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101 精霊を信じる者

 屋敷に帰り着くと人混みで気疲れをしたノアラが「はぁー」と長く息を吐いた。「楽しかったじゃん」とシルエがその気弱さと嫌な記憶を忘れさすように笑う。


 テオが画材店で目にした額装の元である植物誌を食い入るように見ている間に、シルエとノアラは図書棟の地下に存在する遺跡へ向かった。扉はシルエも無事に通ることができた。シルエはそこがどういった場所か一回り歩いて確認しただけでノアラを置いて先にテオの元に戻った。長く不在にして不審に思われないようにでもあるが、戻る前にニヤリと不敵に笑っていたのをノアラは見ている。頭の切れるシルエのこと、某かを掴んだことは想像に難くない。


「めぼしい本はなかったのか?」


手ぶらなのに対しディネウが疑問を口にした。シルエは馬鹿にしたような視線をディネウに投げる。


「図書館を利用したから。僕が本を抱えて出ようとしたら疑われるでしょ。また別の機会にするよ」


「でもね」とノアラの方を見てシルエが胸を張る。ノアラはこくりと頷いて、外套の懐から本を出して一冊をシルエに渡し、一冊は早速開いて目を通そうとして「後にして」と閉ざされた。


「見て。『精霊と人の恋』 あの遺跡にもう一冊あったよ」


受け取ったサラドがパラリと頁を捲る。綴じもほつれ、角は丸く、紙の損傷も大きい。ノアラの家の書庫にあったものと図書館に渡したものと比べても装丁や印刷などは簡素だが紙は厚めで丈夫、何度も読まれた形跡がある。広く人の目に触れるように頒布されたものだろうか。


「また別の時代かな。少し表現が違う」


古語を検めているサラドの真剣な横顔を見て「人と精霊かぁ…」とシルエが渋面をつくった。


「この本さ、ただ恋の物語なのかな」

「どういう意味だ?」

「何かの暗喩なのかもって」

「だとしたら、何を表しているんだ?」

「うーん、それはわかんない」

「適当に言ったのかよ。精霊はどうだ? 知らないのか」


呆れたように眉を顰めたディネウが本をじっと見ているサラドに話を振った。サラドは首を少しもたげて、片耳に手を添えた。眼球が四方に忙しく動く。室内なのに風がふわっと抜けた。


「うーん、本の中で人が寿命を終えた後に精霊が歌う、その旋律は聴かせてくれるけど…。理由とかは特に? 暗喩があったとしても本にした人の思惑と精霊の気持ちとは関係ないのかもね。えっと…うーん…いろいろ言っていて聞き取れないな…」


 ふんっと鼻から息を出し、ディネウが一枚の木版刷りをテーブルに出した。公演名や役者の名前が記載されている。


「収穫祭で試演された時に配られたチラシだってよ。金かけているよな。タダで配られたこれも金銭で取引されるくらい人気らしいぜ。人気の俳優を誘致して音楽家も新進気鋭だとか。公演が決定している分はもう天井桟敷までいっぱいだそうだ」


装画の衣装などは現代風に変えられているが男女の構図と数行の愛の言葉は『精霊と人の恋』の一節と酷似している。下の方に小さく「失われた伝承を元に」と書かれていた。


「劇場の開演となれば町の威信にも関わっているだろうからね。力も入れるでしょ。…もう、これはクロじゃない?」

「お前の方の情報はどうだった?」

「えーと…実際にお芝居を観てみないことには…。いい物に仕上げようと一生懸命に稽古していたよ。声が通りやすくわかりやすいような言い回しをって推敲していて…元の台詞は、そうだね…うん…そう…かな。あくまで原作で、そこから着想を得た新作だっていうことかもしれないし…」


