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風邪を引いたので

 

  『風邪引いた。』

  「まじ?」


  6月に入り毎日がじゃんじゃん降りの雨模様。そんなある梅雨の1日…

  お昼休みにパソコンに向かいながらコンビニのおにぎりを頬張っていた私のスマホを鳴らした着信から、そんなハルの声が聞こえてきた。


  「熱は?」

  『8度5分くらい……』

  「まじ?高…ちゃんと寝てる?」

  『寝てる……仕事も休み…』

  「病院は?」

  『きつい……明日行く……』

  「早い方がいいって。」

  『それより…今日こんなだから…うち来んなよ?』

  「え?」

  『そんだけ、じゃ。』


  それだけ言って、ハルは一方的に通話を切ってしまう。


  ……これは、来てくださいということだろうか?

  「来るなよ」はつまり、「来て」ってことだよね?そういうことだよね?

  つまり看病イベントだろう?


  「…………うわぁまじかァ…」




 ※




  気合いで仕事を終わらせて何とか退社。珍しく早いもんだから先輩に飲みに誘われるのを振り切って、私は早足で坂道を駆け上がる。日が落ちて雨が上がってよかった。


  濡れた地面に足下を滑らせながら、えっちらほっちら長い坂を登っていく。虫が多い。あと、雨上がりのむんとする蒸し暑さが気色悪い。


  腕時計を見るとまだ夜の9時だ。早っ!?


