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私は七味が好きなので

 

  夜中の23時30分。


  琴葉を寝かしつけてから家の諸々の家事を片付けたのが20時過ぎ。それからテレビをぼんやり眺めたり携帯を弄ったりしながら時間を潰す。


  23時半を5分ほど回った頃、俺は結論を出して床に就く準備に入る。

  今日は間に合ったようだ。もう遅い時間だが、日付が変わる前に寝られるのならありがたい。


  寝室に向かおうと2階への階段を登る。ボロの階段が軋む度琴葉が起きないかと慎重に歩を進めていると、突然スマートフォンが着信を知らせるバイブレーションで震えた。


  「……。」


  マナーモードでよかった。琴葉は眠りが浅い。着信音が鳴ったら起こしていた。


  「……はい。」

  『ごめん…今日も……トイレでさ…間に合わんかった……』


  着信に出るとそんな椿(つばき)の息を切らした声が聞こえてきた。ダメだったらしい。


  「……今日うどん。」

  『やった。ビール買ってくる。』


  それだけ言って椿からの電話は切れた。


  「……あーあ。だり。」


  洗い物を片付けた日に限って奴はやって来る。食材を多めに買っといて良かった。

  …というか、あいつが勝手に買ってくる。最近はもう家で夕飯を済ませる腹積もりで食材を買ってきて、なんならメニューまで指定してくる始末。


  その分食費が浮くからよしとしよう……と、眠気を振り払うように頭を振って俺は階段を降り始めた。




 ※




  「--なんでうんこってトイレない時に限って催すのかな?」


  0時--日付が変わってすぐの食卓。

  テーブルを飾るのはかけうどんとビール。それに白米とたくあんの質素な夕食だ。

  今晩は俺も付き合ってたくあんをかじりながら客人の晩酌に付き合う。


  --椿柚(つばきゆず)


  学生時代からの付き合いの、毎度の如く終電を逃す迷惑な押しかけ女房。いや女房では無い。


  真っ直ぐな髪質の黒髪は肩口をくすぐるくらいの長さで切りそろえられて、赤い縁の眼鏡が双眸を飾る。

  線の細い身体は俺より頭1つ分小さくて、頼りなさすら覚えるくらい。ちんちくりんの体躯には、レディーススーツは似合わない。


  そんな彼女は今、仕事着のスーツを一切合切脱ぎ捨てて、うちに勝手に置いている着替えのルームウェアを身にまといビール片手にうどんをすする。


  仕事の疲れを風呂で流し、心労をアルコールで癒した彼女の口から飛び出したのは、「うんこ」の話だった。


  「は?知るかよ。テメーの腸に訊け。」

  「今日はさ、間に合ったんだよね。でも駅に着いた途端腹がギュルルッて。」

  「一味は?」

  「七味がいい。」


  俺は椿にテーブルの脇に置かれた一味唐辛子を渡してやる。


  「…七味がいい。」

  「買ってこいよ。うちには一味しかない。」

  「え?逆になんでないの?一味と七味なら七味買わない?」

  「は?どっちでもいいじゃん。」

  「良くないわよー。」


  ブー垂れながらもうどんに一味をふりかける。結構な量いったな…

  他人の家の一味を容赦なく消費する椿をビールを呷りながら眺める。

 

  「…そもそもどう違うんだ?」


  たくあんをかじる俺に椿は信じられないというように顔を持ち上げこっちを見る。そんなに驚くか?

