お休みなので
「おはよう。」
朝っぱらから電話があった。今日は休みだから来ていいか?という、椿からのお伺いだ。
時刻は午前10時半、俺は玄関先で傘をさした椿を出迎えた。
「いらっしゃい。」
「お酒と〜、あと頼まれてた洗剤と〜、卵と〜、牛乳ね。」
「レモンは?」
「売り切れ。」
玄関で傘の雫を落とす椿に、奥から駆け込んでくる足音が飛びついた。
「柚姉!」
「琴葉ちゃん!おはよお!」
元気のいいジャンプで抱きつく琴葉を受け止めて、椿は奥に上がり込んでいく。
休日に椿が来るのは久しぶりだ。いつものスーツ姿では無い、黒いTシャツに紺のカーディガン、ジーパンの私服姿は新鮮だ。
「なんでわざわざ雨の日に来たの?」
「え?来ていいよって言ったから。」
「まぁ…だめとは言わねーけど……」
「?いつもは「迷惑だから来んな。」って言うのに…来んなとは言われたことないか…?」
「夜中来ねぇ分には別にいいんだよ。朝飯は?」
「食べた〜。」
椿は来て早々に琴葉に拘束された。退屈な休日を過ごす琴葉にとっては、大好きなお姉ちゃんの来訪は嬉しいものだ。
そんな琴葉に椿からプレゼント。
「行きがけに映画借りてきた。一緒に観よっか?」
「なに?なんの映画?」
レンタルビデオ店のビニール袋から、いくつかの映画タイトルが顔を出す。
1個は有名なアニメ映画。最近流行りの何とか列車。
残りは自分用か?洋画がいくつか入っている。
「ほらこれ。琴葉ちゃんこのアニメ好き?」
「琴葉はそれ観てねぇよ。」
「あれ?まじか。」
「男の観るやつだろ?てか深夜アニメだし…」
「いやいや、女の子も好きなんでしょ?同じマンションの子も、コスプレ?してたよ?」
琴葉は知らないタイトルより洋画に興味津々だ。そのうちの1つを取り出して俺に見せてくる。
「これ!兄ちゃんの好きなやつ!」
兄ちゃんの好きなやつが入ってた。
ウイルスによるパンデミックのその後を描いた世界で、主人公と愛犬がニューヨークで生き抜いていく様を描く--という、有名な俳優が主演を務める洋画だ。昔はよくテレビの地上波で放送されてて観ていた。
「ああ…ハル観るかなって…好きだもんね。昔観せられたなぁ…」
「琴葉、これ観る。」
椿にブルーレイを手渡して俺の手を引っ張る琴葉が座らせる。それに従って俺も居間に腰を下ろした。
「そっかァ…琴葉ちゃんは観ないかあれ…」
「結構グロ描写あるらしい…」
「ハルもそういうの気にする?別にあってもいいと思うけど…アニメだし?」
「俺もいいと思う。」
琴葉を膝の上に乗っけて椿がディスクをセットするのを眺めている。そういえば、映画なんて久しぶりだ。
「……てか、今どきは全部ネット配信なんじゃねぇの?」
「パソコンとかケータイの小さい画面よりいいじゃん?」
「今ケータイをテレビに繋げるんだろ?」
「あぁ…そうだね。まーいいじゃん?このパッケージを開ける感覚、これが家で映画観るってことだよ。」
「だめとは言ってないけど…」
便利な時代になったもんだ。今じゃ飯も映画も買い物も家から出ずに完結する。そのうち人間から歩行能力が失われないか不安だ。
映画が始まったので、飲み物と軽いお菓子を持ってくる。とりあえず、映画なのでコーラ、あとコーラに合うのでポテチを皿に盛る。
「昼ごはん食べれなくなるし、あんま食べすぎないでな?」
「ん〜。」
映画が始まったら琴葉はもうそれに夢中だ。真剣な眼差しで映画を鑑賞中。ちょっとテレビに近いので、椿がズルズルと後ろに離す。
正直、好きだから何回も観たので、展開も話の顛末も知っている。新鮮さはないけど、劇中に登場する所謂ゾンビたちのビジュアルや、物語の世界観はやっぱり好き。
