スク水以外も持ってるので
「やっちまっただぁぁ〜…」
5月も後半に差し掛かったある日。本格的な梅雨入りにより昨日から待ってましたと言わんばかりに降り注ぐ大雨。
琴葉がキャッキャと喜びながら傘を差して跳び回る昨今--椿が久しぶりにうちに来た。
玄関をくぐって開口一番に顔をしかめながら喚く彼女は全身ずぶ濡れ。水滴が玄関のフローリングに落ちる。やめて欲しい。
「……今日は風も強いな。」
「だよねぇ…またイカレちった。」
無惨にひん曲がった傘を掲げて椿は靴を脱ぐ。パンプスの中まで濡れたのかストッキングで歩く椿の濡れた足跡が廊下に続く。やめて欲しい。
「風呂入るだろ?飯は?」
「今日はなんですか?」
「肉じゃがと…鮭のフリッター。と杏仁豆腐がデザート。」
「食う。」
「よし。」
びしょびしょなジャケットを受け取って俺は洗濯かごに放り投げる。その隣で俺がまだ出てもないのに服を脱ぎ出す椿。俺らくらいの腐れ縁だともはや恥じらいもない。特にツッコむこともせず俺は足早に脱衣所から出た。
「ハルゥ、明日着てく服置いてあったっけぇー?」
「知るか。てか、うちに着替えを置くのやめろまじで。洗濯物が増えるだろ。」
ただでさえ今からは乾かないってのに…
※
「あ〜…美味しい肉じゃが作れる男っていいよなぁ…」
「肉じゃが好き?」
「ビールに合うから、肉じゃがとなら結婚できる。」
「じゃあ結婚しよう。式はいつあげる?」
「今日。」
「じゃあ神父したげる。パパパーン。パパパーン。パパパパ、パパパパ、パパパパ、パパパパン。」
「いやそんなことよりさハル。」
俺の戯言を遮って椿ががっくりと項垂れた。また何かあったらしい。話題に尽きない女だ。
「今日、てか先週か。やらかしちゃってさ…」
「何を?」
「会社の車。今日ね、お客さんのとこに行くのに社有車使おうって思ってさ。今日は空いてたから使えたんだけどね?」
「うんうん。」
頷きながら鮭のフリッターを口に入れる。今日はいい出来。冷めてるけど美味い。
フリッターというのは洋風天ぷらのことだ。油で揚げる料理だ。
「いざ乗ろうとしたらエンジンかかんないの!」
「ほう。」
「いや、それ以前にさ、まず車に乗ろうとした時にさ、車内灯付いてたんだよ。あれ?って思って嫌な予感したんだけど、案の定。」
「バッテリーが上がってたってこと?」
「うん。誰かが…てか、今日月曜じゃん?だから金曜かなんかに乗ったやつがつけっぱで帰ってんの!土日は休みだから。」
「うんうん。」
「で、どこのどいつだ?と、運転日報確認したわけ。そしたら…」
「自分だった?」
「うん。」
オチがついた。つまらない話だ。
「で?どうしたの?」
「いや、どうしようもないし…メーカーさんに電話して…バッテリー充電してもらって…」
「うんうん。」
「課長にブチ切れられた。」
とびきりデカいため息を吐いて、一気にビールを呷る椿。
「死にたい。」
「まぁ、お前が悪いよね?」
「だから死にたい。」
「メンタル弱。起きちゃったことは仕方ないじゃん。くよくよすんなよ。」
「いやもう…まぢ無理。」
意外と引きずるタイプだ。すごくテンションが下がってる。
「課長怒ったらまじで怖いんだよォ…最近はさ、定時で上がれてたのに…あんまりだぁ。」
「いや、だからお前が悪いよね?」
「車のバッテリーと追加の仕事は関係ないじゃん?」
「あぁ、なるほど。それは確かに。」
車の管理の不手際で仕事を増やされたと。確かにそれは関係ないかも。
「なんかさぁ…課長私にだけ風当たりが厳しいんだよォ……」
「数字が取れないからじゃない?」
「取れてるし!……いや、嘘。そんなだ…」
地雷だったか?ますます椿が項垂れてもうつむじしか見えない。
「まーまー、元気出せよ?俺だって毎日ミスばっかだぞ?」
と、項垂れる椿の頭に何気なく触れた。すると椿がそれに電光石火で反応する。
「うわまじか。女の子の頭ポンポンとか流石だなハル。やっぱり、お前モテてんな?モテてないとやらねーよ?普通。」
「いや、うん…まぁ…俺とお前の仲じゃん?」
「俺とお前の仲?」
「お味噌作る仲。」
いまいちピンときていないのか首を傾げ、俺も首を傾げた。つまりどういうことだろう?
