(1)例外の実力
昔、日本が一つの国だったころそこは衣食住に困ることなく人間らしい生活ができる理想郷だったという。
ディスプレイに甲高い音とともに『AllClear』の文字が二か所に表示された。
「夜叉の洞調率が低すぎるな。……あらし、ふぶき、クリアだ。あがっていいぞ」
壁一面にあるディスプレイ画面を見ながらそう命じたのは、新宿地区都市防衛本部、人形乗り教育官長の巴。
長く艶やかな黒髪を後ろで一つに結び、黒で統一された服を着用している。動きやすさを重視した布に無駄のない衣服な事もあってか、服の上からでも彼女の十分すぎるスタイルの良さは伺うことは可能だ。
『ハーイ、巴。今でまーす』
『はい、巴。今行きます』
最初に答えたあらしはディスプレイ画面に映し出されるとガッツポーズをする。
続いてその隣に映し出されたふぶきはにっこりと微笑んだ。
二人の容姿はまるで鏡に映したように似ている。
淡い金色の長い髪とブルーサファイアのような濃紺色の瞳。
髪を高く結い上げ、ふわふわとしたウェーブヘアがあらしで、同じく高く結ってはいるがさらさらストレートヘアがふぶきだ。
二人とも十代半ばの少女で、笑顔を見せれば少々幼く見える。
「巴大佐、このまま夜叉を続行させますか?」
ディスプレイの前のオペレーターが指示を仰ぐ。
巴は表情を動かすことなく心の中でため息をつく。
「システムを解除して回線を開いてくれ」
巴の指示でオペレーターはキーボードを軽やかに叩いた。
『Exit』と赤い文字で表示されたすぐ下に、あらしやふぶきと同年代であろう少年が映し出される。
茶色の髪は強すぎる太陽光に焼かれたせいかくすんでおりばさばさだ。
「…またクリアできなかったな、夜叉」
『なっにすんだよクソババア!まだ終わってないだけだろ!勝手にシステム解除すんじゃねーよっ!!』
ディスプレイに映し出された少年、夜叉が不機嫌極まりない表情で叫ぶ。
画像回線は双方向のため、夜叉が映し出された同タイミングで、巴の立つ訓練統括室の様子も夜叉は見ることが出来る。
「口の利き方に気をつけろ。同調率34%だ。それでどうやって人形を動かすんだ?やる気ないんじゃないのか?」
怒鳴りつける夜叉の声とは反対に巴の声はどこまでも冷ややかである。
その声と突き刺さるような瞳に、夜叉がぐっと言葉をつまらせる。
『ち…ちげーよ。この機械がだな、難しいんであって…』
「えー、でもあらしもふぶきちゃんもクリアしたよ」
「そう、私もあらしも既に終わっているよ、夜叉姫」
訓練統括室に入ってきたばかりのあらしとふぶきが口を挟む。
『てめぇふぶき!人のこと姫って呼ぶな!!』
「姫は姫でしょう、夜叉姫ちゃん。悔しかったら同調率80%くらいにはあげてみたら?」
『うぐっ…ちくしょうっ!大体俺は白兵戦部隊の方に志願したんだ。なのになんだって女の乗り物にのらなきゃなんねーんだよ』
「だって姫は可愛いから、仕方ないじゃない」
「なんてったって姫ちゃんだものね!」
『てめぇーら。そこで待ってろ。今すぐ行くからな。逃げるなよっ!!!』
怒りに顔を紅潮させて夜叉は怒鳴りつけると立ち上がる。
ディスプレイはすぐに無人の座席が映し出された。
あらしとふぶきは顔を見合わせ「可愛いね!」とくすくす笑う。
「あらし、ふぶき。お前たちはあれと同期なんだから仲良くしてやれ。あれはここでは孤立しているのだろう?」
巴は振り返り、来たばかりの双子に言った。
その口調はあくまで事務的である。
「大丈夫です、巴。夜叉はここでは人気者ですよ」
「大丈夫だよ。みんな姫ちゃんのこと可愛がっているから」
「一部の人が嫌っているのは確かですけど」
「男の人形乗りなんて異常だ。変態だって言ってね」
「だれが変態だっ!そうやってあらぬ噂を流してるのはお前だって聞いたぞ、あらし」
到着した夜叉は足音荒く部屋に入ってくると、間髪入れずに双子の発言に食ってかかる。
ここはあくまでも人形乗りの訓練のために設置されている施設だが、非常事態の際には前線の基地の一つとして使用できるように設備は整っていた。
壁一面には通信にも使用していた大きなディスプレイ、施設周辺に設置された熱感知などあらゆるレーダー、現在それをオペレートしているのは一人であり、その機能のほとんどは使用されていない。
「だって本当のことでしょう?ミスターが貴方を選んだんだから」