  「やれば出来んじゃん私……」


  若干駆け足でいつもの家までたどり着き、古びた木の扉をノックする。


  「こーんばーんわー。」


  私の間延びした声にすぐ中からの反応の気配。元気よく軽い足音がドタドタと廊下を駆けてくる。


  「--柚姉っ!」

  「こんばんわぁ!琴葉ちゃんっ。」


  玄関を勢いよく開け放ち無邪気に飛びついてくる琴葉ちゃんを抱きとめて、私は玄関に上がる。

  琴葉ちゃんと、買い物袋を玄関の床に下ろす。袋が重たい。買い込みすぎた。


  「兄ちゃん!姉ちゃん来た!!」


  ドタドタと廊下を走り回る琴葉が階段を駆け上がる。それに続いて私も2階に上がっていく。


  「…………は?」

  「おっす。」


  2階のハルの部屋に入って、ベッドの上で膝に飛び乗ってくる琴葉ちゃんを抱きしめるハルに片手を挙げてあいさつ。すごく怪訝そうな顔されたんですが。


  「……飯もう片したんだけど?」

  「え?食べたの?作ったん?」

  「琴葉、手伝ったよ?」


  部屋の中をぴょんぴょん飛び跳ねる琴葉ちゃんは元気いっぱいだ。これは大変だろう。


  「寝てなきゃだめやん。折角材料買ってきたのに……」

  「いや、来んなって言ったじゃん?」


  突き放すような悲しい言動に私はわざとらしくオロオロと泣き真似をしてみせる。ピタリと動きを止めた琴葉ちゃんが足下に寄ってくる。


  「酷い……心配して定時にあがって来たって言うのに……ご飯も食べずに……」

  「今何時だと思ってんの?定時何時だよまじで。お前の会社ここからそう距離ないだろ?」

  「兄ちゃん。酷いこと言ったらだめよ?」


  琴葉ちゃんに窘められて首をすくめるハルを私は無理矢理ベッドに寝かしつける。


  「……おーい。」

  「まじで熱すご。明日病院行きなよ?今日は面倒看てあげるから。」

  「……俺じゃなくて琴葉の面倒見て。風呂まだなの。」


  そうか、まだ風呂入ってないのか。


  「おっけ。ハルは寝てなよ?あとは?」

  「え?あとはないけど……」

  「よし琴葉ちゃん。お姉ちゃんとお風呂だ。」

  「だ!」


  私の声に琴葉ちゃんも無邪気に飛び跳ねる。ぴょんぴょんジャンプする度に築四十年の家の床が軋む。抜けないか心配。


  「ハル、後で氷枕持ってくるから。」

  「別にいいって…早く終わったんなら風呂だけ入って帰れ……」

  「うわぁ……そうやって邪険に……」

  「気遣ってやってんのにその反応なに?」

  「こっちの台詞ですぅ。お風呂洗ってある?」

  「ん。もう湯も入れてる……そろそろいっぱいかも。」

  「おっけ。琴葉ちゃんの着替えは?」

  「下から適当に……」

  「はいよ。ちゃんと寝てなよ?いい?」


  しつこいくらいに念を押してから、鬱陶しがるハルに見送られて私は琴葉ちゃんと下に降りた。




 ※




  「じゃばーんっ!」

  「はいいい子。」


  浴室にて、琴葉ちゃんの小さな身体を念入りに洗ってあげてから、浴槽に入れる。私と入れるのが新鮮で楽しいのかテンションが高い。


  「肩まで浸かってね。」

  「う〜。」


  気の抜けた返事を聞きながら私も自分の身体を洗い始める。この風呂場もすっかり我が家のような親しみを感じる。


  「琴葉ちゃん。お兄ちゃん心配だね。早く良くなるといいけど……」

  「大丈夫。兄ちゃん無敵だから。」

  「あはは、無敵かぁ。」

  「今日ね。ご飯作るの手伝ったよ。」

  「偉いねぇ。お兄ちゃんのこと、助けてあげてね?」

  「ん!」


  湯船の中でバシャバシャと手足をばたつかせて元気よく返事する琴葉ちゃん。


  「あとな、洗濯物も畳んだよ。」

  「お、やるじゃーん。」

  「この後食器も洗う。」

  「偉い。お姉ちゃんも手伝うよ。ところで、晩御飯は何作ったの?」

  「うどん。」

  「いいね、琴葉ちゃんは何を手伝ったの?」

  「んとね…お鍋に水入れて〜、卵も割って〜……」

  「お月見うどんにしたんだぁ。」

  「テーブルに並べてねぇ……」


  琴葉ちゃんの微笑ましいお手伝いが浴室で反響して響いていく。内容はどれも拙いものだけど琴葉ちゃんの言葉の端々からハルを楽させようと奮闘したであろう痕跡を聞き取れる。

 

  ……琴葉ちゃん、もう三年生だもんなぁ……しっかりしてきて……


  知り合ったばかりの頃はよく泣いてたっけ…?あれは仕方ないか。


  「よし、お姉ちゃんもは〜いろ。」

 

  身体を洗い終えてから私も琴葉ちゃんの浸かった浴槽に脚を入れる。浴槽から溢れ出るお湯に琴葉ちゃんがはしゃいでる。


  「狭いね!」

「ごめんよ〜、もっとこっちおいで。」


  浴槽の縁に背中を預けて、琴葉ちゃんを抱え込むみたいにして湯船に浸かる。暖かい。


  「……あ〜……疲れた。」

  「仕事、大変?」

  「ん?へっちゃら〜。」


  私の中で私を見上げる琴葉ちゃんの真っ白な頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。それにしてもホント白い。


