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高いラーメンは美味いので

 

  --じゃんじゃん降りだ。


  バケツをひっくり返したみたいな勢いの雨が、なんの前ぶりもなく降ってきた。今朝の天気予報では降水確率が10%だったので、降らないだろうとタカをくくっていた。最悪だ。


  そんなこんなで、土砂降りの中私は坂道を駆け上がる。


  「……ただいま。」

  「…おかえり。」


  びしょびしょな私をハルは苦笑を交えて出迎えた。


  「なかなか素敵ななりだな?風呂湧いてるぞ?」

  「変態。」


  下着の透けた白いワイシャツの胸元を隠しながら上がる。フローリングに濡れた足型がつくのにハルは少し嫌な顔をした。


  「今日マカロニパスタ。」

  「ん〜…いらない。食べてきた。」

  「お?まじか。」


  コンビニ袋をハルに掲げてみせる。中身はウイスキー。

  ハルはそれを受け取って台所に向かう。私はそんなハルを見送って風呂場に直行だ。




 ※




  風呂から上がった私を、ウイスキーとコンビニのミックスナッツが出迎えてくれた。それと、フランスパンの上にチーズやトマトが乗せられた軽食も。


  「ウイスキー?」

  「ん。これなに?」

  「カナッペ。」


  フランスパンをつまみ上げて尋ねると聞いたことない名前が飛んできた。カナッペ。どういう意味だろう?


  私がつまみを物色する間にハルがウイスキーを作ってくれた。グラスとロックアイスがぶつかり合って軽やかな音色が奏でられる。

  オレンジ色のウイスキーがとくとくと子気味いい音を立てて氷を濡らし、炭酸水が注がれる。最後にレモンの果肉をグラスの端に差し込んで出来上がり。


  「昨日さぁ…ん?今日?夢で変な夢見てよぉ…」

  「ほぉん…」


  レモン汁を絞ってマドラーで軽く混ぜ、グラスに口をつける。グラスの端が薄くて口当たりがいい。


  ハルが面白い夢の話を聞かせてくれるみたい。それをつまみにしつつ、小皿のカナッペなるものも一緒につまむ。

 

  フランスパンがサクサクで、上のチーズの塩気とトマトの酸味がよく合う。なるほど美味い。


  「ラーメン食ってんの、俺。昼飯に。多分仕事の昼休憩なんだけど…」

  「ん。これ美味しい。」

  「ん?あ、そう。」

  「何料理?」

  「知らん。フランス?でな、そのラーメン屋がな、店の親父がすげーいい人なの。」

  「へ〜。」

  「うん、ラーメン頼んだらさ、サービスっつってラーメン2杯くれたわけよ。」

  「2杯?2杯サービス?」

  「いやいや、1杯タダってことな?でさ、味は知らんけど、覚えてねーから。で、何を思ったのか俺それ食ったあと勘定しないで出たわけよ。店を。」

  「食い逃げじゃん。」

  「うん、食い逃げ。ただ、わざとじゃないんだわ。忘れてんだよ。金払うの。」

  「?忘れないでしょ?どういうこと?」

  「いや夢だからね。知らんけど夢の俺は忘れてんだよ。」


  ポリポリもナッツをかじりながらカナッペをつまんでいると、あっという間にハイボールが無くなった。

  それに気づいたハルは私のグラスを取り上げて、グラスに新しい氷を入れてくれる。


  「で、わざとじゃねーから払いに戻るじゃん?したらさ、1杯いくらだと思う?」

  「知らない。600円?」

  「3000円。」


  話にオチが着いたところで2杯目のハイボールが出来上がる。私はそれをクイッと呷る。ハイボールは水みたいにパカパカ飲める。


  「全然面白くないよ。その話…」

  「ん?別に面白い話とは言ってなくね?」


  ハルもつまみを小皿から取りながらハイボールでそれを流し込む。

  コンビニで買ってきたウイスキーだけど結構いける。なんでかビールや発泡酒飲んでるよりハイボール飲んでる方が気分があがる。高いからかな?


