1 プロローグ
土塊→土 に変更しました
(後に出てくる『土塊』とは関係が無いので、念のため)
内容変更はありません
誤字報告 ありがとうございました (*^^)
世界はゆるゆると終末に向かっていた。
日照り、地震、長雨、山火事、河川の氾濫、冷害…様々な自然災害に疫病、飢餓、加えて食糧、資源不足による略奪、紛争。ありとあらゆる災いが世界を覆っていく。
その上、山や森の奥深くに棲んでいた〝少し強い獣〟として認識されていた生き物が禍々しく力を増し人を襲うようになった。始めは里近くで、やがて町の付近でも、時には大群をなして。いつしかそれを魔物と呼ぶようになった。
人々は怯えすっかり疲弊していた。
絶望と無気力が止まらない人々の心をなんとか導こうと神殿では古い文献にあった神降ろしの儀式で託宣を賜ろうと試みた。
巫女に選ばれた少女が緊張の面持ちで設えた祭壇の前に立っている。
謡うような祝詞と音楽の中、教えられた踊りを少しぎこちなく舞い、祭壇をぐるりと回る。
一周したら神酒を一口、また舞い踊りながら一周、それを繰り返す。
何周終えたか、少女の踊りは最早その形を成さずふらふらとよろめきつつなんとか一周する。衣ははだけ顔は真っ赤、目も虚ろだ。
とうとう倒れ込んだ口元がガクガクと震えるように動いた。神官が微かな声を聞き取ろうとその口元に耳を寄せる。
「…災厄……生まれ…赤子……精霊……救う……」
漏れ出た言葉は僅かそれだけ。少女は気を失った。
どうとでも取れる言葉、慎重を期すべきだ。明言は賜れなかったとすることも出来たはずであるのに、言葉を受け取った神官は上位の神官数名と審議し、事もあろうにこう解釈した。
『災厄の申し子として生まれた赤子を精霊に捧げることで救いを得られる』と。
かくして儀式の前後に生を受けたばかりの数多の命が愚かにも儚くされた。
一方で。
王国の果てにある小さな村の更に端っこに住むジルは川を流れる赤子を見ていた。赤子を乗せた葦を編んだ船は流れを無視してジルの足下の川岸へと辿り着いた。
しっかりと編まれた船には御包みの上から戒められた赤子。その頭上には水を盛った盃、右に枝葉、足下に炭、左に土。額にはなにか文様が染料で描かれていた。
「これは…、拾ってはいけない児やも…」
明らかに何かの生け贄と思われる。だが船はジルの目の前で「早くしろ」とでも言いたげに沈み始め、慌ててその腕に赤子を抱いた。直後、船はトプリと川底に沈み、額の模様も消えてしまった。
赤子は冷たく弱っていて目はうっすら開けているものの泣く力もないようだ。
ジルは急いで家に帰り、薬師と助産師をしている妹の所へ駆け込んだ。
ジルは若かりし頃、向学と見聞を深めるため、そして貧しい村には受け継げる土地もないため、旅暮らしをしていた。様々な町を巡って、便利屋というなんでも雑事を請け負うような仕事だ。
そうした生活を選んだのは子供の頃に偶々行商人と一緒にいた男に出会ったからだった。
その男は魔術が使え、彼方此方に残る遺跡にその手がかりを求めているという。
魔術は古代文明の遺産で、師弟関係で継がれてきたため、今ではもう使える者は僅かで、その力も小さい。その男に冗談半分でそのさわりを教わったジルは使えてしまったのだ。小さな術を。
それには二人とも興奮した。男は手持ちの魔術書の写本を授けてくれた。
男は数日、村の周辺を探索したが古い地図に記されているという遺跡は見つけられず去った。
「魔術師になりたくなったら弟子入りにおいで」と言葉を残して。
ジルは魔術書を片手に自己研鑽し、独り立ちのできる年齢になった際、村を飛び出したのだ。なぜか薬師を志していた妹も一緒に。
妹のマーサも貧しい村で得られる知識には限りがあることを知り、いつかこの村に貢献するため町での修行を望んでいた。
二人一組での旅は続いた。世の中は不穏と禍に満ち、魔術の力は弱くとも知恵をもって魔物と戦う兄と、薬師の知識と弓が使える妹は、様々な仕事をこなし着実に力をつけていった。
その旅の中、人の死に触れることの多かったジルは今まで生きてこられた幸運と人の恩に少しでも報いたいと、弔いの祈りを捧げられるように神官見習いの職も得た。
神殿には奇蹟の御力と謂われる治癒の力を持つ者が少数いる。神殿では魔術を自らが尊ぶものとは真逆の力であるとし異端と見なすが、ジルは自分が魔術を使えることは言わず、ただ祈りを捧げられる資格のみを要して修行した。
