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うさぎは寂しいと死んでしまうので

 

  ただの風邪だった。


  昨日から激しめに熱を出して寝込んだ俺は、午前休を取ったという椿に連れられ今朝病院で診察を受けた。


  結果、ただの風邪らしい……


  まあ、ただの風邪でよかった。


  ベッドの上で丸くなりながら脇に差した体温計が鳴るのを待つ。

  すぐにピピピッと測定完了を報せる軽やかな電子音が鳴り俺は体温計を抜いた。


  熱は37.6℃。昨日より大分いい…


  「--ただいまっ!」


  体の怠さにベッドでごろごろと身を丸めていると、下の方で元気のいい声が響いた。

  こうしちゃいられないので俺は階段を降りていく。


  「……おかえり。」

  「あ!兄ちゃんただいま!」


  俺が玄関まで降りていくと、琴葉がぴょんぴょん飛び跳ねながら寄ってきた。飛び跳ねる度に紫外線防止のサングラスがずり落ちていく。


  「これ。あんま寄ったら伝染るぞ。」

  「びょーいん。」

  「ん?朝行った。ただの風邪。」


  俺の周りをクルクル回りながら跳ね回る琴葉はなんだか嬉しそうだ。ランドセルも置かないではしゃいでる。


  「治った?」

  「熱は大分引いたけど……」


  言うや否や、琴葉の小さな体が飛びついてくる。


  「これ。風邪伝染るぞ。」

  「治ったじゃん。」

  「まだ。ほら、ランドセル置いて、手洗って来な。」

  「うん。」


  ……あれかな?普段学校から帰ったら一人だから、俺がいるのが嬉しいのかな?


  先天性白皮症で外で遊べない琴葉にとって、放課後俺が帰ってくるまでは家で暇しているのかもしれない。

  琴葉は俺の言いつけを守って、不要な外出はしない。対策さえきっちりすれば問題ないけど、子供だからやっぱり心配。外で遊んだりしたら特に今からの季節は酷い日焼けをしそうだから。


  琴葉にはずっと不自由をさせてしまっている。俺が心配性なのもあるのだろうか……


  「うがいもしなよ?後ね、お姉ちゃんが冷蔵庫にシュークリーム置いてってくれたから、おやつに食べな。」

  「うん!」




 ※




  部屋に戻ってベッドに入る。熱は大分引いたけど、やっぱり少し動いただけで体がきつい。


  時刻は午後15時半過ぎ。

  梅雨真っ只中の本日、久しぶりの晴れ間。洗濯物でも干したい気候だけど、干してたら多分椿がキレる。


  --ちゃんと寝て、早く治すのよ?家のことは私が帰ってからやるから!


  昼過ぎに仕事に向かう前、椿はそう念を押して行った。

  今日は遅くとも20時には帰るから、それまで家のことはするなということらしい。お母さんか。


  6月に入ってすっかり日も長くなったなぁなんて窓の外を眺めて考えてると、ドタドタと階段を駆け上がる音が聞こえた。

  俺は慌ててカーテンを閉める。


  「兄ちゃん、シュークリーム食べる?」


  冷蔵庫から取り出したシュークリームを抱えて琴葉が部屋にやってきた。


  「いいよ。兄ちゃんはいらないから全部お食べ。」

  「食べよ?」

  「兄ちゃん食欲ないの。悪くなるから今日中に食べちゃいな?」


  俺がそう言うと琴葉は床にペタンと座ってシュークリームを頬張り始めた。

  あんまり一緒にいると伝染るかもだけど、クリームを口の周りにつけてシュークリームを頬張る姿が可愛くて出ていきなさいとも言えない。


  「琴葉、宿題ちゃんとするんだぞ?」

  「!ん!」


  俺の言葉に弾かれたように立ち上がった琴葉が隣の部屋に飛んでいく。

  すぐに隣の自室からランドセルを引っ張ってきた琴葉が再び俺の部屋に鎮座。


  ここでするのか……


  まぁ……一応ベッドからは距離を置いてるのでよしとしよう。


  琴葉も今年で小学三年生の8歳。それにしたって甘えんぼだ。

  甘やかしてるから仕方ないのかもしれない。琴葉はもっと小さい頃から病気や家族で苦労してる。

  その分一緒に居れる間は、精一杯愛情を注いでやろう--親父とおふくろがいなくなってからそう決心した。


  「琴葉、兄ちゃんの机でやりなよ。腰曲がっちゃうよ?」

  「ん!」


  丸まって床に座りながら漢字ドリルを黙々と片付ける琴葉。いい子だから宿題はちゃんとする。


  弱視で見えにくいのだろう。ルーペを使って一生懸命ドリルを見ている。


  「……眩しくない?部屋の電気消す?」


  まだ日も高いしカーテンを閉めてても明かりを落としても十分な明るさだろう。


  「ん!」


  聞いてない。


  集中力あるなぁなんて、努力家の妹を内心で褒めまくる俺は、所謂子煩悩ってやつなのか?