  「3000円のラーメンってどうよ…普通に食っても2杯でも3000円はないだろ?」

  「ラーメンって言えばさ…」


  と、私は次なる話題に方向をシフトさせた。ラーメンで思い出したことがある。


  「こないだラーメン屋さんがカップ麺出てたじゃん?結構高めの。」

  「知らん。」

  「出してんだよ。で、その…何とかって店のラーメン、あるじゃんほら?カウンターが全部仕切られてる…」


  名前が出てこない。まぁいいや分かるだろう。私は小皿のカナッペをまた口に放り込む。ほんと美味い。酒が進む。


  「あぁ…ハイハイ。」

  「行ったわけよ。この間、後輩と…」

  「ん、で?」

  「めっちゃ高かった。」


  それだけ。言いたかった。そういう時あるよね?多分ハルも夢の話、ただ言いたかっただけ。


  「高いよ。1杯800円だか900円だか……」

  「そう!そんくらいするわけよ。あれだよ?トッピングとかないのよあれ?」

  「なんだ?初めて?前一緒食わなかった?高校の頃?」

 

  あれ?そうだっけ?

  私とハルにそんな甘酸っぱい青春の思い出が…?


  「知らん。思い出せん。で、ハルうちの会社の場所知ってるでしょ?」

  「いや知らん。」

  「あっこら辺であんな価格設定?お客さんなんてサラリーマンとかばっかじゃん?強気すぎだよね?あ、ハイボールおかわり。」

  「飲みすぎじゃね?」


  パカパカ飲み干す私にハルはウイスキーを少なめにする。あとレモンがきれた。


  「まぁどこだろーと強気価格だろ?高すぎ。で?」

  「お客さん入ってんだよねぇ…」

  「あれってあれだろ?なんか…ちょい辛めの…」

  「うん。で味だけどさ…」

  「ぶっちゃけ500円そこらのラーメンと違いが分からん。」


  何を言うか。私はハルの味覚を疑った。


  「えぇ…全然違うよ…別物。」

  「え?そうか?」

  「ハル、私のこと馬鹿舌とか言うけどハルの方が舌馬鹿よね?」

  「あ?じゃあどう違うか言ってみやがれ。」

  「高い、美味い。」


  それだけでいいのだ。パッと言われてもそんなの出てこない。高くて美味い。それだけで他とは違う。

  ダメだ酒が回ると馬鹿なことしか言えなくなる。


  「いやちげーよお前。美味いじゃなくてどう美味いか…」

  「で、その後輩とラーメン食べた時な!」


  これ以上この話題を引っ張りたくないから話題を変える。ちょうど別の話題を思いついた。


  「相談受けたわけよ。その子から…」

  「ほう、相談。」


  ハルが空になったグラスに氷を入れる。ウイスキーを炭酸で割ってグラスを振ると、カラカラといい音が静かな居間に響き渡った。


  そういえばスズムシってこんな感じの鳴き声?なんて、この前の琴葉ちゃんとのやり取りを思い出す。

  この家の庭は広くて緑でいっぱいだ。ここいらにスズムシなんているのか知らないけど、本当に夏場になったら会えるといいな。多分無理だけど。


  「うん、その子好きな人が経理にいるんだって。あ、私の後輩だからその子は営業課ね?」

  「なんだ恋愛相談か。つまらん。」

  「え?なんで?一番楽しいじゃんそういうのが。」

  「楽しむなよ…その後輩は相談相手を間違えたな…」

  「いやいや、その子新卒で4月に入ったばっかなんだけどさ。」

  「は?まだひと月も経ってねーじゃん?もう社内恋愛かよ、何しに会社来てんだ?」

  「いや、うん…まぁ、色々あんのよ。で、その子の好きな人ってのがさぁ、経理のおじさんで、歳が確か…40…4、5歳?」

  「へぇ…」

  「しかも奥さんいるのよ。」

 