特に生存者と出会う前の主人公と愛犬サムの生活風景が好き。世界に自分と相棒のたった二人というのが、すごくいい。刺さる。
あと、ゾンビのボスと女のゾンビの間の関係性も好き。この手の作品で、ゾンビ側にまだ人間性が残ってるの新鮮。それを描写するのも好き。
しばらく三人お行儀よく鑑賞してた。後半に差し掛かったあたりで時刻が11時半を過ぎたのでそっと立ち上がる。
そのまま台所に向かって昼食の準備。椿の分も入れて三人分。
そういえば少し前に琴葉の友達のお母さんからたこ焼き器を貰った。
いつかやってみようかと思ってたので近いうちにやろう。今は映画を観ながらなのでたこ焼きを焼きながらは向かないだろう。
結局お昼は無難に冷やし中華にした。5月に差し掛かって少し暑くなってきた。今日は気温も高い。
準備をしてたら12時を過ぎた。既に映画もクライマックスだ。
これなら終わってからたこ焼きを焼いても良かったかも。失敗。
「お昼できたぞ。」
「「んー。」」
「冷めないうちにお食べ。」
最初から冷めてるけど。二人は映画のラストに夢中だ。先に頂く。
冷やし中華の麺をすすりながら俺も映画を観る。主人公の最期は感動だ。
それからすぐに、映画が終わる。ようやく集中が切れた琴葉と椿がテーブルに向かい合った。
「冷やし中華かぁ…冷めてんじゃん。」
「冷やし中華!」
椿と琴葉がそれぞれいただきますと手を合わせて箸をつける。
「ハル、ビールは?」
「昼間っから飲むの?」
「だめ?」
「…いやいいけど別に…」
冷蔵庫から冷やしておいた缶ビールを持ってくると椿はもうウキウキだ。嬉々として手に取ってプルトップを開栓する。
「…それ、美味い?」
「琴葉ちゃんはだめ。もっと大きくなってからね。」
「琴葉、もう3年生だよ?」
「だよねぇ…琴葉ちゃんも大きくなった…」
興味津々の琴葉の視線を受けながら椿はビールを呷る。この調子だと一本簡単に飲み干しそうだ。
「一本だけ?」
「一本。夜も飲むんだろ?」
「琴葉も!」
「琴葉はダメだって。お茶飲んでなさい。」
「お茶!」
子供から見たビールはさぞ魅力的に映るだろう。ぐびぐびとビールを流し込む椿を真似て、琴葉もお茶をぐびぐびと勢いよく飲み始める。
「か〜っ。」
「あっはははっ。美味しい?」
「いい飲みっぷりな?おかわりいるかい?」
椿と二人してそんな琴葉に顔をほころばせる。琴葉もに〜っと顔をしかめて笑って見せた。そんな琴葉にお茶を注いでやる。
「兄ちゃん、琴葉きゅうりいや。」
「お皿に盛られたものは食べな。」
「や!」
※
苦戦の末琴葉にきゅうりを何とか食べさせて、昼食が終わる。
皿を洗って食器棚に片付け終えた頃、琴葉が椿を引っ張って連れていった。
縁側あたりで、二人寝っ転がって窓の外を眺めている。楽しそうにおしゃべりしているので、邪魔をせず自室に上がる。椿が来た時は琴葉の相手をしてくれるので助かる。
2階の自室で何をするでもなく過ごす時間。コツコツと雨粒が窓を叩く音を聴きながら夕飯の献立を考える。
雨の日は嫌いじゃない。琴葉は喜ぶし、雨音を聴くのも好きだ。ただ仕事の日の雨は嫌い。
…静かだな。
しばらくぼうっと天井を眺めて過ごしていると下が気になった。
ベッドから起き上がって階段を降りる。縁側まで様子を見に行くと、二人が仲良く並んで寝こけている。
仰向けで寝息を立てる椿に琴葉が乗っかっている。仲睦まじい二人の姿にクスリと笑いながら居間から毛布を持ってきてやる。
しばらく寝かせてやろうと、毛布を二人にかけてやる。
