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ブラック企業の空に  作者: 山木 拓
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2017年10月の出来事

 一通の支店内通知用メールが届いた。営業所に向かう通勤電車の中、まだ業務時間が始まっていない私はその通知を見てみぬふりをする。窓の外の通り過ぎる景色を見る訳でもなく車内にいる人を観察している訳もなく。どこに焦点を合わせているのか、自分でもわからなかった。

 社員数は八〇〇人前後、本社所在地は横浜、平均収入は五〇〇万、年間休日数一二六、業界分類は金融、営業マンが多数。関東・中部地方の個人投資家が主なターゲットの、証券会社。正式名称は松本証券株式会社。これがウチの会社の表向きのプロフィールだ。そしてこれはあくまで表向き。当然表があれば裏もある。別にやましい犯罪行為やコンプライアンス法令遵守ギリギリのことをやっている訳では無いが、ウチの会社が表に出している情報がただこれだけということ。

 新卒三年以内離職率八割越え、有給取得率一割以下、平均勤続年数五年以下、残業時間は不明。これがこの会社の裏側。いや、現実だ。数字だけ見れば俗にいうブラック企業。規模が大きく、それなりに名前がありCMも流しているため最低最悪の会社とは言い切れなが、あまり労働者に親切な会社では無い。そしてタチが悪いことに、最近は残業を減らして業績を伸ばしていると評価を受けており、界隈によっては『いい会社』の太鼓判を押されている。実際は、タチの悪いみなし残業制が導入されただけなのだが。

 私はこの会社に勤めてかれこれ四年。行き帰りの電車では頭の中でずっと会社の評判を反芻してしまっていた。ウチの会社は悪い会社だ、酷い会社だ。こう思わなければ今の自分の人生に納得が出来なかった。退職願も三回提出した。毎回同じ理由で突き返された。直近の提出も同じ理由だった。確かに転職先も決まっていない状態でこの決断を下すのはよくないと分かっているが、この会社にいると転職先も探せない。こんな状態が続くと、会社を辞めたいのか働くことを辞めたいのか、それすらもよくわからなくなっていた。通勤電車は漠然と何も考えず乗り込む毎日だった。

 八時を一〇分程過ぎた時刻に出社すると、ほとんどの営業マンが出社している。

「今日も遅いな。」

 この会社の定時もよくわからない。本来はまだ五〇分先だ。すっかりみんな洗脳されている。

 いつもの通り、ひとまずパソコンを立ち上げる。本日の行動スケジュールをパソコン上に入力し、そして今日営業先に持って行く資料を印刷し始めた。ゴウンゴウンと、意外と大きな音を鳴らしながらコピー機は働く。

「誰だよ、こんなに紙使ってんの。先月の会議でも議題に上がってただろ」

 資料作り一つをとっても、上司にイチイチ嫌味を言われる。ペーパーレスだなんだと紙の資料を作るなと指示は出しているが、代替案は何も提示してくれない。

 コピー機の前で印刷が終わるのを待っていると、石井が近づいてきた。

「聞いたか? アレ」

「アレって?」

「じゃあ聞いてないって事か」

 こいつはいつも話し始めがくどい。会話の序盤に指示語を使わないで欲しい。

「まーた土曜、出勤しろってさ」

「…いつ決まった?」

「今朝メールで送られてきた」

 電車でスルーしたメールを見ると、支店長から『営業ノルマ補填DAYを実施します‼︎ 特に理由がなければ参加をお願いします‼︎ 先月もノルマ未達が八割でした。このままでいいんですか⁉︎ 簡単に諦めないためにも、自分のために努力と工夫を続けてください‼︎』と送られて来ていた。吐き気がした。怖気もした。いつもいつも、似たような内容でメールを送り続け、人のやる気を削ぎ続ける。社員がノルマを達成していない現実に対し、何故自分自身は何も責任を感じないのだろうか。いや逆に、感じていないから何年もあのポジションに居続けているのか。

「…辞めてぇな」

「そうだな」

 そしてなんだかんだ最終的に出社してしまう自分にも嫌気がさす。パソコンの共有スケジュールにも土曜日八時三〇分から一八時の枠が勝手に抑えられていた。

「もう一個の方は聞いた?」

「多分聞いてないな」

 毎度のこと、くどい。

「だよな。今日から営業所に中途社員が入るんだと。それも二人。一人は所謂第二新卒ってやつで、もう一人は業界未経験の二九歳だって。ちょっと変わった経歴のやつらしいぜ。そんなやつ雇ってどうするんだよな」

