100 話題の舞台は
「噂の方はどうだった?」
各地を訪問するついでに情報収集するように伝えていたディネウが振り返る。サラドの周りを取り巻いていた微風がふわりと散開した。
「うーん、そうだな…。この間のアンデッドについてはまだそんなに広まっていないな。村長から領主、そこから王宮へ報告が上がるのはもう少し先かも…。導師については悼む声はあるけど、それと治癒士を結びつけて面白おかしく言う者はいない…かな。疑問視はされているみたい。支配層の耳に入ったらまた違ってきそうだね…。それより…」
「ん? それより?」
「…いや、何でもない」
「えー、なに? 気になるじゃん」
(『聖女と騎士の駆け落ちに魔術師の横恋慕』か…。随分と尾ひれが付いているみたいだ。奇蹟の力もかなり大袈裟に吹聴されているみたいだけど、それについてはオレのせいもあるかも。みんな、トラブルに巻き込まれないといいけど…。でもこれを話したら、ディネウは怒りそうだしな)
ちらっとディネウを見ると「何だ?」と聞き返すように首を捻る。
(心配してくれるディネウには申し訳ないし、今度こっそり様子を見に行こうか…)
ひとり納得した様子のサラドによからぬことを考えていると察したディネウが半眼になる。
「…あ。あと、気にするような事じゃないんだけど…。灯台の町で新設される劇場のこけら落としの演目が決まって、その一部が収穫祭の広場で試演されて話題になっているらしい」
「それがどうした? まさかまた」
「いや、『剣士と水の乙女』ではない。でも恋の物語ではあって」
劇場と演目という言葉に過敏に反応し苦虫をかみつぶしたような顔をしたディネウが三人からの視線を受けて頬を赤くする。「うるせっ、見んなっ」と悪態を吐き、「それで? だからどうした」と語気を荒げて先を促した。
「うん…。設定は対立する派閥の子息と子女の許されざる恋路なんだけど…。どうも、これ…『精霊と人の恋』が元みたいで」
「あー、精霊よりとっつきやすい設定に変えちゃったってこと?」
「確かめないとわからないけど…」とサラドの表情が曇る。精霊という存在が人に認知され、かつてのように敬い、近しい友だと信じてもらいたくて対訳を渡したサラドとしては不本意な結果だ。
「ふぅん、明日にでも直接行ってもう少し詳細を確認してみるべきだな。がっかりすんのはそれからにしとけ」
「うん…」
なんとなく右腰に提げたランタンに手を伸ばしたサラドの指先に小さな火がじゃれるように絡みつく。丈夫な革の手袋が少し焦げた匂いを発した。
灯台の町を牛耳る商家の御隠居の心は穏やかではなかった。経営からは退き、悠々自適に余生を謳歌しているように見えて、まだまだ影響力は大きい人物。後継の息子も先代の一言を無視はできない。
市場調査と商売敵の動向は常に探らせている。その情報によると、複数の紙問屋に『最強の傭兵』が出入りをしているという。これまではこちらで取引をしていたが、ぱたりと沙汰がない。お遣いと思われる人物に『土木関連の著者』へ研究の場の提供と支援を申し出た際、好感触だと踏んだのに、その返事も未だない。
所在地が不明の人物で、こちらからは接触しようがないため焦れていた。
「…どうしても駄目ですか」
御隠居の孫娘は『精霊と人の恋』の写本を奪われまいと抱きしめた。原本と対訳の書類は御隠居の収集物を納めた応接間で厳重に保管されている。
「お祖父様、どうしても?」
「今ではない、と言っているんだ。舞台が成功してからの方が注目を浴びるだろう。準備はしておいて最良のタイミングにするべきだ。そういったこともお前は学ぶべきだぞ」
「でも…」
「いいか、どこで内容が漏れて出し抜かれるかわからないんだ。それまでは慎重に行動すべきなのに勝手に画家に伝えるなど…。本当はお前が持つ写本も金庫に入れておきたいくらいなんだ」