しとしとと降り注ぐ雨音をBGMに、気持ちよさそうに眠る二人をそばで眺めながら、庭を眺める。
…夏になったら、賑やかになるといいな。
雨粒に濡れる草木を見つめる昼下がり。
雨音に彩られるゆっくりした休日の時間を、ぼんやり過ごした。
…晩御飯は、なんにしようかね……
※
晩御飯はたこ焼きになった。
「なになに?たこ焼き器?」
夕方、昼間よりさらに薄暗くなってきた頃合に、俺は台所の奥から貰い物のたこ焼き器を引っ張り出してテーブルにセッティングする。
興味津々なのは椿と琴葉。琴葉には以前一度見せたが、丸いくぼみがいくつも並んだ形が面白いのか、楽しそうにたこ焼きの生地の入るくぼみに指を突っ込んでいる。
「琴葉の友達のお母さんから貰った。せっかくだし使おうと思って。」
「いいね、琴葉ちゃん、たこ焼きだって。たこ焼き。」
「たこ焼き!」
鍋ものとか焼き肉とかこのたこ焼きもそうだけど、こういうのって手間がかからない割に受けがいいので楽。
用意していた生地とたこ足を熱くなったたこ焼き器にぶっ込んで待つ。上手くひっくり返せるだろうか。
「ねぇハル、コレ見て。」
失敗は許されない--たこ焼きに集中する俺に隣から椿がなにか見せてくる。スマホの画面だ。
「なに?今忙しい--」
と、鬱陶しい椿に返しながら横目で視界に割り込むスマホ画面を流し見る。
そこには、薄暗い海中で大きな口を開けてこちらに迫る鮫の画像が映し出されていた。やだ怖い。
数秒で画像が変わり、今度は大きなタコが海中から足だけ出して帆船を襲っている。やだ怖い。
また変わり次はサーファーの背後ですごい高波が上がっており、その中に不気味な触手みたいのが蠢いている。やだ怖い。
「なにこれ?」
思わず訊いちゃった。しかしその間もたこ焼きからは意識を外さない。
「怖い?海洋恐怖症は怖がる画像だって。ハル、怖いでしょこういうの。」
怖い。はい俺は海洋恐怖症です、分かっててなぜ見せた?
俺と椿の会話に興味を示した琴葉が椿の膝に乗っかって画面を覗く。この画像がなんなのか?と不思議そうだ。
「なんか昔もこういうの見せられた。」
「お?覚えてる?あれはね〜、ハルが怖い夢見たって言った時の…」
「そうそう、最悪。覚えてんのになんで見せるん?」
確か去年くらいの話。
暗い海中で奥から魚の群れが自分に迫ってくるという訳の分からない夢を見た時、椿はこんなふうに不気味な海洋画像をひたすら見せるという嫌がらせをしてきた。
その時にどうやら俺は海洋恐怖症というやつらしいと気づいた。
海洋恐怖症とは、海やそれに関連するものに恐怖心を抱く恐怖症のこと。
俺は、先の見えないような暗い海中から、何かが迫ってきたり見えてたりするのが不気味で怖い。
「ハルはさ、泳げないもんね。ひょっとして水の中が怖いから泳げないのかな?」
「知るか。…そろそろかな?」
いい感じにいい匂いがしてきたので竹串を突き刺してひっくり返してみる。生地がきつね色になって焼けてきている。ひっくり返しながら余った生地も注ぎ込む。
「怖いんだこういうの…ふ〜ん…」
「は?怖くないの?え?椿怖くないの?」
「別に…ね?琴葉ちゃん怖い?」
さっきからじっとスマホの画面を眺めている琴葉に椿が尋ねる。琴葉はきょとんとした様子で画面と俺たちを交互に見つめている。
「兄ちゃん、怖いの?」
心配した琴葉に頭を撫でられた。なんてこった。
「ね?怖くないって。」
そんなバカな。誰だって怖いに決まってる。
「…そうか?想像してみろよ?自分が水中にいてさ、こんなのがゆっくり近づいてきてみ?怖いだろ?怖いと言え。」
「怖くない。泳げるもん。」
ふざけてんのかてめぇ?カナヅチに対する煽りか?
