表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

前編

 聖王国で巨人が発掘されたのは何時の頃だったろうか。

 地面より掘り起こされた、鉄の巨人。それが掘り起こされ、それが研究され、それが戦争に用いられる様になったのは、何時の頃からだったろうか。




 空が青い。太陽が眩しい。何者かの高笑いが聞こえる。

 そのどれかを理由に頭痛を覚えているのは、聖王国の修道女であるシレリア・ブラウディアであった。

 春が過ぎて夏に差し掛かる季節。気温はそこそこ汗ばむもので、修道士用の服は何時だって分厚いから、さらに蒸し暑い。

(そんな蒸し暑い状況で、この笑い声は耳と頭に響くわ……)

 ちょっと考えるだけで、頭痛の原因は定まった。シレリアの前方から聞こえる高笑い。それが原因に来まっている。

 聞こえて来るのは道の先。芝生の緑が眩しい小高い丘になったそんな場所だ。

 その丘の頂点に立ち、丘の向こう側に見えるだろう景色に顔を向けながら、高笑いを続ける男の姿があった。

「ハーッハッハ! どうだいシレリア君! この自然! この素朴! こういう日こそ、考古日和だと思わないかね? それとも発掘日和かな? いやいや、発掘作業は現場を見なければ始まらないだろうがね?」

 高笑いの後に叫ぶ声。これがさらに頭を痛くする。

 こんな蒸し暑い日に、何がそう元気で楽しそうにさせるのか。シレリアにはそれが分からない。

「ええっと……もう少し、ゆっくり歩きませんか?」

 あからさまに変人なその男に対してであるが、一応、返事をしておくシレリア。

 どんな相手であろうとも、一応は自分の同行者であるのだ。話をしなければ空気が悪くなってしまう。

「学者は止まらない! 止まるわけには行かない! 学者が止まれば、誰がこの世界を動かすと言うのかな、シレリア君!」

「……」

 考え直そう。例え同行者であろうとも、何やら突然に宣言して、その宣言が意味の分からないものであったりするのならば、そんな会話は続けるべきではない。

 ほら見ろ、こっちを無視して、道の先へと走り始めた。話したって意思疎通できる人種ではないのだ。

「はぁ……どうして私がこの様な……」

 シレリアは自分の身の上を思い出す。

 シレリアはこの世界に幾つか存在する王国の一つ。聖王国の修道士だ。聖王国は白神と言う神様を信仰する、名前もそのまま白神教を国教に持つ。

 勿論、シレリアが修道士と言うのは、その白神教の修道士と言う意味でだった。

 それなりに信仰に厚く、それなりに周囲から信頼され、それなりの生活と神へ祈る日々を続けていた。

 これでも若い女性ながら、実に貞淑で、修道士としても優秀であると褒められた事もある。そんなのが少し前までのシレリアの立場だったのだ。

 それが……自分が属する修道院の院長から、とある人物に同行して欲しいと頼まれてから、すべてが変わった。

 その人物。丘の向こう側へと駆け出してしまったその人物の名前を、ウォルド・リースと言う。

 初対面の時には驚きの人物だった。今も日々、驚かされるし、頭痛を激化させられる。兎角、活動的で、行動が仰々しい人間なのである。

 朝になれば、さあ行くぞ、シレリア君! 今こそ旅立ちの時だ! とか、昼になれば、さあ行くぞ、シレリア君! 昼食の時だ! とか、夜になれば、さあ行くぞ、シレリア君! 夢の時間だ! とか、最後は夢で見た時の事であるが、夢に見るくらいに記憶にこびりついてくる人間なのである。

 そんな人間の旅に、シレリアは同行していた。同行しろと命じられた。付添人と言う立場を与えられたのだ。

 それがどうしてかと問われれば……。

「どうしたのかね? シレリア君。ずっと立ち止まっているじゃあないか。危うく、置いて行くところだったぞ?」

「……わざわざ引き返していらっしゃったのですか?」

「勿論だとも! 私は考古学者だからね! 少し前の事だって、忘れたりしないものなのさ!」

 この男。言う通りに聖王国内の国立神学校を首席で卒業したという経歴を持つ、考古学者であった。

 しかも活動的で、研究室を飛び出しがちで、あちこちを歩き回る方の考古学者だ。

 それなりに重要な研究を国から任されているらしく、付添人の一人くらい付けるべきだと言われるくらいの人間で、その付添人に、とりあえず当たり障りの無いと評価された人間が付くくらいの……つまりそういう考古学者だった。

(その事実だけでも、頭が痛い話ですけれど)

 それもシレリアの仕事。そういう風に納得は出来る。その大層な言動にだって、まあ、百歩、いやもう一歩くらい譲って、頭痛を抑え付ける事は出来る。

 けれど、どうだろう、このウォルド・リースと言う男。

「おやおや、黙り込んでどうしたかね、シレリア君。もしや……君も考古の素晴らしさに目覚め始めたかね?」

「いいえ、それは恐らく、あなたに付き添う限りにおいてはまったくありません」

「ショック! 私はね、これでも見た通りの年齢で、心だって繊細なのだよ? 発言には気を付けて欲しいものだが」

「確かに年齢にだけは繊細さを感じますけども」

 言う通り、このウォルドと言う男は繊細な年齢なのだ。

 いや、もうはっきりと認めよう。

 大層で仰々しいこの男は、これでも十四歳の少年だ。シレリアより四つも年下の、外見通りの少年なのだ。




 説明しよう。ウォルド・リースは十四歳の考古学者である。

 国立神学校を飛び級し、さらには首席で卒業した彼は、卒業後、自らが志望する道へと進み始める。

 すでに在学当時から学内の蔵書を読み漁り、古典への知識を深めた彼は、この国の、いや、この世界の歴史についての興味に溢れていた。

 在学中は勉学にのみに努めていたが、働ける身となればその好奇心を抑え付ける事はせず、国中の遺跡、遺物を調査、探索を続ける日々を送っていた。

 ちなみに周囲から言動が特異な人間などと言われているが、同じく考古学を志した父親の影響が強い……と、良く知る人間からは言われている。

「才媛などと言われていたが、少しばかり勉強が得意だっただけでね。だが、こうやって仕事をする様になると、そういう特技も馬鹿には出来ない。なんと言っても、好きなものを調べるだけで、給金が貰える身になると言うのはお得だろう?」

「はぁ、まったくもって、羨ましい限りですね。はい」

 付添人のシレリアの、雑な返事を聞いて、ウォルドは頷いた。

 彼女は何時だってやる気が無い。そんな事はウォルドとて承知している。だが、一方で、ぐちぐちしていながらも付き添ってくれる、妙な生真面目さがある事は評価していた。

 だいたい、考古学と言うのは世界に、かつて何があったかの証拠を見つけ出す学問だ。

 学者だけでは無く、それを傍から見た証人が必要であり、だからこそ、シレリアの様な付添人は必須なのである。

 共に居るという状態だけでも感謝したいところであった。

 そうして目の前の、もてなしてくれている老婆にも感謝だ。

「お若い二人、ここまで大変だったでしょう? これ、白湯だけれど、どーそ」

 そう言って二人分のカップを出して来る老婆の名前をウォルドは知らない。

 ウォルド達が辿り着いたサープソンと言う村。その長の奥方であるらしいが、そんな老婆からもてなしを受けるのは、やはり村長宅の広間での事だった。

「いやはや、都会の方から、偉い学者先生がいらっしゃると聞いて、どうしたものかと慌てていたが、こんな子達がくるとは、むしろ歓迎したいところですよ」

 ほっほっほと笑い出しそうな仕草で、白く豊かな髭を生やした村長が言葉を発する。

 ウォルド達はそんな村長から机を挟んで反対側の椅子に座りながら、とりあえず、この村での調査活動の許可を貰おうとしていた。

 事前に国から村へ通達は来ているだろうが、それはそれ、現地での調査や発掘を行う場合は、現地の人間との協力関係が必要なのだ。

 考古学者だって、寝泊りし、食事を必要とする一人間であり、それを供給してくれるのは、国の偉い人間では無く、何時だって現地の人間だ。

「見ての通りのお子様で、むしろ驚きでしょう? 私とて、自分の未熟さを常々考えているところですよ! ですが安心してください。仕事に手を抜く事はありません。何か我々の調査について困りごとがあれば、何時でも仰っていただければ幸いですな!」

「これはこれは、また変わった少年だねぇ。いやいや、そんな畏まらずに。幾らでも調べてくれて構わないんですよ? 先日の地震で、あれが丘の下から出て来て、どうしたものかと困っていたのはこちら側ですから」

 そう言って、村長は広間から外が見られる窓の方を向いた。

 釣られてウォルドがそちらを見る。窓の向こうには、先ほど、ウォルド達がやってきた小高い丘と、その丘に埋もれる様に存在する、金属の塊が見えていた。

「ふーむ。あれを見て、どう思うね、シレリア君」

「どーもこーも……鉄巨人ですよね?」

「ああ、その通り。最近はこんな村でも、鉄巨人が発掘されるらしい」

 その事実に、ウォルドは若干顔を歪めた。

 ほんの少しだけ、不機嫌になったのである。




 聖王国内でその遺物が発見される様になったのは、もう随分と昔の事である。

 今では鉄巨人と呼ばれるその遺物。

 どれほど前からそれが認知されていたかと言うと、ウォルドの、その祖父が生まれる前から、既にその巨人の存在は知られていたくらいには前の事であった。

 それだけの期間、巨人は人に知られ、そうして研究されてきた。地面のどこからか掘り起こされ、誰だって気になるその鉄の巨人。

「大きさは、個体差はあれど、だいたい成人男性をそのまま十倍程に拡大した大きさ。色についてもそれぞれだが、金属質の身体である事は変わらない。これは土……いや、ベージュ色かな?」

 ウォルドはサープソン村から出土したその鉄巨人を、すぐ傍から見上げていた。

 怖がりはしない。この鉄巨人は急に動き出したりしないからだ。その事をウォルドは良く知っている。

 ただし、地面から出て来た、単なる金属の像というわけでも無いのがこの鉄巨人だ。

「あのぉ、ちょっと良いですかー?」

「ふむ。体格的にも、鉄巨人の平均的なそれと言ったところか? 足回りは地面に埋もれてるからまだ分からないが、特徴的なところが無いのが特徴と言えるかも……おや、頭部には額と側頭部にそれぞれ一本ずつ。合計三本の真っ直ぐな角が……暫定的にトライホーンと呼ぶ事にしよう」

「あのぉ! ですから! 聞こえてますかぁ!?」

「む、さっきからちゃんと聞こえているよ? シレリア君」

 隣で話し掛けてきているのだから、聞こえないはずも無い。まだまだ若いこの身だ。耳が遠くなるほど耄碌してはいなかった。

「だったら、ちゃんと返事してくださいません!? あのですね、これ、鉄巨人だって言うのなら、すぐに国へ報告するべきじゃあないですか? 確か報告義務がありますよね?」

「それは愚問だね、シレリア君。国だって、ここで出て来たのが鉄巨人であろうと既に予想しているだろうさ。そうして、それ以上の情報が欲しいから、専門家である私を派遣したと見るべきだ」

「考古学者のあなたをですかぁ?」

 何故か信用できないと言った目をシレリアから向けられる。

 国から仕事を任されるくらいには、れっきとした考古学者であると言うのにだ。そうして、鉄巨人を考古学者が調べて何が悪いと言うのか。

「この鉄巨人の事を、君はどれほど知っているのかな? 相当に古い地層から発掘される事が多いこの巨人。つまりは遥か昔の遺物さ。正に考古学者が発掘し、調査するに相応しい物だと思うがね?」