  一味と七味の違いなんて意識したことない。うどん屋のテーブルに用意されたあの赤いのが一味か七味かなんて意識するだろうか?いやしない。


  「名前のまんまよ。一味は唐辛子だけ、七味は色々入ってんの。」

  「ふーん…色々?」

  「山椒とか、ごまとか…?」

  「ごま?ごまとか入ってんの?」

  「うん。いや、だからそれは一味だって。」


  ちょっとびっくり。思わず容器のラベルを眺める俺に椿が突っ込んだ。そうだこれは一味だ。


  「へ〜…ごま感感じねー…」

  「いや一味だからね。」

  「いや、七味の話。」

  「ハル、七味食べたことあるの?」


  こいつは何を言っているんだ?20年生きていて食べたことない日本人の方が稀だろう。


  「あるだろ…多分。」

  「いや、一味と七味の違いわかんないんでしょ?食べたとしてそれが一味か七味か分かるの?」


  ……。


  「分かるだろ…」

  「ほんと?」


  うどんを平らげた椿は「おかわり」と立ち上がって隣の台所まで器をもって向かっていく。

  ビールと一緒でよく食うなぁ…なんて、感心しながらそれを見送って再び一味唐辛子の容器に目を落とす。


  すぐに器いっぱいにうどんをよそって戻ってきた椿が再び対面に腰を下ろす。古くなった座椅子が椿の体重でミシリと軋んだ。


  「で?なんで七味がいいわけよ?」


  と、俺は話を七味一味論争に戻す。「んん?」と、うどんを勢いよくすする椿が曇った眼鏡の奥の瞳でこちらを見つめ返す。


  「え?一味辛いじゃん?」

  「七味だって辛いだろ?てか、そういうもんじゃん?スパイスだし……」


  再びうどんを頬張りながら「違う違う。」と手を顔の前で振って椿はそういうことじゃないと言う。


  「一味は唐辛子だけだし…七味は色々入ってるから一味より辛くない。あと、色んな味がする。」


  ね?全然違う。となんか得意げな椿。


  「…でもどっちも唐辛子じゃん?」

  「ハルやっぱり七味食べたことないね?」

  「いやいやいや…そうじゃなくて……てか、おめーこそ七味と一味の違い分かるわけ?どーせ訳分かんねーでかけてんだろ?」

  「分かるでしょ?」

  「食べ比べてじゃないぞ?別々で?絶対分かんない。」

  「いや分かる。」


  嘘だ。あんなにうどんに一味をぶっこむこいつの馬鹿舌で分かるはずがない。


  「で、で、俺が言いたいのはなんで唐辛子使った調味料で辛いだのなんだのと気にすんのかって話。辛いならかけんなや。」

  「いや、うどんには七味じゃん。」

  「おめーがかけてるそれは一味な?」

  「だって七味ないじゃん?」

  「つまりどっちでもいいんだろ?つまり味なんて分かんねぇだろ?」

  「いやいやいや。」


  何を「え?うどんと七味はセットですよね?」みたいなことを言ってやがる。お前俺が一味寄越すまで何もかけねーで食ってたろ?


  「違くて…私は辛いのが嫌だとか一味がどうとか言ってんじゃないよ。うどん食べるなら七味欲しいって言ってるの。」

  「いやおめーのそれは--」

  「いやいいよそれはもう。」


  分かってないなぁと首をひねりながらビールを流し込む。俺も椿にならって残り少ないビールを全て胃に流し込んだ。

  程よい酔い加減で頭が軽くなった気がする。首が安定しなくて頭がゆらゆら揺れる。

  椿がさらにビール缶を手渡してくるので俺たちは二人揃ってプルトップを開栓した。


  「つまりだ、一味が辛いから七味がいいんじゃなくて、うどんと七味を一緒に食べたいわけ。」

  「は?一味でいいじゃん?」

  「だからァ……」


  と、俺の問いかけに椿は呆れたようにため息を吐く。


  「一味はうどんと合わねーって?一味が辛いから、七味がいいんだろ?さっきそう言ったじゃん?」

  「いや言ったけど、うん。」

  「七味だって辛いじゃん。辛くね?辛いの嫌いなの?」

  「いや程度の問題だし。」


  そんなことは分かってる。酒も回ってなんだか気分がいい俺は違う違うと首を振る椿を見つめて笑う。

  もう一味も七味もどうでもいいが、このくだらない問答がなんか楽しい。


  「てか、辛いの嫌なのにいっぱいかけすぎじゃね?半分くらい持ってかれたけど?」

 

  と、一味の容器を覗き込んで改めてその消費量に目を剥く。普通こんなに入れるか?


  「こんだけ入れたら一味も七味も変わんねーよ。」

  「いや、もう気分だから。」


  気分?