 雇ってどうする、という意見はごもっともだった。中途社員の九割は三年以内に退職しているし。だが、片方は二九歳。もう雇ってもらえる会社もなかったのかもしれない。だが、『二九歳の変わった経歴を持ったやつ』この響きだけで何故か興味を持ってしまった。

「その人は、今どこに?」

「あー、まだ出社してないんじゃないかな。始業時間じゃなし。あと、夕方までは同時採用のやつと研修受けてるらしい。」


   ・・・


 初日の研修は、要するに会社の説明会だったらしい。研修システムや勤怠管理システム、顧客管理システム、証券情報確認システム、他にも新聞の自由閲覧システム。木下の印象からすると、色々と電子化が進んでいる部分はさすがに大企業らしさを感じたとのことだ。彼は大学を卒業してすぐは家具メーカーに勤めていたが、一年半でやめたらしい。そこと比べるとよほど管理が厳密で、ペーパーレスが進んでおり、効率化が進んでいると話ていた。しかし実態は、効率化は進んでいるものの営業所員のシステム入力が増えただけ。経理や人事の人数を減らして代わりに営業所員が作業を肩代わりする。人件費は減っているが、こっちの負担が増えているだけだ。研修は十六時頃まで行われたとの事だ。


   ・・・


 私が顧客のもとを回り終え会社に戻ってくると、石井が二人の男に簡単な会社の説明をしていた。石井と目が合うと、珍しく明るい声を出して私を呼んだ。

「よう、早かったな。お前で最後だぞ。」

 二人の新顔。すぐに何者かわかった。私が机に近づくと、二人は立ち上がった。

「自己紹介よろしいでしょうか。」

「あ、はい。」

「本日付で配属されました、木下です。よろしくお願いします。」

「同じく堀口です。よろしくお願いします。」

 どちらが二九歳で、変わった経歴の持ち主かすぐにわかった。声に緊張があっても、去勢もなければ、臆病もない。淡々とした、真っ直ぐな目。そして何より誰に言われるまでもなく自ら自己紹介をしてきた。人生における自己紹介を全て流れに乗せてしてきた私からすると、これが意外と難しい。大体は間に誰かが立っていたり、大人数で順番に、だった気がする。それだけに、恥ずかしげもなく自分から名乗った木下を真面目な人間だとも思えた。これが、木下と私の出会いだった。その日の会話はたったこれだけだったのだが。

 そして翌日からは、すぐに業務に混じるようになり、いつものように激務が始まっていた。

「俺も、堀口くんの方教えたかったわ」

 宮本さんに後ろから肩を叩かれると、その日の私への第一声はこれだった。喫煙所前の自販機でコーヒーを飲みながら、新人二人の話を聞いた。まだ本格的に業務を教えるのではなく、お客さん向けのパンフレットの読み込んでもらったり定期券の申請をしたり今後の経費申請の説明をしたりで半日近く経ったとの事だった。

「昨日の帰りでちょっと話してさ。堀口くんは風俗も行くしパチンコも行くしで多趣味なんよね。四年ぐらい前に無くなった台の思い出とか語れてさ。でも、木下はまじで読めないのよね、人柄とかそういうの」

「はあ。」

 堀口くんは私からみて一つ後輩の後藤、木下は一つ先輩の宮本さんが指導員に割り当てられたのだが、ウチはブラック企業だ。当然のように社内研修制度や資格取得推奨制度も整っていない。一ヶ月ほど先輩と同行し、その間で証券取引に必要な資格を取りそのあとはもう独り立ち。業界未経験の人間を雇っている以上はもう少し手厚くしても良いと思うのだが、支店長曰く成長のために自分で工夫しろ、との事だ。

 堀口くんの評価に対して、木下の評価は低かった。入社して一日でそんなふうに決めつけるなんて良くないのでは、と心の中でフォローをしたが昨日の出来事を聞くと当然とも思えた。

