猫がやって来たので
9月になった。夏休み期間も開けて朝の通勤電車にも学生がちらほら増えた。
電車が混むのは好きじゃないが、平日の昼間の人が減ってお昼にお店が混まないのでそれはありがたい。
そんな昨今。
我が家に珍妙な来訪者現る。
「兄ちゃん。」
「どったの琴葉。」
夕方。暑いのでエアコンを全開にした居間で琴葉が呼んでいる。あんまり何回も呼ぶから俺はコンロの火を止めて琴葉のところにやって来た。
居間じゃなくてその先の縁側に琴葉はいた。最近買い換えたばかりの視力矯正用の眼鏡をかけてる。あんまり意味無いけど。
琴葉はエアコンをかけてるというのに縁側の引き戸を開けていた。まだまだ日も長いので直に浴びないでほしい。
でも琴葉はそれどころじゃ無い様子。興奮した様子で琴葉は俺を引っ張った。
「なになに?なにさ。」
琴葉に引っ張られて縁側に膝をつく。そうして下がった視界に奴は映った。
縁側のすぐ下辺りに、雑草に身を埋めた猫が居た。
「兄ちゃんっ。猫だ。」
「……猫だね。」
琴葉が触ろうとするので止める。猫が反応した。とりあえず様子を見る。
我が家の庭は広くてあまり手入れしない。蛙やらトカゲやらが潜んでることはざらだ。
…そういえば猫は初めてかも。
野良猫が敷地に迷い込むなんて珍しいことじゃないだろう。ただ、琴葉は猫に触れるのは初めてかもしれない。
丸々太ったでっぷりした黒っぽい猫。琴葉が触れようとしたから立ち上がって少し移動する。短足だ。
ほんのちょっと横にズレてまた丸くなった。丸々した顔の細い目が俺らを一瞥する。なんかふてぶてしい。
「兄ちゃん。」
「野良猫だろうね。多分。そのうちどっか行くよ。」
「兄ちゃん。」
「あんまり触っちゃダメだよ?引っかかれたら大変だから。」
「兄ちゃんっ。」
「だめ。」
「……琴葉何も言ってない。」
「飼わないよ?」
何か言いたげな琴葉を置いて俺は台所に戻る。
戻る途中で壁にかかったカレンダーに目をやる。17日の金曜日に丸がついてる。
琴葉の誕生日……あと14日。
今だにプレゼントに悩んでる。やっぱり何が欲しいか訊こう。
夕飯が出来て二人で摂る。今日のメニューはカレーライス。
夕食中も琴葉が縁側をじっと見てるので覗いてみたらまだ奴は居た。しかも動いてない。寝てるのだろうか?
虫が耳に引っ付いてピクピクしてる……
「……兄ちゃん、ご飯は?」
「え?ダメだよ居着いちゃったら困るし……」
琴葉がカレーライスをあげようとする暴挙に出かけるので止める。
上で慌ただしい俺たちに、猫はチラチラ様子を伺うように視線を向けるけど、ふてぶてしく居座ったまま動こうとしない。
人慣れしてるのかもしれない。もしかしたらどこかの家の子なのかもしれない……
※
今日は来ないかなって思ってたらやっぱり来た。
「ただいまぁー。」
コンビニ袋を提げた椿を家に入れて夕飯の再支度。椿は風呂に直行。
時刻は23時55分。残ったカレーにうどんをぶっ込んで椿に出す。
「……お味噌汁飲みたいな…なんて。」
「めんどい。はよ食え。」
もうコンビニには各種ビールの秋味が並んでる。椿が買ってきたビールを二人して飲む。
「先月さぁ…私成績良くて。褒められちった。」
「おめっとさん。」
「いやぁ……生きてきて初めてだ。誰かに褒められたの。」
「嘘つけ。」
「まじまじ。部活の大会もあんまり勝ってないし……」
「ふぅん。弱いって言ってたしな。」
「いや、弱いとは言ってない。学校としては強かった。てかさ、この前あきちゃんから連絡あって…」
「誰?あきちゃんって。」
「え?学級委員…高校の時の……」
居たっけそんなやつ。
「愛称で言うな。ちゃんとフルネームで言え。」
「うわぁ…あきちゃんで通じない…だから陰キャ……」
カレーうどんの器をぶんどった。半泣きで謝ってきた。失礼なやつだ。俺が陰キャならお前も陰キャだ。類は友を呼ぶって知らないのか?しかしこいつはテニス部…しかも彼氏が居た。
「で?」
「いや…知らない番号からいきなりかかってきて出たらあきちゃんだったんだよ。びっくり。」
「なんで向こう知ってんのにお前知らなんの?」
「だから、高校の時交換したんじゃない?多分……でも私の方は連絡先消してた。向こうは残してたんでしょ。」
「え?学生時代から番号変わらんの?」
「変わらんよ?まぁ、連絡あったのはL〇NEだけど……」
へぇ……まぁ俺も変わってない。