  「うどんといったら七味なの!七味の方が美味しそうじゃん?ね?分かるハル?分かりますか?」


  ビールを一気に呷る椿が顔を赤くしてそう主張する。つまり辛い辛くないは二の次だ。だって一味かけて食ってるし。


  「たくあん食わねーの?」

  「…食う。」


  俺が差し出した小皿に箸を伸ばして椿は黄色い大根を小さな口でポリっとかじった。




 ※




  「でさぁ……出先で催した時の対処法なんだけど…」


  と、たくあんと白米をポリポリ咀嚼する椿が話題を振り出しに戻した。

  どうやら今晩は突然の腹痛によって終電を逃したようだ。

  二度とこの悲劇が起こらないように対策を練りたいのだろうが、食事中にする話じゃない。


  「知るかそんなの…外出る前にひねり出しとけ。」

  「ひねり出しても出てくる場合は?」

  「緩いのか?腹が弱いのでは?」


  一体なんの話しだろう。たくあんを口に放りながら考える。

  しかし、あながち馬鹿な話題でもないかもしれない。皆にありうる事態であり、対処を間違えば大事になるのは必須。

  解決策があるのなら是非見つけたい--なんて考える俺は多分酔ってる。


  「特に朝だよ…電車の中とかぐるるって来ない?」

  「…くる。」

  「ね?あれ何とかしたい。」

  「何とかって何?」

  「なんで人って排泄するんだろう……」


  多分こいつも酔ってる。


  「出さないと死んじゃうだろ。」

  「出しても死んじゃう。社会的に。」


  やっぱり酔ってる。


  「然るべき場所で出せばいい。」


  そう返して、ふとあることを思い出した俺はスマートフォンを拾い上げた。

  得意げに椿へ画面を向けて、ホーム画面に並んだアプリケーションのアイコンのひとつを指し示す。

  そのアイコンには、公衆トイレ等でよく見る男と女のマークがでかでかと描かれていた。誰が見ても、アプリの内容を察せられる。


  「なにこれ?」

  「然るべき場所を示してくれるアプリだ。」

  「つまり?」

  「公衆トイレの場所が分かる。」


  椿は得意げな俺のみせるスマホを、ペシっと乱暴に払い落とした。


  「そーゆーんじゃなくてさ!場所が分かったって間に合わなかったら意味ないし?その時近場になかったら結局意味ないし?どこにあるのかじゃなくてさ!私はトイレの場所じゃなくて、いつ“来るのか”を知りたいわけ!」

  「落ち着けお前…」

  「私の腸内環境を観測して排便のタイミングを教えてくれるアプリとかないの?」

  「あるか、あったら怖いわそんなもの。そんなに怖いならオムツ履くか人工肛門でもつけやがれ。トイレいらずだ。」

  「どっちもいるじゃん。いずれは出たものの処理は必要じゃん?」


  うるさいヤツだ。どうしたいんだこいつは…

  よっぽど腹痛のせいで終電を逃したのが歯がゆかったんだろう。どうしようもない問題に永遠と答えを求める。さながら便意への求道者。


  「お前の悩みは人類共通だ。人が人たる社会性により、自由に野糞出来なくなったことによる弊害--進化の代償と言ってもいい。」

  「壮大だな。」

  「今まで誰も解決出来なかった人類の課題だ。答えはただ漏らすか、ヒトが野生に還るかしかなかろう。」


  自分で言っといてなんだが何を言っているんだ?


  「…悲しいよ。人類の背負った業だねこれは。私は出先で腹具合を気にしない生活を送りたい。」

  「…飲め。」


  うどんの麺をすする椿に、俺はそれくらいしかかけてやる言葉が見つからない。本当になんの話しだろうかこれは。酔っている。


  もう話の着地点が分からない。やけくそ気味に酒を呷る椿を眺めながら、「ああ、こいつも色々あるんだろうなぁ……」なんて思いながらさりげなく次の話題を振った。


  これ以上答えのないうんこの話をしてもしょうがない。結局のところ、食生活と、自分の腸の活性状況との相談だ。


  「ところでお前さ--」


  俺のくだらないフリに椿との雑談は次の話題に移った。

  買い込んだビールはまだ、冷蔵庫にも山積みだ。おそらくまだ椿は眠らないだろう。ならばもう少し付き合ってやる。


  馬鹿が2人--夜はさらに更けていく。

 

  ……そして明日も早い。


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