  「琴葉ちゃん、最近学校どう?」

  「ん〜、フツーですな!」

  「そっか。フツーか。」


  目を細めてなんだか偉そうに答える琴葉ちゃん。可愛い。


  「今日はね。体育が体育館だったから、ドッジボールしたの。」

  「お、良かったね。楽しかった?」

  「いっぱい当てられた。」


  梅雨の時期は外で体育もできないか。琴葉ちゃんにとっては参加できるから楽しいだろう。


  「でも、琴葉もいっぱい外野から当てた。」

  「やるじゃん。ドッジボールは外野のが楽しいよね。」

  「そう?内野がいい。」


  ドッジボールか。しばらくというか……それこそ小学校くらいしかやってない。


  「柚姉は?体育何好き?」

  「ん〜…昔の話だからなぁ…ウチは中学も高校もやること大体決まってたし…」


  大体バレーかサッカーだったなぁ……


  「あ、たまにバスケしたっけ。バスケは好き。」

  「バスケ?」

  「バスケットボール。琴葉ちゃんはやらない?」

「難しい。ドリブル。」

  「ふふ。コツがあるんだな〜……あと水泳好き。お姉ちゃんね〜、泳ぐの早いんだぞ〜?クロールね、確か25メートルで13秒くらい?」


  多分速いと思う。少なくとも、私の高校時代のクラスの女子の中ではぶっちぎりのタイム。まぁ流石に水泳部には勝てないだろうけど……


  「琴葉も泳ぎたいなぁ。」


  あ、そういえばそんな話したっけ。


  「琴葉ちゃん、海行きたいんだっけ?」

  「うん!」

  「う〜ん。海かぁ……海は日差し強いし、泳いだりしたらきっと、日焼けしちゃうよ?砂浜は余計に日差しが強いから……」


  先天性白皮症の琴葉ちゃんに日差しは天敵。それに、恐らく泳げない琴葉ちゃんにいきなり海は怖い。

  分かってはいるのか、琴葉ちゃんは分かりやすくしゅんとして鼻辺りまでお湯に沈めてぶくぶくしだす。


  「……屋内プールなら泳げるけど……」

  「プール?」

  「うん。海より色々あるよ〜?ウォータースライダーとか、流れるプールとか、温水プールとか……」


  私が語って聞かせてると、琴葉ちゃんはキラキラと赤い目を輝かせ始めた。おっと、いい食いつき、


  「プール行きたいなぁ…」

  「よしよし。お兄ちゃんに頼んでごらん?もしいいよって言ったら、お姉ちゃんが車で連れてったげる。」


  私のそんな口約束に、琴葉ちゃんは心底嬉しそうに「うん!」と大きく頷いた。

 



 ※




  琴葉ちゃんとの入浴を終えて、よく髪を乾かして体も拭いて、少しの間遊んでやって寝かしつけて、洗い物を片付けたら時刻は夜の11時。


  私は足音を立てないように階段を登って、ハルの部屋をノックした。


  「……ん?」

  「あれ?まだ起きてた?」


  扉を開けると、ベッドの上で上体を起こしたハルがスマホを枕元に置く。

 

  「寝なよ早く。良くなんないよ?」

  「……ん。悪いねなんか……やってもらって。」


  なんだか素直じゃない感じのハルの感謝に、私はおかしくなった。照れてるのかい?


  「ハル顔赤いね。やっぱまだ熱あるよ。早く寝な?」


  額に手を当てると掌に熱が伝わってくる。本当に熱い。汗の滲んだ額に触れた掌が少し湿った。

  熱が高いからかきつそうなハルを寝かして掛け布団をかけてやる。


  「……ありがと。琴葉は?」

  「んん?ハルが私にありがとう?これは国宝級の珍事ですな!」

  「いや例えが分からん。別に初めてじゃないだろ?」

  「え?感謝されたことあったっけ?何してあげても「ん。」くらいしか返さないじゃん?」

  「…失礼な。高校の追試の時勉強見てくれた時は素直に感謝した。」

  「そうだっけ?」

  「で?琴葉は?」

  「もう寝たよ。」


  玄関に置きっぱなしだった熱さまシートを汗を拭いてやったハルの額に貼り付ける。下から持ってきた氷枕を頭の下に敷いてついでに熱も測っとこう。

  このかいがいしさ。献身ぷり。もはや嫁。


  「…熱ある時って寒気するから温かくしようと布団に潜るんだよ。」

  「うん。」

  「でも暑いからさ、足だけ出すんだ。」


  足下を見る。ほんとだ出してる。


  「……気持ちいい。」

  「よかったね。えーと……38.4か…全然あるな。」


  これは明日病院だ。


  「ハル、明日一人で病院行ける?ついて行こうか?」

  「小学生か。…別にいい。てか、お前も伝染るぞ?はよ帰れ。」

  「いやいや、ええ?今何時だと?」

  「……そっか、じゃあはよ寝れ。」


  なんだろ?そばにいられるの嫌な感じ?