ふぶきの言葉に夜叉はあからさまに顔をしかめた。
日本という国が島国でなくなったのはそう昔の話ではない。
太古には一つだったという地球上の陸地は、現在その姿を再び戻そうとしていた。
それによる環境変化はすさまじく、水に困る事のなかった日本でさえその大地のほとんどを砂漠へと変化させていたのである。
「だからって俺が何で変態なんだよ。プログラムのミスは俺のせいじゃないだろっ」
豊かであれば争いの原因は少ない。
だが今、ほぼ全ての人は生きるために戦わなければならなかった。
その日の食べるものを求め明日を生きるために。
世界全てが無法地帯で、今まで外敵の侵略の少なかった日本の地に、以前の豊かだった国の理想を求めて大陸から人々がやってくる。
「本日のデータでました。最高同調率、あらし93%、ふぶき94%、夜叉34%。敵撃墜率、あらし98%、ふぶき99%、夜叉26%」
戦争というものは人の科学を発達させる。
国家間の戦争が活発だった二十世紀に使用されていた兵器のほとんどは、上空に常時ある磁気嵐によって使用不可能になっていた。
また、国という概念も薄くなり個人単位の略奪戦が多発するようになったため、大量殺人兵器を使うものはいなかった。
少しでも豊かな土地を手に入れようと侵略しているのに、その土地を死の大地にしては意味がないということもある。
自然と小規模な地上戦が主になり日本で開発された『人形』はその破壊力、耐久性、機動性をもって普及されていた。
全長5m、人型のそれは弱い者達が武装することを目的に創られた。
その最大の特徴として人形は女性しか乗ることが出来ない様に設計されている。
「姫ちゃんサイテー。ふぶきちゃん今回同調率はあらしの勝ちだね」
「またあらしの方が上か。全滅させたと思ったのに1%ってなんだろう」
人形に乗るには『人形』と『人形乗り』とをつなぐ『人形使い』と呼ばれるシステムプログラムが必要だ。
この人形使いのプログラムは一目惚れした相手にのみ服従する。
人形使いは男として設定されている個別の人格があるため、当然のように人形使いが一目惚れして選ぶ、愛する人形乗りは女性になるのだ。
これが人形を女性専用機と成すことができた大きな要因だ。
設計者は女性。
彼女は人形使いのプログラム第一号に「ミスター」と名付けた。
「ミスター」は自分の息子である人形使いたちをこの世に生み出す。
その息子たちが集まってきた人形乗り志願の女性たちから自分のパートナーを選ぶ。
見た目が小さくて、いくら可愛いからと言っても男である夜叉が人形乗りになれるはずはなかった。
「夜叉、ミスターを連れてきているか?」
愕然とオペレーターの言葉を聞いている夜叉の横に立つと巴が問う。
巴よりの目線よりも低い位置でうなずいた夜叉は手首に巻いたブレスレット型の端末に指を這わせて起動させると、自身の人形使いの名を呼んだ。
「キオウ、出てこい」
人形使いに名前をつけられるのは彼らが認めた相手のみである。
なのでまだパートナーを見つけていない人形使いは一様に「ミスター」と呼ばれる。
『お呼びですか?夜叉。また今回の演習成績は悪かったようですね。たまには同調率80%位出してくださいよ。僕の肩身が狭いじゃないですか」
「るっせーな。……ほら、出したぜ」
夜叉の人形使い。鬼王が命令に応じてその立体映像を現す。
茶色の長めの髪をそのままに緑の瞳が印象的な美青年だ。
光で作られたホログラムでしかないはずのそれは、確かな立体感をもってそこに存在している。
『おやこれは巴。相変わらず綺麗だね。あらしとふぶきも久しぶりだね。髪型を少し変えたかな、とても似合っているよ。二人は順調に人形乗りとして腕を上げているから将来は巴みたいな才色兼備になるんだろうね。弥生もお仕事お疲れ様。少し目の下にクマが出来ているから今日は早めに寝るんだよ』
「ミスター、お世辞はいい。説明してもらおうか?」
人形使いは例外なくフェミニストだ。
付き合いの長い巴は重々承知しているので後ろに立つ双子や目の前のオペレーターのようにいちいち喜んだりしない。
そんな巴にホログラムの鬼王はにっこりと微笑んでわざとらしく尋ねる。
『夜叉の同調率の低さについて説明を求めているのかな?』
「他にも何か問題があるなら教えて貰おうか?」