 昨日の帰りがけ、新人二人を石井と宮本さんが食事に誘って色々と話をしたらしい。

「酒って飲むの?」

「いや、数ヶ月一回に友達とたまに飲むぐらいです」

「タバコは吸うの?」

「いや、吸わないって保健体育の授業で決めたんです」

「麻雀は?」

「ルールも知らないですし、麻雀のルール知ってる人同時に四人以上見かけたことないんです。そう考えたらそもそも麻雀ってどうやって広まったんでしょうね」

 そりゃ変わったやつだと思われる。なかなかの禁欲ぶりだが、それ以上にどこか一言多い男みたいだ。

「正直、あいつ社風に合わないだろうな」

「そう、かもですね」

「何ヶ月もつかな」

 木下は、変わったやつで、仲良くなれそなさそう。社内ではそういう結論が出ようとしていた。けど、それでも、私は逆にこの木下という男が気になっていた。

「また、いつもみたいに賭けますか?」

「お、いいね」

 こういう類の賭けを、初めて私から持ちかけた。


   ・・・


 新人の頃は私も辛かった思い出しかない。とは言え今も辛いのには変わりがないのだが。

 多くの人々は、口座に自分のお金を預けている。そしてこの口座には、世の中に二種類ある。一つは銀行口座と、もう一つが証券口座。銀行口座はお金を預けることがメインなのに対し、証券口座はその名前の通り証券のためのもの。そこにあるお金を使って証券を売り買いする。逆にいうと、これがなければ証券の売り買い自体が出来ないのだ。新人の仕事は、これをお客さんに利用開始してもらう事で、つまりは口座開設のための飛び込み営業をやらされる。これは正直、今でも嫌な業務だ。

 私が予想していた通り、一ヶ月間の先輩との同行も大して行われなかった。数日間で一通りの業務を教え込まれると、あとはそれぞれで仕事を割り振られた。一応は業務日報を新人が人事に提出し、そこで先輩がきちんと指導しているかをチェックしている、らしいのだが。木下と堀口くんは、まさにこの口座開設の飛び込み営業をやっていた。金をもった方々の家に訪問し、「投資を始めませんか」と問いかける。イエスであれば開設し、ノーであれば引き上げる。ただこれだけ。ノーで追い返されるのが大半だ。向こう三ヶ月間で、三〇件開設してもらう。これが彼らに課されたノルマだった。三ヶ月であれば六〇日ほどの営業日。その中で三〇件目標なわけだから、二日に一件は獲得しなければならない。そして今日で既に五日経ってしまっているが、堀口くん一件木下〇件という状況。手厳しいノルマであることには間違いなかった。

「お忙しいところすみません。私、松本証券の堀口と申します。証券や株についてご興味はありませんか?」

 彼はチャイムを鳴らしたあと、決まって入り口でそう言ったらしい。

「いや、ないですね。」

「そういうの断ってるんです。」

「ちょっと今忙しいから。」

「帰ってくれ。」

「また今度にしてください。」

 そもそも留守の家も多いのだが、居たとしても大半は入り口で断られた。それでも、結局のところこの世の全ての人が投資に興味が無いわけではない。数を回っていけば、そういう人に当たる。初日では八〇軒ほど訪問し、最終的には一件獲得しており周囲を驚かせていたのを覚えている。彼は膨大な数を回っていくことで、成績を積み上げていった。

「お忙しいところすみません。私、松本証券の木下と申します。今このあたりの地域の方々に、投資について説明して回っているんですけれども、軽い説明だけさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

 彼はチャイムを鳴らしたあと、決まって入り口でそう言ったらしい。

「ちょっと今忙しいから。」

「帰ってくれ。」

「まぁ説明ぐらいなら。」

「また今度にしてください。」

「そういうのよくわかんないんですよね。」

 彼は一件一件えらく時間がかかってしまっていたのを覚えている。初日は三〇件ほどしか回れず、獲得も出来ず。堀口くんと比較され宮本さんには『もうちょっと頑張れよ』と叱責されているのを見かけた。後輩の出来で、指導員である後藤くんも宮本さんも、人事からの評価が分かれるらしい。私は落ち込んでいるであろう木下に声をかけようともしたが、彼の目が全く揺らいでいないのを見て、やめにした。