「けど、主に管理しているのは軍隊だって聞いてますけど」

「……最近はそうらしいね」

 実を言えば、ウォルドは鉄巨人に対して複雑な思いを抱いていた。それは、シレリアが言った事と関係がある。

「発掘された鉄巨人は、貴重な戦力。でしたよね? 確かこれ、人が乗って動かせるんでしょう? 戦場じゃあ大活躍してるらしいじゃないですか」

 歯痒さの原因はそれであった。貴重な遺物を、聖王国は戦争に使っているのだ。こんな、金属の巨人を、戦力などと考える異常な状態。それが聖王国の現状だった。

「間違っている。大間違いだよシレリア君! 考古を志す者として、それだけは言わせて貰おう。遺物を使って戦うなどと言う考えは、それそのものが間違っているのだ」

「けど、この国は戦争をしていますよ。隣国の技王国と。それは事実で、学者としては認めなくちゃいけない現実だと思いますが」

 だからこそ歯痒さも増す。ウォルドなどは一族代々考古学者をしている家の出であるから、この鉄巨人の価値について、正当に評価していた。

 これは歴史を変える。人々の在り方を変えられるものだ。

 学問の根本的な問題であるところの、我々は何故存在するのかと言う問い。その問いの答えの欠片を見せてくれそうな、そういう存在が鉄巨人であると評価出来ている。

 だと言うのに、今はこれが、戦うための手段として見られている。それが悲しい。

「国が私の様な人間を調査に向かわせたのは、ただ戦うためだけの存在として鉄巨人を調査して欲しいから……では無いと思いたいものだ」

「単に人手が無いから、必要以上に若いけど、資格だけはある人間も使っただけって気もしますけどねぇ」

 いちいちに現実を突きつけて来ようとする女である。現在、シレリアには悪い印象はもっていないが、今後はどうか分からないと頭の中で評価し直しておきたい。

「ふんっ。どうせ、調査期限はまだ先なのだ。その間はじっくり、現物について調べさせて貰うさ」

 それまでに、何がしか、戦うための存在という評価を覆せるものが見つかって欲しいと、ウォルドは考える事にした。




 サープソン村へとウォルドがやって来てから三日は過ぎただろうか。

 調査の進捗はどうかと尋ねられれば、順調とも言えるし、あまり良いとも言えなかった。

(最低限……恐らく、私に仕事を頼んだ人間に対する見返りとしては、上々なのだろう)

 今日は地面に半身を埋めたままの、鉄巨人の胸部を足場にしながら、ウォルドは考える。

 先日のシレリアの言葉を肯定するわけでは無いが、何をウォルドは期待されているのか。それについては嫌な予想が出来ていた。

(地面をさらに掘ってみなければ断定は出来ないが、大凡、この種の巨人の在り方としては、風化しておらず、腐食も見当たらない頑強さが見て取れる。恐らく……これは動くだろうし、今すぐにでも、戦闘だって出来るだろう)

 つまり、国はそういう事を調べて欲しいのだと思われる。だが、そんな事は数日、鉄巨人を調べていれば分かる事。

 ひたすらな頑丈さを持つ鉄巨人の肉体は、だからこそ兵器として扱われる事になった。極論、頑丈である事が分かればそれで良いとすら思われているはずだ。

 この巨人が本物か偽物か。それさえ分かれば良いと言う事。

「鉄巨人って、偶に聖都でも見ます。戦場からの凱旋……ですよね? そういうので、ズラっと並んで」

 相変わらず付き添いこそすれ、仕事は手伝ってくれそうにないシレリアが、鉄巨人の下側から尋ねて来た。

 彼女、見た目は、その黒く長く綺麗な髪もあって、綺麗な女性だと思うのだが、何時もジト目でこちらを睨んで来るせいか、変な顔をした人と言う印象が先立ってしまう。

「あー……凱旋の際に立ち並ぶ巨人の数が減ったり、別の種類に変わったりする事を、君達はもっと残念に思うべきだ」

「戦場で戦って、倒れたり傷ついたりしてるんだろうなとは、私だって思いますけども」

「その通りだ! 貴重な遺物が、雑に潰されている事に私は我慢ならないのだよ!」

 現在、聖王国は隣国の技王国との戦争中だ。多くの鉄巨人が発掘され、すぐに戦力として戦場へと向かい、鉄巨人同士の戦いにより、鉄巨人そのものが打ち捨てられていく。

 その事がウォルドは歯痒い。こんな、ひたすらに頑丈で、大きな人型で、いったい誰が作ったのかも分からないのに、人が動かせるこの巨人。

 何故、戦うための物として見てしまうのか。この存在はいったい何なのか、じっくり、時間を掛けて調べてみようとは思わないのか。

 それを世界に向けて叫びたい衝動にウォルドは駆られる。

 他国との戦争なんて、そんな好奇心の中では些末事ではないのかと問い掛けたくなってしまう。

「良いかね、シレリア君! 君も白神教の教徒だと言うのなら、この巨人がその神話の中にも登場する……ちょっと待て。何で君だけ、まったりお茶をしているのかね?」

「あ、お先いただいてまーす。さっき、村長の奥さんがこれどーぞって置いて行ったんですよ? ウォルド君は鉄巨人を調べるのに夢中で気付いて無かったみたいですけど」

 陶器のカップに入った茶を啜り、皿に乗った緑色した何かを食べているシレリア。やはり仕事に対するやる気は見て取れない。

「……私の目が確かであれば、その皿。君が食べている物が乗っていたのであろうが、今は何も無いね?」

「これ、草餅って言うらしいですよ? 中々に食べ応えがあります。村の名産なのでしょうか。ついつい、二つ目にまで手を伸ばしてしまいました」

「それは私のだよ、きっと!」

 鉄巨人の上から叫ぶものの、ウォルドの分の草餅は、刻一刻とシレリアの口の中へと入って行く。

 今さらな評価であるが、なんて女だろうかと思う。きっと、性根の幾らかが腐っているのだと思われる。

「お茶なら、まだ余ってますけれど」

「まだ余ってるとは何だまだ余っているとは。時間が経てばそれも飲み干すつもりか」

「いやぁ、このお餅、食べてると喉が渇いて……あれ?」

 シレリアが手に持ったカップを見始めた。やはり、ウォルドの分のお茶を狙っているのかと訝しむものの、どうにも様子が違う。

 彼女なカップの中身であるお茶に目を向けている様だった。

「どうかしたのかね。茶柱でも立っていたか?」

「いえ……お茶に波紋が。あ、また。地震?」

 シレリアはお茶が揺れている事を気にしているらしい。言われてみれば、ウォルドも何か、地面が揺れている様な感覚があった。

「この鉄巨人が出て来るくらいですし、地盤が緩いのですかね? この村の周辺は」

「……かもしれないが、今回はどうにも違うらしいぞ、シレリア君。君も、こっちに来ると良い」

 ウォルドはシレリアに、鉄巨人の胸部へと来る様に促す。少しばかり、気になる物を見たのだ。

「ええー、ちょっと、そこまで上がるのは大変そうなのですが」

「良いから早く来たまえ!」

 じれったくなり、遂に怒鳴ってしまう。それくらい、ウォルドは焦ってもいた。

「な、なんですか? 本当に何が……よいしょっと」

 既に掛けておいた縄梯子を使って、ウォルドが立つ場所までやってくるシレリア。その間も、ウォルドはある一点を見つめていた。

 鉄巨人の胸部から見える、かなり遠くの景色をだ。

「あれ、どう思うかね?」

「あれとは……あれ……あれ? その……あれが動く度に、地面が揺れている気がします……ね?」

「揺れはもっと大きくなるぞ。あれは、あれは鉄巨人だ。こっちに近づいてきている。明らかにこっちを狙って」

 景色の向こう側に見える影。それは実際にこちらへと近づいて来ていた。

 輪郭を見れば人型であったが、明らかに人間の大きさでは無いそれ。間違う事なき鉄巨人がこちらへと迫っているのである。

 鉄巨人のその一歩一歩が、地面を揺らしていたのだ。

「えっと、あの鉄巨人が、聖王国所属のそれであるなら、私達が焦る必要はありませんよね?」

「方角を確認してみたかね? あちら側をさらに奥へと向かえば、丁度国境がある。戦線より帰還してきた鉄巨人ならば良いが……技王国所属の鉄巨人であれば、侵略の可能性もあるぞ」

 聖王国は未だ戦争を続ける国家だ。その戦争に使われている存在が、こちらに接近してきている。その事だけでも警戒するべきだった。

「今すぐ逃げないとじゃないですか!」

「同感だ。少なくとも姿を隠し、様子を見て……なんと」

 すぐにでも場所を移動しようと、自らが乗る鉄巨人の下を見るや、その周囲に人間が集まっていた。

 全員で十人は超えるだろう。突如現れた……わけではあるまい。そもそも彼らはどこぞに隠れ潜む必要も無い人間だ。

 というか、サープソンの村人だった。

「ほっほっほ。これはこれは、申し訳ありませんのう」

 まるでウォルド達が逃げるのを邪魔するかの様に鉄巨人を囲む村人達の中から、一人の老人が一歩前に出て来る。

 それは、先日に挨拶をし、今日に至るまで何度も顔を合わせた、村長その人である。

「今、この村に鉄巨人が近づいて来ている。その事態に対して、あなた方はすぐに避難するべきだと思うが?」

 この状況がどういう意味が。大凡の見当が付きながらも、あえてウォルドは尋ねる。

 もしかしたら、悪い予感はウォルドの単なる勘違いである可能性が、万が一にでもあるからだ。

「いやなに、この村、国境が近いのは知っておられるでしょう? となると、余計な紛争を呼び込む鉄巨人なんぞ、早々に無くなって欲しいなと思っていましてのう」

「万に一つが消えてしまった」

 つまり、村長はウォルド達を売ったのだ。正確には、村に埋もれた鉄巨人の情報を、敵国である技王国へと流したのだろう。

 そうして、技王国側は鉄巨人を回収した見返りとして、村は絶対に襲わないとの契約を結ぶ。そんなところか。

「ちょ、ちょっとちょっとちょーっと! 待っていただけません!? その様な事をすれば、聖王国側が黙っていませんよ!」

 慌てた様子のシレリアであるが、その言葉はきっと、悪い物を呼び込むと思うのだ。ほら見ろ、村長が楽しそうにまた口を開く。

「いやぁ、そこが迷いどころでしての? わしらとしては、技王国に襲われさえしなければ、聖王国に対して忠誠を誓うつもりもありまして……ですので、お二人とも、口封じがてら、その鉄巨人と一緒に売られて貰えませんかの?」

「く、クソ爺!」

 口が悪いシレリアに対して、ウォルドの方は黙り込む。村長の面の皮の厚さに呆れたわけでは無い。

 この後、どうするべきかを考えていたのだ。そうして、答えは出た。

「シレリア君。手荷物は持ってきているかね?」

「は? 状況を考えてくださいよ。そんなもの、持ってきているわけないでしょう?」

「そうか。なら、残念だったね。それは置いて行く事になりそうだ」

「え?」

 返答は待たず、ウォルドは自分の足場を足で叩いた。その足場とは、地面に埋もれた鉄巨人ことトライホーンの胸部。

 この場所に立っていた事が幸いだった。そうで無ければ、村人に囲まれた段階で打つ手は無いところだったろう。

 だが、今、この場所でなら、足場を無くせる。

「きゃあ!」

 シレリアの悲鳴が聞こえた。足場が突如として無くなり、自分が落下していると知ったらそうもなるだろう。

 だが、その悲鳴が終わるより前には、既に落下は止まっていた。

 足場が無くなり、すぐその下の足場に尻餅を突いた程度の事であった。

「ふむ。しっかりと動くみたいだな。実に結構」

 足場の下にあった新たな足場。それは、トライホーンのやや膨れた胸部の中であった。

 そこはウォルドとシレリア、二人が入り込んで、やや狭い程度の広さの空間になっており、丁度良い事に、空間の一部の壁は、人間が座れる様な構造にもなっていた。

 ウォルドはすぐさまそこに座り、前方を見る。そこは丁度、ウォルド達が落ちて来た場所であったが、そこに開いているはずの穴が、今は無くなっている。

「は? え? いや……こ、これって!」

「そうだ! この鉄巨人を動かすぞ、シレリア君! 舌を噛まない様に気を付けたまえ! それと、どこかにも掴まる事をお勧めするよ!」

 返答を待たず、ウォルドは手元付近にある柄を握る。

 それは鉄巨人の操縦桿と呼べる物だ。右手と左手。どちらの収まりにも良いところに配置されており、それを握り込めば、操縦桿の先にある物を動かせる。

 そうして、操縦桿の先にある物と言えば鉄巨人。トライホーンそのものの事でもあった。




 シレリアが見るその光景は、混乱以外を彼女に与えてはくれなかった。

 急に村人が敵に回り、鉄巨人が襲来するこの状況で、自らもウォルドと一緒に鉄巨人へと乗り込むというこの事態。混乱するなと言うなら、他に何をすれば良いのか。

「な、な、な……何がどう!? というか、ウォルド君、鉄巨人を動かせ……前、前が!」

 今、この瞬間ですら状況が動き始める。鉄巨人は人間が乗り込め、さらに動かせる存在だとは知っていたが、中に入ったのは初めてだった。

 今、鉄巨人を動かそうとしているのはウォルドだろう。トライホーンと仮に名付けたその鉄巨人の胸部は、出入口が閉ざされているが、薄い明かりがどこからか灯って、中の空間に何があるかが分かる。