「ま、いいや。でもあんま嬉しくないよ?頭触られても。私だけにしときなよ?デートの時とか最悪だと思う。女の子が髪のセットに何時間--」
「ハイハイもうしません。」
※
「車って言えば、ハルは車酔い治ったの?」
「ん?」
「高校の時さ、課外授業かなんかのバス移動の時凄い辛そうだったじゃん?あれからどうなのかなって。今は仕事とかでも車乗るんでしょ?」
「乗るよ。毎日。」
「免許は?」
「取らない。俺は助手席専門。」
男で免許持ってないとか--と、正直俺も思う。けど免許はやだ。取りたくない。
「で?」
「ん?ああ、全然酔わない。今はタクシーも平気。」
「克服したということでよろしいので?」
「はいよろしいので。」
そういえば俺は乗り物酔いが激しかった。一番はあれだ。家族でフェリー乗った時すげー吐いた。
でも、今では乗り物酔いの経験はほぼない。三半規管が鍛えられたのかな?
「ほぇ〜良かったじゃん。免許取れば?」
「やだ。」
自分の皿に盛られたツマミを完食して残ったビールを流し込む。その真ん前で椿が2本目を空けていた。
「椿はさ、車買わねーの?」
「え?」
「車買ってそれで通勤しろよ。そしたら、終電気にしなくていいだろ。」
俺のそんな提案に何故か椿は心底嫌そうな顔で反応する。何がそんな嫌なのさ。
「……やだ。維持費も駐車場代もガソリン代もかかるし…」
「でも毎日家に帰れるぞ?」
「ここがうちだし。」
何言ってんのこいつ。
「やだよ。車通勤ってなったらもっと残業増やされそう。」
「お前会社変えた方がいいんじゃね?」
「第一そんなお金ないし。」
「そんだけ残業してて?中古ならいくらでも安いのあるだろ?」
「無理買えない。」
「お前会社変えた方がいいんじゃね?」
椿はグイッと2本目のビールを勢いよく呷って喉に流し込む。ぷはぁーっと大きく息を吐いて俺に向かって首を振った。
「いいんだよォ。残業多くても車なくても。ここでビール飲めれば幸せなのあたしゃ。」
「いいのかよ。それで……」
「車にお金かけるくらいならその分酒買う。」
「こうやって枯れていくんだ…お前の人生…」
「付き合ってるハルも一緒に枯れてくんだよ?」
すごく嫌なことを言ってくる椿を座ったまま蹴飛ばして、俺も2本目のビールを取りに行く。ついでにナッツを小皿に盛って一緒に持っていく。
「そういえばさ、この間同じ漫画の一巻を二冊買っちゃってさ。持ってたのに。」
「そういえばってどういえばなのさ。へー漫画とか読むっけ?電子書籍?」
「ん〜ん、紙の本。」
「へ〜、で?なんの漫画?」
「キ○グダム。」
最近…なのかは知らんけど話題のやつ。まったく読んだことない。
「へ〜…あれすごく長くなかった?今何巻?」
「知らん。映画観て気になってさ。読み始めたの。」
「映画もちょっと前じゃね?なんで話題から三歩くらい乗り遅れてからハマるの?」
「で、1巻読んで面白かったからこの前5巻まで買ったんだ。1巻から5巻を……」
「1巻からな。」
「うん。」
「ハル。こういう時どうする?」
どうするとは?
「売る?」
「いや。」
「え?持ってんの?ずっと?」
「うん。」
適当な相槌を返しながらずっとスマートフォンをいじる。
「何見てんのぉ?」
「水着。」
「なぬっ!?」
「今年さぁ……琴葉、海行きたいって。」
「海!?」
過剰な反応を示す椿が隣にすすすっと移動してきた。そのまま肩に顎を乗せて横から俺のスマホを覗き見る。
瞬間、好奇に輝いていた椿の目がすっと冷めていく。
……俺のスマホの画面に映る水着ギャルの写真に。
「……なんだ、女のかい。」
「ヤローの海パン見てどうすんのさ。」
「自分で履く海パンかと思った。」
横から勝手に画面をスクロールする椿。今見てるのはどっかの掲示板サイトの、『素人水着ギャルの写真貼っていく』というスレ。
「琴葉ちゃん。夏の海なんて行って大丈夫なん?」
「なわけない。」
強い日差しに真夏の気温--先天性白皮症の琴葉にとっては地獄のような環境だ。
真夏の砂浜の日差しなんて、とても日焼け止めだけじゃカバーしきれない……気がする。
その上長袖。夏の海で長袖、死ぬ。
眩しいし、まず海になんて入れないし。
行っても暑い思いしながら、砂浜に刺したビーチパラソルの日陰から人ばっかりの海を眺めるだけだ。
「……行けないから、水着ギャルの写真で我慢してもらおうと……」
「君が見たいだけだね?それ。」
呆れた調子の椿だが、俺だって男の子だから。
隣から離れる椿が「はぁぁ」と大きなため息を一つ。
「でも海かぁ……最後に水着着たのっていつだっけ?高校の水泳の授業の時?」
「まじで?あなたの水着キャリアスク水止まりですか?このギャル達を見習った方がいいぞ?」
と、画面に向かって満面の笑みでピースする水着ギャルの写真を、椿はスマホごと叩き落とす。