 彼らの日報は課員全員が見られた。堀口くんはまだまだ若いのもあって、かなりの数を回っていることが記録されており、そして木下も段々と訪問数が増えているのがわかった。新規顧客は時々獲得しているようで、二人とも同じように、獲得出来た日は褒められ出来なかった日は怒られる。完全にその繰り返し。木下は、堀口くんよりも怒られた。

   ・・・

「なぁ、多分賭けは俺勝つぜ。」

 三週間ほど過ぎた頃、宮本さんは私にそう言ってきた。

「かもしれないですね。」

 私には取り立てて返す言葉もなく、完全に木下は堀口より劣っているという評価も証明されていた。堀口くんは、人と帰る時間を合わせて食事の時間を合わせていることがあるらしく、いかにも世渡り上手な感じがした。対し、木下は一人で粛々と仕事をして、分からないことがあれば質問をして、失敗すれば怒られて。ただ単に、真面目な人という印象でしかなかった。

 しかし社内の数人は木下のある部分を評価していた。それは日報である。元小説家とあってか、物事をよく観察しているような印象を受けた。見込み客も獲得客も、リストのメモに現場で見た事を細かに記載していた。『車好きかもしれない。』『庭が広く雑草に困っている。』『経営者だが事業内容は不明。』一番驚いたのは、『おそらく芸能人。あるいはAVに出ていた気がする。』のメモ。入社二年目の後輩、藤田はこれらをみて木下によく話しかけていた。

「あの、なんでAV女優ってわかったんですか?」

「いや、自分わりかしAVのサンプルとか色々見るんで。似てたからなんとなくそう思ったんです。」

 木下があまりにも真剣な目でAVに付いて話すものなので、藤田は吹き出していた。この日を機に、藤田は木下に話かけるようになった。

「そういえば木下さんって、スポーツとかやってたんですか?」

「中高でラグビー、大学でアメフトはやってましたね」

「え、じゃあ筋トレとか詳しかったりするんですか?」

「そうっすね。まあ今はほとんどしないしないですけどね」

「はー」

 二人は思ったより意気投合していた。学生時代藤田はサッカーをやっており、強化指定選手にもなったことがある。二人とも盛んにスポーツをやっていたのもあってか、話は盛り上がっていた。

 そして他にも、そういうジャンルの小説を書いていた経験があるからなのか分からないが、地味に法律に詳しかったりもしていた。石井の場合は、丁度引越しを考えていたこともあり、住宅の法律やら何やらに関して色々と木下に教わっていた。

「不動産への紹介手数料は半月分でいいんですよ」

「害虫対策は自分でやった方がいいですよ」

「火災保険は自分で選べるんですよ」 

 話を聞く限り、木下も昔家探しで失敗したらしい。

「自分なんかは、洗濯機用の蛇口が水漏れしてて交換してもらったんですけど、保険の適用外だったみたいで。結局自腹も切ったし、他にも色々と嫌な思い出しかない不動産屋でしたね。あと隣の部屋からゴキブリが入ってきたりとか」

 自分の失敗談を笑いながら話す木下を、悪く思う人はいなかった。学生時代同じクラスにいれば、仲良くなっていたかもしれない。


   ・・・


 しかし、木下の営業成績が芳しくないのも事実だった。ある日、宮本さんと木下が課長に呼び出された。

「お前さ、ちゃんと指導してんの? 新人の仕事の口座開設、木下全然出来てねーじゃん。後藤と堀口見習えよ。あいつら、ノルマ達成は無理かもだけど全然出来が違うぞ。木下も、お前堀口と比べて全然回って無いじゃん? お前の方が年上なんだからもっとやんなきゃいけないんじゃねーの?」

 木下と宮本さんは、ただ言われるがままだった。怒られるのも、こうやって怒られている人を目にするのもいい気分ではない。それに宮本さんも苛立っていた。木下が堀口くんより訪問数が少なかったからである。つまり、サボっていると思われても仕方がないのだ。この叱責も当然である。

 二人とも、訪問数はいくらでも誤魔化せた。単に日報に記載するだけだし、顧客を獲得さえすればあとはサボっていても問題はない。ただそれでも、木下は馬鹿正直に、実際の数を書き続けた。


 後で聞いた話だが、堀口くんは数を誤魔化していたらしい。それと、初日の口座開設は自分の親に頼み込んだものだったとの事だ。


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