 もっとも特徴的なのは、出入口のあった部分。壁に塞がれたはずなのに、そこには外の空間が見えていた。閉ざされた空間だと言うのに、外の状況が良く見えるのだ。それも、鉄巨人の顔に当たるであろう視点で。

「だから喋っていると、舌を噛む!」

 ウォルドはシレリアの言葉への返答では無く、言動への注意をしてきた。実際、その通りに注意を素直に受け入れるべきだったろう。

 トライホーンが動き出す。目の前に映る視点は、空を見上げているそれから高く前を向く様に。

 トライホーンが起き上がろうとしているのだ。故に、今の空間においても、その衝撃が伝わって来た。

 三半規管が揺れる。上下の感覚がおかしくなり、常に伝わって来る振動が、シレリアに舌を噛ませた。

「ひ、ひたひ……」

 口を押えて泣きそうになるシレリア。だが、そんな振動もまだマシな部類なのだ。だってこれから、隣のウォルドはさらにトライホーンを激しく動かすつもりだろうから。

「こ、これから逃げるんですか? このトライホーンで」

「それが一番の目的だが。少し判断が遅かった」

 立ち上がるトライホーン。それは目の前に映る視点からも明らかで、その重量、質量は人間の何倍、何十倍、いや、何百倍にだって辿り着くかもしれない。

 その威容が、人間と同じく二本の足で立っており、しっかりと大地を踏みしめていた。

 視点が下を向く。足元にいるであろう村人たちをウォルドは確認しようとしているのだ。結果、村人達は立ち上がったトライホーンから逃げ出している。

 それは良い。踏みつぶした人間なんていないから、気分だって悪くはならない。それは大丈夫だ。

 問題があるとすれば、トライホーンの目の前にこそある。

「あ、あれ……明らかに……戦おうとしてます……よね?」

「このトライホーンを狙ってやってきたのだ。それが急に動き出せば、警戒もするだろうさ」

 トライホーンの前には、こちらへと近づいて来ていた敵国の鉄巨人が立っていた。

 距離は既にかなり近く、鉄巨人にて大股二、三歩で襲い掛かれる距離。

 トライホーンとは違う、紅色の金属鎧を肉体とした、同じく赤き剣を持つその鉄巨人。

 少しだけ、輪郭が女性的にも見えるそれは、手に持つ長大な剣を振り被り、こちらへと迫る。

「いきなりか!」

 ウォルドの叫びと共に、トライホーンもまた動き始めた。一気に接近してくる紅の鉄巨人のその剣を、武器を持たぬトライホーンが腕で受ける。

「ぐぅっ……!」

「きゃあ!」

 トライホーン全体が激しく揺れる。中に入っているシレリアもウォルドも同様に、その振動に悲鳴を上げた。

 実際、まともにその衝撃が加われば、二人とも一溜りも無いのだろうが、幾らかトライホーンの身体が緩和してくれているらしい。

 だが、それにしたって酷い振動だった。やはり舌を噛みそうになってしまう。

「シレリア君には悪いが、まだ酷くなるぞ!」

「そ、そんなっ」

 返答なんて待ってくれず、ウォルドはトライホーンを動かし始める。攻撃を受けているだけでは駄目だと判断したらしい。

 剣を受けたトライホーンの腕を身体ごと引き、紅の鉄巨人から引き離す。その動きは機敏であったし、その衝撃も鋭い。

 何度もこんな事を繰り返していれば、トライホーンより先に、シレリア達が駄目になる。

(けど……それはそれとして、ウォルド君がトライホーンを動かすやり方は……)

 洗練されていた。そんな風に思える。

 トライホーンが下がる。紅の巨人が追う。その動きより先に横へと回り込み、また敵の鉄巨人から距離を取る。

 それを繰り返し、先ほどの最接近された状態から、状況を持ち直す事には成功していた。

(思うに……あの敵の鉄巨人より、動きが良い?)

 素人目でしか無いが、先ほど乗ったばかりの鉄巨人を、こうも動かせるウォルドは、やはり敵よりもその経験か才能が優れているのではないか。そう思えた。

「このトライホーンが凄い鉄巨人なのかもしれないけど……」

「いや、やはり寝起きだけあって、動きが鈍いな! もう少し慣れが必要だ」

 ウォルドの方が、今の状況をそう判断しているらしい。そうであれば、やはりウォルドの鉄巨人を動かす技能は優れているのだ。

「ウォルド君はっ……鉄巨人を動かした経験がっきゃぁ!」

「だから少し、慣れるまではじっとしていたまえ!」

 どれほどウォルドの技能が優れていても、敵の攻撃を避け続けるトライホーンの動きに、シレリアは長く耐えられそうになかった。

 ウォルドの方はそうでも無い事を見るに、やはり彼には何かあるのだろうが。

「どうにも長く戦う事はできそうに無いな。そもそも戦いたくも無いが……やるしかあるまい!」

 どうやらシレリアの様子を察して、ウォルドは逃げる事を止めたらしい。

 彼はすぐさま、トライホーンを敵の鉄巨人に接近させた。そこで何をするかと思いきや、相手の鉄巨人の両腕を掴み上げ、言葉を発し始める。

「そこの鉄巨人! 私の声が聞こえるか!」

 鉄巨人は距離が近くあれば、その中にいる人間同士で話が出来る。そんな事を聞いた憶えがある。

 事実、向こうからの声もシレリア達には聞こえきた。

『おーほっほっほ! 手足を切り落とされて、ダルマになる準備でも出来ましてぇ!?』

 その物騒で、甲高く、声高くもあるその声は、どうにも女の子の声にも聞こえた。




 説得は不可能である。その声を聴いたウォルドはそう判断した。

『ただ鉄巨人を受け取るだけのお仕事でしたけれど、動かせる人間がいるじゃあありませんの!』

「噂に違わぬ戦闘狂っぷりだ!」

 会話をするために近づいたのは失敗だったかもしれない。その声と、相手の鉄巨人を観察する中で、ウォルドはそう結論付けた。

『あらあら? わたくしの事、ご存知でしたかしら?』

「多くの鉄巨人を潰す厄介な人間としてなっ!」

 ウォルドは今、目の前にいる鉄巨人と、それに乗る人間を知っていた。

 技王国鉄巨人騎士団が一人、ラミニ・ネイト。鉄巨人はその紅き装甲から紅の三番と呼ばれている。

(ああ、それと一番の特徴は、そのラミニという女性が十代前半の女子であるというのもあったか!)

 故に無邪気さと残酷さを持った相手でもある。

『ところで、何時までもレディの腕を掴むものではありませんわ!』

 紅き鉄巨人。紅の三番は、その全身を使って、トライホーンの手を振り払う。それはトライホーンごと振り回す行為であり、紅の三番が持つ力は相当なものだと分かる。

「ひぇええええ!」

 叫べば舌を噛むと言っているのに、またしてもシレリアの悲鳴が聞こえて来た。

 横目で確認すれば、必死に壁に縋っているシレリアの姿。それでもトライホーンの振動で、あちこちを打っている様子。

(やはり、長く戦えばもたんだろうな)

 なんとか短時間の内に、事態を解決しなければならない。しかし相手は名の知れた鉄巨人乗りだ。そう簡単にトライホーンを逃がしてくれるとは思えない。

(ならば……!)

 ウォルドは振り払われたトライホーンを立て直し、再び紅の三番と向かい合う。だが、じっと目線を合わせている程に猶予は無い。

 紅の三番はまたしても、その手に持った剣をトライホーンへぶつけて来ようとするし、接近する紅の三番に対して、トライホーンはその動きを牽制しなければならない……。

「と、それはさっきまでの事だ!」

 既にウォルドはその行動指針を変えていた。相手の攻撃を避けるのでは無く、正面から叩く事にしたのだ。

(許せよ! そちらの鉄巨人!)

 貴重な遺物を傷つける覚悟をその胸に秘め、ウォルドはトライホーンの動きを確認する。

 数日であるが、その身体をずっと確認してきた。その結果とウォルド自身の知識を総動員し、トライホーンがどこまでの事を出来るのかを判断した。

 その間、紅の三番が同じ色をした剣を振り下ろすまで。ウォルド自身の頭の回転は速い方だった。

 そして頭を回した結果、相手の剣を受ける事が出来るとの結論を出す。

『なっ……』

 またしても接近したからか、紅の三番を操るラミニの声が聞こえてきた。

 だが、相手の剣が届くまでは接近していない。そうなる前に、相手の剣を、トライホーンの腕部から伸びる、光るナニカが受け止めていた。

「ぶ、武器があったんですか!?」

「最初からあったさ。鉄巨人にはな!」

 シレリアの驚愕へは雑に答えつつ、トライホーンの腕部ごと、そこからまっすぐ伸びる光を、相手の剣を振り払う様に動かす。

 光はやや紫がかった色で、腕から伸びるそれは、まるで光のレイピアに見える事だろう。

 その光のレイピアは、実際に質量を持っており、相手の攻撃を受け、また、相手に攻撃を加える事だって出来るのだ。

「てっ、てっ……鉄巨人が、そもそも持っている機能だと?」

「そうだ。そうして、相手の鉄巨人乗りは、熟練しているというのにそれを知らない!」

 ウォルドはその事実に憤慨し、トライホーンに一歩踏み込ませる。相手がこちらの攻撃に押されたのだ。さらに追撃を加えるが正解だろう。

 だが、敵は鉄巨人に対する知識が薄い癖に、その動かし方は上等な物であった。

 ラミニの、どう聞いても歓喜が混じった声が聞こえて来る。

『そういうの、初めて見ましたわ! へぇ、そういう事も出来ますのねぇ!』

 何が嬉しいか知らない。だが、向こうは喜び、すぐさま体勢を立て直していた。

 光のレイピアを突き出そうとしていたトライホーンに対して、レイピアに合わせる形で、自らの剣を盾にしている。

 鍔ぜり合う様に光のレイピアと紅の剣が火花を散らす。

 光のレイピアは剣と接した部分から紫電を発し、見るだけでジリジリと言う音が聞こえて来そうだった。

(くっ、だが、これでも威力が足らんかっ)

