骨を折ったので
会社が9月からキャンペーン月になって、営業課もみんな気合いが入ってる。客からしたらどうでもいいけど、営業からしたら大事な時期。
なのでみんなに引っ張られるように私も残業が増えた。ただでさえ多い残業時間も、この月は倍くらい増える。やんなる。
そんな繁忙期に、事件は起きた。
9月も中旬、例によって営業回りやらミーティングで忙殺されてた私の携帯が、プルプル震えた。
「もう、誰よこんな時に。」
「カリカリしてんなー椿。」
後ろから宮さんに茶化されながら着信を見る。おや、ハルからだ。
時刻は15時、まだハルも仕事中だろうに。
「もしもし?」
『もしもし、悪い。今いい?』
「良くないけど、なに?」
『……骨折れた。』
フリーズ。固まる私。
「……Wattu?」
『骨。ボーン。オレタ。ポキッ。』
「わぁお。」
『仕事中に脚立から落ちた。オーマイガ。』
「……え?いま病院?大丈夫なん?」
『しばらく入院。全治2ヶ月だって。3週間くらい入院しなきゃならん。』
「……オーマイガ。」
「どしたー?椿。ぼちぼち平さんとミーティングだぞー?」
宮さんが私を呼んでる。が、それどころではないのだ。
「……私にどうしろと?」
『琴葉の面倒……』
「オーマイガー。」
「まじどした?なにその下手くそな英語。」
「ちょっと待ってください宮さん。もしもし…?私今超忙しい時期なんすけど?」
『頼む……』
「まじか。ほんとにまじか。」
ハルはそれだけ言って電話を切った。フリーズする私。あ、メガネが汚れてる。
「……おーい。ミーティング。平さんとお局が呼んでるぞー?」
私のうなじら辺を指でくすぐる宮さん。急げ急げと攻め立てる。
私は虚ろな目でデスクを見下ろした。
書類の整理に経理に出す書類に会議の資料に後輩の手伝いに営業先のアポに意味わかんねークレーム対応に…
え……仕事で骨折で入院ってことはご飯とか用意してないよね?琴葉ちゃん…晩御飯作ってお風呂沸かして……
目の前の仕事or琴葉ちゃん。
「うおぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
「なんだぁ!?」
叫ぶ私。驚く宮さん。
……ああ、こんなことならもっと周りの手伝いして恩を着せときゃ良かった。
「……宮さん。」
「おう?まじふざけてないで行くぞ?」
「……今日定時にあがりたいって言ったらどうします?」
「殺す。」
涙目の私に無表情で宮さんは言い放った。
※
その日私が退社したのは20時過ぎだった。奇跡が起きた。
どーしてもという事情を宮さんに説明したら「今日だけな?」と、私の急ぎの仕事を引き受けてくれた。あの人は下界に降りていた神様だったんだ。知らなかった。
それでも平さんとのミーティングが異様に長引いたせいで私の退社時間も長引いた。そのくせ平さんは定時で帰りやがった。あいつは地上に上がってきた悪魔だった。知らなかった。
私はダッシュで家路を急ぐ。お腹を空かせているだろう琴葉ちゃんと、ついでにポテチのために……
最近調子こいて高いヒールとか履いて出社したもんだから思いっきり転けた。メガネは無事だった。
「……まじで…スニーカー買う!」
忌々しいヒールを睨みつけながらあのくそ長い坂を登る。まじヒールとか考えたやつ誰?