流石テニス部。俺なんかお前以外同級生とか連絡先知らん。高坂先輩だけ。連絡取らんけど。
「で?なんの用事だったの?」
「今度クラス会やるから来ないかって……」
「?俺聞いてない。」
「ハルに連絡来るわけないじゃーん。」
もっかいカレーうどんぶんどった。半泣きで謝ってきた。
「……へぇ。流石学級委員。カースト上位は考えることが違うわ。同級生と飲んで何が楽しいんだ?」
「変なこと言うね。今飲んでるじゃん。」
それもそうか。
「……これもプチクラス会か。」
「二人しか居ないけど。」
「ん?クラス一緒だっけ?」
「あんたちょっと酷くない!?卒業アルバムとか一回見返した方がいいよ!?」
「んなもんまだ取ってあんの?俺もう捨てた。」
「えぇ……あんた。酷い。捨てちゃったの?後ろの余白とかに書いてもらったクラスメイト達からのメッセージとか……」
「なにそれ?後ろの余白って?」
「……えぇ。ごめん。私が悪かった。」
なんかムカついてきた。ビールを呷る。何が秋味なのかはよく分からんかった。美味けりゃいい。
「……で、行くのか?それ。」
「ハル行く?行くなら行く。」
「行くわけねぇだろ?呼ばれてねーのに。お前喧嘩売ってる?」
「じゃあ行かん。時間ないし。」
まぁこんな時間に家に転がり込んでるくらいだからな……
ツマミの枝豆を食べながらなんかあきちゃんとの思い出を語り出す椿を無視する。ウザすぎる。
椿の話から逃れるように視線を外した先に縁側が映る。
……そういえばまだ居るかな?
琴葉が寝る直前に覗いたらまだ居座ってた。ゴロンと横になって完全に実家感覚だった。
「おい、聞いてますか〜?」
気になったから見に行く。椿をシカトして縁側まで歩いて引き戸のクレセント錠を外す。
引き戸を開けて外を伺ったら、細い目と目が合ってびっくりした。
今まで庭で寝転がったり座ったりしてたのに、今は引き戸のすぐ目の前の縁側の板張りの通路に座ってた。
「……こいつ。」
「……猫?」
後ろから着いてきた椿が覗き込む。目の前に居る俺たちに野良猫は一切動じることなく置物みたいに座ってる。
「……野良?」
「当たり前。なんか不法滞在されてんだけど……」
しゃがむ椿が猫を撫でる。顎の下とか頭を指先でくしゃくしゃ撫でられても猫は無反応。なんかちょっと偉そう。
「ヤダ可愛いじゃん。人慣れしてるね?」
「……やっぱり?野良じゃないのかな?」
「ここら辺で猫飼ってる人居る?」
「……。」
「知るわけないか。」
ここは坂を登った先の家。下は商店街。近所付き合いなんて皆無に等しい。
椿に触られても逃げる素振りも見せない。慣れ方からやっぱりどこかの飼い猫なのでは?と思い始めた。
「……なんか琴葉が気に入って。」
「だろーね。飼いたいって言い出した?」
「……言い出した。」
追い出すのもなんか心にしこりが残る。でもこいつ出ていく気配ないし……
「……琴葉ちゃんと言えば、誕生日何あげるか決めた?」
「お前は?」
「服。もう買った。」
「……まじか。」
というか、妹のプレゼントお前どうする?って、椿がくれる前提の会話がちょっと申し訳なく感じた。毎年ありがとう。
「……今度金返すわ。」
「え?いいってば。私のお金であげることに意味があるんです!」
椿がずっと撫でてたら猫が縁側から飛び降りた。逃げたと言うより鬱陶しくて離れたって感じ。
名残惜しそうに手をワキワキする椿が振り返る。
「……で?どうすんの?」
「何が?プレゼント?猫?」
「いや猫。」
「どうするって……放っとく。」
どうしろってのさ。別になんらか迷惑してる訳でもない。そのうちどっか行くだろう。
「ふぅん……このまま住み着いたりしてね。」
「勘弁してくれ。」
※
翌朝起きてすぐに庭に出てみた。玄関から外に回って縁側まで行く。
……居た。
案の定奴はまだ居座ってた。今朝は庭の奥の木の根元で丸くなってた。
俺が近寄ってもやっぱり動じず、ちらりと見たあとふて寝でもするみたいにまた丸くなった。
「……早く立ち退いて欲しいんですけど〜……不法滞在ですよー……」
猫相手に立ち退き勧告し出したので俺は末期。何となく撫でてみた。
……毛がゴワゴワしてちょっと痛い。
流石に野良だ。家猫みたいにふわふわしてない。
しばらく様子を見てから家に戻った。俺が立ち去る時も猫は変わらず寝っ転がったままだった。
--夕方俺が仕事から帰宅したら琴葉がまた猫を見てた。
やっぱり出て行く気配はなくて、琴葉も触ろうと恐る恐る手を伸ばしては引っ込めてる。