 両者、自らの武装に寄り押し合っている様な形だが、質量と言う意味なら、なお紅の三番に分があった。

 やや細身の鉄巨人に対して、分厚く長いその剣は、レイピアを突こうとするトライホーンを、腕ごと押し返して行く。

『あら? あらあらあら! どうしましたかしら? その奥の手は、わたくしを倒せると思って繰り出して来たものでしょう? だというのにどういう有様かしら!』

 まるで楽しみ、いたぶる様に、ラミニはウォルド達を追い詰めて行く。

 紅の剣は光のレイピアを徐々に押し返し、それはトライホーンの胴体に届いた時点で、勝負はウォルド達の敗北に終わるだろう。

 だから、その前に決着を付けさせて貰う。

「無論、これらは勝利への布石さ!」

『はぁ!?』

 それは疑問と、困惑と、驚きが混じった声であった。

 これまで競り合っていた光のレイピアが、ぐにゃりと曲がったのだから、そういう驚きも出るだろう。

「ええ!?」

 こっちだって、シレリアの方が驚いている。動揺していないのはウォルドのみだ。

 ウォルドの方は、そうなる事も知っていたので、次の一手をさらに進められる。

「これは質量を持った光だ!」

 光のレイピアが曲がり、蛇の様にうねり、相手の剣へと巻き付く。後はそれを振り、紅の三番から剣を奪い、引き離すのみ。

「形なんぞ、幾らでも変えられるのだよ!」

 それは正に光の鞭だ。時には鋭いレイピアに、時には柔軟な鞭にと用途を変えるその光の武装を、鉄巨人はその身体に持っている。

 相手は熟達した乗り手であると言うのに、そんな機能も知らないのである。

『ぐっ、しかし、その力……憶えましたわよ!』

「もっと早くに学びたまえ!」

 そんな機会幾らでもあっただろうに。戦う事しか頭に無いから、自分が乗っているものが何なのかも知らないのだ。

 そんな相手に、ウォルドは負けるつもりが無かった。

 剣を光の鞭より奪い弾いたその後は、次に光の鞭を紅の三番の脚部へと巻き付け、そのまま転ばせる。

 武器に寄る間合いは、一方的な攻撃を可能にしていた。だから、ウォルドの戦いはそこで終わりだ。

「シレリア君!」

「は、はい!? 何でしょう!」

「全力で逃げる! もう少しの辛抱だ!」

『な……あっ!?』

 あちらはトライホーンを捕らえる必要があるのだろうが、ウォルドはただ、この状況から逃げれば良いのである。

 一緒に逃げるシレリアが共にいる以上、心残りは村に置いてある私物くらいしか無いが、そこは諦めよう。

 トライホーンを、転がっている紅の三番に背を向けさせ、そのまま全力で走らせる。

 紅の三番は、これから起き上がろうとするだろう。さらにトライホーンを追って来ようともするだろう。

 だが、既にトライホーンは全力の疾走を始めている。追い付く事は難しい。相手とこちらの鉄巨人同士、そこまで移動速度に差があるとは思えないからだ。

「ガタガタガタガタ、揺れていますがぁ!?」

「それは暫く我慢してくれたまえ」

 とりあえず、紅の三番から完全に逃れるまではトライホーンを走らせなければならない。

 トライホーンは鉄の巨人。餌も車輪の摩耗も気にする必要は無いため、ウォルド達の体力が無くなるまでは走り続ける事が出来た。

 トライホーンの一歩一歩が大地に力強く足跡を残し、その巨体を支える強靭な脚部が一歩一歩で大きく前へ進ませる。

 その大きさもあって、人間の速度などよりもまた大きく上回る鉄巨人。それはただひたすらに、重量のある足音と金属が擦れる音を混じらせ大地を駆けて行く。

「聖都に戻る前までには、この逃避を終わらせたいところだな」

「そ、その前に、私達がバテちゃいますって……」

 実際、シレリアの方は限界が近そうだった。後方を確認してみるや、紅の三番は追って来ていない。

 もう少し走らせれば、そこで一度休憩をしておくべきだろうと判断する。

 とりあえず、目まぐるしく変わった状況に対して、頭の中を整理するべきでもあるだろうから。




 地べたに置かれた焚き木が、チリチリと火花を立てている。

 時間は夜。満天の星空を見上げられる程に晴れ上がった天気であるが、シレリアはそんな天気に反して、どんよりと曇った気分になっていた。

「はぁ……置いて来た荷物に、いろいろと日用品とか食糧とか、おやつにするつもりだった干し豆とか入っていたんですけどねぇ」

「それは仕方ない。我々はこのトライホーンの調査中に襲われたのだからね。その様なもの、都合よく持っては来なかった。というか君、そんなものおやつにしてるのかね?」

 焚き木を挟んで反対側に座るウォルドを見て、やはり気分が曇ってしまう。

 お互い地べたに直接座り、あるものと言えば目の前の焚き木と、近くに立つトライホーンと言う名の鉄巨人。

 それだけだ。お腹も空いているが、食べるものなんて無い。干し豆だって無い。喉もやや渇いていたが、生水を飲むわけにも行くまい。

「ま、トライホーンに乗れば、明日にでも聖都へと辿り着けるだろう。飢えも渇きも、明日までの辛抱だ」

「そっちもそっちで、心配の種なのですが。聖都に、こんなもの持ち込んでも大丈夫なのでしょうか?」

 こんなものであるトライホーンを見上げる。

 危機を助けてくれた存在ではあるが、世の中においては、これは危険物の範疇に入る。そもそも、聖王国が戦争を続けている理由そのものでもあるのだし。

「別に、悪用しているわけではあるまい。むしろ、発掘したものを守り抜いて帰還したとなれば、文句も少ないだろうさ」

「そうですか? 確かにそうですけれど……」

 けど、やはり物騒な物である事は変わり無かった。

 聖王国と技王国。最初に何が発端となり、どちらが悪でどちらが正義かなどはシレリアも知らないが、今、続いている戦争は、本当に鉄巨人が原因となって続いている。そんな厄介な存在が鉄巨人だった。

「思うに、これが関わって戦争が続いているって、馬鹿みたいな話ですよね。ウォルド君の苛立ち。ちょっとは分かるかな?」

「戦争用の道具として鉄巨人を求め、鉄巨人を使って戦争を続ける。どっちが先に始まったのかは分からないが、身も蓋も無く馬鹿らしい状況だと思う事には同意だ」

 鉄巨人には価値がある。戦力になるという価値であり、それは戦うだけの理由にもなる価値だった。

 けれど、今はその価値とやらが襲われる理由にもなっているのだから、さっさと離れたいとシレリアは強く思う。

「あー、なんか気が付きました。ウォルド君にもそういう危うさみたいなの感じるから、私、苦手なんですね」

「何で急に、他人様についてを評価し始めたのかね? しかも悪い方の」

「いえ、私がこうやってひもじい思いをしているのは、少なくともウォルド君の付添人になってしまったからじゃないですか。何で神学校で首席なんて取ったんです? 何でその年齢で付き添いが必要な人間になったのやら」

「本気で失礼な奴だな、君は!?」

 少しばかり心の中に溜まっているものを幾らか吐き出せたので、気分は落ち着いて来た。落ち着いて来たついでに、気になる事でも聞いて置く事にする。

「神学校と言えば、鉄巨人の動かし方とか、そういうのも学んだりしたんですか? 随分と慣れた様子で動かしていましたけど」

「軍隊でもあるまいし、そんな物騒な事は無いよ。私がこれの動かし方や幾らかの仕組みを知ったのは、実家の関係だ」

「はぁ、確か先祖代々考古学を専攻なさってるとか」

 貴族みたいな一族だと思うし、それで食べて行けるとなると、シレリアから見れば殿上人みたいな印象を持ってしまう。浮世離れした人間の一人と言う意味で。

「昔っから、古い物が好きな家系でね。だからあれも……よくよく調べた」

 あれことトライホーン。それは鉄巨人全般を指しているのだろう。

 となれば、学校の勉学関係無く、生まれたその瞬間から関わり続けているという事なのかもしれない。

 なるほど、生半可な知識や技術では無いはずだ。

「正直、かなり変な血統ですね。あ、ウォルド君は絶対その血を引いてますよ、保障します!」

「ぜーんぜん褒めるつもりとか無いね、君? まったく、今後についてを考えているが、君に関しては放って置こうか」

「あ、待ってくださいよ。建設的な話とかなら、全然話に乗りますから。ご心配無く」

 今後の身の振り方なら、どんな話だって乗るつもりだ。だってシレリアの人生に大きく関わって来るのだから。

「即物的な付添人を持てて嬉しい限りだ。と言っても、やる事は決まっている。このトライホーンを国に引き渡す。それだけで問題はあるまい。国にとって大事はその部分で、その後は……我々は日常に戻り、トライホーンは国所有の戦力として戦場に送られ、戦い、傷つき、そうして……」

「やっぱり、骨董品に対しては凄い愛みたいなの持ってるみたいですねぇ」

 気落ちし始めたウォルドを眺めながら、常人とはかけ離れてそうな感性を確認する。もう何度目かの確認だ。今さら戸惑ったりはしない。ただ愚痴を言うだけ。

「別に、それだけが理由じゃあないさ。さっきの話に戻るが、何時までこの国は、馬鹿な事を続けるのかと……傷つく鉄巨人を見る度に思わせられる」

「そんな悩みも、一般人からしたら、ちょっとズレた悩みじゃないですか。戦争と言っても、鉄巨人同士の戦い。確か一般人を狙うのは禁止されてるはずです」

 聖王国と隣国の技王国は長く戦争を続けている。だと言うのに、こうやってのんびりしているのは、結局のところ、多くの人間にとって無関係であるからだ。

 実を言うと、戦闘と言っても、お互いに求めているのが鉄巨人という存在であるから、戦いとはそこに限られているのである。

「国と国との約束。お互いに滅ぼし合うなんて状況だけは避けようと言う理性から来るものだが、それも何時まで保つものやら。今日みたいな事件に巻き込まれれば、安心もしていられないと思うが」

「じゃあどうするって言うんです? そんな悪い世の中だから、人々は反省するべきだとか、そういうの、あんまり好きじゃないですよ、私」

 地に足が付かない意見とはそう思ってしまうものだ。大きな事を言う人間に限って、何事も成せないという状況が、世の中にはありふれている。

「そうなのだ。そうだから……どうすれば良いのかをずっと、ずっと考えている」

 ウォルドが焚き火の前に座りながら、自らの足を抱える。その仕草だけを見れば、シレリアは彼がどうにも年齢相応に見えてしまった。




「ウォルド・リース。ほう、その年齢で鉄巨人の調査を? 最近は人手が足らんと聞くが、それにしても優秀らしい」

 ウォルドが部屋に響くその声を聞く。

 決して軽く無く、そして低い声。声だけでも、年齢を重ねた男である事が分かる、そんな声だ。

 部屋の具合もあるのだろう。目の前の男、外見からの年齢は少なくとも六十を超えるであろう老人の立場を考えれば、余りにも狭い部屋だった。

(思うに、本棚が並びすぎだな。せめて窓がある側くらいは空けて置くべきだろう)

 部屋の大きさが、出入口部分以外の壁際に配置された本棚に圧迫されている。

 その本棚に挟まれているのが分厚い本では無く、雑に纏められた資料類である事が、部屋に煩雑な印象をも与えている。

 そんな部屋の真ん中に、デザインと大きさだけは大層な机を配置し、そこに肘を突いている老人。それこそがローマルド・ランドクリフだった。

「リース……リース? ははあ、思い出したぞ。君の縁戚にバイナルフ・リースと言う男はいるかな?」

「祖父です。父方の祖父がその名前で」

「ああそうだ。丁度、そんな年齢だろうとも。仕事も近しく、年齢も近いとあって、度々顔を合わせた事がある。だが、その度に顔を突き合わせて喧嘩をしていたよ。何故だか分かるかね?」

「今、私がこの部屋に居る理由と似た様な事でしょう?」

 ウォルドは聖王国の中心都市である聖都ビックワンズへと、鉄巨人トライホーンと共に帰還していた。帰還して、幾つかの手続きの後に、こんな部屋へと呼び出されていたのだ。

 帰還してから一日も経っていないかもしれない。今にも倒れそうなくらいには疲労しているが、それでも、今、ここで倒れるわけには行かなかった。

 少なくとも、この老人の目の前では。

「私は国軍で鉄巨人に関する研究する人間だ。そうして君らの一族は確か、国の依頼を受けて鉄巨人を調査する事が多い。そうだな?」

「私の一族は常々、研究の方もしていますし、なにも鉄巨人だけに限ったわけではありません」

「お互い、宮仕えをする立場であるのは変わりあるまい? なので……仲が悪い。そりゃあそうだ。仕事が被る。仕事を取り合う。結果、職と生活を賭けて戦う事になる。それは理解しているかな?」

「何か、私が軍よりお叱りを受ける事をしましたか?」

 例えば目の前の老人、ローマルドが聖王国軍の鉄巨人研究班のトップであろうとも、ウォルドは委縮していなかった。部屋の狭さなど知った事か。

 現地に国の命令で派遣され、そこで敵国の鉄巨人の襲撃に遭い、急ぎ、発掘途中だった鉄巨人を持ち帰って来た。そのどれもに、文句を言われる筋合いは無い。

 ただ、そういう態度を示すのは失敗だったらしい。

 相手が祖父の代から、こちらの一族を目の敵にしてきたと言うのであれば、今のウォルドの態度は、感情を逆撫でしかねない。

(と、実際にそうなれば、まだやり易いのだろうが……)

 内心、警戒しながらも、その警戒は意味の無いものである事を知る。

 ローマルドは、ただ一度だけ深い溜め息を吐くだけで、そのまま、その表情や仕草から、感情を隠し切ったからだ。

「若い頃は、そういう態度に私も反省したものだ。だが、今は良い大人。いや、それも通り過ぎたか。何にせよ、知った名前だから呼び出し、事情を直接聞く事になった。君を部屋に呼び出したのはそれが目的だ」

「それで、何か不足があったとでも」

「いいや。若いのに良くやった方だ。姓がリースで無ければそう褒めていた事だろう」

 姓がリースで無ければ、そもそも軍なんかに呼び出されてはいなかったのでは? そんな事を言葉にする程、ウォルドの方も子どもでは無かった。

 世間一般では、ウォルドの年齢はまだまだ子どもかもしれないが。

「それで、確認が出来たからそれで終わりで?」

「ああ、リース家の次代がどんな顔か確認できたのならそれで終わりだ。爺様に良く良く似ている。それを知れると言うのは、私の様な人間にとっては、大切な事でね。どう成長していくか楽しみだ」