「ただいまぁ!」
家の鍵持ってないので、インターホンを鳴らして大声を張り上げる。夜中に迷惑な話だけど、ご近所なんて居ないから問題ない。
しばらくしてから、とたとたも可愛い足音が響いてきた。
玄関の木の扉が軋みながら開かれて、中から白い顔がひょこっと飛び出した。
「柚姉!」
「ただいまぁ!遅くなってごめんねぇ!」
玄関にあがりながらひょいっと琴葉ちゃんを抱き上げる。今月9歳になった琴葉ちゃん。体も大きくなったもんだ。
「あんね。兄ちゃん病院に引っ越しちゃった。」
「入院ね。ごめんね仕事遅くなっちゃって。お腹すいたね?」
「腹減った。」
ぷにぷにの頬を膨らませて空腹に苦言を呈する琴葉ちゃん。
すぐに支度をしなければ。あとポテチのご飯もか。
台所にエプロンをつけて立つ。綺麗に整頓されたシンクはピカピカで、水垢だらけのうちのシンクとは大違い。
琴葉ちゃんは居間でポテチと遊んでる。
真ん丸な顔を揉んでたり持ち上げようとしたり。でっぷりした貫禄のあるポテチは、琴葉ちゃんからの愛情表現にも動じることなくキャッキャッしながら遊ぶ琴葉ちゃんを見守ってる。
なんだかどっちが遊んでもらってるのか分からない。
冷蔵庫の中には一通りの食材が揃ってた。手っ取り早く作れて美味しいもの……
鶏肉を解凍しながら炊飯器を覗く。お米は炊けていた。まだ温かい。
ニラを引っ張り出して適当なサイズに切り分ける。あとキャベツと人参も。
肉が溶けたので一口大に切ってから、塩コショウをまぶして、オリーブオイルやら酒やらレモン汁やらで作ったソースの中にぶち込む。
味がしみるまで待ちながらキムチも引っ張り出した。あと鍋にお湯を沸かしてコンソメスープをぶち込む。
琴葉ちゃんがポテチを抱いて台所にやってきた。猫を連れてきちゃだめ。
「すぐできるから待ってて。」
「……腹減った。」
「ごめんねぇ。」
琴葉ちゃんと、ついでにポテチも撫でてやる。ポテチは細い目でふてぶてしく私を見上げてた。
手を洗ってから、フライパンにオリーブオイルをしいて、肉とか野菜をぶち込んだ。それに刻んだ鷹の爪も。
特に考えなくてもできるなんか。ピリ辛で酒に合う。私の得意料理。豚バラとかでも可。というか肉があれば可。
特製椿スペシャル完成。大皿に盛ってテーブルに並べる。ご飯は何となくおにぎりに。
「……う?お、ムズい……」
何気におにぎりほとんど握ったことない。お米熱いし、上手くまとまらないし、ムズい。
三角にしたかったけど丸いので妥協。
「琴葉ちゃんご飯だよ〜。」
呼んだらトコトコと走ってきた。よっぽどお腹が空いてたんだと思う。途中で転けた。
「大丈夫?」
「腹減った!」
琴葉ちゃんのお皿におかずを取り分けてあげる。お行儀よく手を合わせて挨拶する琴葉ちゃんを見守りながら、台所の棚からキャットフードを取り出した。
「……ポテチのご飯は、琴葉ちゃんにも頼まないとだな。」
皿にご飯を盛ってたらのっそりとポテチが現れた。はよ寄越せと欠伸しながら私の手元を見つめる。
「はいよぉご飯だよー。」
その場でポテチに皿を差し出す。皿と私をジトッと見比べてからちまちまと口をつけだした。
「なんだぁ?もっと欲しいって?だめよ。あんたメタボなんだから。」
ごわごわと固い毛並みを撫でてから私も食卓につく。
冷蔵庫のビールを勝手に拝借してからお手製のおつまみと共にご賞味。
「どう?美味しい?」
「しょっぱい。」
辛口な評価を頂きましたはい。
「そうかなぁ…」
「兄ちゃんの勝ち。」
「うっ、料理?比べられると辛いなぁ…」
「でも、美味しいよ?」
「ほんと?残さないでね?」
「柚姉もね。」
ちょっと大人になった琴葉ちゃんと共に囲む食卓。
なんかいっつもしょっぱいって言われるの、私が辛党だからかな?それとも酒飲みだから?
※
夕食が終わったら琴葉ちゃんが片付けを手伝ってくれる。この子はいっつも台所まで食器を持ってきてくれるいい子。
ほんとよくできた子。
「?」
頭を撫でてあげたらキョトンとしてた。白い髪の毛がサラサラ指を抜けて気持ちいい。
洗い物の間に張っていたお湯が溜まって、お風呂の時間。
時刻は21時52分。
あんまり夜更かしさせたらだめなのでサッと琴葉ちゃんをお風呂に入れちゃう。ついでに私も入っちゃう。
「琴葉ちゃん。お風呂ー。」
「うーん。」
間延びした返事とともにドタドタと駆けてきた琴葉ちゃん。両手にポテチを抱えてる。
「…まさか一緒に入る気?」
「兄ちゃん、ポテチ洗わないとって言ってた。」
「…今日はやめとこっか?」
琴葉ちゃんからポテチを取り上げて居間に放す。ポテチはちらりとこちらを振り向いてから居間の片隅のダンボールハウスに戻っていく。