「…まぁ、椿は派手なビキニよりスク水の方が似合いそう。」
「何言ってんの?そういうニッチな趣味持ち?」
と、半笑いの椿が楽しそうに酒を呷る。
確かに何言ってんのだ。だけど、こんな馬鹿なこと言えるのも椿相手くらいなものだろう。
それに、本当にスクール水着着てても違和感なさそう。なんか。
「あ〜海かぁ、行きたいなぁ…」
「なになに?椿さんも泳ぎたいの?海で?」
「泳げない人には分かんないだろーけどね。海には魅力がいっぱいなのさ。」
「お前らは水着着たいだけでしょ?もっと言うなら水着着てSNS上げたいだけでしょ?『来週彼氏と海♪︎』とか言って…」
「彼氏居ないしSNSそんなやってないし…ていうか休みないし。え?社会人はさ、夏はいつ海とか行くん?」
「盆休み。」
「盆休みない。うちの会社。ないに等しい。」
「俺も、強いて言うなら一日だけ。」
俺の仕事も現場の都合で盆休みはない。こういう時、普通の会社員や工場が羨ましい。工場なんかだと機械のメンテナンスとかでかなり長くとったりするらしい。
「なんなら三連休以上の休みとかいつからとってないっけ?」
「いつかのゴールデンウィークは長かったろ?あぁ、お前は毎回仕事か。数字が取れない営業レディだからな。」
また地雷を踏んだ。本気で死にそうな影が一瞬顔に差す。
「ビール飲めビール。」
「美味い。ビール美味い。」
すぐにアルコールの力で精神的ダメージから脱して、ナッツも一緒に口に放り込む。
ああ、こういう奴がアルコール依存とかになるのかな…
「でもまじで海行きたい。ていうか、琴葉ちゃんはさ、まともに泳いだ経験あるの?」
椿に尋ねられて俺はハッとする。そうだ、海に入る入らない以前に、まともな水泳経験がない。
「俺の知る限り…ない。学校のプールも屋外だし…」
「泳がせてあげたいなぁ……」
椿の何気ない呟きに、俺もなんだかそんな気分になってくる。
琴葉が泳ぎたいのか、はたまた海に興味があるだけなのかは分からないけど、ずっと夏休みを家の中で過ごす窮屈な思いをさせるのは、やっぱり不憫だ。
たまには、外で遊ばせたい。夏っぽいこともさせてあげたい…
「プールとかは?屋内の。」
「プールかぁ…」
「連れてったげよーよ。車出すからさ。」
え?お前も行くの?
そういう顔してたら椿が「なによ。」と不機嫌そうに膨れる。
「ダメなん?」
「いや、別にダメとか言ってないし、てか、行くって決めてないし…琴葉プール行きたがるか知らんし……」
たとえ行くにしても何故お前まで?
さらになんで?という顔で見つめたら椿もますます頬を膨らませる。フグか。
「なにさ、ハル泳げないんでしょ?誰が琴葉ちゃんに泳ぎ方教えてあげるんですか〜?」
「お前自分が行きたいだけだろ?スク水で行く気か正気かお前?」
「私スク水だけじゃなかった!そういえば高校の時友達と旅行かなんかで海行った。ビキニ持ってる多分。」
「え?そんな陽キャみたいなことしてたん?」
「陽キャって久しぶりに聞いたな…」
それに!と、椿は勢いよく立ち上がり腰に手を当ててちょっと身体をくねらせる。得意げにポーズでも決めているつもりか?お前のその部屋着、胸に「とっぽぎ」って書いてんぞ?
「ハルくん。私のナイスバディを舐め回すように見放題ですけど?どうですか?水着ギャルにも負けない、いや、むしろ勝ってるこのボディ。まじでけっこースタイルいいよ?」
何言ってんだこいつ。「とっぽぎ」って書いてんぞ?なんでひらがなだ?
「え〜…別に見たない。」
「ええ……水着ギャル見てたじゃん。見よーぜ?」
「別にぃ〜……」
水着ギャルは水着ギャルだから見るのだ。お前のビキニは別にいい。
「まぁ、海は無理だけどプールなら……」
「ほらほら。ハル、車運転できないじゃん?私の出番じゃん?一緒にいこーよ。てか、琴葉ちゃんとプール行きたい。」
でしょうね。遊びたいんですね。はいはい。
「琴葉が行くって言うならな。」
「よっしゃっ!レンタカー借りとこ。」
「馬鹿か。何ヶ月先よ。あ、てかそれより今度車出してよ。ちょっと遠出するもんで。」
「えぇ?私はハルのアッシーじゃないし?」
「俺はお前の専属コックじゃないし?」
「ごめんなさい嘘です是非ハンドル預からせていただきます。」
ビールとツマミの皿を取り上げる俺に慌てて椿がしがみつく。
ベタベタとくっついて体重を預けてくるけど、やっぱりなんにも感じない。ただ、胸はデカい。
まぁ普段下着まで洗濯してるので、これくらいではもはや動じない。そんな俺はもう、枯れてしまってるのだろうか?
……水着か。
ビールを奪い返さんとひっつく椿を見下ろして、彼女の水着姿を想像してみる。
ビキニなんか着ちゃって、プールサイドに立つ椿を--
……うわ、違和感。