  ベッドから身を乗り出して宿題の進捗を見る。

  弱視と眼球振盪のせいもあって琴葉は読み書きが遅い。ので、宿題で国語の教科書の音読なんかがあると苦労する。


  しばらく琴葉の宿題を眺めていると16時20分。

  40分くらいかけて漢字ドリルと計算ドリルを終わらせて、それらをランドセルにしまい込む。


  「兄ちゃん終わったよ!」

  「これ。近いって。」


  帰ってすぐに宿題を終わらせる偉い妹の頭を撫でてやりながら、俺はなるべくベッドの中で距離をとるけど、ダメだグイグイくる。

  あんまり突き放すのも可哀想な気がして、俺は仕方なくベッドによじ登る琴葉を許した。


  「いい子にしててな。」

  「いっつもいい子だよ?」


  琴葉はポケットから小さなゲーム機を取り出して遊び始める。

 

  「あ、学校に持って行ったね?」

  「……」

  「要らんもん持ってたらダメだろ?こら。」

  「……」

  「聞いてんの?」

  「やめてよ。くすぐったい!」


  俺が脇をくすぐると楽しそうにキャッキャッ笑う。悪い子。


  これは近所のおもちゃ屋で買ってやった携帯ゲーム機。ミニゲームがいくつか入ってる。

  今どきの子は任〇堂スイッチとかP〇5とかで遊ぶんだろう…

  でも琴葉はこの小さなゲーム機でテトリスをするのが好きみたい。もう一年もこれを愛用している。

  たしか5、600円くらいだったはずなのによく壊れないな。大事に使ってるんだろう。


  ……そういえば椿がスイッチ家に置いてったままだよな。


  たしか、「ゼ〇ダやりたくてさ〜」とか言って張り切って販売初日に買ってきたけど、仕事が多忙すぎてほとんど触ってないやつ。

  ちなみにゼ〇ダは俺が途中までやって投げ出した。


  「琴葉。なんかほしいものとかある?」

  「ん〜?」


  真剣にテトリスをプレイする琴葉に俺は横から声をかける。いつの間にかベッドから降りた琴葉は、ベッドに背中を預けて本気でゲームしてた。


  「服とか、本とか……ゲームとか……家でずっと暇かなって思って……」

  「ない!」


  あ、ないんだ……そっか。


  「そっか。…じゃあ、あったら嬉しいもの……」

  「ない!」


  ……ないんだ。そっか。無欲な子。


  「兄ちゃん。昨日柚姉がプール連れてってくれるって。」

  「ん?」

  「プール。兄ちゃんも行くでしょ?」


  ……ああ、プール。プールね……


  「……お休み取れたらな。」

  「だめ。行くの!」


  ぐりぐりと駄々っ子みたいに顔を擦り付けてくる。やだ近い。


  「分かった分かった。行こうな?じゃあ、水着買わなきゃだな。」

  「水着!」

  「持ってないだろ?」

  「琴葉、あれがいい!はいれぐ!」

  「だめです。」


  どこでハイレグなんて覚えてくるのさ。この子は。




 ※




  「--子供の水着って、やっぱりワンピースタイプとかかな……」

  「ん?」


  午後22時。


  宣言通り20時に椿がうちに来て、家のことをしてくれた。助かるけどなんか複雑。

  夕飯を作って琴葉を寝かしつけて、ビール片手に俺の部屋にやってきた椿に俺は開口一番切り出した。


  「そんなことより、熱。」

 

  と、俺の脇に体温計を差し込もうとする椿から俺は体温計を奪い取る。オカンか。


  「ん〜…顔色、良くなったんじゃない?」

  「そう?あ、それとさ椿。」

  「ん?」

  「お前の作った卵粥、なんか辛い。」


  「晩御飯は私が作る!」と、意気揚々と台所に立った椿が用意したのが、俺には卵粥、椿にはオムライス……

  オムライスの評判は良かったけど…


  「辛かった。」

  「なに言ってんのよ。辛くないわよ。」

  「いや辛い。塩とか入れた?相当量。」

  「……入れてない。」

 