もちろん、奇蹟の力は使えない。魔術と治癒は同時にその身に宿せない。そのどちらも使える者は古代文明でも伝説のような存在なのだとか。
そうして様々な経験を積み、一度くらいは里帰りをと思った時、出身の村とその周辺を多数の魔物が襲った。町から派遣された傭兵たちと共にジルとマーサも戦い、ジルは腰に大きな怪我を負い、再び旅暮らしはきつい体となってしまった。
もう中年になっていたジルとマーサはそのまま村に帰り着き、端に家を設け暮らすことにした。薬の知識が豊富なマーサと村の防衛のため戦った、しかも死者を弔う祈りができるジルを村の皆は歓迎した。
因みにジルは結局、魔術書を授けてくれた男には出会えなかった。お互い各地を転々としているのだから無理もないだろう。
そんなことから何年が過ぎたか、世の中は一向に明るくなる兆しもなく、今日もどんよりとした曇天だった。
果ての村に神殿の託宣の報が届いたのは儀式からも、ジルが赤子を拾ってからも、幾日も経ってからの事だった。
村の人々はジルの拾った赤子とこの報せの赤子との関係を訝しんだ。今からでも捧げるべきだと言う者もいた。
だがジルは「この村にはっきりと大きな災厄があった場合は、この児を捧げる」と約束し、すぐに実行することは拒んだ。村の英雄でもあるジルに宣言されてはおおっぴらに文句も言えず、一応は納得されたかに見えた。
ジルとマーサは赤子にサラドと名付け、知識と技術を授けながら大事に育てた。村が大きな災害に見舞われることはなく、彼はすくすくと成長した。
村の一部からは歓迎されないままに…。
サラドは時々森の中で、呼びかけられても気付かないほど、ぼんやりしていることがある子供だった。
ジルとマーサが旅暮らしでしていたように村の人々からの困りごとや手伝いを積極的にする。マーサの薬師の、ジルの死人送りの補助をしてよく働いた。
不思議なことにサラドのもとには才気溢れる弟たちが集結した。
七歳くらいの頃、ジルを引っ張って焦った様子で森に行ったことがある。そこで木の洞に隠された乳児を見つけた。この児を連れていたと思われる大人は獣に襲われた形跡があった。それがシルエ、のちにサラドが絵本代わりに読み聞かせたジルの神官見習い修行の教本で奇蹟の力に目覚める男の子だ。
次に九歳頃、近くの集落が魔物の群に襲われ多大な被害を被った際、ジルに付き従い弔いのため出掛けていったところで、魔物狩りに参加していた傭兵の両親を亡くしたというひとつ年下の男の子を連れて帰ってきた。のちに最強の傭兵、剣匠と二つ名を轟かすこととなる、父の形見の大剣を振るうディネウ。
またその一年ほど後、火事となった貴族の屋敷から逃げてきたという人から託された元奴隷の男の子。彼もシルエ同様にサラドから言葉の勉強として読み聞かせてもらった魔術書でその才能を発揮した。次々に遺跡から古代魔術と知識を発掘し、土木にも通じ、その力を思うがままにしたノアラ。
サラドが十六歳を迎える頃、その四人で旅立つことになる出来事が起こった。
時を同じくして、禍から救われたという逸話が各地で吟遊詩人の詩となり始めた。
それらの詩の中で活躍しているのは四人組の少年だったり、奇蹟の力で疫病を払ったり、猛る剣技だったり、凄まじい魔術で魔物を一掃したり…
突如現れたこの希望に人々は沸いた。その余りの熱狂ぶりに詩はあっという間に広まり、誇大に描かれたエピソード、信憑性を疑うものが横行し、偽物騒動なども起こり、世を乱した。そのため新たな詩の創作、その英雄の名前、容姿を語ることは王命で固く禁じられた。
何年もかけ魔物の勢力は削げ、災害も減ってきて人々にやっと安堵が見えて来た折に、海の真上に大きな、とても大きな黒々とした渦巻く雲が現れた。昼でも暗く、幾千の稲妻が走り、海の水を啜り上げ、風が様々なものを攫っていく。
それを目にした者はとうとう世も末と絶望したそうだ。
だが、その海にあまりに頼りなげな船が一艘、漕ぎ出していく姿を見た者がいるという。
それから何刻が過ぎた頃か、暗い雲は去り、空には陽の光が一筋。その神々しさに人々は自然と祈りを口にしたそうだ。
それを〝夜明けの日〟と語り継いだ。
それから世界はゆっくりと回復していった。町付近では魔物の被害はなくなり、収穫も徐々に増えている。
離散してしまったのか、青年になったであろう四人組の噂はついと消えた。
その詩や噂がすべて同一人物たちのものなのか。
あの託宣の災厄の申し子は本当だったのか。精霊が救ってくれたのか。
それは誰も知らない。