 そんな老人の楽しみには付き合いたくない。ウォルドはそう思う。

 技王国の鉄巨人に襲われてから数日。それを国に報告しているのが今なのであろうが、本来ではもうとっくに終わらせて、休息を取っているはずの頃合いなのだ。

「それでは、私の仕事はここで終わらせていただきます。報酬については、当初、私の側に仕事を持って来た役人から? それとも鉄巨人を引き渡す軍から貰えば良いので?」

 良い事なんて碌に無かった仕事だ。最後まで手早く終わらせるに限ると思ったのだが、何故か、そんなウォルドの様子を見て、ローマルドは笑い始めた。

 老人らしく、小さな、肩を震わせる程度の笑いだったが。

「不機嫌さを隠そうともしていないな? ああ、それでこそだ。お前みたいな人間が、丁度必要だと思っていた」

「……何ですって?」

「お前が必要だと言った。まだ経験が浅く、年齢だってそうだが、その性格のしつこさは、その血統で知っている。何か仕事を頼む場合は、そういう部分こそが大切だとは思わんかな?」

 その言葉にウォルドは笑う。嘲笑う方向の表情だ。

「誰が誰に何を頼むと?」

 今、目の前にいる軍人を嫌悪しているのがウォルドと言う人間だった。

「幾らか、合意を得られそうな仕事を頼むつもりなのだがね? 確か、お前達の一族は、鉄巨人を研究する中で、鉄巨人を動かせる技能と知見を得ているはずだな?」

 どれだけこちらの事を知っているか知らない。

 ウォルド側は、このローマルドを、自分達の一族とは因縁のある様な役職の人間だと考えているが、あちらはあちらで、相当にウォルド一族の事を調べ上げているらしい。

 恐らく、ウォルドの祖父と本当に色々あったのだろう。

「で、鉄巨人を使って、私も戦場で戦えと? そんな提案を受け入れるはずも―――

「合意できそうな話だと言った。つまりだ、そっちもそろそろ思っているはずじゃあないか? 鉄巨人を使って、鉄巨人を消費する戦争なんぞ、さっさと止めるべきだと」

「っ……」

 それはまるで、こちらの考えを読んでいたかの様な言葉だった。

 実際に、ローマルドにとっては、ウォルドの様な若者の考えなんて、幾らでも分かるのだろう。

 そうして、それを簡単に跳ね付けられるほど、ウォルドは経験を積んだ大人では無かった。

「軍人で、戦争をしている張本人で、戦争で使われている物を研究している人間が、戦争を止めたいと?」

「勘違いされている事が多いが、別に軍人だから戦争を望むなんて事は無い。どこぞの誰かの脅威さえあれば軍人は職を失わずに済むのであって、何で命を失いかねない戦場に向かわねばならない?」

 随分と問題発言だが、ウォルドがそれを喧伝したとて、どうとでもなると考えているのだろう。

 事実、ウォルドがどの様な行動を取ろうとも、ローマルドはその上を行くと……それだけは予想できる。

 何故なら、ここから何が飛び出してくるか、ウォルドにはさっぱり分からなかったからだ。

「戦争反対の軍人がいる事には驚きですが……で、だから私と気が合いそうだと?」

「いいや、お前とは絶対に、今後もずっと、意気投合する事は無いだろう。だからむしろ信頼できる。実を言うとだ、ここに、戦場監査役の仕事がある」

 周囲に雑に積まれ、並べられた紙束の中から、器用に一枚の紙を取り出すローマルド。

 まるで紙飛行機を飛ばすかの様に、こちらへと投げられたその紙の内容に、ウォルドは顔を顰めた。

 その内容に、思うところがあったからだ。

「一つ、考えてみると良い。適任がなかなかにいなくてな。そういう仕事を、まさか身内に頼むわけにも行かない」

 まるで、ウォルドがそんな唐突な仕事を受ける事が当たり前であるかの様に、尊大な態度のローマルド。

 だが、ウォルドが簡単に拒否できない魅力が、その紙には書かれていた。




「ああ、終わったんですか? じゃあさっさと帰りましょうよ」

「偶に、君みたいな頭が軽くて気安くなれれば、人生の何割かはきっと楽しいのだろうなと思うところがある」

「何言ってるんですか? 私、結構日々の生活に苦労してるんですけど」

 ローマルドの執務室から出たウォルド。彼はさっそく、扉の脇に置かれた椅子に座って待機していたシレリアを見た。

 どこからか持って来たのか、小さな本を暇そうに読んでいたらしく、暇そうな目でこちらへ話し掛けて来る。

「私の方は、生活の方は苦労していないが、それはそれで、日々大変だよ。とりあえず、トライホーンの引き渡しは無事に終わった……と思う」

「ああ、そうなんですね。だったら、今回の付添人の仕事は終わりって事で。どうします? お昼ご飯一緒にします? まだ食べてませんよね?」

「……何があったのか気になって尋ねたりはしないのかね?」

 気にもしない風に椅子から立ち上がり、この場をさっそく立ち去ろうとするシレリア。多少なりとも、愚痴を聞くつもりすら無いらしい。

「だって、碌な事があった風に見えませんよ、今のウォルド君」

 実際にその通りだったから文句も言えない。

 だからこそ、シレリアと共に歩き出す事になるのである。

 ばらばらとどこに行くわけでも無く、現在居るところは軍の施設。適切な道と出入口を通らなければ、罰でも与えられかねないため、進む先は一緒になる。

 こうもなれば、施設を出たところで何となく、進行方向は同じになり、シレリアの言う通り、昼食を一緒にする事となるだろうか。

「聞かれる前に答えて置くが、さっき、戦場に出て監査役をしてみないかと提案されてな」

「別に聞きませんし、答えなくても良いのですが?」

「うむ。それもかなり特殊な監査になっている。まず個人としての権限が広い。戦場での自由行動が許されているし、その行動に寄った情報への報告義務も、定期報告さえしてくれれば、内容はある程度任せると来たものだ」

「あ、とりあえず巻き込もうって考えてますね?」

 そこまで考えてはいない。ただ、少し暇な時間になったし、丁度良く、隣で歩いている人間がいるのだから、話し相手に無理矢理してしまおうと思っただけである。

「危険もある。権限が広い代わりに、どこの集団にも属さない立場でね。例えば味方からだって、邪魔だからと攻撃される可能性もあるわけだ」

「魅力的どころか、はっきり言ってそんな役割、したいとも思いませんが」

「一応、自分の身を守るための戦力を与えられるらしい。鉄巨人一体が丸々だ」

 これは相当な条件だとウォルドは考える。

 今の聖王国は、鉄巨人の一つでも戦力に加えて戦場に送り出したい情勢だ。

 そこから一つ、直接の戦力に関係の無い役目に鉄巨人を回すというのは、かなりの決断であろうし、その役目とやらが、戦場をただ見て回り、どういう状況だったかと報告するという、本当に役立つかすら分からない物なのだ。

 どこかの誰かが、明確な目的で、権力を行使しなければ作り出せない仕事だと言えた。

「物騒な仕事で、ますます、誰もやりたがらない仕事って事ですか」

「そうなる。だからこそ、外来の私なんかに頼んで来たのだろう。幾ら爺様の知り合いだからと言って、孫だからと、今日、初対面の人間に話すものではあるまい」

 もしかしたら、失敗も前提に頼んで来たのではとも思う。どうせ誰かの汚点になるのなら、自分達とは関係の無い、それでいて、失敗したら失敗したで気分が晴れる様な相手に頼もうと、そんな風に考えているのかも。

「何か色々、事情があるっぽいですけど、結局はウォルド君がどうしたいかじゃないですか? 頼まれて、答えるのはあなたでしょって感じで」

「む……そうなるわけだが」

「ちなみに私に意見を求めるとどうなるかは良くご存知でしょう?」

「聞かなくても分かる」

 そんな面倒な事、したくないし付き添いたくも無いと言う答え。考えなくたって頭に浮かぶ。シレリアとはそういう女だ。

「想像している私の返答から、さらに一つ付け加えましょうか? 私は、利益より命を取ります。ウォルド君の付添人として国からお金を貰っている身ですが、戦場に行くくらいなら逃げますよ?」

「ああ、それも……想像の範囲内だよ」

 所詮、シレリアともそれだけの付き合いなのだ。

 問題は、ただウォルドのみが抱えている。




 シレリア・ブラウディアの朝は早い。休日で無ければという注釈が付くが、兎に角早い。

 やるべき事も決まっていた。職場と言える修道院まで足を運び、そこで何時も説教をするのだ。

「始め、この大地に産まれたのはとても強い存在でした。そうして最初から二つ。一つは鱗と羽と尻尾が生えた竜。もう一つはとても固く、強靭で大きな身体を持つ巨人」

 シレリアの言葉が修道院に響く。そもそも声が響く構造なのだから仕方ない。

 シレリアは壇上の様な場所に立ち、前に並ぶ椅子に向かって、白神教の神話についてを語る。

 話し掛けるのが人間相手で無く、椅子である事が重要だ。

 毎朝同じ様なネタを話しているせいか、今では端の方に二、三人。説教後のお菓子目当ての子どもがはしゃぐが寝てたりするだけで、椅子に向かうしかなくなっているのが今のシレリアだった。

(だいたい、毎日する事でも無いと昔っから思うのよね)

 神話、竜と巨人が争い、互いに倒れそうになると言った話のタイミングで、長考に入る。

 毎日毎日話している内容であるため、何時からか考えなくても話せる様になった。代わりに色々、何の価値も無さそうな事を日々考え続けているのだ。

(今日はお昼どうしようかしら。パン系はそろそろ飽きて来たし、けどがっつりお肉って気分でも……最近は色々面倒臭い事が多かったし……)

 胃の痛い日々だったと思う。ウォルドの付添人と言う仕事は総じてそういう物だ。

 一方、最近は彼の方の仕事が無いらしく、安心する日々を送れてはいる。

(けどけど、何だか、前の別れ際は、不穏な未来がありそうな、嫌な予感をさせるものだったし……どうなることやら)

 それを思うと、解放感にも浸れないのである。状況をどうこう出来ない分だけ性質の悪い悩みだった。

(よし、それじゃあ今日は、それを改善する日としましょう)

 説教が終わった後の予定が出来た。

 日々一つ、何かを良くしていく事が幸福に至る道だと考えるシレリアは、とりあえず心の中のしこりを排除する事にしたのだ。




「はーっ……思ってたより大きな家だこと」

 とりあえず、ウォルドの意向を確認しようと、彼の家までやってきたシレリア。

 家の場所は聞いていたが、来たのはこれで初めてである。

 わざわざ自分から足を運ぶ理由も必要も無かったためであるが、一度くらいは確認しておくべきだったとは思った。

 大きな門に高い塀。その奥には広い庭に豪奢な家が見える。どう見たところで、どこぞのお貴族様の屋敷なのである。

(私が付き添いとかしている仕事って、そんなに儲かるの?)