  「ハルが寝たらね…喉渇かない?ポカリあるよ?」

  「……麦茶か水がいい。」

  「風邪の時はスポーツドリンクがいいって。いっぱい買ってきたからさ…」

  「……金は?」

  「いーよ別に。」


  なんだか喋るのもきつそう。仰向けのハルのお腹らへんを布団の上からぽんぽんと優しく叩いてやる。


  ……そういえば、私まだ晩御飯食べてない……


  ここに帰ってきたら、ご飯は当たり前に用意されてるもんなぁ…

  今日は私が勝手に来たので、ご飯はもうないらしい。もう遅いし、こんな時間からなにか作る気にもならない。


  ……こんな時間でも、ご飯作って待っててくれるんだな……


  息苦しそうなハルをぼんやり眺めて、私は思う。

  今の仕事……今の生活。ハルが居なくて続けられたんだろうか?


  「……ハル。」

  「ん?」

  「ありがと。」

 

  薄目を開けるハルの顔の汗をタオルで拭ってやる。

  せめて今日くらいは、私が面倒看てやろう…


  「……椿。」

  「なに?」

  「この間、車出してって言ったじゃん…」

  「ああ、どっか行くんだっけ?」

  「うん。買い物……来月、いい?」

  「いーよ。何買うの?」

  「……家具とか……色々。」


  家具?


  「……あと、窓に貼る…UVカットの、フィルムとか……」

  「おー、いいじゃん。あとさ、私のベッドも買っていいですか?」

  「……は?」

  「折りたたみベッド、痛い。」

  「住み着く気かてめぇ……やだよ。邪魔くさい。」

  「なんで?どうせ私以外使わないじゃん。あの部屋。」

  「来客用なの……」

  「え、てか普通に私の私物とか置いてるし、知らない人入れないでね?」

  「……お前は、なんなのまじ。自分家か。」


  きつそうでもツッコみはしっかり返ってくる。私はハルの頭をよしよしと優しく撫でてやる。


  「ん〜なんだよ。」

  「髪つやつやね。羨ましい……ほんと、女の子みたいよね…」


  顔や頭を撫でくり回されハルが嫌そうに目を細める。かわいい。ほっぺがぷにぷに。頬肉を持ち上げると魔人ブウみたい。


  「……寝れねぇだろ?」

  「ごめんごめん。」


  ズレた冷えピタを貼り直し、床に腰を下ろす。


  ……殺風景な部屋だなぁ…


  あまり物のない部屋。個性がない。まぁ、自分のモノとか買う余裕ないのかもだけど……


  「……ハル。琴葉ちゃんね、プール行きたいってさ。」

  「……。」

  「連れてってあげよ?」

  「……休みが、取れたら……」


  ボソボソと喋るハルの鼻声がなんだかおかしい。

  いけないいけない。あんまりしゃべりかけたら寝られないか。


  「ハル、喉乾いたら言ってね?」

  「……ん。」


  私は入口の方に歩いて部屋の明かりを落とす。

  開けっ放しのカーテンの向こう、雲の切れ目から覗く月明かりが差し込んでくる。照明の消えた室内は天然の明かりのみを残して静かな暗闇に落ちた。


  「……椿、おやすみ。」

  「うん。おやすみ。」


  目を閉じるハルに返して、私はベッドに背中を預けるようにしてまたハルの隣に戻る。ポケットのスマホを取り出して暗い画面でネット掲示板を漁り出した。


  もう少し……ハルが完全に寝るまでは一緒に居てあげよう……


  チラチラとハルの様子を伺いながら、暗闇の中で過ごす時間は、なんだか随分と久しぶりに感じる一人の時間みたい。


  明日は朝一でハルを病院に連れてって、それから仕事に行こう。また課長に嫌事言われそうだけど…

 

  あと、朝ごはんも作らなきゃ……


  「……大変だなぁ。」


  支えてくれる友のありがたみを噛み締めながら、私はしばらくそうして、ハルの寝顔を楽しんだ……


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