  私の熱の篭った口調に対してハルはあんまり興味無さそうだ。本当に色恋に関心がないんだな。

  でも喋りたいから喋る。


  「どうしたらいい?私は。」

  「いや知るか。てかダメだろ普通に。相手奥さんいんだろ?」

  「それでも好きなんだって。告白すべきですか?って相談されてさぁ…」


  まだ入って1ヶ月経たない後輩から40代の妻帯者に告白したいんですけどなんて相談なかなかないよ。仮にそんな子いたとして普通相談する?まだ1ヶ月も付き合いのない先輩に?


  「……慕われてんだな、お前。」


  ハルも同じことを思ったのかなんだが憐れみのこもった視線を向けられた。


  「まぁ…残業いっぱいしてますし?」

  「残業時間で社内の立場が変わんの?」

  「いや、でだよ!私はどうしたらいい?その子本気の本気みたいでさぁ…だってもう18?19だよ?歳。自分の言ってることも分かってるだろうし…それでもって言うなら、やっぱねぇ…」

  「やっぱねぇってなに?ダメなもんはダメだろ?少なくとも外の人間が「じゃあアタックしてみたら?」なんて言えねーだろ?それでもやっちまったもんは仕方ねーとして…」

  「いや、でも…私その子のこと好きだからさぁ…ねぇ?」

  「だったら尚更止めてやれよ。18だか19だかって言ってもまだまだ子供だろ?俺らから数えて2つ下くらいってことだぞ?まだまだ子供だって。色々考え足んねーよ。」

  「それ、私も子供ってこと?」

  「お前も俺もな。」


  子供なのに毎日終電逃すくらい残業させられるのはなぜ?私が数字を取れないから?

  色々考えたら鬱になりそうだから、とりあえず酒を流し込む。


  「きっと一時的なもんだろ。少し時間を置いて、ゆっくり相手と自分のこと見る時間必要だって。それで熱が冷めたら気の所為ってことよ。」

  「本気だったら?」

  「背中でも押してやれ。」


  案外まともなことを言う。最後は適当だけど。

  それにしてもこの手の話は大抵みんな好きなのに、本当に興味無さそうだ。ハルにはそういうピチピチした感情はもう枯れてしまったのだろうか?


  学生時代からハルのそういう話は聞かない。私にすら昔は彼氏がいた事もあったのに…

 

  もしかして顔が女の子だから同性の方にモテるとか?


  男にばっかり言い寄られて嫌になったのかな?訊いてみたくなったけど怒りそうだからやめとく。もっと酒が回った時に訊こう。


  ……そういえば私も恋愛とか…


  忙しいとやっぱりそんな余裕が無い。恋愛どころか楽しみすらない。

  ハルも琴葉ちゃんの世話とか大変だろうし、仕方ないのかな?


  「…楽しみか。」

  「ん?」


  私の酒臭い呟きにハルが反応したので、私はハルに尋ねてみる。


  「ハル、最近の楽しみって何?」

  「酒。」


  訊くんじゃなかった。悲しくなるような答えが返ってきた。20歳でそれなら人生が枯れてるかもしれない。


  「お前は?」

  「…酒。」


  一緒だった。私も枯れてた。


  「…じゃあ、今が癒し?」

  「ん〜…かもな。お前は?」


  癒しなんだ。この時間が…へぇ…


  「…みーとぅー。」

  「なんで英語?」


  悪い気はしなかったから私もそう返しといた。嘘じゃないと思う。


  そういえば初めてお酒飲んだのもハルとだった…


  まだ学生の頃だ。あの頃は楽しかった…気がする。

  今は辛いことの方が多いけど、こうして気の置けない彼と酒を飲み交わすのは、昔じゃ出来なかったこと。


  「…ねぇハル。」

  「ん?」

  「…悪くないね。」


  ウイスキーで舌を濡らして私は薄く笑った。昔の方が楽しかったけど、「今を手放して昔に戻れるけどどうする?」と訊かれたら私は首を横に振ると思う。

  そう思えるくらいには、このたったひとつの“癒し”が私は好きだ。


  「…なにが?」

 