「泳げても怖いわ。」
「じゃあハルはジョーズとか観れないね。今度借りてこよう。」
「別にジョーズは怖くない。てか、怖いと思うものを借りてくるな。」
言ってる間にたこ焼きがいい感じ。何回かひっくり返してたらいくつか形が崩れた。なかなか難しい。
焦げてはいないようなので一応成功。1個ずつたこ焼きを皿の上に移していく。
「うーん…ハルのカナヅチは治りそうにないね。ね?」
「ね?」
膝の上の琴葉に笑いかける椿に、琴葉もわけも分からず笑う。嫌だこの二人。
「ハイハイできたぞ。マヨネーズかける?かけないよね?」
「邪道。」
お好み焼きもたこ焼きもマヨネーズはかけない派。かけるのはソースと青のりと鰹節だけ。椿とはそこだけは気が合うので争いにはならない。あと唐揚げにレモンかけない派。
「マヨ!かけて〜!」
ほっと安心したのもつかの間に、琴葉が争いの火種を着火する。なんだって?
「あれ?マヨネーズいるの?いっつもかけないじゃん?」
というか琴葉はマヨネーズ自体好んで食べない。
「マヨ!マヨ!」
怒涛のマヨコールだ。仕方ないので半分だけマヨネーズをかけてあげる。
「どったの?マヨネーズ好きになったの?」
「マヨ。」
俺の問いかけに答えず琴葉はマヨネーズのかかったたこ焼きを頬張る。熱かったらしくハフハフと口の中でたこ焼きを転がしている。
一応確認したがちゃんと火は通っていたみたいだ。多分ド〇・キホーテかどっかで買っんだろうけど、案外ちゃんとしてる。
「あちちだね琴葉ちゃん。美味しい?マヨ合う?」
「マヨ。」
琴葉がマヨしか喋らない。どうしよう。
「ハルも食べたら?マヨ。何事も挑戦だよ。そういえば食わず嫌い的なところあったし?」
「俺は食ってみて反マヨ派なわけよ。だから食べない。」
「そう?じゃあ私こっちもらお。」
椿はマヨネーズがかかった方に箸を伸ばす。それを見守ってから俺は立ち上がり台所へ。
冷蔵庫から冷えたビールを二人分と、朝ごはんのマカロニサラダを取り出して戻る。
「どうよ?マヨつきたこ焼きは?」
「邪道。」
椿は一言吐き捨ててソースのみのたこ焼きを口に入れる。見ると琴葉もそっちを食べている。
「あり?琴葉?マヨは?」
「マヨ。」
マヨマヨ言いながら首を横に振っている。なんてこった。飽きたらしい。
「やっぱり邪道よね?琴葉ちゃん。」
「ん、うまい。」
気まぐれな事だ。マヨネーズをかけたたこ焼きが半分以上残っている。これは俺が食べなければならないだろう。
「兄ちゃん、もっと食う。おかわり焼いて。」
「あ、ビール来た。」
各々好き勝手に食卓を蹂躙する中、琴葉の天使のような笑顔には敵わず俺は余ったたこ焼きの生地をたこ焼き器に注いだ。
外は暗くなっても相変わらず雨が降り続けている。まだしばらくは雨音を楽しめるだろう。
久しぶりの賑やかな食卓で、俺は二人を眺めながらたこ焼きを転がした。
……ちなみにたこ焼きは余った。