 だったら幾らか、こちらの給金だってアップしないものだろうか。

 そんな事をシレリアは思うものの、恐らくは一家で稼いだ金銭でこの家を維持しているのだから、ウォルドの稼ぎだけでも無いのだろうと心を落ち着けておく。

「おや、お客様ですかな?」

 閉ざされた門の前。その門をただ見上げているだけだからこそ、シレリアは目立ったのだろう。門の脇に立っていた初老の男性が話し掛けて来た。

「え? あ、え……えっと、あ、はい。その、ウォルド・リース君の家で……間違ってませんよね? ここ」

「ええ、リース家のお屋敷ですが。ははぁ、ウォルド坊ちゃんのお知り合いですか」

 どうにも執事然とした男のその言葉に、シレリアはまた驚く。あのウォルドという少年は、血の繋がっていなさそうな人間に、坊ちゃんなどと呼ばれる人種なのだ。今さらながらそれを実感する。

(これから一緒に仕事する時、また胃が痛くなるネタが増えたかしら……)

 もっとも、そんな悩みも、ウォルドが今後どうして行くかに寄る。

 もし、ウォルドが以前言った通り、戦場での監査役をするのであれば、シレリアは付添人を断るつもりなのだから。

「ええっと、私、シレリア・ブラウディアと申します。ウォルド君とは仕事上の関係でして、今回もその……」

「ああ、あのシレリア様。坊ちゃんから良く良く伺っていますよ。ささ、中へどうぞ。坊ちゃんも丁度、誰か家族以外の方とお話ししたい頃合いでしょうし」

「はぁ……はぁ? いえその、会いに来てすぐに会えるものなんですか? っていうか、私の何をどう伺って?」

 尋ねるものの、初老の男は取り合ってくれず、ただシレリアに背中を向けて歩き出した。

 強制はされていないものの、付いて行くか付いて行かないか、すぐさま選べと言われた様な感覚があった。

 そもそもウォルドに会いに来たのだから、付いて行く以外の選択肢も無い。

(思ったより、フレンドリーなご家庭なのかしら)

 使用人が普通にいる家庭でもあるのだろうが、その使用人らしき人物も気安い雰囲気を見せている。

 その使用人がきびきびとした動きでは無く、どこかゆったりと歩いているせいか、最初の印象よりかは、この屋敷に対しての衝撃は和らいでもいた。

 ただ、やはり庭はクソが付く程に広いと言わざるを得ない。

「あの、私、歩けば数分は掛かるお庭って、初めての体験かもしれません」

「丸々一周すると十数分になりますよ。ですが今回は、あちらです」

 男に示された先には、噴水を中心にした花園と、その脇に配置されたベンチ。そうしてそこに座るウォルドの姿があった。

「ん? おや、シレリア君ではないか」

 ベンチに座り、顔をやや下げていたウォルドが、こちらの姿に気が付いて顔を上げて来る。

 元々、彼に会うためにやって来たので、嫌な顔をせずに頭を下げて置く。

「すみません。ちょーっと話したい事があったので、昼食前に来たわけですが……何か取り込み中でしたか?」

「なんだ? どうしてそう思うのかね」

 そう言われても、あからさまに気落ちしている風なのだから仕方あるまい。肩を落とし、さっきまで地面をじっと見ていたでは無いか。

「それでは、私はこれくらいで。庭を見て回りたければご自由に。帰るための門も開いておきましょう」

「え? え?」

 シレリアを案内するだけの仕事だとばかりに、ここまで案内してくれた男は去って行く。残ったのはシレリアとウォルドの二人のみ。

「あー、ガオスはうちに来てからが私より古くてね。屋敷内の事でなら、そう、とても空気が読める。マイペースなところもある」

「使用人に大きな顔されてるって事ですけど、それで良いんですか?」

 言いながら、立ち話も疲れるため、ウォルドの隣に座る。長いベンチなのだから、文句も言われまい。

「私より古いと言っただろう? 他の家族から文句が出ていない以上、止める理由にはならないさ。私だって不快感は無い」

「なら、嫌な気分になってたのは、別の部分が理由と」

「なんだ君は。別に私の気持ちなど気にする人間では無いだろうに」

 それもそうだ。あくまで仕事上の付き合いなのだし、お互いに深い部分には踏み込まないという不文律が必要だろう。

「けど、世間話をする仲でもありますよね? 何が悪い事でもありましたか? どうにも御気分が優れない様ですが? なーんて世間話」

「はぁ……君の髄太い神経は十二分に理解していたつもりだったが、実際はそれ以上だな」

 溜め息混じりの言葉であったが、それでも、何かを話すつもりになったらしく、シレリアの返答を待たずにウォルドは答えた。

「家族とな、ひと悶着があった」

「まー、世の中見回してきて、家族と問題抱えてない人の方が珍しいかもしれませんね」

「今回はとびきりだ。何せ、戦場へ行くなどと言う決断をした子どもに対する悶着だからな。親としては反対するだろうし、その言葉はいちいちに正論だ」

「あ、あー……そうですか。そうなっちゃいましたか」

 そうなるだろうとは、薄々感じていた。だからこそ不安だったし、だからこそシレリアは本人に確認しに来たのだ。

 それをシレリアが尋ねるより先に、ウォルドの方が言葉にしてしまった。

 戦場への監査役。その仕事を、ウォルドは受ける事にしたのだろう。

「親御さん。そりゃあ心配しますし、反対もするでしょうよ。考え直したりはしましたか? しましたよね?」

「何故断定的に言ってくるのか知らないが、こうやって喧嘩をして、気落ちし、まあ、ギスギスした空気は暫く続くだろうと考えさせられるぐらいに、私は結論を出してしまった」

「はぁ……」

 シレリアの方も大きな溜め息を吐く。

 この喋り方の可笑しな少年は、少年らしい、少年みたいな馬鹿さ加減で、馬鹿な決断をしてしまったらしいのだ。

「あのですね、好き好んで命の危険がある場所に向かうのは、誰だって愚行だと思いますよ? 思いませんか?」

「思うし、好き好んでるわけでもない」

「けど、何か、鉄巨人を使っての戦争を何とかしたいって思いから、無茶をしようとしているんですよね? それって、好き好んでるのとどう違うのですか?」

「ま、まあ、違わなくは無い……かな?」

 だからこそ、シレリアの方も呆れていた。

 呆れついでに言わなければならない事も出来る。

「何度も何度も言って置きますが、戦場へ行く様でしたら、私は付いて行きませんので、そのつもりで」

「それは分かっている。まさか自分の我がままで他人の命まで危険に晒すつもりは無い」

 それが認識出来ているのであれば良い。家族でも無いシレリアは、ウォルドの旅立ちをただ祝えば良いだけなのである。

 戦場へ行こうとする人間に対して、何を祝えば良いかは知らないものの。

「他に、何か愚痴を言いたい事でもありますか?」

「なんだそれは。優しさのつもりか? 今さら君にそうされるのも、気持ちの悪いものがあるな」

「本気で嫌そうな顔をしないでください。それくらいしか出来ないかなと思った私が馬鹿みたいじゃないですか。そちらがその様子なら、私は素直に帰った方が良いみたいですね」

 一人、考え込みたい時でもありそうだなと思い、シレリアはベンチから立ち上がる。

「昼食前に時間を使わせてすまない。とでも返せば良いのか?」

「これから散々に悩む人に謝罪を聞かせて貰うほど、空気の読めない人間じゃあありませんって。見送りくらいはしますから、今後の予定が決まったら聞かせてください」

 それだけ伝えて、シレリアはその場を離れた。




 しかして屋敷から出るとは言ってない。

 まあ、せっかく広いお屋敷の庭へ案内されたのだし、少しばかり見学をさせて貰おうと、シレリアはあちこち歩き回り始めたのだ。

(使用人らしき人から、訝しんだ様な目で見られたけれど、それはそれ。訴えられるまでは、本番から程遠いわ)

 そんな事を考えつつ屋敷の庭を見て回れば、なるほどどうしてセンスは良い。

 丁寧に剪定された生垣は、庭から雑多な雰囲気を排除しているのに対して、それでも幾つか種類を用意しているのであろう植物は、目に五月蠅く無い程度に、色とりどりな葉や花を見せて来た。

 要所に配置された噴水の音とそんな庭の緑が心を休ませてくれる。

 そういう庭であるから、時間を潰すには最適だった。

(昼食前に時間を潰すって言うのも、お腹を空かせる話だけれども)

 時間を潰しているという事は、目的があってそうしていると言う事だ。昼食を食べていない事への空腹を耐える程度の目的。

 それは丁度、庭を一周見て回った頃にやってきた。

(やっぱり……まだ居るか)

 やってきた場所は、最初、使用人に案内された場所。

 ウォルドが気落ちしながらベンチに座っていたその庭へ、屋敷を一周する形で再びやってきたのだ。

 そうして見つけたウォルドは、まったく同じ姿勢で、まったく同じベンチに座っていた。

 ただし、先ほどまでとは違い、シレリアはウォルドに気付かれない位置に立っている。偶然そうなったわけでは無い。わざとだ。

(相手の様子を伺うなら、誰もいないと本人が思っている状態を……ね)

 恐らく、ウォルドにとっては、とても重要な決断をしている状況。シレリアにとってはそこそこに重要な決断をしている様な状況。

 だからこそ、相手がこちらを伺っての雰囲気では無く、ウォルドの素の感情を見てみたくなったのである。

(ええ、分かってる。趣味は悪い。幾ら生活の掛った問題とは言え、他人のそういう感情を伺うのは失礼千万。だからそう……ちょっと、罰が当たっちゃった?)

 声が聞こえて来たのだ。

 少年の声だ。良く知っている声だと言うのに、何時もとは大きく違った、自信の無い声。

「出来る……僕なら出来る。本当に出来るか何て分からないけど……そう思わないと、何も出来ないじゃないか……」

 今にも泣き出しそうなその声を聞いて、シレリアは溜め息を吐きたくなった。

(ああ、こう言うのを聞いちゃうと、どうもねぇ)

 頭だって掻きたくなったが、それより先に、この場を離れなければならないと思った。

 少年の、精一杯の強がりすら無くなった弱音。

 それを聞き続ける程、シレリアは残酷な性分を持っていなかったのである。




 心でやる事を決めれば、後はその日が来るのを待つだけである。

 ウォルドにとってはその程度の事だ。別に何かを思う事は無い。そう思い込んで、自分の中の恐れを隠していたとも言える。

(だが、既に契約を交わした以上、予定を変えるわけにもいかん)

 そんな事を思いながら、隣に立っているトライホーンをウォルドは見た。

 鉄巨人トライホーン。それが聖都の外縁部、その外側に配置され、さらにウォルドもまたそこに居るのだ。

 背中には大きめのリュックが一つ。幾つかの着替えと旅行具を入れたそのリュックは、旅立つ準備が既に出来ている事を意味している。

「そーれにしても、鉄巨人まるまる一つ、移動手段にしろって言うのは、なかなか国とか軍もやる事が豪快ですねぇ」

「……」

 声が聞こえる。トライホーンとは反対側の隣に立つ女の声。

 良く良く知っている、嫌と言う程に聞き慣れた声。

 それがシレリアという女の声である事をウォルドは理解していたが、その女の格好については理解できないものがある。

「君、てっきり見送りにでも来てくれたのだと思ったのだがね?」

「へへーん、すごいでしょう? 見送りどころか、現地まで同行する気で来ましたから、感謝してくださいね?」

 シレリアの格好は、どう考えても旅立つための服装であった。大凡、ウォルドと同様と言う事である。

「あのだね、一つ聞いても良いかね?」

「何でしょう? 何か気になる事でも?」

「私はこれから、危険な戦場に行く事になるのだが」

「んなもん知ってますが。何度も聞いてますよ、私?」

「……」

 さて、何を言ったものだろうか。一体何があった。頭は大丈夫か? むしろ、大丈夫な部分は前からあったか?

 色々と聞きたいところだが、何にせよ、大丈夫じゃない頭の持ち主なので、何を聞いても素っ頓狂な答えが返って来そうである。

「あ、今、すっごい失礼な事を考えていらっしゃいますよね? ウォルド君」

「まあ、目の前の女が、突然に意見を変えたとなればそうなるが……何があった?」

 シレリアは、戦場に向かう事などもっとも嫌う人間に見える。命を賭ける事を馬鹿な事と考えるタイプの人間であるはず。

「私の方は特に何も。最初から、考えてる事は変わってませんから」

「では何が?」

「何か、こう、勝手に周囲の環境が変わると申しますか……基本、明日の気分が良くなる方向で、私って行動してますから」

 これからウォルドと同行する事に、気分が良くなる様な事でもあるのかと訝しんだが、これでもシレリアはウォルドより年上の女性。何が目的かは、まったく伺い知れなかった。

「今回も言ってみれば国からの仕事で、付添人がいる事には別に不満は無いが……本当に良いのかね?」

「そうですねぇ。実際行ってみて、こう、叫びたくなるくらいに嫌だったりすれば、独断で帰ったりしますので、ご心配無く」

「そんな簡単な問題では無いと思うのだが……」

 だが、実際にしてしまいそうな無茶なところがシレリアにはある……と思う。

「そうより何時までも立っていないで、先に行きましょうよ。せっかくコレを貰ったんですから」

「貰ったわけでは無く、借りた形になるのだがね?」

 ウォルドは顔を上げ、コレことトライホーンを見る。

 これから、二つの国が鉄巨人をもって戦い合う地へ向かう事になるのだ。シレリアとも、このベージュ色した鉄巨人とも、結構な付き合いになりそうな気がした。




 聖王国と技王国。二つの国はその国境線で、鉄巨人を使っての戦争を続けていた。

 戦線は時々に、相手の領土へと食い込む事もあったが、大凡、その国境で行われる事が常であった。

 ちなみに国と国との境と言うのは、多くの場合において、自然の環境が大きく変わる地点の事を指している。

「聖王国の北方から東方に掛けて、北は砂漠に東は大森林。間に細い平野部が広がっている。それらが丁度、技王国との戦線であり、我々もそのどこかへ向かう事になるだろう」

 トライホーンの胸部。その内側にある操縦席に座りながら、ウォルドは地図を広げていた。

 地図でなぞるのは聖王国の領土が描かれている部分。そこから指は技王国の方へと向かう事になるのだが、聖王国の領土から離れれば離れる程に、その地図の正確性は無くなっていた。地図の端側など、何故か黒い壁が描かれている。

