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ブラック企業の空に  作者: 山木 拓
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2019年9月の出来事

 先日木下の異動が決まった。藤田と宮本さんが辞めてからしばらく退職者はいなかったのだが、人が一人居なくなるのは同じだ。最近私の周りの人がどんどんと入れ替わっているように思う。これを寂しいと感じるほど孤独に弱いつもりはなかったのだが、毎回一緒に残業をするであろう日を数えている自分もいた。


「そういえば先輩、藤田さんの話聞きました?」


 いつもの通りパソコンの画面を見つめたまま話しかけてくる。


「あー、石井から聞いたよ。」


 藤田はトライアウトに落ちた後、会場に来ていた日本チームのコーチに声をかけられた。要するにスカウトされたのだ、ウチのチームに来てくれないか、と。しかしそれは選手としてではなく、海外選手の通訳として。こういう場合の通訳はただ言葉を変換できるだけでは務まらない。トレーニングの内容の説明やコーチの指示、ミーティングまで同席し翻訳する。となるとサッカーの知識があった上で英語が話せる必要があるのだが、藤田ならばなんら問題ない。本人も『やるだけやった上で、まだサッカーに関われるのは有難い』と快くそれを引き受けた。


「じゃあ、宮本さんの話は。」


「そっちは後藤から聞いたよ。二人とも急に別世界で活躍しだしてすごいよな。」


 宮本さんはかつてプロ注目選手であり、野球に関して確かな技術と実力を持っていた。となれば当然新しい職場では、教師としてだけでなく野球部のコーチとしても重宝される。そもそも休日に自分のいた少年野球チームや高校の部活に顔を出していたぐらいだ。それが趣味としての行動なのか未練からくる行動なのかは分かりはしないが、指導者になりたい想いは抱えていたのかもしれない。それに会社にいる間も、どうせ教員免許を持ってるならどうだ、と誘いを受けていたらしい。




 そして木下は、この営業所からいなくなった。管轄の支店は同じだが、話す機会も全く無くなってしまった。彼とは苦境を乗り越えたとか、二人で成功を収めたとかそういう特別な出来事は何もない。それでも私は木下に奇妙な友情を感じていた。




   ・・・




 ある日外回りから戻ってくると、私のデスクに小包が置いてあった。それを手に取ると、後ろから石井が教えてくれた。


「それ、他の営業所から送られてきたんだとさ。」


 送り元部署は木下の異動先。中を開くと、一冊の本が入っていた。四つの中編小説を纏めた、変わった本。帯には『中編小説大賞、他受賞作品を一冊に!』と書かれていた。


 私はこれが送られて来た意味がなんとなく分かったし、中身を読んでみるとそれは確信に変わった。この中の三本目、これは木下が書いたものだ。


 あの時「多分、やるだけやって、ダメだったからなのかもしれませんね。」と言っていたのは、木下自身まだ戦っていたのだ。まだ自分に才能が無いと認める訳にはいかなかった。だから、意地を張ったのだ。


 一度夢を諦めてしまった一人の会社員が、仕事をしながら夢を追った先輩社員と出会う物語。なかなかのブラック企業ぶりが描写されており、モデルはこの会社だとすぐに分かった。私は、手本を見せてもらった。手本の意味もここでやっと理解したのだ。




 人生は何度だってやり直せるとか、夢は諦めなければ叶う、とかそんな甘い綺麗事はこの世には存在しない。ただしそれでも、過去は積み重なる。過去は無でも害でもなく、ただひたすらに、自分の内側に積み重なっていく。それを無視してしまうのかそれとも、また新しくわざわざ重ねようとするのか。それは自分次第なのだ。

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