ちょうど劇場のこけら落としの演目を決めかねていたこともあり、トントン拍子に舞台化の話は進んだ。
種族も寿命も存在の在り方も違う者の魂が惹かれ合い、愛を語り、ひと時しか共にいられぬことに苦悩する様は、とても幻想的で切なく美しい。絵物語をさらっと見せられて、粗筋を聞いた脚本家らは、創作意欲を駆り立てられた。だが、それだけの内容とも言え、精霊では観客の興味を引く力も弱く、盛り上がりに欠けるとして、原案どまりとなった。
そこで考えられたのが、反目し合う家系の純朴な子息と妖精のような見目で儚げな子女の物語。
互いの家族から祝福されずとも惹かれ合わずにいられない二人。愛を誓い合うも引き裂かれてしまい、その想いを貫くために命を落とす子息とその後の人生を彼との思い出の中に生きる子女――という具合だ。
身分差の恋なども受けはいいが、この灯台の町は貴族の領主が不在。その経緯もあり、貴族と平民の恋を題材にしては、権力の転覆を扇動する意図ありなどと受け取られてしまうと厄介だ。
以前に大評判となった『剣士と世の安寧を願い水に身を投じた乙女の悲恋』とは逆に男性の方が亡くなる形を取った。性別の明記はされていないが『精霊と人の恋』の絵は人の方が男性、精霊の方が女性っぽく見えるというのもある。
軽やかな布を多用したドレスに翅飾りをつけた衣装に、対訳の文を少しだけ現代語の言い回しに修正し、愛を語り合う場面と想い出を独唱する場面を試演したところ話題性は上々、大当たり間違いなしだ。
孫娘は『精霊と人の恋』を出版したいと熱望したが、祖父から本を外に持ち出す許可を得られず、独断で簡単な構図を書き写したものにイメージの注釈を加え、画家に渡して挿絵の依頼をした。対訳文は頁指定毎に書き写し、本にした際の構成を掴むために作り上げた写本。それをぎゅっと胸に押しつける。
「それにこういったものは価格が上がっても、豪華な装丁にして、彩色もして、読めなくとも原文の古語も入れた方がきっと売れる。そこである程度経ってから廉価版を出すんだ。いいか、もう勝手な真似をするでないぞ」
「…はい。申し訳ありません」
殊勝に謝罪をすれば、孫を溺愛している御隠居もそれ以上きつくは咎めなかった。
「舞台も…このままで素晴らしい内容ですのに」
ぽそっと不満を零した孫娘は舞台の成功後に広くこの物語が人の目に触れることを夢見て、今は偉大な祖父に従うことにした。
◇ ◆ ◇
「僕もその図書館とやらの施設を見てみたいな。地下の遺跡も。いいでしょ?」
ノアラがこくりと頷く。シルエほどの魔力量があれば遺跡への扉も潜れるだろう。
「シルエは顔が割れていないから問題ないだろ。俺は用もないし面倒くせぇから、今回はそこへは行かないが」
「あ! それならテオも一緒に連れて行ってあげて。植物や絵画の多く載った本を見せてあげて欲しい」
「サラドは一緒に行かないの?」
「オレが行くと例の返事を期待させてしまうし」
「なら、何処かで待っててよ」
結局、シルエの押しにより五人全員で灯台の町近くの人目につかない場所に転移した。二日連続して四人揃っての行動にシルエがニヤニヤを隠せずにいる。それを見てサラドも朗らかに笑んだ。
転移の目眩から守るために縦抱きにし、後頭部をしっかり支えていたテオを降ろす。カサと乾いた音がして枯れ葉に足が沈む。落葉樹の多い木立は枝ばかりが目立ち、射し込む陽も低く長めの影を落としていた。
町が近付くとテオが腕を伸ばしサラドの手をしっかりと握った。同年代の男の子であれば、もう大人と手を繋ぎたがらないが人混みに入る頃には繋いだ手の平がじわっと汗ばみ、緊張しているのが感じ取れる。
「前にも来たのを覚えてる?」
きょろきょろと辺りを見回してテオは大きく首肯した。キラキラと光を弾く魚が描かれたモザイク画を指さす。あの時はサラドに背負われたままだった。