『これは失礼、巴大佐。答えは簡単。夜叉が男の子だからだ。ここの練習用の人形使いでは夜叉は同調できない。僕ぐらいの性能じゃないとね』
「ここの人形使いも使えなくて正規のミスターを使えるとは思えない。いや、使わせるわけにはいかない。このままだと困るのだ。それは我々もミスターも一緒だろう」
人形使いにもランクがある。
ここ新宿地区都市防衛本部にある、人形使いの父『初代人形使い』が最高ランクだ。
その『初代人形使い』が生み出した正規のプログラムの他に、現在は誰でも利用できる練習用の人形使いが製造されている。
個別の立体映像や人格を持たないそれは、既存する人形使いの劣化版コピーと言っても過言ではない。
唯一の相手を選ぶ正規の人形使いたちとはことなり劣化版コピーは誰でも操ることが出来る。
ただし、人形を動かす為に必要なプログラムとの同調率は、先ほどの夜叉たちの結果からも判るように男性と女性では歴然としたものだった。
男性は女性と比べれば生身の戦闘は有利だ。そんなこともあり、あえて弱い人形に乗ろうという男はいない。
『僕の相棒は夜叉だからね。それを変えるつもりはないよ。何だったら僕で模擬戦闘をしようか?それなら結果を出せると思うし』
「実戦以外でミスターを使用する事は軍規に反する。許可は出来ない」
「なんでだよっ。キオウがやるってんだからいいだろ」
「ばっかね姫ちゃん。キオウくん使ったら練習にならないのよ。正規の人形使いは頭いいんだから」
「そうよ夜叉姫。キオウくんはここの回線自由に行き来できるんだもの。正規の人形使いなら同調率を高く表示させることなんて朝飯前なのよ」
巴に食ってかかった夜叉に、あらしとふぶきが呆れた声で言った。
練習用の人形使いはそこまで性能が良くない。
ただ人形と人形乗りの接続を請け負うだけだ。
『いやぁ、可愛い子たちに褒めて貰えると嬉しいな』
「誰もてめぇを褒めてねぇよ。俺を馬鹿にしてるだけだ」
『夜叉何でそんなに不機嫌なの?僕なにか悪いことした?してないよね?なのになんで怒るの?』
「うるせーなっ!大体お前が男の俺を選んだのが悪いんだろ。俺は金稼ぐために軍に来たってのに、これじゃずっと練習ばっかで賞金首の一人も追えないっ!このミスプログラムッ!!!」
夜叉の怒声を発したのと同時、後頭部にものすごい音を伴って鉄拳が落ちた。
「いってえええええ!」
「口の利き方に気をつけろと言っただろうが、夜叉。ミスター申し訳ない。私の教育が行き届いていないようだ」
『いやいや巴。僕の魅力が足りていないだけだよ』
頭を描けている夜叉はおもむろに手首の端末の回線を閉じた。
これでキオウはそこに戻れない。
それを確認すると夜叉はわき目もふらず訓練統括室を出ていく。
「ちょっと姫ちゃん!どこ行くの??」
「夜叉姫。キオウくん忘れて行ってるわよ」
あらしたちの呼び声に夜叉は振り返らず答えた。
「忘れてんじゃねえ!わざと置いていくんだよ」
扉が閉まり夜叉の姿が見えなくなると、双子はその様子にくすくすと笑う。
『僕、夜叉のところに行くよ。巴、ここのプログラムではいくらやっても夜叉の同調は上がらない』
「それでは困る。決まりは決まりだ」
冷たくキオウに言う巴に、くすくす笑いながらふぶきは言う。
「巴、恋愛は自由ですよ」
続いてあらしが言う。
「そうそう。巴いいじゃんキオウ君がいいって言ってんだし、姫ちゃんも合格させてあげようよ。、ここでいくらやっても無駄みたいだし」
「そうしないと同期の私たちも実戦にでれないんでしょ?」
「困るよねふぶきちゃん!あらしも外で遊びたいもん」
「巴大佐。私も一度夜叉を実戦に出して、データを取る事をお勧めします」
今まで黙ってデータ処理をしていたオペレーターも意見を述べる。
「弥生少尉もそういうのか。……。わかった、いいだろう。この施設でミスターを使うわけにはいかないが外でならば問題はない。だがミスター、これはあくまでもテストだ。一人前の人形乗りとして合格させるわけではない。人形は貴重な戦力だ。利用できない者に与える余裕はない」
『ありがとう巴』
「後で詳しい指示は出す。ミスター、くれぐれも暴走するなよ」
巴は表情一つ変えずに言い放った。
キオウはそれににっこり笑って答える。
『わかってるって。まぁ夜叉の実力をこっから見ててよ。それから巴、僕は『鬼王』って名前を夜叉につけて貰ったから、もうミスターじゃないよ。間違えないでね』