サラドが歯切れ悪く目にした光景を説明する。その様子からもう別物と言えるほど面影はないようだ。


「で、サラドはどうしたい?」

「どうって?」

「この演目を止めさせたいか?」


酒瓶と杯を手にディネウが真っ直ぐにサラドを見る。顎で促されて、片付けの手を止め椅子に腰掛けた。組んだ手の指先が落ち着きなくわさわさと動く。


「まさか。そんなことは…。楽しみにしている人も大勢いるだろうし、たくさんの人が準備しているだろうし。事実を大きくねじ曲げたり、誰かを傷付けたり、悪意を振りまくのでなければ、別に。ただ精霊の存在を黙殺されたみたいでちょっと悲しいだけ…」

「じゃあさ、別のところにコレを教えれば?」


シルエが迂闊に触れるとばらけてしまいそうな本を指し「何を迷うの」とでも言いたげに首を捻る。


「えっ、そんなことしていいのかな…」

「別に専属の契約をしているとか、何か密約を交わしているとかないんでしょ?」

「ねぇな」


間髪入れずにディネウが否定する。ノアラも「ない」というように首を横に振った。貴族や富豪、大商家との付き合いには「英雄と特別に懇意」だとして利用されないように慎重を期してきたつもりだ。


「じゃあ、問題ないじゃん。それとも義理立てする必要があるところなの?」


ディネウは再び「ねぇな」と言い、サラドとノアラは首を捻る。


「あ、因みに。直接伝えるのをノアラが渋るから…『支援の申し出は丁重にお断りします』ってメモを置いてきたよ」


「ね?」とノアラに同意を求め、「問題ないよね?」と確認するようにサラドとディネウの顔を交互に見る。こくりと頷くノアラは心なしかほっとした様子だ。


「そうなんだ。そうだよね…曖昧にせず断らないとダメだよな」やんわりとしか断っていないサラドはばつが悪そう。

「そうそう。勘違いされても後々面倒でしょ?」シルエは為て遣ったり顔。

「自分で断るなんてノアラも進歩したな」とディネウは腕を組んで満足そうにうんうんと頷く。


「メモ置いただけだよ。ガツンと言えばいいんだよ」


呆れるシルエの視線からスッと目を逸らしてノアラが俯く。

波風を立てないように強く拒絶しないサラドやノアラとは異なり、シルエは昔からはっきりさせた方が相手のためだという態度で、スッパリと否定ができる。シルエに「嫌なら断って良し。気にする必要ない」と言われると、本当にそんな気がするから不思議だ。王都と聖都の鐘の件もしかり。かといって自分でもそうできるかは別だった。

ノアラは不可視で安全な殻に閉じこもりながら尚、三人に守られている己を反省してそっと溜息を吐いた。


 図書館にて前回、本だけ渡して帰ろうとしたのに、いつもと違って応接室に通されて疲弊したノアラはそれを回避するべく、帰り際シルエが司書を引き留めている隙に、姿を隠したまま書き置きをカウンターに載せた。シルエに「先延ばしにしたって答えは変わらないんでしょ。とっとと断りなよ」と責付かれてのことだが、お陰で胸のつかえがひとつ減った。

ディネウに頼めばもっときっぱりと断ってくれただろうが、これまでもわざと目立つ格好で矢面に立ち、他に注目がいかないようにし、進んで嫌われ役を買って出て庇ってくれている。不遜な態度も横暴に振る舞うのも、取り込もうと画策する者を遠ざけるため。ディネウをこれ以上悪く言う者が出ないように恫喝じみた真似を止めさせたい、穏便に済ませたいという思いもあった。


そんなノアラの心境とは裏腹に、少し目を離した間の出来事に司書は驚き、どう主に報告すべきか焦っていることだろう。


「別の出版元でも何でも、さ。今度は『精霊』の部分を強調して」

「…いいのかな」

「ダメだと思う理由がわかんない。精霊のこと、信じてもらいたいんでしょ」

「うん…。考えてみる」




 酒と芸術の町。ここに来てしばらくは王都での噂が先行して遠巻きにされていた若き吟遊詩人も、同じくケントニス伯爵夫人から支援を受けている他の芸術家とも交流が持てるようになってきていた。