  入れたな。


  「入れてもいいけど……多くね?舌がヒリヒリする。」

  「バカ言わないでよ。オーバーなんだから。ちょっとよちょっと。」

  「いや…」

  「いやじゃない。もう、作ってあげたんだから文句言うなし。」


  …別に文句のつもりはないが……ただ、あくまで正直な感想……


  ピピピッ


  「何度?」

  「…36℃、くらい。」

  「おっ、平熱?治ったじゃん。私のお陰ね。」


  え?なんかうざ…でも看病されてるから何も言えない…うざ。


  「…まだだるいけど。」

  「体力消費してんじゃない?ほら、寝た寝た。」

  「隣で酒飲まれたら寝れない。」


  椿が俺をベッドに寝かして、掛け布団を被せてくる。オカンか。


  「……お前、どうしたのまじで。」

  「ん?」

  「病人の看病とか……すげー世話好きなんだな。お前…」


  俺が何気なくそう言うと、椿はなんだか黙ってしまう。

  あれ?他意はないつもりだが…なにこの沈黙……


  「…おい?」

  「別にいいじゃん?別に…早くハルのご飯食べたいんよ。私は。」

  「……へぇ。」

  「ハルは私の専属コックだし。」


  と、ビールを空けて一気に呷る。俺も飲みたい。


  「……まぁ、確かに変か。」

  「ん?なにが?」


  首を傾げて椿を見上げる俺に、何故か椿は目を合わせない。小皿のピーナッツをいくつか摘んで口に放り込んだ。


  「……いや、その。…なに?彼氏でもないのに?……看病したり、病院連れてったり?それ以前に、家に入り浸ったり?」

  「……もう酔った?」

  「いやまだ飲み始めたばかりだけど?」


  なんか椿の様子がおかしい。奥歯にものが挟まったみたいな歯切れの悪い様子に俺は怪訝そうな表情を浮かべる。


  「……いや、迷惑かけてんなぁ……って、ハルに。そう思っただけ……です。」


  やっぱり酔ってんなこいつ。

  なんとも椿らしくない物言い。こっちがむず痒くなるからやめて欲しい。


  「……今更じゃん?」

  「……ですね。」

  「……う〜ん…まぁ、今度また、味噌汁作ってやるよ。」

  「うん?どういうこと?話の流れが読めない。」

  「俺の飯食いたいんでしょ?」


  俺が尋ねたら椿はまた「あぁ、まぁ……うん、はい。」と曖昧な返事。まじなんなん?


  「……そだね。早く元気なって。」

  「もう元気だからビール飲ませて?」

  「死んじゃうぞ?」


  椿はこちらに背を向けてビールを呷る。病人の横で飲むな。

  今日は珍しく外国のビールだ。ライオンのロゴがあしらわれた瓶のビール。美味しそう。


  「……それ、美味い?」

  「うん、黒ビール。」

  「黒ビール、飲んだことない…飲みたい。」

  「元気になったらね。」


  と、手元のスマホを見ながら椿は返す。スマホからは緩いBGMが流れてきている。


  「あ〜…でもやっぱり日本のビールの方が美味しいよ?」

  「まじ?俺には違いがわからん。黒ビールは飲んだことないけど…」

  「ふつーのが好き。私は。」

  「何が違うん?」


  尋ねる俺に「えーとね。」と、スマホを操作する椿。緩いBGMが止まった。


  「濃色の麦芽を使った色の濃いビールを黒ビールって言うんだって。色が黒かったらどんなビールも黒ビールだって。へ〜。」

  「へー。なんで濃い色の麦芽使うの?」

  「知らない。美味いからじゃない?」


  あんまり好きじゃないみたいなこと言いながらあっという間に一本空にしてしまった椿。残ったナッツをちまちま食べる。


  「……まだ冷蔵庫あるよ?」

  「うん……まぁ、今日は一本だけ。」

  「椿が?ビール一本?まじか体調悪いんか?」

  「いや、病人いるしね?」

  「じゃあ飲むなよ。しかも隣で。」

  「昨日飲んでないから飲みたかったの!このビールさ、ハルと飲もって思って買ってたんだよ?あんたさんはぶっ倒れたけど。」

  「先に飲むなよ。てか、なんで俺の部屋で飲むん?下でゆっくり飲めばいいじゃん?」

  「……いや、一人だと不安かなって。」

  「椿が?」

  「ハルが!」


  「も〜」と、ナッツをボリボリ食らいながら椿が膨れてる。酔ってるのか?やっぱり酔ってる時のテンションじゃね?