 つまり、そこまでしか分からないから、ちょっとしたデザイン性を追求した絵になっているわけだ。

「この地図、本当にちゃんと描かれているんですか? 私達がどこに向かっているか、ちゃんと判断できます?」

 操縦席の脇。折り畳み椅子を用意してそこに座るシレリアが、ウォルドの地図を覗き込んで来る。トライホーンでの移動は、その巨体から相応に早いものになるため、適宜地図を確認しなければ、国内であろうとも迷子になってしまうのだ。

「小まめに確認しているから、目的地には近づいていると思うが……」

「そもそも、戦場と言っても広いですから、どこに向かってるかを詳しく聞いてませんでした、私。やっぱり、主戦場になってる平野部に向かってるって事で良いんですか?」

 シレリアがウォルドの持つ地図を上からなぞって行く。その指が向かう先は、もっとも鉄巨人が動き回り易く、敵国への侵攻も用意な場所であるが故に激戦区となっている細長い平野部だ。

 戦争前は二国の主要交通路となっており、ある程度、移動の手段として整備されていたのも災いしている。

 戦争の監査を行うとなれば、そういう場所をこそ向かうべきだとウォルドも思う。

 だが、首は横を振っておいた。

「この仕事をする上で、色々と権限が与えられているが、私は言ってみればこんな年齢で、経験も無く、何と言うか、きっとあらゆる場所で良い顔をされないと思う」

「そりゃあその通りですけど、そこは仕方ないじゃないですか」

「そう、仕方ないが、一番厄介なのは、いないものだと判断される事だ。そうなると、私の仕事に対する影響力が無くなる。それだけは避けたい。例えば、一番激しい戦場へ向かい、何の存在感も出せないとなれば、その後にしたって碌な状況にならないだろう」

 仕事を受ける前にも、考えるに考えたのだ。

 どうすれば、この仕事を上手く運べるか?

 多少なりとも良い方だと思う頭を回転させながら、効率的な行動についてを想像し続けた。

「聖都は戦場から離れているが、それでも戦場の情報については幾らか入って来る。それらも加味して、まず向かう先は、ここだ」

 ウォルドが示すのは、聖王国北方。国境線とすら言えない、地図においても巨大な空白として表現されている砂漠地帯だった。




 カルトルナ砂漠は聖王国の北部に広がっている巨大な砂漠地帯だ。

 砂漠を東へと向かえば技王国へと至るが、北か西側へと向かえば死が待っているなどと言われる程に果てのない砂漠がそこに広がっている。

 聞くに北部の果てを越えた先には、桃源郷か幽界が待っているなどと言う噂がまことしやかに語られている程に、その砂漠を冒険する者は少ない。

 そんな場所であるからこそ、戦場としては他の場所よりも争いは少ない。それでも聖王国と技王国を隔てる地域であるからこそ戦地ではあるし、時々、鉄巨人が発掘される場所もあるためか、互いの国が幾つか拠点を作っていた。

「重要なのは、そういう遺跡発掘用の拠点だ。我々がまず目指すべき場所がそこだと言う意味だよ?」

 変わらぬトライホーンの操縦席。ウォルドは隣の椅子に座り、死んだ様な目をして景色を眺めるシレリアへと話しかける。

「はぁ……そうですか」

 だいたい、こんな返事しかして来ない様子を考えるに、大分疲労が溜まっているのだろう。

 強行軍で進んで来たためか、休息に使う時間はあまり多くなかった。

 そのおかげで、今は砂漠が広がる景色を眺められるわけだが。

「鉄巨人の内部は、どうにも一定の温度が保たれるらしく、この様な砂漠。それも太陽の光が降り注ぐ真昼だとしても、問題なく進めるのが良い点だろうな」

「はぁ……その通りですね」

「うむ。だからもうちょっとで、目的地に辿り着けるぞ」

「はっ……つまり漸く休めるわけですね!?」

 漸く生き返った様子でこちらを見つめて来るシレリア。気が滅入る様な状態が続かなくて結構な事だ。

(ま、その目的地である拠点とやらが、我々を歓迎してくれるとは限らないがね)

 向かう先は、聖王国が砂漠に作った拠点の一つだ。

 戦場の拠点と言うだけあって、何人かの兵士が常に詰めているだろうが、ウォルド達はそんな彼らを査定する立場。あまり良い風には見られない事だろう。

 そんな事を言葉にすれば、またシレリアの機嫌が悪くなるため、絶対に言わないが。

「けど、こんな砂漠の中にある拠点なんて、すっごい暑そうですよねぇ……なんでわざわざ、そこを最初の目的地にしたんです?」

「何度か説明しただろう? 遺跡を守ったり攻め取ったりするための拠点だからだと。まずもって、私の知識と技能が活かせるからだよ」

 もっとも自身の能力が発揮できる状況とは、もっとも自分の得意とするフィールドだと言う事である。

 戦場の中でも、過去の遺物が関わる物であれば、ウォルドが有利に動ける可能性が高まるのだ。

(そういう意味で言えば、遥かな過去よりの遺物である鉄巨人の戦場と言うのも……そもそも私にとっては得意と出来る物なのやもな)

 ウォルドに仕事を依頼してきたローマルドも、そういう狙いがあるのかもしれない。使い潰せる未熟者という目でも見られているだろうが……。

「おお? ウォルド君。どうやら見えて来たみたいですよ。漸くの休憩所が!」

「だから戦場の拠点だと言っているだろう。休憩所などと呼ぶべきでは……いや、そうでも無いか?」

 操縦席に映る景色には、砂の大地だけが映るこれまでの物からは違い、テントが見えて来た。見えて来るのはテントのみ。

 そう、拠点と言うにはあまりにも小さな、聖王国カルトルナ砂漠五番基地。それはたった一つのテントを示す言葉であった。




「ふん? 確かに本国の、それも軍上層部のサインと印と見られるが……査察ねぇ? ここをかね?」

 中年の男が、口髭を手で擦りながら、こちらを睨み付けて来ている。

 カルトルナ砂漠五番基地へとやってきたウォルドの今の状況を現すならそんなところだろう。

 テント一個の基地ではあれ、テントそのものは大きい。一軒家くらいの広さがあるだろう。

 その中央には机が一台と、それを取り囲む様に寝袋や簡易ベッドが配置されている。隅の方には食糧等の物資が入った箱が積み上げられていて、軍事基地らしさが見て取れた。

 テント内部には軍隊の兵が四人。一人は外で周囲を見張っているらしく総勢五人。その内の一人が目の前の男であり、さらにはこの基地のトップであった。

 兵隊長と言う地位を持つ、まあ、軍隊全体では下から数えた方が早い、現地の指揮官でもある。

「私の様な人間が、と思われるかもしれませんが、これでも知識はあります。助手のシレリアもまた、相応に人を見る目はあるかと」

「助手ではなく付添人です。はい」

 舐められない様に、それなりの立ち位置として紹介しようとしたと言うのに、相変わらず隣にいるこの女は、ウォルドの話の腰を折るのが得意らしかった。

「ま、何でも良いがね。うちで何を調べようが、上の命令とあっちゃあ仕方ない。だがね、言わせて貰うなら、俺の態度は別にあんたらを舐めて訝しんでるわけじゃあない」

 兵隊長は、自らの視線や仕草の理由をあっさりと述べる。要するに、ウォルド達をあまり歓迎していないと言う事らしいが、かと言って、ウォルド達の査察という仕事を嫌ってのものでは無い様子。

「では、我々の何に不満があると?」

「そりゃあ勿論、こんな場所で、何を調べるつもりだと言う……純粋な疑問だわな」

 ふいに兵隊長がテントの内部を見渡す。

 テントの中にいる数人の兵隊たちは、皆がこちらを見ていて、皆が兵隊長と同じ視線。こいつらは大丈夫な方の人間か? と言う目をしていた。

 なるほど。歓迎していないわけでは無く、嫌う程でも無く、呆れに近い感情を向けられているらしい。

「まあ、こんな砂漠の真ん中で、テント一つで周囲を見張り続ける人たちの、何を調べろって話ですよねぇ」

 身も蓋も無い事を言うシレリア。

 この基地に、何らかの成果を目当てにやってきたウォルドであるが、このままであれば、何の意味も無く日々を過ごす事になるだろう。

「んー……あー……そうだ。この基地、砂漠に発見された遺産を監視する目的で作られたものと聞きます。私はこれでも考古学者でしてね。そこを確認させていただければ、もしや何か有用なものを発見できるかもですよ?」

「そうだとして、何が監査できるかってもんだが……ああ、話したって碌なもんじゃなさそうだから、好きにすると良い」

 この場においての最終判断が出来る男が、一応はウォルドの監査を受け入れてくれた。今はそれに感謝しようと思う。

 無理矢理に監査をするという権限だってウォルドにはあるが、やはり気分良くやりたいものだろう。




「で、実際、こうやって遺跡の方を見て回って思うに、本当に何の成果も無さそうなのですが」

 シレリアがそう呟くと、声が周囲に響き渡った。

 大きな声を出したつもりは無いが、シレリアが立つ場所の構造がそうさせるのだ。

 その場所、五番基地のすぐ近くにある砂漠の中の遺跡は、砂の山の真ん中に開いた穴の様な入口があり、その奥には洞窟らしき構造が存在していた。

 壁が岩肌で無く、かなりボロボロの煉瓦に見える、そんな洞窟の中をシレリア達は進んでいる。

「どうかな? 見たまえこの壁を。これは既知の技術で作られた物であるが、それにしたってかなりの年月と風雨に耐え、その構造を維持している。相当に重要視された場所と言う事だ。この砂漠にこの様なものがあるとはな!」

 前を進むウォルドと来たら、興奮し、目を輝かせて遺跡の内部を調べていた。なるほど、確かに彼にとってこの場所は、宝の山よりも魅力的な物なのだろう。

 だが、一つ釘を刺して置く必要がある。

「で、この遺跡を監査した上で、戦争を続ける事へのデメリットや現場での不平不満等を見つけ出す事は出来ましたか?」

「うっ……そ、それはまだ、調べ始めたばかりであるし……」

「では今後の展望を語っていただけます?」

「えっとその……うん。ここは良い遺跡である事が分かるだろうね!」

「はぁ……私が言うのも何ですが、真剣に働いてください!」

 今度は大声を出したため、やはり遺跡に声が響いた。

 前線と言えなくも無い軍の基地へとやってきて、監査の許可が下りたと言うのに、ただ遺跡を眺めているだけでは何の意味も無いではないか。

 シレリアだって、それなりの意地を見せて同行しているのだ。何かしらの進展を見せてくれなければ呆れもするし怒りもする。

「むむむ。自分の得意分野であれば、上手く事を運べると考えていたが、どうにもそれでは駄目らしいな」

「そりゃあ自分の好き勝手してたら仕事になんてなりませんよ」

「そこまで言うなら、一度基地の方に戻り、そこの帳簿でも確認……今、揺れたかね?」

 嫌な予感のする揺れをシレリアの方も感じていた。天井から砂が落ちて来る。遺跡が崩れる……という風でも無い。揺れはどうにも、遺跡の外側より感じていた。

「一度出て確認するぞ、シレリア君!」

「は、はい!」

 ウォルドの方も、先ほどの揺れに何かを感じ取ったらしく、遺跡の外側へと走り出す。まだ遺跡に入ったばかりであるため、出入口には近い。

 そうして外に出てみれば、揺れの原因は嫌でも分かった。遺跡からはまだ距離がある基地に、見知らぬ鉄巨人が立っていたのだ。

「また、あの紅い鉄巨人……!?」

 その鉄巨人は、見知った赤の色をしていた。紅の金属装甲で形作られたその鉄巨人は、以前、他の村でシレリア達を襲った鉄巨人と同じ色をしていたのである。

「いや、違う。あれは確か……紅の二番! 偶然だろうが、何たる巡り合わせだ!」

 確かに良く見れば、紅の鉄巨人は、色こそ同じとは言え、その輪郭は少し違って見えた。

 それを瞬時に判断したらしいウォルドは、止まらず走り出す。

「シレリア君! 君はとりあえず、そこで避難していたまえ!」

 さらにウォルドはシレリアに遺跡の中を示して来た。古い遺跡だろうが、今まで風雨を耐えて来ただけあって、頑丈だろうとの判断だろう。

「ウォ、ウォルド君はどうするんです!?」

「さすがに、今度の場合は逃げる訳にも行かないからな!」

 ウォルドがそう言って向かう先には、確か遺跡までの移動手段にも使った、トライホーンが存在しているはずだった。




「紅の鉄巨人は、確か乗り手が三姉妹で、わざわざ同じ色の鉄巨人を選んで乗っていると聞くが……」

 そんな馬鹿なわがままを押し通すくらいには、敵軍の中で相応の地位を占めているのだろう。

 権力を使ってのものであればそうあって欲しいが、もし、その腕前を買われてだとすれば、戦闘において素人極まりないウォルドが正面から戦うのは厳しい相手と言える。

(しかし、搦め手……例えば鉄巨人での奇襲というのも、この環境では難しいか!)