そういうと立体映像は律儀に扉に向かい、部屋を出て行った。
ホログラムであるから煙のように消える事も出来るし、この施設内であればどこでも現れることが出来るが、それぞれの行動パターンは人形使いの個体による個人差が大きい。
生身の人間のように振舞うのが好きな者もいれば、効率を重視する者もいる。
「あらし、ふぶき、お前たちも戻っていいぞ。今日の訓練は終了だ」
「部屋に今日の訓練データを送っておくから目を通しておいて。それから二人の使用する『人形』の登録をするから後で『人形整備庫』へ行ってちょうだい」
巴に続いてオペレーターである弥生が言う。
その言葉に了解の返事をすると双子は仲良く部屋を出て行った。
「本当に大丈夫なんだろうな、弥生」
「平気でしょう。鬼王が言っていることも一理あるわ」
双子が出て行くのを見送ってから、巴は部屋の中央にある司令官用の椅子に腰を下ろす。
弥生は腰を下ろした巴のそばに静かに近寄り、その横に立った。
「夜叉の反応に訓練用人形使いの処理が間に合っていない時もあるし、それに対して練習用人形使いは男の夜叉に対して意識を発揮しないから頑張らないわ。これが女の人形乗りであればその子の足りない部分を補おうと頑張ってくれる。鬼王は夜叉を自分で選んだのだから頑張るでしょう。人形使いの人格は人形の性能を大きく左右するわ」
弥生の言葉に巴は少々考えるように視線を動かす。
「それにしてもナンバー無しは駄目ね。訓練用だからしかたないのだろうけど。鬼王を含めて最新型のSナンバーが生まれてからはその脆弱さが目立つというか…。今までの最強Aナンバーとも比べ物にならなかったけど、Sナンバーの知能はこの施設のシステムプログラムを一人で動かしても余裕があるわ。その鬼王がああ言っているのだから、勝算は相当高いってことなのよ巴。心配無用だわ」
普段、表情を滅多に変えない友人である上官の思案顔を見れば励ますように、ただ真実であることを弥生は伝える。
『ナンバー無しは駄目なのかい?弥生。おや、巴、キミに心配顔は似合わないよ』
弥生の言葉に聞き捨てならないとばかりにディスプレイに体躯のよい青年が映し出される。
短い黒髪に濃い紫色の瞳は切れ長で整った顔立ちをしている。
「あら、義仲はAナンバーでしょう」
『確かにね。でもナンバー無しも俺たちの兄弟には変わりないからさ、邪険に扱わないでくれよ』
弥生の言葉にディスプレイに現れた青年、巴の人形使い義仲が苦笑しながら答える。
「なにか用か、義仲」
『巴はそのクールなところが魅力だね』
「用件を」
『まったく巴は、俺は会えなくて悲しい思いをしていたのに。キミとの親交はまた深めるとして「ミスター」が嘆いている。息子の一人が消えたって』
義仲の台詞の軽さに騙されず、事の重大さを知った巴は椅子から腰を浮かせる。
弥生の表情からも血の気が引いた。
「どういう事だ?消滅か?破壊か?まさか…」
『今回も誘拐だ。まだ身代金の要求は来ていないが、悠長に構えてもいられない。人形を何体か出してくれ。場所は検索済みだ』
「何なの…最近多いじゃない。そんなにすぐハックされちゃうなんて「ミスター」らしくないわ」
『仕方ないのさ弥生。父上もいい加減お年だ。外部の奴らにナンバー付きの人形使いを奪われたくなかったら、休んでもらわなくちゃならない』
「そうするとナンバー付きのお前たちの価値はもっと上がるな」
『義理の兄弟たちも増えるさ。その辺りはお偉方とそろそろ考えた方がいい。巴、俺たちも出るか?』
義仲の言葉を聞きながら、巴はいくつかの作戦プランを思案する。
「……いや、アリスと玲央を出す。あと、夜叉を」
『『ミス』を出すのか?』
「ミスじゃなくて鬼王だ。お前がそれでは他の者に示しがつかんだろう。実戦に参加させる」
先ほど自分も同じことを注意されたのを露にも出さず、巴は義仲を睨む。
『悪かったよ、了解した。アリスのビットと玲央の樹に通達しておく。あとキオウ、な』
「頼んだぞ義仲。弥生少佐『おもちゃ箱』に連絡。二人の人形をすぐに出れる状態に」
「二機って…巴大佐、夜叉たちの分は?」
「夜叉たちの分は要らない。先ほど弥生少佐のいった鬼王の勝算からしてみればこちらの用意したものが合致していなければは乗っていかないだろう。動ける機体で好きに出動させろ」
「了解」
弥生は大きくうなずくと、手早く巴の指示を実行に移した。