「……なんか、ポテチって私のお父さんみたい。」
「う?」
「…さ、お風呂〜。」
「お風呂ー!」
脱衣場で琴葉ちゃんの服を剥いで二人で体を洗う。
ボディソープをよく泡立てて背中を洗ってやる。琴葉ちゃんは洗われるのに慣れてない様子でムズムズしてた。落ち着きがない。
「お兄ちゃんは一緒に入ってくれないもんね。」
「兄ちゃん恥ずかしがり屋さん。」
琴葉ちゃんのケラケラと元気のいい笑い声が浴室に響いた。それはそうとメガネを外したら前が見えない。
ついでに髪の毛も洗ってやる。
白い髪の毛は白髪と違って艶々で、日頃からよく手入れされてるんだなぁって思った。アルビノの白い髪の毛を丁寧に洗っていく。頭皮に指を立てて揉んでやると琴葉ちゃんは気持ちよさそうに目を閉じた。
体を洗い終わって二人して浴槽に入る。なみなみと張られた湯船からお湯が流れ出た。
琴葉ちゃんを私の膝に座らせる。最近になってあんまり一緒に入らなくなったけど、学生の頃はよく一緒に入った。
「……重くなったねぇ琴葉ちゃん。大きくなった。」
「レディにそんなこと言ったらダメ。」
「あはは。レディになったかぁ。ごめんごめん。」
こうやって頭を撫でてやる時も、頭の位置が高くてなんだかびっくりする。
ほんと、あっという間に大きくなる。高校生の頃は持ち上げても重さなんて感じなかったのに。
「柚姉。兄ちゃんいつ帰ってくる?」
「うーん…2、3週間は入院って言ってたから……来月中頃ぐらい……」
「お見舞い!」
「行こうね。姉ちゃんが休みの日まで待てる?」
「待つ。」
「いい子。」
「姉ちゃん。」
「ん?」
「兄ちゃん一人でお風呂入れるかな?怪我してて……」
「あははは。きっと美人のナースさんが手伝ってくれるよ。」
「姉ちゃんは?手伝う?」
「……え?」
……考えてみたら、退院したって2、3週間で完治するわけじゃないよね。
お風呂とか……帰ってきたら誰か世話してあげる必要があるんですか?
いやいや……それくらいできるくらいには回復……するかな?松葉杖ついたままお風呂危ないよね。
「琴葉、手伝う。姉ちゃんも一緒に入ろ?」
「うわぁ。お兄ちゃん鼻血出ちゃうよ?」
「う?」
いかん下ネタ。
「兄ちゃんはきっと一人でも大丈夫じゃないかなぁ……」
「ほんと?」
「もし無理そうだったら、琴葉ちゃんにお願いするね?」
「んだ。」
お風呂でお話して、そのまま寝室に向かう。
琴葉ちゃんの寝室のベッドで、彼女に布団を被せてやる。まだ目がぱっちりしてる琴葉ちゃんの頭を撫でてやる。
「琴葉、姉ちゃんと寝るの久しぶり。一緒に寝よ?」
「ふふ…まだ甘えんぼだね。」
私の服を摘んだまま頭を撫でられてうつらうつらし始めた琴葉ちゃんを見守る。開けっ放しの扉からポテチがのっそり現れた頃、琴葉ちゃんは静かに寝息を立てていた。
「……あんた、階段登れたんだ。」
登れるかそりゃ、猫だもん。
ポテチは娘を見守る父親みたいにずんぐりした体躯を丸めてベッドの下に寝転んだ。同じく眠そうな細い瞳が琴葉ちゃんを見上げてた。
「…じゃあ、あとお願いね。」
「…ニャ。」
頭を撫でてやったら鳴いた。初めて聞いた。
案外可愛い声出すんだなあって思った。
「--あ〜…これ、やば……」
脱ぎ散らかした服を洗濯機に放り込む。回すのは明日以降として……
「……洗濯、しばらく私の仕事かあ……」
毎回毎回、服をほっぽり出すばかりだった私。今までの怠惰のツケが回ってきた気分。毎日洗濯なんて学生の頃みたいだ。
客間--もとい自室に入ってタンスを漁る。とりあえず明日の服は確保。家からまた持ってこないと…
「…下着類も充実……おっけ。」
もうめんどくさい。後のことは明日にする。
居間の床に寝転んだ私は持ってきた缶チューハイを開けた。レモンチューハイ。
冷蔵庫を漁ったけど合いそうなおつまみはなかった。なのでスマホをいじりながら一人でチューハイだけで飲む。
そろそろ日付が変わる。
このくらいの時間なら、ハルと馬鹿な話でもして晩酌なんだけど……
無音の居間はなんだか広く感じたのと同時に寂しかった。
……なんだかんだ、ここで二人で飲むのが日々の一番の楽しみだったりするからなぁ。
一人だったことと、疲れてたこともあって、すぐに眠気が来た。
そのまま空き缶をテーブルに置いて目を閉じたら、心地よい睡魔がアルコールに誘われてやってくる。
「……しばらく晩酌一人かァ。」
琴葉ちゃんを付き合わせる訳にもいかないしなぁ……
なんて考えながら、突然降って湧いたトラブルに閉口しながら私の一日は終わった……
翌朝、普通に寝坊した。