 周囲は砂漠。鉄巨人の巨大さであれば、遥か遠くまで見渡せそうな荒涼とした大地が広がっている。

 身を隠すどころか、既に向こうの鉄巨人、紅の二番はこちらを見つけ、走り寄って来ていた。

「剣の次は、盾の相手かっ!」

 接近する紅の二番。その手には三番が持っていた剣と違って、盾が握られていた。

 縦に長い半円形で、円の先がやや尖ったそれは、剣よりも質量があり、剣よりも衝撃力のある一撃を繰り出せそうに見えた。

 接近するや、さっそくその盾を振り上げ、素直に叩きつけて来ようとする紅の二番。

「だが、剣よりも動きは遅い!」

 鉄巨人同士は、特殊なもので無い限り、それほど性能に差は無い。であれば、手に持った武器の重さが、武器の取り回しの遅さに繋がるのだ。

 ただ叩きつけるだけの重い盾など、ウォルドが操るトライホーンですら避ける事が容易だ。

 だが、やはりウォルドは経験不足。そんな事を、歴戦の相手が気付いていないはずも無い。

「ぐぅっ!?」

 盾を避け、紅の二番の懐へとトライホーンを近づかせたその瞬間、トライホーンそのものに衝撃が襲う。

 盾のそれかと思えたが、避けた以上は違うはずだ。第一、予想された程の衝撃では無い。トライホーンは倒れるより先に、二、三歩下がる中で姿勢を立て直す事が出来ていた。

(それでも、ダメージはダメージ。何度も受ければ私の方が先に駄目になる。しかしだ……なら、私はいったい何をされた?)

 衝撃を受けた瞬間、その衝撃が原因で、しっかりと観察する事が出来なかった。未だ、盾の振り下ろしの後にあったそれが何であるかをウォルドは知らない。

(これは私のミスだ。鉄巨人での戦闘に対して生半可な私のミスだろう……なら、一度の失敗は受け入れるさ)

 覚悟し、ウォルドはトライホーンの右腕を振らせる。相手への攻撃ではない。振った腕からは光の刃が伸びる。以前の戦いにも使用した、光のレイピアをそこに出現させたのだ。

『その光……その色。その角の数。へえ、なら、君はラミニの顔に泥を塗った鉄巨人乗り……という事で良いのかな?』

 女の声が聞こえて来た。恐らく、向こうの鉄巨人に乗る者からの声だ。ああ、その声でも分かる。相手の名前は確か……。

『ボクの名前はリィン・ネイト。ラミニの姉であり、技王国鉄巨人騎士団が一人。そうして、妹の汚名を雪ぐために戦う者だ!』

 随分と男っぽい話し方をする。話し方について、他人に言えたものでは無いウォルドであるが、まずはそう思った。その次に考える事は、相手がどれほどやれるかと言う事。

 向こうは再び盾を振り被っている。先ほどと同じだ。接近し、盾を振り下ろし、ウォルドはそれを避ける事が出来る。そうしてその次は―――

「同じ事を二度も!」

 ウォルドは叫び、自らの中の恐怖を紛らわす。結果、その後に発生した事象を確認する事が出来た。

 何の事は無い。盾を避けたその後ろ側で、紅の二番は盾を持つ方とは反対側の手にナックルを装着していたのだ。腕全体に嵌め、拳の先端に刺が付くそれで、盾の影から相手の鉄巨人を殴る。それだけの戦い方。

「叩く場所も同じとなれば、守るのも容易い」

 相手のナックルとトライホーンの間には、既にトライホーンの光のレイピアが差し込まれていて、攻撃の直撃を防いでいた。

『攻撃の手段が見えて無くとも、どこを攻撃されたかくらいは分かる……という事かい?』

「それすら、こちらへの様子見と言うのであれば……まだまだ君は脅威だがね」

 相手の攻撃を躱し、防ぎ、なお近づけたこの状態。ウォルドは光のレイピアを動かし、反撃を狙う。

 相手に真価があるのだとしたら、それを見せつけられるのはこれからかもしれない。

「だが、鍔迫り合いなら、まだこちらが有利だ!」

 光のレイピアを動かし、以前の様に鞭の様に扱う。相手の攻撃を受け止めながらも、さらにこちらが一方的に攻撃を仕掛けられるウォルドにとっての奥の手。

『それは、妹から聞いていた!』

 その奥の手が弾かれる。何が起こったか? それは単純な事だった。鞭の様にしなり、相手の腕に巻き付こうとしたその光であるが、相手のナックルに巻き付いた段階で、それを手から抜いたのだ。

 ナックルの輪郭に対して、腕は勿論小さい。故に光の鞭が絡んだとして、抜くだけの余裕があったのだろう。

 光の鞭は正に空振る形となり、隙だらけのトライホーンへ向けて、準備万端、紅の二番は盾を勢い良くぶつけて来た。

「がぁッ!」

 揺さぶられるトライホーンの操縦席。盾に寄る衝撃と倒れるトライホーンの衝撃。それはそのままウォルドへと襲い掛かり、痛みよりもまず視界のブレとなって、吐き気を催して来た。

(ああ、くそっ。認めよう。鉄巨人の戦いにおいても、これが私の限界だっ)

 歯を食いしばる。理解もする。初戦は戦いの素人。奇襲でもって逃げる事が出来たところで、正面から玄人を相手に出来るほど、喧嘩は強くない。

『同じ事を二度もと言ったね? その言葉、返させて貰おうか』

 倒れたトライホーンに向けて、紅の二番は盾を降り下ろすつもりだった。光の鞭による奇襲が破られた以上、盾の先端がトライホーンの胴体を打ち砕く事を防ぐ術は無い。

「悪いが、私はそういう戦士の流儀とは無縁だ」

 だからウォルドは、正面から戦う事を止めた。使うなら知識だ。もっと言えば、相手の思い付かない事をする。

『これで終わっなぁ!?』

 砂中へと潜らせていた、もう片方の腕から伸びた光の鞭で相手の足を払ったのだ。

「出せる武装が一つだけだと誰が言ったかね?」

 腕の機構は左右同じなのだ。同じ機能が両方共に備わっている。問題はその使い時だった。馬鹿正直にではなく、効果的な場面でこそ使用する。それがウォルドの勝ち筋と言えた。

『これを、狙っていたのか!?』

 次は紅の二番が転ぶ番だった。トライホーンと紅の二番。二人して砂漠に転がり合うものの、先に転んでいたトライホーンの方が立ち上がりは早い。

「私の方が、鉄巨人についてを良く知っていただけのことだよ!」

 立ち上がり、二つの腕から伸びる光の鞭を紅の二番の身体へと絡みつけて行く。

 トライホーンの力は良く知っている。相手の鉄巨人の重さとて、その輪郭と大きさを見れば大凡は見当が付いた。

 だからそのまま、鞭に絡みつけて振り回すのだ。トライホーンならそれが出来る。

『なっ、や、止めたま―――

 聞く耳は無かった。その余裕だって無い。鎖付きの鉄球の様に紅の二番を遠心力で持って振り回し、その中にいるであろう操縦者のリィンをまず駄目にしようとする。

(そうならなければ、また私の方が危機になる!)

 今回は上手く行ったとは言え、それでも次があればと恐れてしまう。それが今のウォルドだった。

 戦う人間では無く考えるタイプの人間であるウォルドは、戦いのこの先に焦りもしたから、その思いも加えて紅の二番を回し続ける。

 ただ、それもそう長くは続かない。絡まる光の鞭であるが、勢いが余ればすっぽ抜ける。勢いの付いたまま放り出された紅の二番は砂漠を飛び、砂山を跳ね、何度も空転し地転して、相当の距離が開いた段階で止まった。

「やったと思いたいが……」

 かなりの衝撃を相手に与える事が出来た。そう思う。少なくとも、これをやられてウォルドは無事で居られない。

 幾ら鉄巨人の頑強な装甲に守られていても、怪我で済めば良いというレベルの攻撃だったはずで、これで決着する事を期待したって誰も文句は言わないはず。

 だが……。

「くそっ、精神力か? それとも、衝撃を逃がすコツでもあるのか?」

 距離があるため、相手の声はもう届かなくなったが、それでも立ち上がろうとする紅の鉄巨人が見える。

 あれほどの攻撃を受けてまだ、相手と相手の鉄巨人は戦える状態なのだ。

(はっ、そちらがその気なら、こちらとてやってやるともさ。どうせ、逃げる事は出来な……うん?)

 どうやら、逃げを選んだのはウォルドでは無く、紅の二番の操縦者、リィン・ネイトの方であるらしかった。

 距離が開いたこの状況。最初はこちらを伺う様子を見せた紅の二番であるが、その後、すぐさまに背中を見せた。

 警戒し、振り返りつつの逃げであったため、追ってくるとなれば反撃をするつもりなのだろうが……。

(何か狙いがあるのか? 誘っているのか? だが、そんなものに乗れるほど、こちらには余裕が無くてね)

 ウォルドがそう心に決め、トライホーンを佇ませる間、紅の二番はさらに距離を取り続け、何時からはその姿を見えなくして行った。




 そんな外の状況についてをシレリアは知らないまま、避難した形になる遺跡の奥へと進んでいた。

「外では派手に戦っているんだから、私は私で出来るだけ安全な場所へ行かないとっ」

 遺跡が崩れるのでは無いかと言う衝撃が、先ほどまで響いていた。あちこちから埃や砂が落ちて、シレリアの服はもう随分と汚れているものの、何とか命の方は無事のままだ。

「ウォルド君は頑丈に出来てるとか何とか言ってたけれど、この遺跡だって何時崩れるか分かったものじゃあないし、早く終わってくれると有難いなぁ……まだ、何か揺れている気がするし」

 外の様子が分からぬから、シレリアはまだ戦いが続いていると考えている。遺跡の外では、ウォルドが駆るトライホーンと、何やら赤い鉄巨人が掴み合い、立ち技寝技を繰り返しているのだと信じていた。

 だって、今もまだ、遺跡は揺れているから。

(んー……どれだけここに居れば良いんだろう?)

 シレリアは知らない。戦いが既に終わっている事に。シレリアが知るはずも無い。揺れの原因は既に外には無く、遺跡内部から来るものである事に。そんなシレリアはそろそろ気が付くだろう。遺跡の一部が崩れ出している事には。

「……しっかりとした煉瓦だって、なんども揺さぶられれば倒れたくもなる?」

 壁を見る。遺跡の奥。どうにも行き止まりとなっているその場所の壁だ。壁は一部が崩れていた。そうしてこの瞬間にもボロボロとその壁の一部が崩れ続けている。

「あ、あはは……良し、逃げましょう」

 振り返る。だって一部どころでは無くなって来たからだ。煉瓦で出来た壁が、ベロリと皮が剥がれる様に落ちて行くのを見てしまった。

 その奥にある土砂は、簡単に崩れそうで、きっと、シレリアが背後を見ればそうなっている事だろう。見る余裕が無いのでいちいち確認しないが。

(音、音が聞こえるっ!)

 確認なんてしなくても、怒涛の様に押し寄せる何かが落ちる音が、現状の危機を嫌でも知らせて来た。

 シレリアは走る。走り続ける。何よりも自分の命が大切だからだ。

 目指すは遺跡の出口。こんな古臭い場所で生き埋めになって、若い命を散らすなんて絶対に回避しなければならない。

「はぁっ……はぁっ……」

 だが、どれだけ回避したい状況だとしても、体力と言う名の現実はやってくる。足だって今にも転びそうで、必死になっても何時かは立ち止まる。

 振り返る余裕くらいはありそうだ。いや、足が動かないから上半身を動かすしか無いわけであるが、その光景はと言えば、シレリアを驚愕させるに相応しいものではあったと思う。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