互いに刺激を受けつつ向上を目指す。

新たな可能性を探り、いつも使用しているのとは別の楽器に挑戦している。左手で弦を押さえ音程を作るのは同じだが、右手で直接弦を掻き鳴らすのではなく、弓を用いる型だと音は全く違ってくる。ある程度響かせられるようになったので、公園で試し弾きをしていた。まだ満足のいく音色ではなく、音量も室内とは違って十分と言えないと気付き、弓を力なく下ろす。

それを待っていたかのように声をかける者がいた。


「こんにちは。一曲お願いできますか?」


声を聞くまで感じ取れなかった気配。既視感のある状況に吟遊詩人はゆっくりと視線を上げた。


「…どうも。今日はどのような曲をお望みですか?」

「あっ…と、練習の邪魔をしてすみません。その…つかぬ事をお尋ねしますが…。曲の作成の依頼っておいくらくらいなのでしょうか」

「曲の依頼…ですか?」


 目の前に立っていたのは旅装に身を固めた白髪の中年男性だった。先日もこの公園で再会し四方山話をした。吟遊詩人にとっては恩人。

師匠が病に伏せたのは歌を奪われたせいだと恨み、一曲当てて見返すことばかり考えていたが、漸く真摯に歌と向き合う心を知った。同時に、いざこざに巻き込まれたことから人との関わりに慎重にもなっている。


この男性は彼が歌えなくなることがないようにと気遣ってくれ、今や他の吟遊詩人の服装にも影響を与えているこの衣装をくれた当人だが、歌を聞いて女王陛下の依頼だと見抜いたただならぬ人物でもある。何か目論見があってのことでは、これから何かを要求する気ではと、つい身構える。


「その…、一曲いくらかと言いますと、曲により、としか…」


言い方は悪いが相手の足元を見て金額を決める。多く払えそうな者からはそれなりに。食うに困らない程度に小さな依頼もこなす。


「…ですよね。あの、ちょっとこれを見て頂きたいのですが」


 サラドは少し緊張した面持ちで若き吟遊詩人に古びた本を差し出した。吟遊詩人は軽く頭を下げて「拝見します」と受け取った。

かなりぼろいが紙はしっかりしている。頁を捲ると美しい挿絵が目に飛び込んだ。絵の中にある少ない文章は知らない文字で読めない。

「訳です」と一枚の紙がぴらりと差し出される。几帳面な文字で綴られているのは絵からも想像できる愛――精霊と人が存在を越えて交わした愛の言葉だった。


「美しい物語ですね」


当たり障りのない感想を述べた吟遊詩人にサラドの眉間にほんの少し力が入る。


「…もし、この物語を歌にしてもらいたいと言ったら、どうでしょうか」

「私ならば二曲の構成にしたいところです。二人の愛と想い出と。想いの通じ合う喜びを軽やかに楽しく明るく。寂しさの中にも幸せだった日々の追憶を切なくも甘く。確かにひとり残されるのは辛いことですが、幸福だったと…そう思えるように」

「そう…そうですよね。オレもそう思うんです! 二人は幸せだった。これは悲恋じゃないって。良かった…そう感じてくれる人がいて」


少々興奮気味に身を乗り出し、嬉しそうに笑うサラドの左の口元から八重歯がちらりと覗く。少年のような屈託のない笑顔に吟遊詩人はすっかり毒気を抜かれた。


「それに、精霊が存在するというのを序章で伝えた方がよさそうですね。できれば…精霊の様子を具体的に」

「貴方は精霊はいる…と信じているんですか」


窺うように聞くサラドに吟遊詩人は自身を売り込むのに身に付いた相手の警戒を解く笑顔を向けた。


「私はばあちゃんっ子なんです」

「おばあさん?」


吟遊詩人は照れたように営業用ではない笑顔をこぼし、独白を始めた。



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