  「あ〜うさぎ飼いたい。」

 

  と、唐突に口走る椿。やっとこっちを向いた。


  「うさぎ?」

  「ほらほら、可愛くない?」


  スマホで動画配信サイトを開いて画面を見せてくる。そこには小さな茶色いうさぎが部屋の中でぴょんぴょん飛び跳ねる様子が映し出されていた。


  「かわいい……癒されたい。うさぎに……」

  「琴葉のがかわいい。」

  「すげーシスコン…でも、分かる。うさぎより、琴葉ちゃん。」


  と、一人納得した様子の椿。いやうさぎと琴葉は違うけどね?


  …まぁ、琴葉のことを実の妹みたいに可愛がってくれてることには感謝してるけど。ホントに。


  「飼えばいいじゃんうさぎ。」

  「世話できないもん。普段帰らないし。」

  「帰れよ。」

  「帰れないし。あと、普通にマンションペット禁止。」


  何気なく放たれた「帰れないし」発言。こいつまだ20歳なのに大変だな。


  「……あ、でも、ペットとか飼ってたら帰らなきゃってならね?いいんじゃね?なにか世話が必要な何かを飼うって。」

  「だから飼えないし。」

  「魚とかは?熱帯魚とか?」

  「だから世話できないし。」

  「だから世話するために帰るんだろ?」

  「帰れるなら帰るわ。自分の世話で精一杯だし!」


  いや、できてねーじゃん?


  「この家なら飼えるか……」

  「やめろ?」

  「琴葉ちゃんのお友達にどう?」

  「どうせ俺が世話するんじゃん。」

  「うさぎってそんな手前かかるのかな?散歩とかいらないわけじゃん?」

  「椿。そういう「簡単だから」とか「世話に手前かからないから」とかいう安易な考えがだな、無計画にペット飼い始めて手に余る典型だぞ?なめんなよ?生き物飼うってことを。命だぞ?」

  「うわ……オカンかよ。」


  俺の説教に椿が軽く引いている。


  「かわいいからってのがそもそも安易よ。かわいいだけじゃねーからな?うんこはするし言葉通じねーし。」

  「分かった分かった。もうおやすみ?」

  「かわいいが欲しいだけならそうやってネットで眺めるだけで満足しとくのがお互いの幸せ--」

  「分かったっての!」


  しつこかったのか椿が俺の顔に掛け布団を押し当てて黙らせる。息が苦しい。

 

  でも確かに疲れた…もう寝ようかな……


  「椿よ……昔さ、ヤドカリ飼ってたんよ。祭りかなんかで釣って。」

  「へ〜。」

  「なんか20年くらい生きますよ〜とか言われてな?」

  「まじか?ヤドカリってそんな生きるん?」

  「でもさ、なんか臭ーし、見ててもつまんねーしでさ……」

  「うわぁ聞きたくないわ。もう寝なってハル。その話聞かされて私にどうしろと?」

  「寝落ちするまで聞けよ。」

  「もっと違う話にして。」

  「餌やんなくなってさ。めんどくて。だって臭いし…そしたらしばらくしてケージ覗いたら死んでんの。腹減ってたのか自分の脚とかハサミ千切れててさ、食ったのかな自分でとか思って……」

  「うわぁまじでやめて欲しい。」

  「子供心にショックだった。」

  「私もショックだわそんな話聞かされて。」


  喋ってたらなんか眠くなってきた。たしかに、風邪引いた時傍に誰かついててくれるのは、ありがたいかも。精神的に。


  ……そういや、風邪引いたのなんていつぶりだろう?


  「…ハル。」

  「ん?」


  意識したらかなり瞼が重くなってきた。眠たげな声で俺は返す。


  「…なに?」

  「琴葉ちゃんの水着。私もワンピースがいいと思うよ。」


  だろう?

  ハイレグはないよな?


  俺もそう思うなんて口に出さずに返しながら、俺は完全に目を閉じていた。


  --翌日起きたら、なんか椿が鼻声だった。


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