  主語のない私の言葉にハルは不思議そうに首を傾ける。

  結構酔ってきた。変なことを考えるし、変なことが口をついて出る。

  だから私は、小皿のオシャレなおつまみをつまみ上げて笑った。


  「これ。」


  こんな酒盛りもひとりじゃできない。特別ではないけど、くだらないこの時間も、相手がいてくれるからある時間。


  ハルがいてよかったと、酔っ払った頭で思いながら、カナッペを口に放り込んだ。




 ※




  ちょっと飲みすぎたかも。立ち上がったら足取りがおぼつかない。

  食器を台所に持っていくハルを手伝って、私もグラスを流しに持っていく。ハルが皿やグラスを洗っている傍らで食器拭きのタオルを用意してスタンバイ。


  「なんか、今ケータイで見たら今週ずっと雨って。」

  「えー?連休なのに出られないね。」


  今週末からゴールデンウィークが始まるけど、天気に恵まれない。なんか休みの時ってずっと雨な気がする。


  「……まぁ、仕事ですけどね。私は…」

  「え?休日出勤?また?」


  ハルから小皿を受け取ってそれを拭く。グラスも同じように水滴を切って拭いて、慣れた手つきで食器棚に片付けていく。


  「そ、忙しくてさぁ…また泊まるわ。」

  「毎度あてにすんな。あ、ウイスキーさ、明日来なかったら飲んじまってオケ?」

  「明日も来る予定。」

  「終電逃す予定ってなに?」


  片付けも終わったら寝る準備。私もハルも明日も早い。


  「じゃあおやすみ。」

  「ん、琴葉の支度、よろ。」

  「はいはい。」


  2階に登っていくハルを見送って自室--もとい客人用の空き部屋に入る。

  折りたたみベッドの上には綺麗に畳まれた布団たち。

  それらをセットして私は部屋の明かりを消した。


  今日も疲れた。

  酒も飲んで、酔いも回って、きっとすぐに寝付けるだろう…


  「……恋愛かぁ。」


  なんでか私は晩酌の時の会話が頭に残っていた。眼鏡を外した頼りない視力に、真っ暗な部屋。見上げる天井も不明瞭で私の視界には何も映らない。


  最後に彼氏ができたのはいつだっただろう…?半年も持たなかった気がする。


  そんなものさ、恋愛なんて…

  ハルの言うように、あの子も時間が経てば冷静になる。だって40代のおじさんとなんて、おかしいもん。


  「……いやおかしくないじゃん。」

 

  それは人それぞれ。頭から否定するのはよくない。

 

  …そういえば、恋バナ自体いつぶりなんだろう、他人のだけど。恋人どころか、そんな話をする友人も居ない。


  もしかしてハルが居なかったら私って仕事以外一言も喋らないみたいな人生…?


  なんかよくわからない不安が胸の中で広がった。そんな人生…そういう人生…


  「……それは、やだなぁ…早くボケそう…」


  というか、ハルが居なかったら今頃タクシーで帰ってるか会社に泊まってるか…いや毎回タクシーなんて使えない…


  帰る家があるのはありがたいことだ…


  なんて思いながら、迫り来る眠気に委ねて私は目を閉じた。

  開けても閉じても、結局真っ暗。変わんないけど。


  「……おやすみ。」


  誰にでもなく呟いて、私はすぐに眠りに落ちる。


  --翌朝、起きたら体が痛かったから、そろそろハルの家に自分用のちゃんとしたベッドを買おうかと本気で考えた。


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