「……まだ居る。」
「兄ちゃん、この子ご飯食べたのかな?」
「……いや、食べてないと思うよ。」
ご飯なんてあげたらそれこそ居着いてしまいそう。でっぷり太ってるし大丈夫だと思うけど……
俺は琴葉に並んで縁側に腰掛けた。二人に見つめられて流石にバツが悪いのか猫が移動する。でも出ていくことはなく気持ち隅っこに逃げただけだ。
「琴葉、もうすぐ誕生日だね。」
「ん!」
「いくつになるの?琴葉さん。」
「9歳!」
……もう9歳か。おっきくなった。歳の割には甘えんぼだけど、そのうちしっかりしてくるのかな……
時間の流れに感慨深くなり、いつかはお兄ちゃん離れするのだろうかと寂しくなった。
「……琴葉、誕生日何が欲しい?」
「猫。」
「……。」
「猫!」
……困った。
※
日曜日。朝っぱらから椿が遊びに行くって電話してきた。今日は休みらしい。
朝からお腹が痛くて起こされた。折角の休日なのにいつも通りの時間に起きてしまった。
トイレに行く途中で縁側を覗いたら、やっぱり居た。
昨日最後に見た縁側の真下から動いてなくて、丸まったまま横になってた。
不安になって触ってみたら反応したから生きてるみたいだ。猫より俺の腹の方が緊急事態なのでトイレに急ぐ。
トイレでぶりぶり体内の毒素を吐き出す間にスマホを取り出す。ネットで動物愛護センターのホームページにアクセスする。
寄せられた行方知れずのペットたちの情報を一通りチェックした。我が家に居座った猫の情報はなさそうだ。
トイレから出て、財布を手に家を出た。しっかり戸締りして坂を下る。
まだ6時前だが、もう外は明るい。朝から犬の散歩やジョギング、作業着姿で仕事に向かう人達と時々すれ違いながらコンビニに寄った。
何がいいか分からないので、猫缶とかキャットフードをとりあえず買う。
……食べるかな?野良だし。
キャットフードとか食べないのかもしれない。その足で歩いてすぐのスーパーに向かう。24時間やってるからありがたい。
とりあえずササミを購入。その足で帰宅。
家に入る前に庭に回って様子を見てみる。相変わらず同じ場所で同じ体勢。もう一回触ってみた。首を持ち上げてこっちを見ただけ。
台所から小皿を取り出してキャットフードとか猫缶を盛る。小さく切ったササミに火を通して冷ます。調べたら飲水は水道水でいいらしいの水道水を底の深い皿に注ぐ。温度を確かめたら常温くらい。
水とキャットフードとかを持って縁側に向かう。上の方で物音がしたから琴葉が起きたらしい。
猫の前に皿を置いてしばらく様子を見る。猫はくんくん匂いを嗅ぐように鼻をヒクヒクさせるけど皿には手をつけない。
しばらく様子を見た後に皿を置いて撤退。上に向かう。
「おはよう琴葉。」
「……ぉはよう。」
朝から寝ぼけて抱きついてくる琴葉を抱えて1階に降りる。まだまだ眠たい琴葉を居間に座らせて台所へ。
ササミがいい感じに冷めたのでそれも皿に盛って持ってくる。
「?」
「琴葉のじゃないよ。」
皿を持って縁側に行く俺に琴葉が着いてくる。二人並んで縁側から庭を覗いた。
「……あ、食ってる。」
「あっ!兄ちゃんずるいっ!」
俺のいない間に奴は皿のキャットフードを頬張ってた。水皿の周りの草も湿ってる。飲んだみたい。
「兄ちゃんっ!なんでこっそりご飯あげるの!!」
「いや、別にこっそりってわけじゃ……」
「琴葉も!琴葉も!!」
「……うーん。じゃあはい。あげてご覧。」
琴葉にササミの入った皿を渡す。中のササミをつまんで手のひらに乗っけた。
「……手からは食べないと思うぞ。」
「食べるっ!」
琴葉がそーっと手に乗せたササミを近づける。噛まれたら怖いからやめて欲しい。
でも奴は琴葉の手には興味が無い様子で、ぷいっとそっぽを向いて奥の方に歩いていってしまった。その足取りは軽くひとまず安心。
腹減ってたのかな……?
「……ぶぅ。」
食べかけの皿をそのままに猫は端っこに移動する。庭から出ては行かないけど、距離を取る。
どうしても食べさせたい琴葉はその後庭に降りて猫を追っかけ回したけど、終始相手にされなくて30分くらい格闘してた。
玄関から椿の声がして時計を見たら8時になってた。猫にばかり構ってて自分たちの朝ごはんを忘れてた。
なんとも情けない話。慌てて朝食の準備を始める俺はこれからどうするかと考える。一向に出ていく気配はないし追い出すのも……
朝ごはんはご飯とお味噌汁にした。