シルエと手を繋ぎ直したテオ、それから不可視の術で姿を隠したノアラは中央部を抜けて公園の奥にある図書館を目指し、サラドとディネウは市場と隣接する広場の方面に向かった。
「俺は知り合いを当たってくる。何なら、練習風景でも覗いて来いよ。わけねぇだろ?」
豪奢に飾り立てられた建造物を前にディネウがひらひらと手を振った。外装はほぼ完成している劇場は中からトテカンと工事の音がする。
「うん…。まあ…」
敵情視察や間諜もサラドの役割だ。それでも人が危害に遭わないために活動していた頃とは異なり、気は進まない。
「別にその芝居を盗もうってんじゃない。お前の懸念が晴れればそれでいいだろ?」
「懸念っていうか…」
「ぐちゃぐちゃ言ってねぇで行って来い!」
ディネウに背中をバシリと叩かれてサラドは「うん」と路地の壁沿いに姿を消した。
再び集合した四人とテオは市場で飲み食いを楽しんでから帰ることにした。先に帰るとノアラはごねたが、シルエが許さなかった。自然とサラドとディネウで姿を隠蔽しているノアラを挟んで歩く。テオはサラドと手を繋ぎ、その逆側をシルエが陣取りつつも真横ではなく半歩ほど後ろを歩いている。横からもノアラに体当たりをする者がいないように阻む布陣だ。
図書館を利用したシルエの感想は「いいんじゃない?」のひと言。因みに『精霊と人の恋』は閲覧可能な棚では見かけなかったという。
「貸し出し中かもしれないし、古語の研究中かもしれないけどね」
一方のテオは興奮冷めやらぬ様子。休憩のため足を止めると、屋台で購入した食べ物を口いっぱいに頬張り、もごもごと動かしながら、地面に這いつくばって水で濡らした指で絵を描きはじめた。
近くにはタイル画で彩られた水場があり、止め処なく上水が流れ出ている。そこから下る水路では野菜を洗う女性がおり、その脇で子供の一人が水の吐き出し口に手の平を当てて、別の子供に吹きかけて遊んでいた。母親に怒られてもめげず、きゃあきゃあと騒いでいる。水も冷たくなってきた季節、悪戯にしては盛大に顔を濡らされた子供は怒って、手で掬った水を仕返しとばかりに掛け、そのまま追いかけっこに突入する。
「ははっ。子供たちに混じって水の精霊も跳ねているよ。楽しそうだね」
それを聞いてノアラが流れる水に目を凝らした。残念ながら子供と遊ぶ精霊の姿は見えないが水面は光を反射して眩しい。
子供たちのはしゃぐ声に混じりたがる気配もなく、夢中で指を動かすテオに食べ終えた串の先端にナイフで切れ目を幾筋も入れて開き、筆代わりにしたものをサラドは渡した。赤くなった指にそっと治癒をかける。やっと口中の食べ物を飲み下したテオは「わあ」と顔を綻ばせて急拵えの筆で続きを描いた。
「いつでも安全な水を誰でも使えるなんて贅沢だねぇ」
シルエがしみじみと呟いた。小さな村はまだまだ井戸が中心。掘った場所によっては安全とは言い難い水しか得られないこともあるし、枯れてしまうことだってある。灌漑設備もなく、雨頼みでは収穫も左右される。
聖都には水道が敷かれていないため、井戸からの水汲みは重労働だし、それは立場の弱い者や子供の仕事にされがちだった。
野菜を洗い終えた母親は笊を小脇に抱え、ふざけている子供の首根っこを掴むようにして去って行く。
水路には途中に段がいくつかあり、そこで洗うものの区別がされている。流れ出た水を受ける場所が飲み水、一番高い段は食べ物、下がるに従って汚れた物を洗う。境目には柵を設けて塵をさらい、流れが詰まったり清潔が失われないようにされていた。
「これをノアラたちは造ったんでしょ。感服するわー」
「ここは最初だったから、苦労もあったよな」
シルエの声音は呆れにも近い。両手を頭の後ろで組んで伸びをしたディネウは当時を思い出したのか「はっ」と短く息を吐き出し、怒りを押し込めた。