその石を気に入っているって嬉しそうに言っていた」


ノアラがちょっと照れて、開いた両手の指先を合わせたり離したりしている。


「浄化の水を水路に注いだって流れていったらそれでお終い。粉もそう。だから水を生む石のように、こう…水に溶けない素材に力を持たせて、水路の源流に嵌めれば、緩やかにも町中に行き渡らせられるんじゃないかって」


シルエは嫉妬心に蓋をしてチラッとノアラを見た。


「そこにノアラのこの間の音の術を付与できれば、更に水音にのせて効果も高められる…と。安直かな?」


ノアラがぶんぶんと首を横に振る。ディネウは「へぇ」と小さい声を漏らした。


「そりゃ、石にこだわってたわけだな。堅い貝ならどうなんだ? 水に浸けていても劣化はしないだろ?」

「そうだね。貝で…再検討かな。あの澱は南洋で産出されるものだし、あんまりお金がかかるのも考えものだから」

「港町で変わった貝が揚がったら分けてもらえないか声かけて来るぞ?」


 貝殻は水瓶の底に敷いて塵を吸着させたり、焼いて粉にして畑に撒いたり、顔料にしたりと使い道は多く、サラドに頼まれて時々融通してもらっている。たくさん出る貝殻はほぼ海に棄てられていたため、もらってもいいかと聞いた当初は「廃棄物を何故?」と不思議そうな顔をされた。使い道を知ってからは畑への使用に販路を拓き、時化でも得られる大事な収入源の一部となっている。


「ありがと。それとはまた別に、浄化のために湖の湧き水とかって使わせてもらえるかな」

「問題ないと思うぞ?」

「本当にいいの? 湧き水だよ? あの(ヽヽ)湧き水を使いたいって言っているんだけど」

「あ…」


シルエの再三の確認にディネウは低い濁声を出した。



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